猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

2009年軽井沢解禁です。

2009年04月28日 18時05分46秒 | お出かけ・旅・美術・博物館
   ↑  プレジデントカントリークラブさんからの浅間山。前日(4/25)雪が降ったそうです。


 毎年4月から11月まで、ひと月に1回夫婦の時間を持つためにゴルフ旅行に行きます。(うちにはうるさい姑が…) 今年もやっとその時期が来ました。
 
 ゴールデンウィークの前週になる4/25~4/26に行ったのですが、この頃が軽井沢の一番花の良い時期ですね。ソメイヨシノは旧軽井沢あたりの標高 (1,200mくらい) では咲くのは厳しいらしいですが、山桜やしだれ桜、何と言ってもこぶしの花が満開でした。
 こぶしの大木を車窓から見ると、あーー、軽井沢に来たな~と思います。

 GWになると桜はもう終わっているでしょうが、ツツジやレンギョウ、こぶしもまだ残っていると思います。お庭の草花を綺麗に咲かせている別荘もあり、夏もいいけれど軽井沢の遅い春もとても綺麗です。


 花よりだんごのわたくしは、例年通り伺った 北軽井沢 ビストロ・ボンヴィボンさん のお料理を紹介します。


               

               ↑ にんじんのムース 生うにとトマトのエキスのジュレ 結晶塩とスーパーオリーブオイル (バージンオリーブのもっと凄いの味がありました) を振りかけ 

 この後不覚にも写真を撮るのを忘れた、
小海老とふきのとうのライスペーパー揚げとふきのとうのフリット エシャロットとお醤油のソース 自家製ピクルス 
が出まして、次は

               

               ↑ はまぐりとホタルイカ、つくしのガーリックソテー 温泉卵を添えて



               

               ↑ タラの白子の揚げたものを入れたかぶのポタージュ トマトとガーリックをアクセントに



               

               ↑ あなごとアスパラのスパゲティー 大葉を乗せて 軽く醤油風味



               

               ↑ 子牛のタンシュー お肉も勿論だったが、カリフラワー、かぶなど添えられた野菜がシャキシャキで美味しい



               

               ↑ 敷いてあるのが可愛いのでロイヤルミルクティーも写しておこう



               

               ↑ リンゴのクレープ包み はちみつのジェラート付き ← これが、なんとも言えず甘い美味しさでした。


 今回は特に魚介類と凝った作りのお料理が多くてとても美味しかったです。 又来月もよろしく 



               
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軍艦島の上陸ツアー始まる

2009年04月27日 10時28分18秒 | お出かけ・旅・美術・博物館

 個人的に行きたいところの情報を張っておきます。 

     ↓

   軍艦島の上陸ツアー始まる 

 渋い ? 興味ない ? 今廃墟ツアー、流行っているのよー。


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いがらし ゆみこ 「とはずがたり」

2009年04月23日 11時14分17秒 | マンガ家名 あ行

     中央公論社 「マンガ日本の古典-13」 1995年5月25日 初版


 一読、物語に引き込まれて面白く読んだ。最後に来て、これ本当にあった話か~ ? と自分のあまのじゃくが頭を持ち上げてくる。ちょっと調べたら、やっぱり

「作者 御深草院二条 の告白という形だが、ある程度の物語的虚構性も含まれると見る研究者もいる。」 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

 と有るじゃないの。やっぱりね~。原作は鎌倉中期、京の朝廷で後深草院に仕えた女房二条の14歳(1271年)から49歳(1306年)ごろまでの境遇、後深草院や恋人との関係、宮中行事、尼となってから出かけた旅の記録などが綴られている。

 今で言えば女房という仕事を持っていたとはいえ、深窓の令嬢である貴族の娘が尼になった後、当時は男でも大変だった一人旅で、熱田神宮・鎌倉・善光寺・浅草・伊勢・厳島などまで足を延ばしている。
 前半部分は後宮にいた女性の日記として信憑性が多少あるとしても、出家後の旅の部分は創作か男性の経験を書いたものか。


 それはともかく、昭和15年まで知られていなかったというこの原作を 「キャンディ・キャンディ」 で有名なマンガ家 いがらし ゆみこさんが描いているというので興味を持ってE-ブック○フで買ってみた。

