マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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田原本町道の駅・レスティ唐古・鍵に求めた美味しい地産地消の品

2023年03月21日 06時49分52秒 | 田原本町へ
帰り道にある施設、田原本町道の駅の「レスティ唐古・鍵」。

稀にトイレ利用もさせてもらう施設。

求める美味しい地産地消の品々。

野菜などもあるが、これはっ、という品物もあるから、たんまに寄せてもらう。

ここ「レスティ唐古・鍵」のお気に入りはクレジットカード払いが可能。

この点が嬉しい。

さて、今日はどんな美味しいものが見つかるかな。

まずは、野菜売り場。あった、あった。

ここレスティ唐古・鍵にもあった葉玉ねぎ。

柔らかい葉も美味しく食べられる。

煮るほどに甘くなる葉玉ねぎ。

葉っぱはもちろん、白い肌を魅せる玉ねぎの玉が旨いんだなぁ。

かつては葉なんぞ要らんわというお客さんもおられたが、その美味しさに市民権が与えられたように思う。

なんせ捨てる部分がない葉玉ねぎ。

呼び名は短く「葉たま」で伝わるほどに認知されてきた。

野菜は大好き。

葉玉ねぎ以外に、あれも食べたい、これも食べたいと籠に入れて買ってきたら、家人から大目玉を喰う。

屋外に、冷蔵庫にあるのに、なんで買ってきたのか・・と、言われるのもなんだから携帯電話を掛けて有無確認。

必要な野菜、必要な分量の確認をとってから購入している。

加工商品の棚も目を通しておく。

最近は特に目がいく黒酢にんにく。

特に、熟成黒にんにくは、まるで柔かい、和菓子ような食感に、こってりコテコテのねっとり味。

何度か買てきって扱い方に手こずらせるので、熟成黒酢から醤油漬けに切り替えた。

なぜに食べていたのか。

便通にいい、とわかって買っていたが、私にとって高額商品。

負担が大きくてやめた。

代わりに、安く提供されている醤油漬けにんにく。



1袋を380円で売っていた「鎌田ファームのにんにく醤油漬け」。

個数が多く入っているにんにく醤油漬けも買った。



もう一品は、540円売りの「古都の香り奈良漬けきくらげしぐれ」。

奈交サービス㈱が直営する店舗販売の「奈良銘品館」のほか、通販のアマゾンや楽天市場にヨドバシカメラも販売している美味しい奈良でつくった逸品。

現在は、吉野町楢井から移転し、新社屋を建てた大淀町下渕が所在地の亀久堂本舗・灘商事㈱が販売・提供している商品。

また、ここレスティ唐古・鍵にも見つけた我が家で大好評の吉野山林豆とうふ店のタレ付き揚げ出し豆腐は、冷蔵ショーケース内に売っている。

これまで買ってきた売り場はみな我が家から遠い道の駅など。

宇陀路・大宇陀道の駅は、宇陀市。

吉野路・大淀Iセンターは、大淀町。

地域振興施設・御所の郷は御所市。

みな奈良県南部地域に所在する。

南部地域に民俗取材があれば、丁度いいが、目的がなければ足は遠のく。

それがなんと、レスティ唐古・鍵なら片道30分もかからないから、時間も燃費も助かる距離。

いずれも270円売り。

家族人数が多いご家庭はたぶんもの足りないから大きめの400円売りをお奨めしたい。

そして晩食のおかず。



食卓にあがった林豆とうふ店のタレ付き揚げ出し豆腐を家族3人に分け合って食べる。

毎度、いつ食べても美味しくいただくタレ付き揚げ出し豆腐、揚げ出し豆腐も旨いが、タレはもっと美味い。

そして、初めて口にした古都の香り、奈良漬けきくらげしぐれが、また旨い。

奈良漬は、食べやすい形にしている。



丸々一切れでれば、結局奈良漬けなんて、一口で食べることはない。

こま切れだからこそ、味もしむ。

口の中でうまみが拡がる奈良漬けに、シャキシャキ、コリコリの歯ごたえがあるきくらげが、食感を深める。

ししゃものつぶつぶも、えー効果を出してくれる。

たまごも入れて炊き上げた、コレが旨いのも、佃煮したのが正解。

家人はお茶漬けがいい、と、いうが私は酒の肴。

ぐびぐびいってしまう。

なお、「鎌田ファームのにんにく醤油漬け」は、袋からタッパーウェアに移して、これからの毎日に1個ずつ口にするのだが、熟成と違って、醤油漬けはどことなく手が伸びない。



旨味がまったく異なる熟成商品と醤油漬けの違い。思い知らされた。

(R3. 3.16 SB805SH撮影)

