ストローバレイ家の介護奮闘記

90→→92歳の母を支える4姉妹の泣き笑い奮闘記・・とその後

ミディ・ピレネーの美しい村(3)ロカマドール、サン・シル・ラポピー、カオール(10/18)

2011-10-21 01:54:23 | 日常
                
          ロカマドール全景    サンクチュエールからノートルダム礼拝堂に繋がる巡礼者の階段

18日、10時過ぎロカマドール着。ここでも村全体を見渡すベスト・スポットに案内してくれて、まずはそこで写真撮影。その後ロカマドールの丘の上に上がり、そこから巡礼者の階段を下ります。この道は曲がり角毎にキリスト受難の一連のシーンが刻まれた像が祠に置かれ、本来巡礼者はキリストの受難を共有しながら下から上に登っていくのだそうです。私たちは上から下にというコースでしたが、良かったのでしょうか?(ガイドさんが、自分が皆さんを下まで送った後上がって行くから大丈夫!と言っていましたが。)

丘の中腹にあるノートルダム礼拝堂で、ロカマドールの名前の由来(岩の下に生前のままの姿で長い間眠っていた聖者の遺体が発見され、岩(ロック)を愛する(アマドール)聖者との名がつけられた)や、礼拝堂内の黒い聖母像、願いが適った船人や囚人の供物などの説明を聞きながら見学。

その後ガイドさんと別れて、土産物屋さんを眺めながら次の待ち合わせのパーキングまで散策。11時45分にサン・シル・ラポビー目指して出発となりました。

                
  城跡から見たサン・シル・ラポビーの村とロット川  葡萄棚の下でワインを飲みながらランチ

ロカマドールから車を走らせること1時間15分で、サン・シル・ラポビー着。まずは近くのレストランで、ラタトゥイユのような野菜の煮込みが乗ったパンとグラスワイン(夫と私はカオールの赤、四女はロゼ)の簡単な昼食。食後に私はくるみとフランボワーズのアイスクリーム、四女はクレープのデザートも食べて、またもやお腹いっぱい!その後勧められた村全体を見渡す丘の上に上がるのに、フーフー言ってしまいました。

                
      カオールのシンボル「ヴァラントレ橋」     サン・シル山から見たカオール全景

3時15分、サン・シル・ラポビー出発。最後の目的地カオールへ。ここはワインの生産地ですが、今回は見所2ヶ所(ヴァラントレ橋の往復と、村全体を見晴らすサン・シル山)に行って主として写真撮影のみ。それにしても、どの地でも最も良い時間帯に最も良く見晴らせる場所に連れて行ってくれる今回の企画とガイドさんの腕前には脱帽でした。

こうして、美しい村を十二分に堪能し、午後6時半に振り出しのボザール到着。素晴らしい秋晴れと、優秀で感じの良いガイドさんと、未知の文化との出会いで、これ以上望めないほど素敵な旅でしたが、少々感動疲れした二日間でもありました。(三女)
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トゥールーズ街巡り(10/16)

2011-10-20 20:26:32 | 日常
               
          壁に映ったステンドグラスの光@ジャコバン修道院

10月15日夜トゥールーズに到着した四女と共に、16日は朝からトゥールーズ街巡りをしました。

まずは、カルメ広場のマルシェを見学。お昼用の巻貝とキッシュと苺を購入。苺を買った果物屋さんの苺やラズベリーや、名前の分からない赤と白の小さな実が、各々籠に盛られ並べられているのが、可愛くてお洒落だと、四女は写真をパチリ!