 実はいがらしさん、くだんの「キャンディ~」 からして読んでいない、私にはお初の方でした。私のマンガ読み時期と 「キャンディ~」 の連載時期がずれているからなんですが、その後もこの人の作品に縁がなくて見たことなかったですね。
「りぼん」や「なかよし」という比較的低年齢層が対象の本で描いていたからでしょうか。後ではレディースコミック誌や女性誌などでも描いてらっしゃるようですが。

 いがらしさんの絵ということで、絵柄は可愛らしい少女マンガ、内容は昼ドラ真っ青な愛欲入り乱れる王朝絵巻となっています。(笑) 
 あっ、でも違和感あるというんではなくて、貴公子は華麗に貴公子らしく、女房は雅な女房らしく、この恋愛絵巻物にぴったりな雰囲気がとても良かったですよ。
 小道具の類も良く調べて描かれているのが分かる。 (当り前ですが) 見ていて飽きないです。

 同じ 「とはずがたり」 を原作とした『後宮』講談社 海野つなみ 全5巻 がもう完結しているので比べ読みが楽しい。私はまだ最終5巻を読んでいないんですがね。

 以前の記事  → 海野 つなみ 「後宮」


 ところで、いがらしゆみこさん、と言えば避けて通れない 「 キャンディ・キャンディ著作権裁判」 というものがありますが、私も詳しくは知らないのでここでは言えません。
 が、一世を風靡した作品が講談社版の単行本は絶版、中央公論社の文庫版も1999年1月に絶版となっているし、アニメーション作品の再放送とビデオ・DVD化などが不能、なのはいかにも寂しい。
 また、古書を買いたくても一時ほどではないものの、 密林 や まん○らけ で高額で出品されているのを見ると昔のファンはがっかりでしょうね。どうにもならないものなんでしょうか。


     「日出る処の天子」 のチェリッシュギャラリーのイラスト集の再販を待っているトミー。


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最近の我が家

2009年04月22日 17時26分22秒 | 雑記


 ちょっとマンガ読書が滞っておりまして。最近の我が家の話題です。
 昨年から 癌闘病中 のだんな、ガンと共に生きることになり (鳥越俊太郎さんと同じね) 今はほぼ以前の日常に戻っており、上の写真のように家の仕事にこき使っております。(笑)

 4週間~6週間おきに検査をし、数値が上がらなければ治療しない、という方針でガン関係の薬は飲んでいません。この程度の数値では、治療の副作用のリスクの方が大きいのだとか。一時は要治療の数値まで行っていたので今後のことはわかりませんがとにかくこのまま、このまま、数値が上がりませんように。

 

              

              ↑ 今年の夏ミカンの収穫


 トップ写真のだんなの左側にあるのが夏ミカンの木なんですが、生り始めの時は30個ほどあった実が収穫した時は8つしかありませんでした。近所のブルーシート族が手の届く所は取って行ってしまうようです。そのままでは凄く酸っぱいのに。
 
  去年の収穫 → 2008年今年の収穫 さくらんぼと夏みかん

 去年だって19個も取れていたのにね~。生ったもの全部収穫した年もあったのに、世知辛い世の中になったもんです。



                

                ↑ 最近のペル

 もう一つ、いよいよかと思われた飼い犬の ペル ですが、なんとかまだ頑張っています。一時は家人が帰っても犬小屋から頭ももたげないくらい元気がなかったのですが、病院食をやめて好きなもの食べさせましょう、と言われたら鶏のガラなどバリバリ食べて少し元気になってきました。

 ただ、内臓の機能低下で腹水がたまるのはそのままなので、1週間に一度は腹水を抜きに行かなくてはなりません。人間でいえば無理な治療は諦め、ホスピスにいて必要最低限の治療を行っている状態です。でも、このままだともう少しは頑張れそうだね、ペルや。
 GWはどこにも行かないで遊んであげるね。(でも今週末はゴルフ旅行に行くよ)


 いよいよ来週からGWですね。私は毎年月締めの忙しい時が挟まるので、続けて休めないのですが、今年はカレンダー通りでも5日間連続の休みになる~(喜)。しかし、犬・猫・叔母の介護でどこにも行けません。(泣く) じっくり自分も体を休めようと思います。


         皆様のご予定は ?