名張市・矢川のふるさと想う民俗探訪~矢川のねはん・聞き取り調査から~

2023年03月20日 07時57分44秒 | もっと遠くへ(三重編)
「ねはんのスルメ」行事を取材していた「錦生(にしきお)村」の結馬。

取材後の午後は、国道165線越えた近鉄鉄道大阪線の向こう側にある地。

前年の12月2日に訪れた阿部田・鹿高(かたか)のイノコモチの事前取材。

I区長夫妻が云っていた民俗行事。

宇陀川を跨ぐ橋を渡った南の地域。

矢川もまた三重県名張に属する「錦生(にしきお)村」内。

その矢川に「おしゃかさんをしている」、と話してくれた。

矢川集落は、鹿高からすぐ近くであるが、屋外に出ている人の姿が見つからない。

車を何度か往復する村の道。

たまたまお家から出てきた婦人に聞けば、ごく数年前までしていたようだ。

小学生の子供らが、お菓子をもらいに来ていたとか話してくれた。

ここ矢川からすぐ隣の村は、東大寺との関係が深い一ノ井地区

奈良・東大寺二月堂修二会に用いる松明を寄進する伊賀一ノ井松明講の所在地である。

平成19年3月12日に取材した伊賀一ノ井松明講の松明調進行

オーコに担いで三重県・名張から奈良・東大寺まで運ぶ。

かつては山越えもなにもかもが徒歩であったが、現在は、そのほとんどがトラック搬送。

一部の行程だけに限り、松明担ぎの調進行をされる。

毎年の2月11日に山行き。

東大寺二月堂修二会に用いるだったん松明の原木ヒノキを伐りだし。

翌月の3月10日は、松明の調整作業をされている。

伐りだしは、ともかく、令和3年のコロナ禍に、東大寺からの要請もあり、松明調進は中止の判断

だったん松明は、3月12日に東大寺が迎えて受け取ったら、燃えやすいように1年間保管し、十分に乾燥させてからだったん松明の仕様につくり整える。

そして、美しくできあがっただったん松明は上堂される。

中止を決断した松明調進行であるが、だったん行の松明は、すでに前年届き。

松明材がそろっているから、令和3年の東大寺二月堂の修二会には影響を受けなかったそうだ。

ただ、次年度に用いるヒノキ松明剤は、持ち越し、とされた。

それでは、東大寺さんも困るのでは、と婦人に尋ねたら、期日をずらしてもして寄進する手配をするようだった。

ここで、まさかの二月堂修二会のだったん松明の状況を教えてもらう、とは思ってもみなかった。

そのことは、ともかく矢川に来た目的は、「おしゃかさん」行事である。

たまたま遭遇した、ご婦人が記憶する「おしゃかさん」の体験。

子どもたちが行う「おしゃかさん」。

ずいぶん前のこと。

大人になった子どもたちがどういう具合だったのか、はっきりと言えないくらいの過去のこと。

記憶は曖昧。

子どもが育って「おしゃかさん」に参加しなくなったら、すっかり忘れてしまった、と申しわけなさそうに・・・。

対象の子たちもいなくなり、行事は今や、とふとよぎった。

仕方なく、再び車を動かし、集落をあっちに、こっちを流離う。

現況はともかく、実態が少しでも覚えている人に出会いたく、集落中央を横断する車道をうろうろしていた。

すると、丁度、薬剤散布機を洗っていた男性を発見した。



矢川の「ねはんのおしゃかさん」行事を存じておれば、幸いと思って声をかけた。

その男性はすぐに思いだしてくださった。

それもそのはず。男性は、元区長のKさん。年齢は82歳だ、という。

矢川の「ねはんさん」行事は、区長を務めていたころに中断したそうだ。

5、6年前・・いや10年前だったか・・。

小学生の子供たちは“おしゃかのすずめ”とか、なんたら云っていたそうだ。

なんたら、というのははっきりとした詞章は認識なく、子どもたちが囃すものだから、きっちり資料も残していないから・・・

記憶にないようだ。

お菓子、或いはお金を用意している家を巡って、「おしゃかのすずめ」をしていた、とある程度の実態が見えてきた。

実施日は、固定日でなく、土曜、日曜日をはさむ日。

どうやら学校が休みの日にしていたが、土曜か、日曜日かは、特に決まっていなかったようだ。

2月ですか、それとも3月ですか、と尋ねてみたら、なんと2月でもなく3月でもない、桜の花が咲いていたころである。

桜の花が開花する日は、固定日でもなくその年の時季に応じた開花状況。

元区長の記憶にあったその日は、お釈迦さんが生まれた日、だという。

えっ。

そうであれば、お釈迦さんの誕生仏を祭って甘茶をかける4月8日の花まつりが想定されよう。

涅槃でなく、生誕。

逆の由来のあり方に驚き、である。

矢川の戸数はおよそ100戸足らずの集落。

子どもたちの人数が大勢になるから2組に分かれて集落を巡った。

地区別に分けたA班、B班に属するお家を、それぞれのグループが巡ってお菓子もらいをする「おしゃかのすずめ」。

隣村の結馬のような、家、友だち同士で勝手に巡回する個別単位でなく、組織的に子供会に属する子たちが、それぞれの地区別に分けたA班、B班に属するお家を巡っていたようだ。

ただ、全戸を巡るのではなく、区入りした85軒のお家だけを巡った。

区入りする費用は、一律2万円。

その昔の、大昔は米だったとか・・。

涅槃さんは、いつしか少子化の道を辿り、区として図書券を配るようにしたが、それもやめた、という。

5年から10年も前のころ、矢川に子供がいなくなり、やむなく中断された「おしゃかのすずめ」情報は、ここで断ち切れた。

区長は、話題を替え、矢川の寺院や神社行事などを話してくれた。

区長家からすぐ近くにある寺は、真言宗派の宝積寺(ほうしゃくじ)。

氏神さんは、春日神社。

秋のまつりに獅子舞保存会があり、村廻りをしていたが、現在は中断中である。

ちなみに、勝手神社がある黒田の地区は、今もなお村を廻っているそうだ。



そういえば、音楽カフェおうるの森オーナーのAさんが、以前動画で伝えてくれた鹿高神社の獅子舞も村廻り。

おうるの森の庭にきて村廻しをしてくれた、とFBに伝えていた。



場所だけでも知っておこう、と思って宝積寺、春日神社を参拝する。



伊賀四国八十八ケ所写し霊場の一場。

第80番札所の真言宗室生寺派だが、拝観は、先ほどお会いした区長さんが鍵をもっているようだ。



納経料のお軸代は理解できるが、「おいずる」ってなんだろか。

ネットで調べた結果、わかったことは巡礼に着る白衣。

四国八十八カ所とか西国三十三カ所巡礼に見る白衣だった。

充てる漢字は「笈摺」。

難しい漢字である。

四国八十八カ所の写し霊場であるから、「お砂ふみ習俗」があるような気もするが・・・



次の目的地は、まあまあの距離があった春日神社。



白梅が迎えてくれた。

神社に年中行事板があった。



ただし、日程がはっきりしているのは山の神行事だけ・・・



先に拝見した山の神の場。

右手の大石に山神とある。



左手に建之した石碑に刻印が見られる。
「宝永三戌天(1706) 二世?」、「奉 供養月待三(※夜)<※三夜講若しくは二十三夜講でしょうか?>」、「三月十四日 祈攸(※きゆう)」。

奈良ではいくつかの日待ち講を伺ったことはあるが、月待ちの石碑を観るのは初めてだ。



ところで、春日神社に、「史蹟 錦生村春日神社境内の石燈籠 三重縣」の案内があるように、古くから伝わる石灯籠があった。

刻印は崩れているので判読は難しいですが、史蹟案内によれば「正平八年(1353) 癸巳 十月廿二日 大願主 藤原康 □□沙弥得円□」。

ほぼ670年前の南北朝時代の石燈籠

また、「錦生(にしきお)村」は、阿部田鹿高、井出、結馬、黒田の他、近隣地区の坂ノ下、小屋出、谷出、矢川、上三谷、竜口。

参道を下った社務所前のお庭にあった金属製(※鋳物?)の造物。



2体とも矢を銜えた鹿の姿。



金属の違いはあるが、いずれも昭和58年11月吉日に行われた春日神社御造営記念に寄進、奉納されたように思える金属造りの鹿の像である。

本社の春日大社に鹿像に、参拝者を迎えるにあたり、身を清める手水舎の鹿がある。

その場は「臥せ鹿の手水舎」。

“鹿”をモチーフにした珍しい鹿像の姿。

巻物を銜えた鹿の口の部分から清い水が流れ出るようになっている。

柄杓で掬った水を受け、両手を清めていただく祓いの形である。



集落に戻って、じっくり拝見したかった建物がある。

先に話して下さったご婦人によれば、かつては保育園利用していた建物。



現在は、矢川の集会所として利用されているそうだ。

池面に写りこみそうな古き校舎のように見えた壁一面の板張り建物が、とてもすてきに見えて・・。

色合いに風合い。



懐かしさを感じる近代洋風、板張り建物。



矢川集落の景観にとけこむように佇んでいる。

ぐるっと半周して巡った旧保育園の建物を見て廻り。

時間の許す限り佇んでいたいが、帰りの時間が気になる。

天気予報はどうなんだろうか。



できるなら夕陽にあたる姿の近代洋風、板張り建物見ていたいが・・・

集落から下った東にある田園地。

遠くに見える黄色い地は、たぶんに菜の花畑。

帰宅してわかった矢川の菜の花畑。

近鉄鉄道大阪線沿い南側に矢川環境保全会が景観形成の一環として、2019年から始めた取り組み

4月には、全面がシバザクラに転じるようだ。

刻々と時間が過ぎていく。

ここもまたずっと見ていたい明媚な景色。

是非、撮り鉄のみなさん、よってらっしゃい。



近鉄電車の特別列車に、菜の花畑が映えるょ。

ぎりぎりまで滞在していた結馬に矢川をさよならして県境の道の駅に向かう。

奈良県・室生三本松にある宇陀路室生の道の駅だが、その手前に地産地消の店、こもれび市場が目的地。

往路に見つけていた葉たまねぎ。

売場に並んでいたので是非とも買いたくて入店したワケだ。

冬場期間(10月~4月19日)の営業時間は、午前8時から午後4時まで。

ぎりぎり間に合った売り場にあった地産栽培の葉たまねぎ。



真っ白な新玉は新鮮の印。

葉玉ねぎは、柔らかい葉の部分も甘くて美味しい。

すき焼きに入れて食べるのが一番だが、卵とじ煮物は、すき焼きよりも旨い。

季節になればお近くの道の駅の棚に並ぶ。

棚に並ぶ時期は、それほど長くない。

売り切れることも多し。だから、目についたら即買いしている甘くて旨い野菜。

今月末には消えているだろうな。

(R3. 3.14 SB805SH/EOS7D撮影)

