ストローバレイ家の介護奮闘記

90→→92歳の母を支える4姉妹の泣き笑い奮闘記・・とその後

ペルーの旅(5)オリャンタイタンボ、サクサイワマン、ケンコーの遺跡

2011-10-11 22:41:57 | 日常
                
     村のはずれに聳えるオリャンタイタンボの遺跡 遺跡から見下ろすオリャンタイタンボの村

6日目
朝、電車でオリャンタイタンボに戻り、荷物を受け取ってからマイクロバスでクスコに。途中立ち寄ったオリャンタイタンボの遺跡は圧倒的存在感で聳えています。長く急な石段を上り詰めたところの広場には、6枚の巨石を細い岩でつないだ不思議な建造物が。時代は数千年前に遡り、地軸が今とはずれていた頃のものだとの説明でしたが、遺跡全体からはマチュピチュよりも身近な空気感が伝わってきました。インカ時代の古い村オリャンタイタンボが遺跡のすぐ下に広がっているからでしょうか。

遺跡の前には土産物屋が軒を並べており、ここでしか今は買えないというアンティークの手織りの布を買うべく昼食を適当に切り上げて買い物。夕飯の時もぎりぎりでアルパカ専門店に飛び込みましたが、ペルー旅行4回目というKさんが店や土産物についていろいろアドバイスしてくれるので、短縮された旅程でも効率良く買い物をすることができました。

                
          シャーマンの儀式          ケンコー遺跡近くで草を食むリャマ

オリャンタイタンボからクスコへの道中、サクサイワマンとケンコーの遺跡に立ち寄り、シャーマンの儀式にも参加。シャーマンの儀式は用意が整ったところで公園パトロールに制止され、ホテルの一室で執り行ったのはご愛嬌というべきでしょうか。

ケンコー遺跡の近くではリャマが草をのんびり食んでいました。(四女)
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ペルーの旅(6)リマ、ナスカ

2011-10-11 22:41:33 | 日常
                       
         ナスカ・リマ沿岸部の家々              物売り                        

7日目
早朝の便でクスコからリマに飛び、海岸沿いの繁華街ラルコ・マルのショッピングセンターで昼食。その後ナスカまで高速乗り合いバスで7時間、右手に固い砂地の沿岸地帯、左手に延々と続く荒野を見ながらひた走りました。

クスコやリマの郊外でも良く見かけたのですが、放置されたのか、建設中なのか、人が住んでいるのか判然としない建物が多く、雨が殆ど降らないせいか、壁は日干し煉瓦を積んだりシュロ(?)で編んだむしろ状のもので囲ってあるだけで、窓のないこともざら。人が住んでいないと思うと屋根のない壁の中に洗濯物が沢山干してあったり。更に、沿岸地帯に1畳位のむしろで囲った小屋が点在するのは、物置小屋なのか季節労働者の一時住まいなのか、捨て去られたものなのか。正確な情報を尋ねる人がいないまま帰り、未だにその状況が心に残っています。

また、海岸沿いにはリゾート地なのか別世界のような白亜の建物群があり、その廻りの広い地域を高い壁や鉄柵で囲い、時には見張り小屋があったりして、大きな貧富の差と同時に、ペルーが決して安全とはいえない国であることを思い出させてくれました。

                
        鶏小屋の壁にKEIKOの文字           ナスカの宿


大統領選が6月に行われたため、多くの街の沿道の建物や壁に「KEIKO Presidente 2011」や「OLLANTA」などとペンキで塗られた大きな落書き?がやたらに目に付きました。(KEIKOはフジモリ元大統領の長女で、対立候補のOllanta Humalaが当選。)選挙が終わって既に3ヶ月以上も経つのに、いつまでそのままにしておくのでしょう。応援の仕方も、そのままに放置する感覚も大らかというべきなのでしょうか。