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春ぽんぽん

2009年04月20日 13時06分21秒 | 雑記
  上の写真は4月18日(土) の夜、近所の八重の夜桜です。この日、会社の同じ部の女性同僚が結婚し、2次会に出席して来ました。その帰り道に写したものです。


               

               ↑ 会場に入場の時のスナップ。



               

               ↑ 古代ギリシャ風のドレスでとっても素敵でした。


 安藤 美姫似のスレンダー美女な彼女に寄り添うのはがっちりタイプの頼りがいありそうな彼で、二人ともとても幸せそう。春はまさに ポンポン状態 のようです。しかも、設計の資格を持っている彼女は結婚後もしっかり我が部で働くことを約束してくれている。当社にもそういう人が増えてきました。


 この日はちょうど私の誕生日でもありました。結婚式やその2次会って参加した人もみな笑顔で、幸せを分けてもらえて自分も嬉しい。結婚式の2次会はしばらくぶりの出席だったので余計にそう思いました。自分に息子・娘がいたなら今頃そういう時期で、ただ幸せ~~なんて言ってられないとは思いますが…。


   
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銀座 木村屋4階レストラン

2009年04月17日 12時23分30秒 | グルメ 私の食べた美味しいもの
         ↑ 木村屋ビル4階から銀座4丁目方向を見る。


 「メトロガイド」 というのは、東京地下鉄の構内でタダでもらえる情報新聞 (フリーペーパー)だ。沿線の飲食店や季節のイベントなどの情報が詰まっている。日刊工業新聞社が出しているらしい。

 私も花見時期など情報を見るために時々もらってくるが、先日 だんな が
「行きたいと言っていたところが安くなってるぞ」
と言って見せてくれた。

 そこは…銀座の真ん中 「木村屋」 さんの4階にあるフレンチレストラン。このビルは1階は桜あんぱんで有名な高級ベーカリーショップ、2階はカフェ、3階は気軽なグリル、そして4階は本格的なレストラン、なんと7階には 酒種ぱん工場 があって、毎日ここで銀座の名物ともいえる酒だねのあんぱんが作られている。

 木村屋總本店のHP → 木村屋總本店トップページ

 1階ではよくパンを買っていくし、(だんなの好物あんバターホイップは美味) 2階のカフェにも入ったことはあったが4階はさすがに何かないと入れない。
 それが ! 「メトロガイド春の特別ディナーコース」 (~4月30日まで)として6,825円相当のディナーコースを4,200円 (税込・サ別) の優待価格でご提供と有る。おりしも4月は私の誕生日及び結婚記念日。早速メトロガイドを見た、と予約しましたとも。(ニコニコ)

 
              

              ↑ 前菜 鴨のリエット春サラダ添え ここは全般にお野菜が美味でした。量もたっぷり。



              

              ↑ 小海老のソテー香草風味 海老のぷりぷり具合が絶品。下に敷いてある野菜の歯触りもグッド。



              

              ↑ ノルウェー産サーモントラウトのポワレ カリフラワーのピューレと共に ボリュームが凄くてこのあたりで早お腹がきつく…。



              

              ↑ 仔牛ロース肉のバロティーヌ 洋茸のクリーム風味 ロール状の牛肉の中にきのこのクリームが詰まっています。味付けも量もぴったり。



              

              ↑ 一口のリゾット 今日は桜のリゾット ちょっとなんだけど濃い味。



              

              ↑ 別腹アワー! 桜アイスとシェフお手製ケーキ ← これがとっても美味で。


 月曜という事でほとんど貸切状態の中、写真も撮ってもらって良い記念になりました。だんなの誕生日は半年後なので、これから半年に1回づつ来ようかと話してます。

 このあと腹ごなしに銀座をぶらぶら、銀座通りを新橋方向へ。表通りもちょっと来ないとお店やビルもどんどん変わっています。ワシントンの1階は ユニクロ になってるし、資生堂パーラーなんて、こんなに洒落たつくりになっちゃって ! ここのチーズケーキやチョコは素晴らしい美味しさだけど、自分で買うには高すぎる。誰かお使い物でくれないかしら。(よしなしごと)
 変わらない店は 銀座ライオン、サエグサ (子供服)、佃煮屋、福家書店、あら、この間出来た若者に人気の洋服屋さんてここなのね。