背丈比べの花の庭

2023年03月19日 07時38分16秒 | 我が家の花
草むしりした前庭。

住み始めに耕した野菜つくりの場は、ネズミの額ほど。

数年間に亘って、つくってきた野菜の数々はみな美味しかった。

仕事が忙しくなり、面倒がみれなくなった場は、今じゃシランの園。

前身は、チューリップの園だったが、咲き終わりに球根揚げ。

その作業も面倒くさくなり、放棄した後のシランの園。

貰いもののシランが増えて、増えて、領地を拡げた、その場に1本。

明らかに種別が異なる芽生えに気づいた。

少し離れたところにも、もう1本。

たぶんに思う、それはカサブランカ

うまく育っていけば7月初めに花を咲かせる・・・はず・・。

そのときの背丈は、およそ2メートル。

昨年になって初めて気づいた花咲き状態のカサブランカ。

日も昇り、朝の光にシランの芽生え。



成長過程の葉が美しくて・・・。

(R3. 3.20 EOS7D撮影)

急ぎ足に入れ替わる季節の花

2023年03月18日 07時49分57秒 | 我が家の花
レンギョウはすっかり消えたが、ユキヤナギは真っ白に染まった。

門扉から玄関までの短いアプローチ。



家人が手入れするガーデニングの花が満開。



隣の家では、毎年に愉しませてくれるモクレンも満開。



巷の声が寄せてくれる郡山城跡の枝垂れ桜も満開。

留守番の私は、無駄に伸びきったムクゲの枝の切り落としに草むしり。

それを済ませてから花を愛でていた。

それにしても、今日はほんに暑かった。

今朝の気温は3.8℃だったが、昼間はぐんぐん上昇し、例年の4月下旬並みの21.6℃。

枝垂れ桜を追ってソメイヨシノ桜も、一気に開きそう・・・

半日陰の中庭にも春の芽生え。

膨らんだ芽は、春蘭。



京都南山城村にある直売所に売っていた鉢植えの春蘭

今年も、可愛く春を魅せてくれる。

(R3. 3.19 EOS7D撮影)

ねはん取材の合間に観ていた結馬の集落景観とヒイラギイワシ

2023年03月17日 08時32分43秒 | もっと遠くへ(三重編)
ねはん行事の取材の合間に見ていた三重県名張市・結馬の集落景観。

古民家とも思える歴史を感じる建物。



農を営む田園地に建つ農小屋も風景の一部に溶け込んでいる。

長閑な風景に、のんびり寛げる空間もまた癒しの情景。



中でも、ときおり目に入った節分の印し。

玄関口に刺しているヒイラギイワシ。

トゲトゲに葉っぱでわかるヒイラギの枝。



奈良県川上村・高原の地にもあるが、その棘のあるヒイラギの葉から「メツキバ(※目突き葉)」と、呼んでいた

玄関を入ろうとする鬼が目を突く。

そんな謂れがあるメツキバ(※目突き葉)に、焼いたイワシの頭もある。

また、ある地域では「オニのメツキ(※鬼の目突き)」

焼いたイワシの頭は焦げ嗅い。

そのにおいが嫌いな鬼を追い出す。

つまり、お家を守る魔除けの道具である。



ヒイラギにイワシがそろった名称が「ヒイラギイワシ(※柊鰯)」。



いつまでも続けてほしい民間習俗である。

(R3. 3.14 EOS7D/SB805SH撮影)

名張市・結馬のねはんのスルメ

2023年03月16日 08時02分44秒 | もっと遠くへ(三重編)
2月に行われる三重県名張市・井出(いで)の「おしゃかさん」は、コロナ禍での影響を受けて中止の判断をとった。

だが、東隣の名張市・結馬(※行政読みはけちば、一部住民はけちま呼び)は、イノコモチと同じく、コロナ禍であっても実施するようだ、と区長が話していた。

地区首長のとらえ方の違いなのか、それとも対象家のすべてが合意形成されなければ中断を決断するのか。

決断の意図はわからないが・・・

井出も結馬もかつては、錦生村(にしきおむら)に属していた。

錦生村は、その2地区以外に、安部田、黒田、矢川、上三谷、竜口の各地区があり、いずれも初瀬街道沿いに集落がある地域である。

野崎清孝氏の論文、『伊賀における小地域集団としての小場』によれば、各地区は、大字内区分けの小場(※奈良県は小字)として、呼ばれている地区単位の呼称。

論文に、伊賀隣村の木場呼称の地区、「・・中世末、近世初頭以前に伊賀国であった、奈良県御杖村、曽爾村、山添村(※波多野地区)、月ケ瀬村、京都府南山城村、三重県美杉村を含め、当時の伊賀国領域の中に、藤堂藩成立以前に発生したと考えられる」とあった。

そういえば、正月7日の山の神行事取材地に奈良県山添村・菅生(すごう)がある。

古くから山仕事をしてきた地区分けの名称は”木場(こば)”だった。

もしか、とすればだが、”小場”から”木場”に移ったのでは、と思われる呼称である。

い歴史・文化に古き街道を訪ねて歩くのも佳し、であるが、忘れてならないのが地域で行われてきた伝統的な民俗行事である。

結馬区長のYさんから、聞いていた“ねはん”行事の日程は、3月15日に近い第二日曜日。

元々は3月15日に行われていたが、休日に移行されたもよう。

井出は2月。

3月に行われる結馬(けちば)との日程の月差は、新暦か、旧暦かの違いであろう。

お釈迦さまが完全なる悟りを得、入滅された日が旧暦の2月15日。

お釈迦さまの徳を偲ぶ日が涅槃の日であったが、明治維新を境に新暦に調整された寺院や地域は新暦の3月15日に移った。

結馬区長の話によれば、「全員が揃って一軒一軒を巡るのではなく、個々の小グループ単位で動く。ですが、同じコースを辿ることなく、各グループが、それぞれにくりだして、お菓子もらいにイノコモチ行事と同様に集落全戸(※40戸)を巡る。もらったお菓子は数多く、大きな袋が3袋以上にもなることもあった。お菓子は、夏休みまでぼちぼち食べる子もおれば、早めに食べきってしまう子もいた。涅槃の掛図を掲げる公民館は、巡回の途中か、それとも最後にするのかは、各グループの行程によって替わるようだ。」と、話していた。

前年の令和2年11月21日に結馬入り、初の行事取材が「亥の日の亥の子」だった。

子どもたちとともに同行していた親御さんのIさんが話してくれた「ねはんのスルメ」。

えっ、もう一度お願いします、と伝えて再確認した「ねはんのスルメ」。

子どもたちも同じように呼ぶ「ねはんのスルメ」行事。

「ねはんのスルメ」は、「ねはんのすすめ」が訛った語である。



今では、廃れて中断した地域も多くなった奈良県内に少なくとも十数例の事例がある。

子どもが集落を巡り、一軒、一軒訪ねては、「ねはんをすすめ」を唱え、お米をもらい受ける。

奈良県山添村・勝原の子供涅槃の「ねはんをすすめ」の詞章は「ネハン キャハン オシャカノスズメ」。

「ネハン キャハン オシャカノスズメ」は、「涅槃 脚絆(※脚絆布) お釈迦の雀」であるが、実は「薦め」が、いつしか訛って「雀」に移った事例である。

子どもから、子どもへ。

地区の子たちは、地区の後輩の子たちに繋いでいった地域の伝統行事である。

奈良市日笠町に子どもの涅槃がある。

お米集めの詞章は「ねはんのすずめ」。

今では廃れたが、奈良市菩提山町にあった子供の涅槃も「ねはんのすずめ」で、あった。

奈良市荻町の事例に、お米集めの際に「ねはんこんじ 米なら一升 銭なら百(※千円)」を囃しながら集落を巡るお金集めがある。

「ねはんこんじ」の詞章に思いだした奈良県山添村・桐山の事例

当村では「ねはんこ」と呼ぶ行事名。

桐山村全戸すべての27戸は涅槃講だったことから、短く呼ぶ「ねはんこ」だ。

桐山の涅槃講の歴史は古く、始まりは宝永七年(1710)二月十五日であった、と藤堂藩藩士の日記に書いてあるようだ。

子供たちが「ネハンコンジ(※献じ、或は顕示か) アズキナナショウ」を囃し、各戸を巡ってお米貰いをすると聞いていたが、本来の唱文は「ねはんコンジ コンジ ねはんコンジ コンジ 米なら一升 小豆なら五合 銭なら五十銭(※または豆なら一荷)」であった。