マルシェを出た後そのまま植物園に向かい、園内を散歩。色付いた葉が青空に映えて、とても綺麗でした。植物園から戻った後は、お昼のオルガンコンサート(無料)を聞きにサンセルナン寺院へ。少年・少女合唱隊やフルートとの共演もある、日曜日の昼にふさわしいのんびり静かなコンサートでした。

一旦アパートに戻って昼食を済ませ、今度はクルージングをしようとガロンヌ川へ。でも丁度船が出たばかりだったので、とりあえず最寄のジャコバン修道院に行きました。よく晴れた昼下がり、ステンドグラスを通した日差しが壁に当たって、美しい色を描き出していました。

4時からはガロンヌ川-ミディ運河のクルージング。昼食後船に乗って、涼風に吹かれて、よく分からないフランス語の説明を聞きながらの、気持ちよい居眠りタイムとなりました。さらに、美術館は日曜日は無料なので、一応押さえておこうと、クルーズの後はオーギュスタン美術館をさっと見学。

夜はウィルソン広場のビストロ「ル・ボン・ヴィーヴル」で夕食。テラス席で広場を眺めながら、数年前に初めて食べて美味しい!と思ったこの店のカスレを四女と共に楽しみました。(夫は「カスレはもう良い」と鴨のハツを注文。)

夕食が終ったのが9時。国際オルガン・フェスティバル最終日のこの日、9時30分から行われる夜のオルガン・コンサートを再び覗きに、サンセルナン寺院に行き、40分ほど演奏を聴いたところで、さすがに皆眠くなり退席。我が家に戻りました。

天気にも恵まれて、日曜日のトゥールーズを目一杯楽しんだ一日となりました。(三女)
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昭和記念公園

2011-10-20 19:03:59 | 日常
               
                昭和記念公園のコスモス

歌のレッスンの帰りに荻窪駅で「高尾方面」の電車が来たら立川高島屋で開催中の「北海道物産展」へ、「青梅行」が来たら「昭和記念公園」に行こうと電車を待っていたら珍しく「青梅行」が来たので「昭和記念公園」に秋桜を見に行きました。

薄日の差す天気のもと黄色の秋桜は今が一番の見頃でした。「みんなの原っぱ」の縁に例年咲いていたピンク系の花は先日の台風で倒れてしまい、もう全部取り除かれ次の花のため整地されていました。

コスモスの丘は昨年のように満開ではありませんでしたが、相変わらず見事なものでした。今日も幼稚園児、小学生がたくさん遊びに来ていました。立川断層の心配のある場所ですが、この平和で穏やかな光景がいつまでも続きますように!

それにしてもレッスンの帰りに歩き回ったのでくたびれました。でも帰宅して飲んだビールは美味しかった~!(次女)
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脱原発デモ

2011-10-16 01:03:45 | 日常
               
      「民間の核とも軍隊の核とも直ちに決別しよう」の横断幕を持って歩く人々

土曜日の今日、夕方買い物に行こうと家をでると、メッツ通りから賑やかなブラスバンドの音が聞こえてきます。「何かフェスティバルでも?」と物見高く通りに出てみると、「脱原発」デモの真っ最中でした。プラカードを持つ人や横断幕を持つ人、パンを食べながら歩く人など、様々です。

私が写真を撮っていると、何か声を上げていたおばさんが自分のプラカードの端を指差すので、見ると「原発ハンタイ」と日本語が書かれていました。アルザス・ロレーヌ通りとの交差点付近では、主催者らしいおじさんが「FUKUSHIMAの不幸から学べ」みたいなことを演説しています。JAPONとかFUKUSHIMAとかTOKYOという名前がでてくるのを聞いて、なんだか胸がじ~んとしてしまいました。

フランスでは、私たちが日本人だと分かると必ず「お気の毒でした。今は状況は良くなりましたか?」と言ってくれます。けれど、原発大国のこの国では、脱原発の議論はほとんど起きていないように見えていました。だから、今日のデモを見てびっくり、感慨深いものがありました。(三女)
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カストルへの旅(10/12)

2011-10-13 20:31:56 | 日常
               
         美術館庭園からゴヤ美術館、サン・ブノワ大聖堂を望む

10月12日、先日のオルガン演奏の旅で行き損なったので是非行きたいという夫の願いを受けて、この日急遽電車でカストルに行くことになりました。朝11時45分トゥールーズ発、12時55分カストル着。駅から中心部までは約20分ほど歩きますが、まあ比較的分かりやすいルートです。ゴヤ美術館は2時まで昼休みなので、アグー川沿いにあるブラッセリー「l'Europe」でまずは腹ごしらえ。店の名前と同じl'Europeというサラダとグラスワイン(白)を注文しましたが、このサラダが、大量のサニーレタスの上に、フォアグラが乗ったパン、鴨のハツ、鴨の足、ポテト、トマト、オレンジの輪切り、ジャムの乗ったパンと、すごいボリューム。フーフー言いながら2/3ほど食べてギブアップ。でも味には満足しました。