 博品館ビルを右に曲がり、3つ目の角をまわって並木通りへ。ここの角は違うホテルだったけれど、売られたのか今は 「ホテルコムズ銀座」 という名前になってる。待ち合わせのメッカ 「キャッツ&ドッグス」 はまだ地下にあるようです。

 並木通りの8丁目・7丁目付近は銀座の夜の代表、高級クラブがひしめきます。一つのビルに20以上のクラブが入っているのはざら、しかも銀座の中でも高級店ばかり。
 ただでも狭いこの通りの両側に高級車がずらりと駐車しているのは、「ママ」 たちの車だとだんなが教えてくれました。歩道にはその見張り役とお客案内の無数の黒服達。着物やロングドレスの美女たちが行きかい、表通りとはまったくの別世界。中年女・一般人のわたしなど場違いこの上なく、しっかり だんな の腕をとって探検気分。

 ぎゃ~、体つきは男性、だけどシックな黒の女性もののワイドパンツを粋に着こなし、黒の帽子黒のサングラス、どー見てもあっち方面の 素敵な方 とすれ違い、思わず振り返る。
 だんなはハイヤーの仕事の関係でここいらをテリトリーにしていたこともあったので詳しく、いろいろ説明してくれました。有名ママの住んでる青山のマンションに集金に行くと、夜とは別人 (と見まがう) が出てきた・・・とか。(笑)

 途中の5・6丁目はビジネスビルや洋服屋さんが多くなってきてほっ。晴海通りに出て、4丁目の地下鉄の入口に戻りました。夜の銀座って面白いね。ただし道案内及び説明つきなら。


 探検中、「銀座カンカン娘」 が頭の中を回っていたトミー。 ままよ銀座は私のジャングル、虎や狼怖くはないのよ~~ 


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平安ブログ 「堤中納言物語」 坂田 靖子

2009年04月16日 10時15分38秒 | マンガ家名 さ行
 

    ↑ マンガ日本の古典シリーズ 7 中央公論社 1995年8月25日初版


 原作は古典の中でも名前を聞いてもピンとこない作品なんだが、(私だけ?) 成立は10世紀から14世紀、平安時代の逸話など集めた、かの 「虫めづる姫君」 が収められている10篇から成る短編物語集と聞くとなんとなく思いあたる。

 1篇のみ作者がわかっているが、他は作者・編者不詳のものがたり達。ひどい悪人は出てこないし、説教臭くもない、勧善徴悪どころかきちんとしたオチもないようなこれらの おはなし は、だからこそ当時の本当の姿が出ているようで興味深い。

 一番有名 (であろう) 「虫めづる姫君」 の話でも、男の子みたいに虫が大好きで眉毛ぼーぼー、当時のエチケットであるお歯黒もせず、言いたいことを言ってまわりを困らせる姫君に興味を持った若者が訪ねて行っても、相手の迫力に負けてすごすご退散…。
 お互い気に入ってめでたしめでたし。とはならないんです。

こんなサイトまであった → 「虫愛ずる姫君ファンサイト」

 始めのうちは、は~んオチないしなんかのっぺりしてて、内容も最近こんな話を聞いた、こっちでこんなことがあった、身近に珍しいことがあった、というブログのような書きつけだなぁと思った。


 後半にある 「はいずみ」 これは人の情は1000年昔も今も変わらない事を感じさせ、思わず涙を誘われた。
 
 あるところに身寄りのない女を哀れに思って妻として自分の家に住まわせていた男がいた。格の高い知り合いの家にたびたび行くうち、そこの娘ともいい仲になり、娘の両親からは、いつ正式な妻として男の家に迎え入れてくれるのかと矢の催促。
 急に明日引越すからと言われてあわてた男は妻に少しの間だけ隠れいてくれないかと懇願する。行くところもないが優しい妻のこと、夫の為に身を引いて戻らないことを決心し、牛車を借りて以前仕えてくれた者のところへ行こうとする。
 明日の準備で牛車は全て出払っており、馬1頭に乗り小者一人に引かせて都の端まで泣きながら揺られて行った。