また、昭和10年ころまで実施していた奈良県大和郡山市・椎木町に伝わる子供の涅槃講行事である。

平成3年10月に発刊した『椎木の歴史と民俗』によれば、子供たちが囃す「ねはんさんのすすめ」詞章に「ねはんさんのすすめ ぜになっと かねなっと すっぽりたまれ たまらんいえは はしのいえたてて びっちゅうぐわで かべぬって おんたけさんの ぼんぼのけえで やねふきやー」であった。

三辺繰り返しながら集落を巡って、お供えのお金を集めていたそうだ。

こうした事例から、考察した結馬の「ねはんのスルメ」は、自ずとわかってくる。

そう、「スルメ」でもなく、「すずめ」でもない、「勧め」である。

断片的だが、福井県鯖江市尾花に伝わる民話に「脇之谷 長禅寺 涅槃の勧め」の詞章が見つかった

さて、各地区の事例でなく、結馬の涅槃こと「ねはんのスルメ」は、いつ、どこへ、どなたが動かれるのだろうか。

結馬区長、Iさん、二人の話を総合したら、午前9時ころに家族、友達などそれぞれのグループは、特定できないご自宅或いは公民館から出発するのだろう。

集落一軒ずつ巡る順は、特に決まりはない。

集落の子どもたち、全員が集団になり、揃って行くものではなく、個々の小グループ単位に設定される巡回ルートである。

バラバラに動きまわるし、他の組も同じコースを巡回することもない。

統率者不在の小グループ単位の動きは、離れ離れだけに、あっちこちに出没するグループに巡り合う運任せの取材になるだろう。

また、11月の亥の子行事の「イノコモチ」は6~7人だったが、涅槃の日は、大勢になる、と話していた。

見守る親とともに、兄弟姉妹も一緒に参加し、巡回するのであろう。

とにかく集落を一巡し、もらってくるお菓子。

大きな袋が3袋以上にもなる子供たち。

その量多く、夏休みがくるまでぼちぼち食べる子もおれば、早めに食べきってしまう子もいるようだ。

こうして一巡したら、最後に公民館へ。

コースから考えて、最後に公民館、という具合にならない子どもたちもいる。

その場合は、コース途中の公民館にあがって涅槃のおしゃかさんに手を合わすようだ。

40戸の結馬集落を巡って終える時間帯は、だいたいが昼ごろ。

午後になるグループもあるようだ。

その間の区長は、子どもたちが巡る早い時間帯に、公民館の扉を開けて、涅槃の掛図を掲げておく。

以上、だいたいの段取りはわかったが、さて何時ごろに結馬に行っておけばいいのだろうか。

動きはじめたばかりの時間帯なら、お菓子を詰める袋は少ないだろう。

お昼前に終わりそうなら、それより2時間ちょっと前に到着しておけばいいだろう、と判断し自宅を出発した。

亥の子行事に、何度か立ち寄ったコンビニエンスストア・ファミリーマート名張あかめ店。

到着した時間帯は、午前9時40分。

駐車場から集落に人が動いているかどうか、眺めていたが様相に変化なく、公民館に行けば遭遇する可能性もあるだろう、と車を動かした。



田園地を走っていたそのときだ。

たぶんに涅槃のお菓子もらい行きの人たちでは?

数は少ないが、少人数グループの姿がちらほら見える。

近くまで寄っていけば、数組のグループが、あっちの方角、こっちの方角に分かれる別行動。

さてさて車を停めなきゃと、亥の子行事の「イノコモチ」取材に許可をもらった広地に・・・・

停めたすぐ横のお家から出てくる2人の子どもを発見した。

カメラ機材を手に、慌てて飛び出した。

姿を見失った子どもたち。

お菓子をもらって、次の家に向かったようだ。

そのお家が用意していたお菓子配りの箱に「お釈迦様 一ケずつお持ち帰りください」、とある。



優しい言葉で書かれたお釈迦さまからの涅槃の日のお菓子。

中を覗いてみたらびっしり詰めている。

今日の涅槃の日に来てくれる子どもたちへの届け物。

足らないように用意している。

じっくり撮っている時間の余裕はない。

隣家では、と思って急ぐが、思うように足は動かない坂道。

声が聞こえてきたお家の前。



その家に出会った2人の子どもたち。

うち一人は、イノコモチ行事の際に出会った女子だった。

そのときと同じユニフォームの体操服を着た女子にほっとした。

もう一人の子どもさんは、保育園児。

年長の男の子だと母親はいう。

二組の親子に撮影許諾をいただいて、同行取材にあたる。

子どもたちだけでは不安になる。

母親が見守るなかでの行動する子どもたち。

生まれも育ちも、ここ結馬でなく、県外から地域内転居された新興住宅住まいの子たち。

今日の涅槃も、前年のイノコモチも、新参の人たちにも参加できるようにされている結馬の民俗。

都市部では見ることもない、歴史ある民俗行事に参加できるのはありがたい。

地区に感謝している、と話してくれたM家とI家の母と子たち。

イノコモチのときは、子供だけを行かせたけど、今日は見守りしている、という母親に「そのとき、中学2年生です、と云ってくれた娘さんからイノモコチの台詞を教えてもらったんです。

”イノモコチ ついて いわわんもんは おおうめ こうめ ひげのはえた オヤジ むこさん(むすこさん)もいおう よめはんもいおて ついでに デッチも いおてあれ”でした。