ナスカで大型バスからマイクロバスに乗り換えて郊外のホテルに。部屋はコッテージ形式で、壁は日干し煉瓦、天井はシュロのむしろ状のもの。勿論窓にはガラスが入り、シャワー、トイレ付き。日干し煉瓦の壁は厚みがあって、見かけの粗雑さの割に、外気から適度に室温を保ってくれて快適でした。貧しく見える人々の家も、気候風土に合っているので多分中は暮らしやすいのでしょう。

ユーカリの葉の香りが満ちる中、孔雀や白鳩が放し飼いにされ、ブーゲンビリアやペルーの国花カントゥータが咲き誇り、ブドウやサボテンの畑が広がるという、まさに砂漠の中のオアシス。部屋には絵描きだというオーナーの女性の趣味が一杯詰まり、楽しいペルー旅行を締めるに相応しいステキな宿でした。(四女)
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ペルーの旅(7)ナスカの地上絵

2011-10-11 22:41:04 | 日常
               
     ナスカの地上絵“トライアングル”          セスナよりナスカの町

8日目
ナスカの飛行場にマイクロバスで移動し、6人乗りのセスナで地上絵を見物。

広野が余りにもだだっ広いため、イメージしていたのにくらべて地上絵そのものは大きく感じられず、また自然の水路の跡などが多く走っているので、近くに寄ってそこにXXがあると言われてようやく判別できる程度。それでも「今朝は良く見えた方だ」と経験豊かなN子さんが言っていたので、描かれた当時に比べて大分薄れて来ているのでしょうか。表面の黒っぽい石をどかして下の白い地面を出すという描き方なので、ここまで残っているほうが不思議とも思いますが、吹き抜ける風と地面の熱で生じる小さなつむじ風が、絵に埃が積もるのを防いでいるとガイドさんが説明していました。

それにしてもナスカからパンアメリカン・ハイウェイを20分以上走ってようやく到達するような乾いた大地の真ん中に、当時どのような交通手段があったのか分かりませんが、わざわざこのような絵を描いた人達?はいったい何をしたかったのでしょう。描かれた線の中には天文学的もしくは儀式的な意味合があるとも言われていますが。

セスナで30分近く地上絵を見物したあとは、街で昼食をとり、一旦ホテルで一休み。赤道から近く、標高が低いので真昼間は暑さがきついのです。5時頃から再度平原に出かけ、今度は観察用やぐらからすぐ真下に描かれた“手”や“木”を眺め、時間を見計らって行った小さな丘から平原に沈む日没を飽かずに眺めていました。

               
                  ポジョ専門店

その後ナスカの街に戻り、鶏の炭火焼Pollo(ポジョ・ア・ラ・ブラサ)とワインを買い込んで、ホテルの朝食用の場所を提供してもらってゆっくりペルー最後の晩餐。

Polloは丸ごとの鶏を串にさして回転させながら炭火で炙り焼きするペルーの名物料理。専門店ポッジェリアを街のそこここに見かけるほど人気の食べ物で、確かに皮がカリッとして中がジューシーでとても美味しい。セットメニューには沢山のフライドポテトと少しのサラダ、炭酸飲料がついてきて、「インカコーラと一緒に食べるのが庶民の好む代表的な食事なんだ」とリマっ子の可愛いガイドさんが言っていました。(四女)
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ペルーの旅(8)帰国

2011-10-11 22:40:30 | 日常
                
          ナスカ・リマ間沿岸部        ナスカからリマへの長距離バス

9日目、10日目、11日目
ナスカ郊外のホテルから行きの反対をたどりマイクロバス、高速バス(7時間)、マイクロバス、飛行機(6時間半)、飛行機(12時間)と乗り継ぎ、一気に成田に帰り着きました。ナスカが余りにも乾燥していたので、成田に降り立った途端、肌にしっとりじっとり湿度の高さが感じられ、あー日本に帰ってきたと妙なことで実感。本当に長い旅路でした。