 着いた所はお方様と呼ばれていた妻には不似合いな大変なボロ屋。びっくりする小者に
「夫にどこに落ち着いたと聞かれたら、涙川にと言っておくれ」
と言って帰らせた。
 それを聞いた夫、初めて自分のした仕打ちに思い至り急ぎ妻を迎えに行く。
「お前が病気になり動かせないと言って今回の話は断る」
と言って優しく抱くのだった。

 話はまだ続き題名の由来となるエピソードになる。先方の家にも気づまりだが行かなくてはと、しばらくぶりに訪ねる男。昼日中突然来られて慌てる女の家。特に姫の周りは準備が間に合わずやれおしろいはどこ、化粧箱はと大騒ぎに。

 男が几帳を押しのけばっと入るとそこには顔が真っ黒にすすけた姫が… 
 びっくりしてそそくさと帰る男。家族、仕える者どもはどうしたことか、これは男の妻の呪いかと騒ぎたて、陰陽師などを呼んで祈祷させる。女房が姫の顔に手をやってやっと気がついた。顔全体におしろいと思って塗りたくったものは眉用の 掃墨 (はいずみ) だったのだ。

 この話でも、特にひどい悪人というのは出てこない。今の感覚でいえば一番悪いのは二股かけた 男 ということになるが、当時の貴族たちの世界では二股三股は当たり前、男性が通って来なくなったらそれっきり、(あくまで貴族の話ね) という世の中だったからこの男が特にひどいとは言えない。後半の態度を見るとよくぞ妻に情けをかけてくれたと感謝さえしたくなる。


他には

「桜花折る少将」 
桜の綺麗な屋敷で見かけたかわいこちゃんをまんまと盗み出すことに成功 ! と思ったら担いできたのは昔 美女 だった姥桜だった…。

「このついで」
長雨のある日宰相の中将が香を持ってやってくる。火取香炉を用意させ、香を焚きながら女房達がつれづれに聞いた話を披露する。主上 (天皇) がお越しになったので、ではまた。

「ほどほどの懸想」
主従関係にある3人が、それぞれその主従に身分相応の恋をする、というお話。

「はなだの女御」
さる屋敷に忍び込み、庭で盗み見している男。その屋敷には庭の花々を自分の仕えている女主人になぞらえて自慢話をする色とりどりの女たちが居た。

「逢坂越えぬ権中納言」
これのみ天喜三年 (1055) 小式部作。表題は 「思う相手と契れぬ権中納言」 の意味。逢坂の関を超えぬを契り得ぬ事とする表現だそうだ。「菖蒲の根合わせ」 という左右に別れたお遊びの競い事の情景と、その後思う人に振られた男のはなし。

「貝合」
母のいない姫君が意地悪な義理の姉と貝合わせをすることになったが、頼れるのは弟と女の童 (めのわらわ) だけ。気の毒に思った 男 がこっそりと仏様のふりをして助けてあげる。

「思わぬ方にとまりする少将」
大納言の姫君二人、両親亡くなり姉妹で心細く暮らしていた。気に染まない相手ながらも二人に通う少将たちが出来た。有る夜、先に迎えにきた牛車が姉と妹を間違えて・・・後で来た車も間違いに気づかぬまま・・・。この姉妹のその後はどうなった事やら。

「よしなしごと」
当時の一級品、名物を書き連ね、何でもよいから貸してください、と女に無心する僧侶の手紙。他の僧侶にいろいろとプレゼントしたのが気に入らないらしい。
「なんとなくクリスタル」 を思い出してしまった。(笑)

「断章」
これからお話が始まるーーーと、思ったところで突然断筆になっている1篇。

以上の10篇と断片1つから成っている。


 巻末に 「解(ほどき)堤中納言物語」 として、作者と友人かアシスタント(?) と思われる二人の会話で解説がある。これが面白くてためになって本マンガより良いくらいだ。解 ほどき と有るのは、本作品の題名 「堤中納言物語」 というのが複数の物語をばらけないように包んでおいたため「つつみの物語」と称されていたのを ほどいて解説 してみましょう、という坂田氏のシャレでしょう。
 それによるとやはり 「はいずみ」 は庶民の説話から取った話のようで、こんな理不尽な話は貴族社会では当時いくらでも有ったのだろう。