その台詞に次いで”それぇ”と声をかけて、イノコの石槌をうちます」と、説明してくれた中学2年性の娘さんでした、と伝えた。

転入・転校されて何年になるのか、聞いてないが、民俗詞章をきちっと記憶している娘さんの聡明さに感謝。

「ほんとうにお世話になりました」、と謝意を伝えて同行させてもらった。

ここら辺りから勾配は強くなる。



先に行きたい気持ちはあっても、心の臓の病を抱えている私の足は動かない。

石垣がある正面に見えるお家。



玄関を開けて待ってくださっていた。

坂道をくだったり、上ったりする結馬の里に、広地が現れた。

元々はお家があったのでは、と思える広地にお地蔵さんがあった。



7体のお地蔵さんは横一列。

丈夫そうな屋根をもつ横長の地蔵祠。

たぶんにあちこちにあった地蔵さんを寄せたに違いない。

お地蔵さんを通り抜けようとしたとき、中学2年生の母親Iさんが振り返り、参っていきましょう、と提案された。

上級生の娘さん、指示されたわけでなく、自身が思う心から手を合わせていた。



その行為を真似た男の子も手を合わせた。

付き添いの母は、ただ見守るだけに徹していた里の地蔵さんも、目を細めていただろう。

次の家に向かって行った二組の母子。

追っかけも難しい身体に、長閑な結馬の里山景観に見入っていた。

ふと目を下ろしたそこに春の目覚め・・

土筆があっちこちに出没。



向こうの黄色い花はタンポポ。

うきうきするくらいの陽気な景観も見惚れていた。

しばらくして合流した母と子。



男の子の目線に入った玄関先の土筆。

それからも歩き続けてきた集落巡り。

午前10時過ぎ。

母と子に遭遇してから15分も満たない。

ほどなくたどり着いた結馬の公民館。



涅槃に行き交う子供たちのために、扉は開けていた。

正面扉は開いてなかったので、イノコモチのときと同じように勝手口から入室。

長椅子を据えた広間。

床の間でなく、柱に涅槃図を掲げていた。



お釈迦さんが入滅したお姿に、一対のシキビたてにお盆を2枚、置いていた。

二人の子たちは、共にもらってきたお菓子を供えて手を合わせて拝んでいた。



同行してきた母親は付き添い。

あくまでも主役は子供の結馬の「ねはんのスルメ」。

手を合わせるのは子供だけである。

前述したように、公民館は、途中に立ち寄る場合もあるし、最後にしている組もある。

それは出発地点で決まるような気がする。

涅槃図に拝む姿を撮らせてもらったから、およそ時間に余裕ができた。

その時間に地域調査。

掛図の裏面を拝見する。



裏にあった墨書文字は「伊賀名張郡結馬村 恵明山宮坊 宝暦十四年(1764)申二月十一日 観音講講中 観音講施主付」。

表地は表装しなおしているが、なんと、258年前に観音講が寄進した涅槃図であった。

もしか、であるが、子どもたちと一緒に探してみた「猫」の姿・・・・らしき動物が見つかった。



仮に、間違いないなく猫であれば、全国に数少ない事例の一つに数えてもいいだろう。

こうした記録は、地域の文化遺産。

貴重な遺産は、後々に活用されるよう記録しておく。

公民館から去るとき、忘れてはならない、いっとき供えたお菓子は持ち帰りである。

公民館を出て、再出発した後半の集落巡り。



長閑な里山を巡る家々。



高台にあるお家に、途中下車したくなる、足の動きも止まりそうな急坂もあれば下り坂もある。

予め買ってきたお菓子を並べて迎え準備はしていたが、急な用事ができたのか、不在を知らせる張り紙に「おはようございます 申し訳ないですが、人数分 自由にお持ち帰りください。宜しくお願いいたします」のメッセージを添えた留守宅のお家にも立ち寄り、ありがたく受け取っていた。