最後になりましたが、思いもかけぬトラブルの対応に追われながらも笑みを絶やさずに突き進んでいく主催者のN子さん、全ての行程を鋭くも優しい眼差しで見守ってくれたN子さんの旦那様のY氏、そして、飲んで食べて笑って全てを消化したステキな大人の仲間達に感謝します。お陰様でとっても楽しい旅でした! 
Muchas gracias!(四女)
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骨董市

2011-10-10 04:08:47 | 日常
               
            古い絵やアンティークな食器の並ぶ骨董屋さん

「10月9日の日曜日に、第一次大戦モニュメントから植物園に向かうヴェルディエル通りで骨董市がある」という告知が、数日前から植物園入り口に貼ってあったので、朝食後行ってみることにしました。

ありました、ありました!通り一杯に様々な骨董品を並べたお店がズラリ。サンセルナン大聖堂前で見た日用品の叩き売りみたいなマルシェとは全然違います。古い食器や家具、昔使われていた色々な道具、剣、人形、アクセサリー、絵画など、どれも興味深く見ていてあきません。お店を一通り眺めた後、トゥールーズ滞在記念に額縁入りの小さな(10センチ四方)油絵を買ってしまいました。ブルターニュ地方ポン-アヴァンの民家と教会の尖塔を描いた絵で、長閑な雰囲気は今回のフランスに対する私の印象にピッタリ。お店のお姉さんは「有名な絵描きさんよ」と言っていましたが、本当のところはどうでしょう?

フランス語のクラスで「蚤の市」がテーマになったことがあって、「買う時の値段の交渉も楽しみのひとつ」と、売り手と買い手に分かれて交渉する練習をしたことがあるのですが、買い手は、私を含め、すぐに「D'accord(それで良いわ)」と言って先生の失笑を買っていました。今日も「気に入ったけどちょっと高いから・・・」と言ってみたら、すぐに10ユーロ安くしてくれたので「D'accord」ということに・・・。日頃値切るという習慣がないのでどうも要領がわかりません。でもとても気に入ったし、良い記念ということでで良いですよね?

夕方は、ガロンヌ川の西岸にある「レザバトワール近・現代美術館」に(日曜日は美術館は無料なので)行ってみました。1950年代以降のアートが沢山展示されている美術館ですが、私も夫も現代美術は肌に会わないみたいで、展示自体はあまり楽しめませんでした。でも美術館前の庭園はコスモスと黄葉した木が秋を感じさせ、魚や昆虫の形をした珍しいメリーゴーランドを楽しむ子供たちの姿は可愛く、西岸から眺めたガロンヌ川の姿は雄大で、トゥールーズという街の居心地良さを改めて感じました。

ということで、予告に反し、本日も変わり映えのしないトゥールーズ便りでした。(三女)
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寒さ到来

2011-10-08 19:55:23 | 日常
               
          市庁舎中庭で鳴り物入りの賑やかな結婚祝い

長いこと明るくて強い日差しが続いていたトゥールーズも、昨日からグッと冷え込んでいます。

昨日は北風が冷たく、町行く人たちはセーターや暖かそうなコートを着込んでいました。そんな中、寒さを乗り越えて、夕方買い物がてらキャピトル広場に行ってみると、市庁舎の中庭から祭囃子のような音が聞こえてきます。祭り好きの血が騒いで、さっそく覗きに行くと、多分結婚届を出したばかりのアラブ系のカップルを囲んで、関係者たちが祝福の真っ最中。民族衣装を着た男の人たちが太鼓や鉦を鳴らしながら歌い、老若男女がその歌に合わせて踊っています。そう言えば、前にカルカッソンヌに行ったときも同様の光景を見ました。どうやらアラブの結婚祝いはこんな風に賑やかなのが定番のようです。