 あとがきによると、中央公論の編集者に 「この話はサカタさんにぴったりだと思いますよ」 と口車に乗せられて、こんな大変な作業と思わず引き受けてしまったと書いてある。
 私も読み終えて編集者さんと同じに思います。平安の貴族達のおっとりした、でも今に通じるお話は坂田氏の簡潔な絵柄であっさり描かれてこそ本質が見えるように思う。平安貴族の話だからと言って、あまり華麗な描写だとお話の面白さが損なわれる。
 と言って、これを男性作家さんで描いても情緒がちょっと違うような気がする。坂田氏がぴったり。


 雨の夜に平安の昔に思いを馳せつつ、こんな物語を味わうのも面白いものだなぁ。

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ピートダイゴルフクラブ 

2009年04月15日 10時12分05秒 | ゴルフ
 熱い位の4月11日 (土) 久しぶりにゴルフコンペへ行ってきました。上の写真はピートダイゴルフクラブ ロイヤルコースの 18番ホールティーアップ場よりクラブハウスを見下ろす。

 楽天 ゴルフ場予約 (ゴラちゃん) のページ → ピートダイゴルフクラブ ロイヤルコース 


 半年に一度のこのコンペ、だんなのお友達の仕事関係で、我々夫婦はあまり関係ないのに毎回呼んでくださる。しかもだんなも私も優勝や準優勝などしてたびたび賞金をかっさらっていた。(ハンデを付けるので実力ではない。) 
 成績が良くなくてもいつも山盛りのお土産を頂いて帰るという実に美味しい集まりだったが、最近はハンデがきつくなり上位入賞は逃している。

 
               

               ↑ 恒例となったロッカー写真 豪華である。


 ここ、ピートダイゴルフクラブは ゴラちゃん の説明のように
 アメリカの設計家「鬼才ピートダイ」が、自らの設計コンセプトのすべてを凝縮してつくり上げたアメリカンスタイルの戦略性豊かなコース。 
 ショートホールでは長目でも短くても必ず池が絡んで難しい。ほとんど池の上に浮かんでいるような8番ショートホールなんてのもある。
 バンカーは下が堅い所と反対にふわふわの砂でいくら打っても上がらない蟻地獄な所と二つあって、私は大変苦労した。

 クラブハウスなど全体にバブリーな造りだが、現在は平日バイキング付きで5,400円~、休日でも11,000円位からと大変リーズナブルな料金設定となっている。
 ちょっと距離的に遠いかなと思っていたが、日光宇都宮道路・大沢インターから降りてすぐなのは便利だった。うちのように東京でも東北地域に住んでいて高速の入口から近いと1時間半で着く。
 東京西部や神奈川にお住まいの方には 鬼怒川温泉一泊ゴルフツアー をお薦めしておく。(誰にお薦めしているんだ (笑))

 今回素晴らしかったのは 桜の満開時期 にどんぴしゃりとはまった事。 


               



               



               

              ↑ どこを見てもクラブの宣伝パンフレットのような絵画的美しさ。


 まあ~、今年あまり花見ができなかった不満を一気に解消して来ました。
 もう一つ、これは絶対写真アップせねばと思ったのがこれ ↓


              
              



              ↑ ティーアップのマーカーがジャガーさんなんです。(きゃ~、猫科は初めてだわ~) これはバックティー。金色に光輝いてらっしゃる!

 普通は白い丸だったり赤い丸印なんですがね。凝ったところだと自分のクラブイメージで特注させたりするわけ。前にいのししさんも見たね~。(笑)


              

              ↑ レギュラーマーク。


              
               
              ↑ レディスでも勇ましく吠えてます。なんか可愛い。


 汗ばむような陽気の中、春の一日お花見をしながらのゴルフ、大変リラックスできました。幸せ~。


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家族九景 もしくは 女の一生・叔母編 

2009年04月11日 10時07分30秒 | 雑記
 「家族八景」という 筒井康隆氏 の小説と、それを原作にした 「家族八景」 というマンガがあるが、どこの家庭にも人に言えない何かしらある、という内容になっている。