長閑な景観に傾斜のある道の向こう側に白い花が咲いていた。

右手の高台に建つ民家の屋根はトタン葺き。



で、あれば、元々は茅葺民家。

雨戸が締まっているお家に暮らしの様相は見られない。

咲いていた白い花に近くまで寄ってわかった匂い。



春に薫る梅の花だ、とわかった。

母親らとともに、愉しんだ梅の花。

風下に立っていると、ほんわかする。

午前10時40分の時間帯。

40戸の集落のうち、まだ半分も満たない涅槃の巡回。



2組の母と子について廻って1時間。

お菓子袋もいっぱいになりつつあるが、私の身体は悲鳴をあげはじめた。



下りの道は、足の負担なく歩きやすいが、平坦な道でも疲労こんばいの足に動きは怠い。



どこかでいっぷくし、小休止したい施設は・・・コンビニエンスストアしかない。

そこまでなんとしてでも頑張りたい。



土筆の咲く道に、母と子は先を急ぐ。

ここら辺りに建つ民家の風情がなんともいえない。



広い庭に建つ情景を見ているだけでも落ち着く地に、もう一軒も好みの建物。

「亥の日の亥の子」の取材にも訪れた民家の玄関。



鍾馗さんが迎えるお家である。

なんでも建ててから150年にもなるという。おそらく新築時に奉った鍾馗さん。

新しき家に住む人たちの暮らしをずっと見守ってきたそうだ。



それにしても、この鍾馗さんの姿・形。

どこかで見たことがあるような・・・

奈良県高取町・土佐街道沿いに建つ町家

比較したら容態はまったく違っていたが、瓦製だけに風合いはよく似ている。

ネットをぐぐった瓦製の鍾馗像の事例

とにかく、やたら多く見つかる。

家の守り神、魔よけの鍾馗さんは民俗の一例。

そのお家から下った水路近くのお家も瓦製の守り神がいろいろ見つかる

ちなみに屋根瓦に鍾馗像を飾る事例は、京都に多く見られるそうだ

奈良県内にもよく見られる鳩ぽっぽ。

やや崩れが見られる年季の入った鳩の塀屋根飾り。



鳩瓦は、鬼瓦と同じ。

建物や家族を守る鬼瓦。

豊穣や子孫繁栄を願うのが鳩瓦。

そのような謂れから、男の象徴が鬼に対し、鳩は女の象徴とされる東広島市の説があるようだ。

天を仰ぐ像は七福神の布袋さん。



お家によっては大黒さんの事例もあれば、七福神が勢ぞろいする宝船瓦もあるようだ。

また、鬼瓦を専門に製作する職人を“鬼師”と呼ぶそうだ。

飛鳥時代に伝わった鬼瓦。

中国、古来の思想から生まれた鬼瓦。

大寺院から、長い年月を経て民間建築に持ち込んだ思想が、習俗化したのであろう。

鬼瓦のごく一部を見せていただいたi家。



少し離れた位置から見た十三重の塔に家紋入りのi家を祝う扇までもある。

玄関前にもあった目出度い鶴の姿。



時間と体力に余裕があれば、是非ともお伺いしたい鬼瓦の民俗であった。

体力の限界を感じた私は、母と子の二組の涅槃巡回に取材のお礼を伝えて場を離れた。

この先は、二組の親子が住む新興住宅地。

さらに、道路を渡った南に散在するお家にも巡回されることだろう。

見送った私は急いで入店したファミマのあかめ店。



何度かお世話になったトイレに急行。

疲労した身体を休めていた密室。

扉を開けた向こう。

そこに見た子供たち。

なんと別れてから数軒を巡ってここファミマあかめ店にも涅槃のお菓子もらい。



入店するなり、「涅槃にきました」と、伝えたら、店員さんは用意していたお菓子を子供たちの前に差し出していた。

まさかの再遭遇に、ピント合わせをする間もなく、夢中に押したシャッター。

なんとか記録できた地域の年中行事に参加していたファミマあかめ店の対応である。

コンビニエンスストアなどなかった時代は、例えば魚屋、生活用品に総菜などを売るよろづ屋さんがあった地区。

そのときからも、子供たちが巡るお菓子もらいの「ねはんのスルメ」。

こうして時代は代わっても継承してきた結馬の民俗の存在が嬉しい。

再会した子どもたちに聞けば、お家を出てすぐに、ファミマあかね店の前の国道165号線から南向こうの地区を先に行ったそうだ。

そこから田園を抜けて、最初の家で、バッタリ出会ったのだった。

午前11時ジャスト。

およそ1時間半の同行取材。

お世話になったM家とI家の母と子たちに、この場を借りて感謝申し上げる次第だ。

食事を摂ったファミマのあかめ店を離れて単独行動する。

公民館であれば、どなたかの組と遭遇するかもしれない。

そう思って、再び歩いて向かった結馬の公民館。



坂道登り切ろうとした、そのところに出会った軽トラ。

運転はY区長の奥さん。

軽トラに、お孫さんを乗せて巡回していたそうだ。

ときおり公民館を覗いて、涅槃の掛図があることを確認している、という。

早いグループは、朝9時の開始時間から動きだす。

午前11時過ぎには、集落巡りを終えて、若しくはお家の距離の関係に、途中立ち寄り。

それぞれの親子組単位で、公民館に立ち寄り、涅槃さんにお供えをしているようだ、と話してくれた。

公民館に待っていても、遭遇することはないだろう、と判断し、そこから道を下ってきた。

気になる行事の呼び名である「ねはんのスルメ」。

尋ねたお家は、今日、初めに拝見した「お釈迦様 一ケずつお持ち帰りください」の札の家である。

当地に事務所をもつT家に尋ねた行事の名称。

44歳の息子さんの時代は、「ねはんのすずめ」でした、という。

母親の時代はどうやったんやろか、と息子さんが疑問に思って、呼んでくださった。

母親も、同じく「ねはんのすずめ」だった。

今の子供たちが、先輩から継いできた、と思われる呼称の「ねはんのスルメ」。

44歳の息子さんから下の、現中学2年生は13歳、14歳。

その間の30年の間に「当時、子供だった誰かが云い出したんでしょうね」、と話す息子さん。

おそらく、誰かが言い間違ったのか、それとも意図的に面白がって「スルメ」と呼んだ。

“雀”を、洒落っぽく“スルメ”に、したらみなが笑ってくれた。

面白いから幼い子たちはキャッキャ、キャッキャと笑い転げた。

インパクトあった“スルメ”を、みなが面白がって囃した。

“雀”を忘れた子供たちは、それから「ねはんのスルメ」と、呼うようになった。

訛り、転化も繋ぐ伝統民俗の詞。実に興味深い行事名称の変遷である。

今にはじまった訛り、転化でなく、もっと昔からもあった名称継承のありかた。



全国津々浦々に限りなくある行事名の変遷事例の一つとして、敢えて名張市・結馬の「ねはんのスルメ」と記しておく。

ファミマあかね店近く、向こうから集団でやってきたIさん家族。

「亥の日の亥の子」取材の際に、「ねはんのスルメ」行事お話してくれた家族さん。

今日はお父さんに兄弟も一緒に「ねはんのスルメ」。

少し時間をずらして出発したそうだ。

しばらくの時間に、ファミリーマート名張あかめ店売りの総菜弁当でお昼を摂っていた

疲労こんばいだった身体もようやく戻ってきた。

次の取材先に向かおう、として国道165線を走行。

そのときも見かけた結馬の「ねはんのスルメ」の一行。

数組は、お家の都合に合わせて昼間に調整されたようだ。

(R3. 3.14 EOS7D/SB805SH撮影)

越前かに職人甲羅組の生食赤えび開きが旨いからリピート注文①

2023年03月15日 07時21分53秒 | あれこれテイクアウト
久しぶりに発表された45%オフセール。

ほぼほぼ半額セールに待ったなし。

今回もまた注文する楽天市場の越前かに職人甲羅組が提供するアルゼンチン産ベトナム国加工の生食刺身用天然赤エビ寿司用開き。

1パックにむき身の赤えびが20枚。

前回の購入は味の試し買いだったから、1パックだった。

特別セールに1パックが1247円。

10枚で620円ほど。

であれば、自宅近くにある山陽マルナカにも売っているアルゼンチン産赤えびで、いいんじゃない。

7枚入りの赤えびが税抜き価格で398円。

枚数が少ない値付け。

むき身であっても、殻付きであっても同枚数に同額ならむき身でしょ。

たいがい売っているから、食べたいときに買いに行けば、いいんじゃないと思っていた。

用事ででかけた山陽マルナカ。

なんと半額セールに、税抜き価格が198円。

賞味期限は、購入日の翌日。

買いの日が期限なら、かーさんは顔色が変わる。

そりゃそうだから、一日余裕のある商品だったら、と思って買ってきた。

食卓にあがった山陽マルナカの解凍赤えび。

お造りで食べたら、問題なく食べられたし、赤えびらしさの味もあると家族揃ってパクパク喰い。

枚数少ないからあっという間に、皿から消えた。

ただ、前回に食べた越前かに職人甲羅組の赤えびとはちと違う。

プリプリ感が柔らかいのだ。

若干の差を舌が感じる日持ちの差であった。

それから待つこと2週間。

再び売りに出した楽天市場の越前かに職人甲羅組が提供するルゼンチン産生食刺身用天然赤エビ寿司用開き。

旨いとわかっているから、かーさん持ちかけたら2パック。

やったー、である。

なんせ3人が旨いと思っているワケだから、20枚なんてあっという間でしょ。

と、いうことで2パックを発注したら、あれぇ。

2パックの合計額が、2498円。

45%オフセールは、2セットのまとめ買いなら、さらに200円オフ。

つまり、1パックにつき200円引き。

2パックなら2094円。

それが、そうならなかったワケは、私の発注ミス。

先にしなくてはならないクーポン発行を失念したまま、買いに走った。

さぁ、どするか。

慌てて手続きするキャンセル処理。

楽天市場の手続きにあった制限時間。

発注してから30分いないに、ネットによるキャンセル手続きをすれば、キャンセルされるとあった。

越前かに職人甲羅組のメールアドレスも存じている。

一方向からでなく、二方向の方法でお願いした手続きキャンセル。

一つは、越前かに職人甲羅組へ直接送ったメール願い。

丁重な文を心がけて送った。

もう一つの手段は、楽天市場の「購入履歴」である。

まずは、履歴から探し出したミステイクの赤えび注文。

それを開いて「注文内容」下にある「キャンセル」をクリックし、「上記注文商品のキャンセルを確定する」。

その際、越前かに職人甲羅組宛に、発注を誤った旨、の伝文を書いてからクリック送り。

翌朝に届いた越前かに職人甲羅組かのメールが、「毎度ありがとうございます。甲羅組サポートセンターです。ご連絡いただき、ありがとうございます。キャンセルの件、確かに承りました。ただいまキャンセル処理が完了しましたので、ご報告いたします。48時間以内に楽天よりキャンセルメールが送信されますのでご確認くださいませ。またのご利用心よりお待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします」

その伝文に「早速の対応ありがとうございます。あらためて注文しますのでよろしくお願いします」とお礼の伝文を入れて返した。

あらためて注文した生食赤えび開き。



今度こそは誤りなく、クーポンを発行し、2セット購入の2094円で決済した。

発注した翌日19日の午前10時半。

早くも届いた。

ほんと感謝申し上げる次第だ。



今夜は、早くもお造りで食卓にあがった。

ぺろりと食べる家人たち。

もちろん私もぺろりと喰い。



ほんまに旨い。

冷凍であってもプリプリ感は、損なっていない赤えび。

旨味に甘みが旨いアルゼンチン産赤えび。

バタバタで注文した越前かに職人甲羅組の赤えび。



一人当たり4枚ずつであるが、納得できる味。

残りは28枚。

さぁて、どんな料理で出て来るのか、愉しみであるが、おそらく次回もまたお造りだろう。

レビュー文タイトルは「リピートも美味い生食赤えび開き」

「アルゼンチンむき身赤えびが半額セール。山陽マルナカで買った、明日の日付けが賞味期限の解凍赤えび。お造りで食べたら、問題なく食べられたし、赤えびらしさの味もあるから、家族揃ってパクパク喰い。あっという間に、皿から消えたが、プリプリ感は、ちょっとねっ。
これに懲りて注文したリピート買いの越前かに職人甲羅組の生食赤えび開き。今回もまた45%オフセールに飛びついた。今回はまとめ買いの2パック。発注してからわかったミステイク。なんとクーポン券発行を失念したとわかって、大慌てでクリックしたキャンセル扱い。なんとか間に合って、翌日のキャセル受理のメールをいただいた。
今度はちゃんと発注。その翌日に、もう届いた早業の越前かに職人甲羅組さん。手続きも、対応もありがとう。そして今回も美味しくいただいたお造り。家族そろってペロリ喰い。最高のプリプリ感はに、旨味、甘みも口に・・・。今回も、美味しくいただきました。」

ショップレビューに「私の発注ミスを、ただちにキャンセル処理していただき、ありがとうございました。しかも、今回は、特別かどうかわかりませんが、再発注した翌日に届き、夕飯には早速、口に・・。ありがとうございました。」

“楽天ROOM”も「同文」。

(R3. 3. 7、19 SB805SH撮影)