食事が終ると2時過ぎていたので、さっそくゴヤ美術館へ。館内右手にはゴヤを含む17世紀から現代までのスペインの絵画や彫刻が展示されていて、とても見応えがあります。ひとしきりスペイン芸術の美を堪能した後は、館内左手にあるゴヤの版画シリーズ「戦争の惨禍」を見るようになっています。「何のために生まれてきたのか」とか「ここにも残酷な姿が」「そしてここにも」といったタイトルの、絶望に満ちた版画が、これでもかと続いていて、少々気が重くなりました。

版画シリーズを見終わって美術館を出ると、そこには抜けるような青空と美しい庭園が広がっています。過去の残虐と今の穏やかさのギャップは、どの地に行っても不思議に感じられることのひとつです。

               
             ジャン・ジョレスの活躍振りを描いた漫画

美術館を後にして、大聖堂をちょっと覗いた後、まだ時間があったので、ジャン・ジョレス美術館に行って見ました。フランスの有名な社会主義者ジャン・ジョレスは、今もそうですが、当時圧倒的な人気を得ていたようで、展示も好意に満ちています。ジャン・ジョレス以外の政治家のカリカチュアもずらっと並んでいますが、結構辛らつなものも多く、彼の人気が抜きん出ていることを偲ばせました。

こうして見たい物をしっかり見られて、写真もバッチリ写して、夫は大満足の様子。5時56分発、7時3分トゥールーズ着の電車で戻りましたが、帰りの電車から見る夕暮れも美しく、夫も私も好天気の一日を存分に楽しんだ小旅行となりました。(三女)
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オルガン国際フェスティバルでモンターニュ・ノアール地方へ(10/10)

2011-10-13 19:13:39 | 日常
               
           サン・ポン・ドゥ・トミエールの教会のオルガン

話はフランスに戻りますが、トゥールーズでは10月5日から16日まで、オルガン国際フェスティバルをやっていて、毎日あちこちの教会でオルガンのコンサートが行われています。その中のひとつ、10月10日に実施された「モンターニュ・ノアールを巡るオルガン・コンサート・ツアー」に参加しました。

プログラムは、8時にトゥールーズ出発→10時半サン・ポン・ドゥ・トミエール着。オルガン博物館で18世紀のオルガン製作者の歴史のレクチャー→11時15分市内の大聖堂でオルガン演奏→1時クルニウでランチ→3時半マザメのサン・ソビュール教会でオルガン演奏→5時カストルでゴヤ美術館見学の予定がミディ運河見学に変更→8時半ルヴェルのノートルダム・デ・グラース教会でオルガン演奏→11時トゥールーズに戻る、という何とも盛り沢山でハードなもの。果たして私の体力が持つかという若干の不安を抱えながらの参加でした。

参加者は中高年のフランス人ばかりのようで、バスの中は朝からフランス語のおしゃべりの花盛り。主催者もガイドさんもフランス語。なんか町内会の催しに間違って紛れ込んだ余所者みたいな気分になりました。2、30%位しか理解できないガイドさんの説明を聞き流し、美しい外の景色を眺めたり、ウトウト居眠りするうちに、最初の目的地に到着。オルガン博物館のレクチャーは、スライド付きだったので少しは理解できたような気も・・・。

いよいよ最初の演奏。普段オルガン演奏はミサの時に行われて、私たち観光客は立ち入ることができないので、教会内の椅子に座ってゆっくり聴けることにワクワク。演奏されたのは18世紀の作曲家の、私の知らないものばかりでしたが、美しい音色が心地よく、聖堂の正面に据えられたオルガンも一段と光って見えました。2人の演奏者の演奏が終わった後のアンコールでは、日本人留学生の女性も加わった3重奏となりました。