 人に言えない、という程ではないが我が家にも人に不思議がられていることがある。それは同居している 叔母 の存在。人に言うのにちょっと説明を要し、説明しても どうして? と不思議がられてしまう。叔母は私のだんなの母親の一番下の妹になる。親でもないのに我々夫婦と同居している。
 そこで分かりやすく説明できるよう、ちょっと整理して見ることにした。だんなも、もちろん83歳の叔母もこのブログは見てないからいいでしょ。

 叔母は裕福な工場主の4女として東京新橋に大正の最後の年に生まれた。昭和はその年の12月最後からの始まりで、7月生まれの叔母は厳密には昭和生まれではないのだが、体裁がいいので 昭和元年生まれ と自称している。その方が年の数も数えやすい。(笑)
 
 女ばかり4人姉妹の末っ子で、小さい頃は何不自由なく育ったらしい。子供の頃に家族で海に行った時の写真を以前見せてもらったことがあるが、いかにも当時のお金持ちの家庭の優雅な海水浴風景であった。
 だが、時代は折から太平洋戦争へとひた走る頃、娘盛りの頃は戦争真っ最中、終戦時に20歳という今の若い子には想像もできない (55歳の私だって想像出来ない) 暗い時代だ。
 父親は女子ばかり4人でお国の為に男子を兵隊に出すことが出来ないことを恥じて、貴金属など高価なものを次々に供出したそうだ。男子の同級生で 特攻 で亡くなった方もいたというから、本当に生きるか死ぬかの時代を生きてきた年代だ。

 平和な時代にはなったが、結婚相手となる男子は皆戦争に取られて少なくなっている年代。程なく父親が寝たきりになり、末っ子でただひとり嫁に行っていなかった叔母が母親とともに自宅で面倒を見ることになった。それは30歳になるまで続いたのだ。

 父親を見送った後、それまで仕事に就いたことがなかった叔母は初めて求職の面接を受けに行った。ブラウスのメーカー問屋で肝っ玉の女性社長が興した会社だった。
 字が綺麗なことを見込まれ採用された叔母は、64歳になるまでそこで働いた。高度成長期には海外に社員旅行などしてそれなりに良い会社だったようだ。しかし叔母が退職後何年かしてつぶれてしまった。
 だが、長く勤めたおかげで今では結構な年金をもらっている。私たちが現役引退してもらえるお金よりずっといい。年代的に戦争で一番苦労した人たちだし、親にあげていると思えば自分が毎月収める額も我慢できるが…。

 ここで、父親を介護していた30歳まではともかく、働いていた間にお見合いや結婚の話はなかったのだろうか ? という疑問がわく。それなりにあったらしいのだが…。うちのだんな曰く、

「我がままだから、あれ嫌い、これ厭でみんな断ってしまった。」 

 そうな。40歳くらいの時の写真を見ると、年齢よりも若く見えて小柄ながらなかなかいい女である。

 その間ずっとどこに住んでいたかというと実家にいたのだが、長姉が サザエさんのごとく マスオさん結婚 して実家の工場を長姉のだんな様が継いでいたので、大家族で住んでいた。
 長姉の長男が結婚するとその家族も加わったが、長姉の娘たち (私のだんなの姉たち3人) が次々結婚していなくなったので、長姉のだんなを自分の疑似だんなとし、頼り切って何の危機感もなく暮らしていたようだ。
 普通ここいらで一度人生を考えるものだが…。

 月日は流れ、長姉のだんなが60台前半で亡くなった。その長男が無事に家業も継ぎ、今度は長姉の長男 (甥になる) を疑似息子として暮らしていく。
 未だに私のだんなを時々長男の名前で呼ぶ。(失礼なことに)

 叔母にとって天変地異が起ったのは頼り切っていた長姉とその長男が相次いで死んだとき。兄弟のうちあと一人男の子だった私のだんなはとっくに社会人になっており、長男の子供は幼く奥さんひとりでは工場は続けられないので、閉めることになった。
 借地であった工場跡地と家屋の権利も残った兄弟で分けなければならない。銀行勤めの経験のある姉と、ただひとりの男子うちのだんなが奮闘し、なんとか地上権で手に入れた土地を皆で分けた。あるものはそこに家を建て、あるものは駐車場として人に貸して、無事に納まった。(もめることも多いんです)