麺屋しりとり天理店の今だけ大盛りカレーつけ麺

2023年03月14日 07時18分23秒 | 食事が主な周辺をお散歩
昨昼の麺屋しりとり天理店は、行列があったから諦めた。

そのときの時間は、丁度の正午時間の午後12時半。

本日は、検査だけで済んだから、正午20分前の午前11時40分に着いた。

店の前も含めて満車に近い状態に、店内にはもうお客さんが入店し、食べているようだ。

店の両隣。左に年中無休のコインランドリー。

利用者は多いだろう。

右手も食事処のマイカリー食堂

牛丼などを販売する松屋直営の併設店。

つい最近に開業、開店したばかりの24時間営業のカレー店。

うちにも開店チラシがあったから気がついたが、550円カレーが売りもののようだ。

中央に配した麺屋しりとり天理店の看板に「つけ麺 しりとり 中華そば」とある。

そうか、つけ麺がメインなんだ。

中華そばもあるから、レッツゴー。

車を駐車場に停めてお店を覗いてみたら、ほんまに入っていた満席状態。

今なら、待ち椅子にどなたも並んでいない。

まさに、今でしょ具合だが、おっと財布を忘れしまった。

車に置いてあった財布をしかと握りしめて、もう一度。

ついさっきまでは、どなたも並んでいなかった券売機に数人が人だかり。

おっと券売機で買う前に、メニューは・・。

店前に立ててあったこれはなんだ。



「天理店 カレーつけ麺900円」に「カレーつけ麺 追い飯150円」とある。

大盛り以上に、まだ食べる人がいるんだ。

凄い人がいるもんだと思った、その上にあった付け足しチラシ。

「天理店限定 新メニューカレーつけ麺 大盛無料」とある。

900円のカレーつけ麺が、今だけ大盛無料に釣られた。

実は、このときは気がつかなかった、もう一つの看板。

「つけ麺全て 大盛り無料」あり。



そう新メニューであっても、みな大盛無料だったんだ。

あれことをとっさの判断に決めた大盛無料カレーつけ麺。

他店舗には、提供されてなさそうなカレーつけ麺に決まった。

順番待ちの券売機。

あとで知った自転車でやってきた、という二人の高齢女性。



介護の家族に、この前は一徳もいってきた、という。

一徳もまた、有名店らしい。

この辺りの通りを車で走っていたら目につく麺屋一徳の看板。

お店がどこにあるのか、メニューも知らない。

道路沿いのこれか、と思うのだが、いつも閉まっているお店としか思えない。

それにしても、ここ天理もラーメン屋さんが増えたものだ。

高齢婦人が話していることがおもろくて、思わずくすっと笑ってしまう。



このしりとり店は初めてらしく券売機利用に手間取っていた。

先にしてください。といわれたが、どうぞ、どうぞ。

慌てなくてもラーメン、つけ麺は逃げませんから・・。

二人とも1000円丁度の味玉入りつけ麺を購入した。

次いで私も買った食券のカレーつけ麺。

この券をもって入店、注文想定したが、違った。

店員さんが店前に出てきて、次の方・・と、お呼びする、とわかったのは長椅子に座った15分後だった。

先に食べていたお客さんが出てくる。

その都度ではないが、待ち行列は動く。

待ち行列に、介護の母親ととも食事する息子さんも。

高齢女性食べたくなる旨つけ麺なんだろう。

後ろに並んだお客さんも、そのほとんどが若者たち。

県内のラーメン店に並ぶ待ち行列は、どこでも一様に若者で占めている。

数えてみれば前に5人。

後ろに10人の待ち行列。

入店した時間帯は、午後12時15分。

発券してから30分も経過していた。

注文した券はすでに渡している。

さて、間違いなく提供されるのだろうか。

その間に、見ていた麺屋しりとり天理店のメニュー。

豚骨魚介中華そばが800円。

味玉入りなら900円。

全部盛りは1150円。



つけ麺もあるが、辛つけ麺もある。

辛さは1から3まで。

希望を申し出るのだろう。

つけ麺は950円から。

味玉入りなら1050円。

全部入りは1300円。

これで決まった。

次回の来店は、800円の豚骨魚介中華そばに決まり。



当日、にんにくが食べたくなったら850円のしりとり二郎。

これだな。

それにしても麺大盛りは新店舗開店祝いキャンペーンなのか。

何も書いていないから、わからんが・・。

ようやく配膳となった大盛り実質中のカレーつけ麺。



煮立て中のまま、器ごと運ばれたカレーつけ麺。

ぐつぐつ、ぐつぐつ煮立っている。

店員さんから受けとる際に、気をつけてください・・と。



写真ではわかりにくい麺量。

これって、ほんまに完食できるんかいな。



ふと不安にかられたカレーつけ麺。

とにかく食べてみよう。

カレー味は、何の味。

このコク、深み・・は、どうやらかつお出汁のようだ。

これっとしたパンチを感じないカレーであるが、うま味はある。

シコシコの太麺をたっぷり絡ませて食べる。



まま旨い。

食べていくうちに、箸が停まらなくなるが、一向に減っていかない太麵の山。

麺の強さに圧倒されて、お腹が徐々に膨満状態に・・。

じわーっと舌が、口の中が感じる深みのあるカレー味。

大盛りのつるっとモチモチ麺は、腹に堪えるんだが、なんと、完食しちまった。



後で知った、カレー味の工夫。

そう、チーズを加えたカレー味だったんだ。

深みを覚えたのは、それだ。

半分くらいで思った味替え。

なにか、ないかなぁとカウンター席に探してみるが、ない。

あるのは、中華そば、つけ麺、餃子に足す味替え。



胡椒に一味、七味、お酢、自家製ラー油。

カレーつけ麺には合いそうもない。

大阪から始まった、今やカレーといえば、スパイスカレー。

合い盛りのカレーつけ麺の誕生を待ちたい。

麺屋しりとり店の定休日は月曜。

お店は全席がカウンター。

10人くらいしか座れないから、回転率は低い。

麺ゆでに10分から15分もかかるから、近くに就業している仕事人は、午後の仕事に影響すると考え、マイカリー食堂を選びそうだ。

麺屋しりとり天理店は、橿原店に続く2号店。

ツイッターで発信している。

(R3. 3.17 SB805SH撮影)

ガガガガ音のMRI検査中に陥る睡眠は無呼吸症群

2023年03月13日 07時30分24秒 | むびょうそくさい
3月17日はMRI検査。

いつも通りに総合受付したら行先指示は血液検査だが、そこではMRI検査受付が午前9時半までだから、採血が回ってくるまで30分以上その検査が終わってからにしましょう、と・・・



検査前受付は厳しくしないと検査不能になる。

一つは検査5時間まえから絶食していたか。

水分補給は真水もしかは固形物など混じりけない液体、例えばジュースを飲んだか。

処方箋はお茶でなく真水で飲んだか。



検査時に身につけていた金属物すべてを外したか。

忘れやすい指輪とか取り外し可の入れ歯とか。

金属探知機による検査を済ましてドームに入る。

前半は息を停めて、が17回。

息を停めずにガガガガが何十回も。

その間の数回、記憶あるのが3回ほど、眠りに入ったような。

終わってから技師に聞いたことによれば無呼吸症候に陥っていたそうだ。

最後の〆に再び息を停めて、が3回。

腰にふくらはぎにあててもらったスポンジは外して起きるのだが、仰向けからいきなり起き上がったら腰痛になりかねない。

横臥のまま足をベッド下に、足をおろしながら反動をつけて起き上がった。

ただ、すぐには無理があり、ボヤーっとした頭を覚ましてたちあがった。

検査終了時間は午前10時半。

始まりが9時35分だったから金属チェックに着替え入れておよそ1時間の半年に一度の検査を終えた。

それから採血。昨日も4本、本日も4本。

連続2日間の採血は循環器内科に消化器内科だから仕方ないが、注射針痛いし、4本分採血にヘモグロビンはまた溜めなきゃならんな。

やっと終わってお茶もグビグビ飲めた。

会計前、ふと気になった健康保険の高齢受給者証の提示。

念のため総合受付に尋ねたら昨日に保険証と同時に確認しているから大丈夫です、に、ほっ。

ただ、本日の採血に、気になる痛み。

ピッとした痛みに、うっ!と声がでた。

すぐに止血、ガーゼを当ててくれたが・・・

今日の採血結果は、MRI検査検査結果とともに消化器内科医師が診断される。

MRI検査は、内臓そのものの内部の異常を探る。

採血は、がんマーカー検査だ。

重要な検査に必要な採血。

帰宅するまでに痛みはなく、解放されていたが、入浴に脱いだ腕は、うっ血状態だった。



拙い針打ちに数か所のやり直しにそれぞれうっ血。

痛みはないが、うっ血がきれいに消えるまで、しばらく、数日間以上は日にち薬しかないな。

(R3. 3.17 SB805SH撮影)