               
               クルニウのレストランの前菜

最初の演奏が終って、バスは少し西に戻り、マザメ近くのクルニウという村でランチ。オーベルジュ料理ということですが、前菜にいきなりサラミ、生ハム、パテ、ブーダンがど~ん!その後のメインが鴨胸肉のロースト、ポテト・インゲン添え、そしてデザートはキャラメル・アイスクリーム、三色チョコレートケーキ、いちじくのタルト。それをワインを飲みながら、皆さんパクパクしっかり平らげます。ちなみに、私たちは主催者たちと同席することになりましたが、(皆さん気を使って英語で話してくれて助かりました)運転手を除きガイドも主催者たちもよく飲む事!恐るべしフランスの食文化。

食事を終えて、マザメの教会で午後のオルガン演奏。今度はバッハやリストなど知っている作曲家の曲がメインだったので、昼食後でも眠くならず楽しめました。演奏前の説明で、「BACHは音階に変換できる。伴奏部分にその音階を使った旋律が繰り返し出てくる・・・」というような話があって、とても面白かったです。(フランス語の理解が正しければの話ですが。)

               
           ミディ運河源のサン・フェレオール貯水池

マザメの演奏会が終って、今回のツアーのもうひとつのハイライトであり、夫が一番楽しみにしていたカストルのゴヤ美術館に行く予定が、なんと「ゴヤ美術館は月曜日は定休だそうなので、急遽行き先を変更します」との告知。急遽ルヴェル近くのミディ運河美術館とサン・フェレオール貯水池に行くことになりました。私たちは腑に落ちない気分でしたが、他の参加者はとくに気に留める風もなく、和気藹々ムードを維持。

美術館で運河建設の歴史のビデオと少しの展示物を見て、まあ一応納得。美術館のすぐ脇の道を上がった所に広がる貯水池は雄大で気持ちよく、池沿いの散歩道を20分ほど歩いたら気分がすっきりしました。この散歩道は犬たちの天国。リードを外された犬たちが楽しそうに走り回っていました。

               
            ルヴェルのノートルダム・デ・グラース教会

予定が変更されて時間が余るのにどうするのだろうという私の心配をよそに、7時ごろルヴェル中心部に到着。市役所の職員さんが迎えに来て、皆でゾロゾロと市庁舎に入っていくと、なんと会議室のような広間にビュッフェ・スタイルの食事と飲み物が用意されていました。そこで市長らしき人とオルガン演奏者の一人の挨拶。賑やかなディナーパーティが始まりました。まあ、皆さんよく食べ、よく飲む事。昼の部までの演奏者も、ガイドさんも、小柄なお婆さんも、太目のおじさん、おばさんも、皆さん実に健啖家です。そんな中一人私は昼食のボリュームと疲れで、カナッペ3枚と小さなピッツァ一切れ、それにシャンパン1杯でギブアップ。つくづく体の作りの違いを感じました。

食事も終ってお腹も一杯。皆さん満ち足りた気分で、最後の演奏を聴きに教会へ。この演奏会こそ本来のハイライトだったらしく、始まる前に主催団体のプレジデントの長いご挨拶と運営者らしい人の更に長いご挨拶があって、ようやく演奏開始。演奏のハイライト、バッハのシャコンヌは圧巻で、(大学時代ギター部の先輩が好んで弾いていた曲だということもあり)感動しました。最後は聖歌隊の人達との共演などもあって、終ったのは10時過ぎ。教会の外に出ると、真っ暗な空に満月に近い月が輝いていました。(三女)
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ペルー旅行(1)カリブ海、パナマシティ

2011-10-11 22:43:42 | 日常
               
               ペルーの国花カントゥータ

学生時代の友人が仲間を募って主催した12日間のペルーの旅に参加してきました。

1日目(9月21日)、それまで沖縄近辺で何日も足踏みを続けていた大型台風15号が、急に進路を変えて日本列島を縦断し始め、まさに私達が搭乗予定の15時頃に関東を直撃。出発時間が大幅に遅れて翌朝になり、私達は成田で前泊することになってしまいました。