今日も曇っていて寒い。ついにヒートテックにお世話になることにしました。今日は夕方からジャックさんの家で、ポールさん夫妻も交えて夕食会の予定。私も「茅の舎だし」で煮た冷製ナスなどを持っていく予定ですが、皆さんの反応はどうでしょうか。ジャックさん一家もポールさん夫妻も3年前に日本で1ヶ月夏休みを過ごしたほどの日本びいき。本来ならこの味は気に入って貰えるはずですが、今日の寒さで「冷製」ナスはちょっとね~。ちょっと間が悪かったです。

***
明日は、四女の「ペルー・マチュピチュ旅行記」の予定です。ペルーってどんな感じなのでしょう。全く未知の文化圏の体験談、とても楽しみです。(三女)
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ダルタニャンの故郷を訪ねる

2011-10-05 16:30:16 | 日常
            
        オーシュの町並み    アルマニャックの塔への階段中程にあるダルタニャン像

10月4日は、夫のたっての希望だったダルタニャンの故郷訪問ということで、オーシュ→リュピアック(カステルモール城)への小旅行に出かけました。本当は夫はこの旅でレンタカー運転の練習を兼ねる予定だったのですが、ジャックさんが「レンタカーはお金が掛かる、半日コースだから自分が連れて行ってあげるよ」と言うので、又もやお言葉に甘えることになりました。

朝11時半にジャックさんの家の近くのバス停で待ち合わせて、そこから西に向かってにひた走り、12時半ごろオーシュ到着。ここの町並みはトゥールーズと違ってベージュと灰色の色合いで、しっとりした落ち着きを感じさせます。目の前にそびえるサント・マリー大聖堂に入ってみようと思ったら、12時から2時まではクローズとのこと。フランスは教会まで昼休みをばっちり取るんですね。

大聖堂が開くまで街中を見たりお昼を食べることにして、まずはジェール川まで降りて、そこからアルマニャックの塔に通じる300段以上ある階段を登っていくと、途中にダルタニャンの銅像が建っていました。おおっ、ダルタニュアン!まずは記念写真をパチリ。でも残念ながらバックに工事の機材が入っています。フランスはいつもあちこちが工事中。現にここの塔や大聖堂も建設開始から完成まで2世紀に亘り、今も手を入れ続けているようです。

階段を上りきり、塔の前を素通りして、街中に出てランチ。一応ガスコーニュ地方の料理を出すというブラッセリーで12ユーロのセットメニュー。前菜は鴨のハツのサラダ、メインは鴨のロースト(山盛りのポテトフライ付)、デザートはアイスクリーム。(ふ~む、どれもトゥールーズのレストランで食べたことがあるような、、、。)全てとても美味しかったですけれど、なんせ凄いボリューム。前菜とメインは半分ほど残してしまいました。ただしアルマニャック(アルマニャック地方のブランデー)をかけたアイスクリームは絶品で、文句なく完食。正にデザートは別腹といった感じでした。

昼食を終えて、大聖堂の中を見学。天井が高くて広い建物の中に、色鮮やかなステンドグラス、立派なパイプオルガンが2台など、教会の力を感じさせる造りになっていました。

             
  ダルタニャンの生家「カステルモール城」      「カステルモール城」の庭

大聖堂の内部を見て納得して、一路カステルモール城へ。公道を30分程走ると周囲は完全な農村風景に変わり、麦を刈り取った跡や枯れた玉蜀黍畑や、時々ブドウ畑が見えて、所々で牛たちがのんびり牧草を食べています。家や村落はほどんと見えてこない広大な畑の間のあぜ道のような道を走り続けて、果たして行き着くのか?と不安になった頃に、突如「カステルモール城」の屋根が見えてきました。ジャックさん、凄い土地勘!