麺~leads~なかの天理店のTORI白湯ラーメン

2023年03月12日 08時26分19秒 | 食事が主な周辺をお散歩
病院帰りに昼めしを食べる。

診察を終えて会計、処方箋を受け取って駐車場を出たのは丁度の正午時間。

これまであっちこちのラーメン屋がつくり、提供する美味しいラーメンを食べてきた。

今日も、そのつもりでいた。

向かう先は旭第一だったが、行く手を阻まれた。

丼チェーン店からココカラファインもある立地に、新しくラーメン屋が出店したようだ。

数本の幟旗があったから、誘われるように入った共同駐車場。

空いている場を探していた、そのときだ。

目に入った待ち行列の人たち。

長椅子に座って待っていた。

昼時間のど真ん中であるが、待つことは避ける


減らしたお腹を満たしたいが、後日に任せよう。

そして西へ、西へと車を走らせ、信号を左折れ。

少し走ったところにもラーメン屋がある。

土曜、日曜は大行列。

入口ドア付近に置いた長椅子に座って待つ人多し。

その状況は、平日には当てはまらない。

おそらくは待ち行列はないだろう。

店舗は、平成30年12月23日にオープンした麺~leads~なかの天理店

本店は大和高田市神楽にあるらしい。

ここ天理店は2号店



新進のラーメン屋であるが、早やくも人気店の仲間入り。

口コミ多く、人気店が伺えるコメントが・・。

ドアを開けたそこにラーメン券を発行する手動券売機がある。



メニューを見たら、実にシンプルだが、下調べもしていないから、メニュー選択に困る。

何故なら、食べるべきラーメン写真はあるが、これは特製だという。

値段に応じて2種類。

鶏白湯味と鶏白湯塩味の二つ。

それぞれに特製ラーメンがある。

価格帯は税込み1050円。

フツーとの違いは、チャーシューの枚数と、わかったのは、配膳されてからだが・・。

初入店に、いきなり特製は選ばない。

味をみたいから、フツーでいい。

塩、フツー、さてどちらか・・。

これもまた、好きな人なら別だが、基本はフツーのTORI白湯ラーメン。

価格は税込み880円に下はない。

ラーメン券を購入して、店内入りドアを開けたら、呼ぶまでお待ちくださいと・・・。

あれま・・。

私以外に誰もいない。

しかもお独りですか、の問いかけもない。

どうやら行列に慣れてしまったラーメン店だった。

それはともかく、どこでもやってそうな替え玉システムはない。

欲しいお客さんは、大盛り一丁である。

ちなみに大盛り麺料は160円。

トッピングは130円の半熟味玉と230円のチャーシュー。

チャーシュー肉は何枚、とも表記していない。

セットもんがある。

ごはんセットなら190円。

値段的にいえば大盛りなんだろうか。

ご飯でなく、玉子かけごはんセットなら230円。

炙りチャーシュー&飯セットが390円。

他に単品ものもある。

3種のチャーシュー盛りも、炙りチャーシュー飯も580円。

案内してくれた席は、4人かけのカウンター席。

もちろん遮蔽板を調えている。

多人数向きの席はテーブル席。

いくつあるのか後ろ向きだから数えられない。

ラーメン券を渡してから作られるようだ。

カウンター席の向こう側が調理場。

ポニーテール姿の若い女性が3人。

男性店員の姿はみないから、女性だけで運営しているようだ。

そこでわかった店名である。



麺~leads~なかの」のleadsは、レデイース。

そうか、そうだったのか。

いや、いや、レディースなら” ladies “。スペルが違う。

” leads “は、リード。

手がかり、糸口、きっかけ、先手。

ラーメン業界に、先手を取る。

言い換えれば、先駆者、ということなんだだろうか。

注文してから配膳された時間。



およそ10分間の仕上がりに、器をみたら真っ白。

スノーホワイトと見間違ったかのように思った鶏白湯。

特別仕立てのチャーシューが沈し、麺の一切が見えない白湯麺。

この姿、どこかでみたことがある。

そうだ、思い出した

真っ白な白湯は同じようだが、盛っている具材がまったく違う田原本町にある暁製麺

白髪ねぎ、五条青ネギ、たまねぎ、おくら、かぼちゃ、水菜、姫たけのこ、糸唐辛子など、野菜をふんだんにあしらった作風がお気に入り。

ソフトでまったりした鶏豚だしラーメンの味わいにぞっこんだった。

それと比較はできないが・・。

麺~leads~なかのの鶏白湯ラーメンもまた、より一層すんごい。

ポニーテールの女性陣がつくりだす鶏白湯は絶品味。

完全に食べきったほどに値打ちがある鶏白湯ラーメン。

チャーシューはたったの一枚であるが、極うま。

鶏100%に魚介と合わせたWスープ。

そいつをミキサーで泡立てる。

セットしたタイマーは17秒。

きっちり計る。

なんらかの香味油を入れてつくったコク出しスープ。

化学調味料は一切使わないのが、謳い文句。

「ドルチェポルコ」という生ハムに使う豚肩ロースのレアチャーシュー。

逸品の味は、スライスで味わったが、年末と年明けに食べた麺匠大阪はなみちの特上しょうゆレアチャーシューに軍配を揚げたい。

麺はシコシコ。

がっつり跳ね返すコシのある麺。

スープと混ざってとても美味しい。

コクに深みもあるスープは濃い。

濃い、濃い、濃いに、喉から口全体を旨さで覆ってくれるが、半分くらいで飽きもでる。



途中で味替えしたくてもできないシステム。

別バージョンでもいいから、ソフトチックな味もこしらえて欲しいものだ。

それにしても、野菜のすくないこと。

上辺、表面にちょこっと盛った青菜の正体がわからない。

もう一つの野菜は底から湧いてきた刻み玉ねぎ。

シャキシャキ感でわかる玉ねぎ。

こいつは、いいね。



気づいたことはアンケート用紙にとあるから、ひとつだけ苦言を申す。

私が食べていたカウンターに置いてあったつまようじ入れ。



なんとも安っぽい容器に、興ざめ。

美味しかったラーメンの味もぶっ飛ぶくらいの無頓着さ。

帰りに「ごちそうさんでした」と、声を出したら、厨房にいたポニーテールさんたちは、一斉に「ありがとうございます」と笑顔で見送ってくれた。

作業中でも振り返りざまに「ありがとうございます」が虚しくみえる。

そうそう、食べてから1時間後のゲップ。

喉の奥からむちゃ美味しかった鶏白湯がもどってきた。

その後も、ゲップの都度に美味しさが蘇る。

喉から、口の中いっぱいに拡がる鶏白湯のうま味。

晩食を食べてようやく消えた。

(R3. 3.16 SB805SH撮影)