                
       機内から見たカリブ海の珊瑚礁          カリブ海の珊瑚礁

2日目
本来ヒューストンからリマまで直行のはずだったのが、遅れの影響でパナマシティ経由に変更に。途中、カリブ海上空ではすばらしく綺麗な珊瑚礁の島々が見えました。

               
                  パナマ運河

パナマシティでは乗り換えに時間がたっぷりあるので、パナマ運河を見に行くことに。思いもかけず降り立ったパナマシティは建ち並ぶ近代的な高層ビルと庶民的生活が混在する大都会。運河ではちょうど大型コンテナ船が通過するところで、何回かに渡って河を塞き止めては水の高さを調整していくシステムはまさに百聞は一見にしかず。とても面白くて、ペルー旅行の意外なオマケとなりました。

ただ、航空便の都合でパナマシティ泊になり、予定外のところで2泊するはめになってしまったため、ホテルで夕飯を食べながら、誰のせいでもないけれど残念な気持ちは皆同じで、微妙な空気が流れていたのは致し方ないことでしょう。(四女)

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ペルーの旅(2)リマ

2011-10-11 22:43:17 | 日常
                
          リマ・アルマス広場        家の壁一杯に描かれたインカコーラの看板

3日目
早朝の便でリマに。駆け足で一回りした旧市街は、ヨーロッパの古い都市のように、広場を中心にペルー政庁や市庁舎などの古い立派な建物が建ち並んでおり、その建物の半数以上を占める市の建物の外壁が黄色に統一されているので、落着いた中にもとても華やかな印象でした。リマの市旗が派手な黄色地に烏の模様。また後述のインカコーラも黄色。黄色はインカの黄金をイメージしているのでしょうか。

                
              セビッチェ          リマ・クスコ間の機内食とインカコーラ

人口800万人という大都会であるにもかかわらず市内の公共交通機関がバスしかないので、金曜の夕方4時近くから道路は車だらけで大渋滞に。そのため夕食を予定していたレストランに時間内に辿り着けないという我らグループにつきもののハプニングもありましたが、代わりに行ったおしゃれなミラフローレス地区にあるレストランはやはりとてもおしゃれ。

セビッチェ(生魚のレモンマリネ)を初めとして皆でいろいろ試したペルーの名物料理はどれも美味しく、ビールやワインと共に堪能。ホテルまで歩いて帰る途中の公園には土産物の屋台が沢山出ていて金曜日の人出で賑わっており、皆も少し買い物などをして旅行気分に浸っていました。

ペルーの食べ物の美味しさは世界中で有名とのことですが、海産物が豊富で新鮮であり、原産のジャガイモやトマト、とうもろこしは勿論、他の野菜も種類が豊富。付け合せに米料理もあり、アヒ・アマリージョ(辛目のパプリカ)などの風味が少し加わった素材を大事にした料理は日本人の私達には問題なく美味しかったです。果物もとても豊富で新鮮なものが毎朝朝食にどっさりついてきて幸せ。

また飲み物ではTACAMA銘柄のワインや、PISCOサワー(PISCOはぶどうの蒸留酒でPISCOサワーはそれに卵白、シロップ、レモンなどを加えたカクテル)、それにインカ・コーラが有名です。但し、インカ・コーラはカキ氷のシロップのような黄色の甘ーい味の炭酸飲料で、ペルーでポピュラーな飲み物ですが、私は1回話の種に呑めば十分でした。(四女)
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ペルーの旅(3)クスコ、アグアス・カリエンテス

2011-10-11 22:42:54 | 日常
                
          クスコ空港周辺                 クスコ市内

4日目
早朝の飛行機でリマからクスコに。標高3300メートルと今回の旅行で最も高度にある街クスコでは、空港で少し早足になっただけでハアハアと少し息があがり、また、気温は高くないものの日差しが肌を射すように強く、油断して日焼け止めを塗らなかった手が東京に戻ってからカサコソとむけてしまいました。高山病対策としては“酸素水”を東京から持参し飲んでいましたが、それが効いたのかどうか、特に問題はありませんでした。