入り口に「カステルモール城」という小さな看板が立っていて、訪問客らしい車が一台停まっていたので、どうやら入れるらしいと判断。先客のおば様と入れ替わりに私たちも敷地内に駐車。入って見ると、適度な広さの美しい庭に、中庸を得た建物があって、入り口に「1615年頃、ダルタニャン、本名シャルル・ドゥ・バッツここに生まれる。1673年マーストリヒトの戦いで死去」と書かれた石版が貼られていました。建物の周り中を眺め、中を覗き、庭を歩いて、沢山写真も撮って、夫は大満足。

カステルモール城を後にして、帰りは道が分かっているので、ジャックさんは何の迷いもなく猛スピードで車を走らせ、出発地点に戻ったのが丁度6時。今回もとても充実した、内容の濃い旅になりました。何より、私たち二人だけでは絶対に「カステルモール城」に辿り着かなかったこと間違いなし。本当に持つべきものは「良き友」です。(三女)
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Dちゃんの運動会、サンテティエンヌ大聖堂

2011-10-03 21:22:18 | 日常
               
               一年生の団体競技「玉入れ」

10月1日は小学校の運動会でした。Dは3日前から体調を崩し、9月29、30日と学校を休んだので当日も病み上がりの状態でした。出場種目は、60m走、玉入れ、ダンスと少なかったのですが、全てに体の力が入らず咳をしながらの参加となりました。クタクタになりながら、帰宅したのが夕44時過ぎ。お疲れ様。(Y子)

***

東京地方は寒いのでしょうか?せっかくの運動会、Dちゃんの徒競走の実力が発揮できなくて残念でしたね。早く風邪治してね。

こちらトゥールーズは、朝は16、17度と涼しくなっていますが、昼間は26~30度の暑さが続いています。毎日抜けるような美しい青空!昨日は朝に続き夕方も夫とキャピトル→ジャコバン修道院→ガロンヌ川岸とせっせと散歩したら、汗ばんで、6時ごろ家に戻って飲んだビールの美味しかったこと。ビールを飲んで、チーズ(カンタール・・・父が好きだった日本の普通のチーズに似ていて懐かしい)、サラミ、オリーブ、パンをつまみ、そのまま赤ワインに移行して、ルッコラやスモークサーモンやラディッシュやパテなどを順次出して、ダラダラ食べ、ダラダラ飲みに突入。「何もない日曜日」を味わいました。

この好天気も明日までとか。その後にどんな気候が訪れるのかな。余り寒くなって欲しくないのですが。(三女)

***

               
               サンテティエンヌ大聖堂の内部

追記: 明日までしか続かないらしい素晴らしい天気を惜しんで、夕方買い物に行くのに少しだけ遠回りをして、サンテティエンヌ大聖堂に寄ってみました。ここはガイドブックには載っていないのですが、日曜日に通りかかった時にゴシック様式の立派な聖堂と中から聞こえてくる清らかな賛美歌が気にかかっていました。

今日はミサもないはずだと中に入ってみると、カメラを持った数人の観光客と静かに祈る地元の人たち数人が居て、今日も静かな賛美歌が流れて静寂を際立たせています。立派な彫像や美しいステンドグラスやパイプオルガンが、街の人を包み込むような雰囲気を醸し出して好感が持てました、、、と言ったらおこがましいですが、私自身しばらくそこに居て気持ちが安らぎました。(三女)
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朝の散歩(パールモン広場→植物園→G.ラビ美術館→ミディ運河)

2011-10-02 21:56:06 | 日常
               
           朝の植物園で花の茂みから姿を表した孔雀

「日曜日の朝は植物園に続く通りで蚤の市をやっているはずだ!」とジャックさんが主張するので、前に行った時にはやっていなかったのですが「もしかしたら今日はやっているかもしれない、天気も良いし散歩がてら行ってみよう」という話になって、我が家近くのシャンジュ通りを北上、パールモン広場から左に折れて、植物園に続く道に出たのですが、そこは前回同様ただの駐車場と化し、やはり蚤の市はやっていませんでした。ほらね!