 ところで叔母はどうした ? 60歳後半にして行くところがないのだ。戦前の法律では長子相続なので4女の叔母には親からの財産などない。工場という財産を受け継いだ長姉とその家族にひたすらくっ付いて生きてきたのだ。

 だんなの姉たちは外に家庭を持ち、ご主人に遠慮があるし (そりゃ、自分の親ならともかく、叔母を一緒に住まわせて、なんて言えるわけない) その子供達もいて日々の暮らしに忙しく叔母の場所などない。
 長男の家族はもらった土地に小さな家を建てて家族で住む所は確保したが、子供3人抱えた寡婦には他人など養う余裕はない。
 かくして貰った土地に家を建てて一人で住むつもりだった うちのだんな にお鉢が廻って来たのだった。その後2年ほどして私が 叔母付きの家 に嫁に来たというわけ。


 最初に、人にわかりやすく説明できるよう整理してみようなんて書いたが、こんなに長くなってしまった。それは叔母の人生を始めから追ってみないと、途中からではこっちから見たことしか分からないと思ったから。
 しかし…しかしどうひいき目に見ても…きつい私などやっぱり、叔母に対して 「自分の人生に覚悟がない」 としか思えない。家庭を持つにしろ、一人で生きるにしろ、人はそれなりに覚悟を持って生きていると思うのだが。

 分岐点はいくつもあったように思う。長姉が結婚した時はともかく、父親が亡くなった時にさっさとお見合い結婚するのもよかったろう。だいたい父親が寝たきりだって、母親も長姉もいたんだから結婚して家を出ることも出来たはずだ。
 40歳も過ぎたら、結婚うんぬんより将来を考えて流行りのマンションでも買い、独立することだって仕事を持っていた叔母ならできたはず。
 だんなが結婚する時も良い機会だったと思うが、既に60代後半の叔母にはその気もなかった。私も叔母がいたら家事が楽かも、と問題を先送りにしてしまった。

 だんなも含め、忠告して独立させなかっただんなの家族も甘いな~とは思うが、80歳を過ぎたここに来て、衰えの見える 叔母 を誰が面倒見るかという問題が出てきた。同居は15年になるが、叔母に嫁扱いされ血もつながっていない私には無理だろうと義理姉たちは思っている。あまつさえ弟 (私のだんな) は癌を闘病中。

 義理姉たちは役所に相談に行っているが、現在住む家も一緒にいる親戚もいる叔母では、公共の老人ホームには入れないということだ。(一人住まいなら状態により可)
 叔母が倒れでもしたら、私と隣に住んでいる義理姉が面倒を見るしかないのだろうか。今は少しでもその時が遅いことを祈るばかりだ。本人はまだらボケ気味で最後まで呑気でいるのが救いというか、最後まで無責任なのだが。
 

         すっかりグチになってしまいました。皆さんごめんなさいね。この記事にはコメは要りません。こんな人もいるということで。
 
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誕生日です。

2009年04月09日 13時52分19秒 | 猫・犬・動物
 

     ↑ 実年齢ではとっくに過ぎているけれど、赤いちゃんちゃんこ着せてみました。

 我が家の老お姫様、亜美嬢が4月9日で20歳を迎えました。亜美は20年前、新宿区にある日本青年館の広場で催された フリーマーケット に出店していた時に、里親さん募集していた女性の方にもらいました。そこの家で生まれた家猫ちゃんで、ちゃとらんの母親から1匹だけアメショーっぽい柄の仔が生れたそうです。
 親や他の兄弟と一緒の写真をもらったり、少し大きくなってからの 亜美 の写真を送ったりしてしばらく連絡を取るくらい、先方は良い御家族でした。

 おっとりしているのは家猫育ちのせいでしょう。けっして私がいつも法螺ふいているように タカビーな女王様 ではありません。ブログを面白くするためとはいえ、いつもごめんよ 亜美。 


            

            ↑ こんなもん着せて、ほんとにやーねっ、ぐちゃぐちゃにしてやる~。


             

            ↑ やっぱり私の居場所は召使いの腕の中よね。苦しゅうない、1階へお運びっ。

召使い 「はは~っ」

          ・・・やっぱり ハリウッドセレブ くらいはタカビーかも




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