クスコからオリャンタイタンボまではマイクロバスで山道を2時間ほどガタボコガタボコ。途中のチンチェーロという村で土地の人が用意した食事を摂る予定もキャンセルしてひた走り。当初の予定ではオリャンタイタンボで2泊するはずだったのを、これも完全にはしょって、マチュピチュ観光の前線基地アグアス・カリエンテス(現在は街の名前もマチュピチュとなっている)に電車で移動することに。

オリャンタイタンボからの電車には大きな荷物を持ち込めないのでマチュピチュで2泊するための荷物だけをもって、残りの荷物はオリャンタイタンボのホテルに預けてアグアス・カリエンテスに向かいました。屋根がガラス張りで展望の良い電車は食事付き。峡谷を河沿いにくねくねと進んでいくと、途中で遺跡や遠くに雪を抱く山が見え隠れして飽きることのない景色。

                  
     アグアス・カリエンテス旧線路脇のレストラン     アグアス・カリエンテス夕暮れの広場

アグアス・カリエンテスはホテルやレストラン、土産物屋が旧鉄道駅沿いや坂道に軒を並べ、また、名前がスペイン語で“熱湯”または“温泉”をさす通り村はずれに温泉があって、その周りには水着の売店やマッサージの店もあるまさに観光の村。やっと今日でオリジナルの旅程に追いついたことで心なしかホッとして、夕飯に美味しいフランス系ペルー料理を楽しみました。(四女)
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ペルーの旅(4)マチュピチュ遺跡

2011-10-11 22:42:25 | 日常
                
          マチュピチュの遺跡          マチュピチュ遺跡の石積み

5日目
今日は待望のマチュピチュ遺跡に。朝食時にコカ茶を水筒に詰めてホテルを出発。ホテルにはティーバッグ入りの他に半乾燥したコカの葉が常に用意されていて飲み放題。疲れをとったり高山病対策になると聞いています。

アグアスカリエンテスからマチュピチュの遺跡までは乗り合いバスで山道をジグザグに登ること20分ほど。遺跡に入り、ガイドさんに一通り案内してもらってからガイドさんと別れて自由行動に。ワイナピチュに登りたかったのですが、この夏から400人の人数制限で予約が必要になっていたため断念。見張り小屋からの有名な写真ポイントなどでゆっくり休んで、インカ道を少し歩いてから一旦遺跡を出てランチ。遺跡内にはトイレがないのでトイレも。

ペルー(南米一般)のトイレで気をつけないといけないのは、水洗トイレなのにトイレに紙を流せないこと。トイレのすぐ横に蓋付きの缶がおいてあり落とし紙はすべてその中に捨てることになっていました。晩春に行った尾瀬の小屋でも同様で、今回の震災では避難所でもそうしていたとか。何の疑問も無く日常行っていることのありがたさに気付かされます。

昼食の後、また遺跡内をしばらく皆で回ったあと、5時にバス停集合ということで解散。私は途中で見かけたお気に入りのポイント(インティワタナのあるテラス)に行ったり、段々畑の中でゆっくり寝転んだり。「ここにコンドルが飛んでいれば・・・」などと歌のイメージで思いましたが、餌となる大型獣も減り、コンドルやピューマなどは絶滅危惧種で残念ながら今やこの辺りでは見かけないそうです。マチュピチュの遺跡は、“数千年前から霊的エネルギーの集まる場所としてインカ以外にも多くの文化が係わって来たところだ”との説明を受けましたが私の理解と感覚の枠を超えており、私には打ち捨てられた都市の静けさと美しさばかりが心に沁みました。

遺跡から戻って、夕食を中央のグリルでピザや肉類を焼いて出す店で。チャレンジ精神旺盛なT夫人がアルパカのステーキを注文したので皆で味見をしたところ、くせが無くて柔らかで意外なおいしさでした。ここでは民族音楽の生演奏も。NYや東京の街角で何回も聴いたことがあり、この辺りに来れば幾らでも聞くチャンスがあると勝手に期待していただけに、初めて演奏に出会えて少し納得しました。(四女)
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