蚤の市はともかく、朝の植物園は清々しい空気が満ちて散歩にピッタリ。今日も親子連れやカップルや団体さんが三々五々過ごしています。私たちものんびり歩いていると、花壇の花の茂みから孔雀が突然姿を見せました。数年前に来たときには確かに孔雀を見た記憶があり、お客様たちにも「孔雀がいるはず」と言って案内したのに姿を見せず、鶏ばかりが賑やかに「コケコッコー」と存在を主張していたので「むむ?」という顔をされていました。でもやっぱり居たんですよね。そこで証拠写真をパチリ!

植物園の南端出口を出て、マルティル・ドゥ・ラ・リベラシオン(?)という通りを東に真っ直ぐ行くと、ジョルジュ・ラビ美術館に到着。「日曜日は美術館は只のはずだし」とちょっと覗いてみることに。ここは地階にエジプトの展示物があり、1階にはインド、カンボジア、チベット、ネパール、中国、そして日本の主に仏教に関連した美術品や資料が、数点ずつ展示されています。美術品としての価値はそれ程高くないと思いますが、「よく集めたな」という感じではありました。

美術館を出て、更に東南に下るとミディ運河にでます。水は澱んで余り綺麗ではありませんが、運河の両岸は散歩道になっていて、朝の光を浴びて散歩する人、ジョギングをする人、サイクリングをする人が行き交って日曜日の朝らしい光景です。私たちも運河沿いに北上し、ポン・モントドゥラン(?)通りで西に折れ、第一次大戦モニュメント前、サンテティエンヌ聖堂の中庭を通ってメッツ通りに出て、我が家に戻って来ました。総歩数6000歩。結構沢山歩きましたが、新発見もあり、秋の気配を感じながらの散歩は、なかなか爽快でした。(三女)
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タトゥー、日本料理レストラン「あじ」

2011-10-01 16:23:29 | 日常
                
                シャンジュ通りのタトゥー屋さん

日本で受けているフランス語クラスの教材にも紹介されているのですが、今フランスの若い人達の間でタトゥーが流行しているようです。ここ学生の町トゥールーズでも、普通の若い子が腕や足首にタトゥーを入れているのを時々見かけます。気がつけば、我が家の近くのシャンジュ通りにもタトゥー屋さんがありました。表看板には全身タトゥーの怪しい侍風の人物が描かれています。店にはボディー・ピアス用の可愛いアクセサリーがずらりと並べられていて、女子学生たちが友達同志で楽しそうに選びあっています。タトゥーを入れるのは店の奥なのでしょうか。

昨日、夕方のお笑い芸人コンテストみたいなテレビ番組でも、一人の芸人さんが「タトゥーは馬鹿げてる」というタイトルのお笑いを披露していて、話の前に審査員たちがタトゥーが好きか嫌いかコメントしていましたが、やはり大人たちは基本的に苦々しく思っているようでした。

というわけで、トゥールーズに来て早一ヶ月。先日の長旅の後再び疲れが出たこともあって、昨日、一昨日はお気軽テレビを見たり買い物がてら近所をぶらぶらするという、日本と変わらない生活をしています。夕べは我が家のすぐ傍にみつけた日本料理レストラン「あじ」という店で夕食。シェフは日本人女性で支配人?は兵庫県西宮市に15年住んでいたというフランス人で、日本語がぺらぺらです。

夕べ食べたのは「おためし」コース。前菜の刺身は合格ライン、メインは弁当箱にご飯とサラダと焼きうどんなどに自分で選んだ料理一品がつくというもの。夫は焼き鮭、私は餃子をチョイス。全体として材料があれば私にも作れそうといった感じですが、お米はジャポニカ米で美味しいし、箸休めのレンコンの金平はまさに日本の味!で感動物でした。8時オープンの店には、次々にフランス人のお客様が入ってきて、私たちが帰る頃には10個ほどあるテーブルはいっぱいになっていました。(三女)
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