猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

まんがエリートのための雑誌 COM について

2011年10月05日 08時33分04秒 | まんがエリートのための雑誌 COM


 いらっしゃいませ。こちらは昔のも今のもマンガ全般をこよなく愛す者のブログです。最近昔のマンガ雑誌 「COM」 の検索でいらしてくださる方が多いようなので、ガイドを作ってみました。

 ブログ画面左側の カテゴリー欄 の中の、 まんがエリートのための雑誌 COM  をクリックするとすべてのCOM記事が見られます。なお、月刊の表紙は

COM 表紙一挙紹介 その① 1967年

COMの表紙 その② 1968年

COMの表紙③ 1969年1月~12月

COM表紙一挙紹介 その④ 1970年 1月~12月

COM 表紙 1971年1月号~12月号 及び 1973年8月号

で見られます。参考になれば幸いです。



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COM 1971年7月号

2010年05月26日 13時52分31秒 | まんがエリートのための雑誌 COM


 前々の記事でコメント戴いた sknysさん に教えられて、1971年7月号の COM を引っ張り出した。上村 一夫氏の作品が載っているらしい。

 「初恋漬」 24ページの短編であるが、内容は甘い題名に似つかわしくなくなかなか衝撃的。初恋漬とは、茄子を砂糖漬けにしたものらしい。


             



 戦後すぐの日本。ジープのアメリカ兵を追って子供たちが走る。ガムに花火をもらって喜ぶ 「ポンプキン・ボーイ」 のヒロシ。私より12歳上の知り合いはリアルでこれと同じことをしてチョコをもらっていたそうな。戦後は遠くなりにけり。
 ところで ポンプキン・ボーイ ってアメリカさんに言われていたけれどどういう意味 ?

 隣に建つ漬物工場の倉庫に住み着いた父と娘の親子。娘は父親に虐待されているらしくいつも泣き声が聞こえてくる。その娘と倉庫の中で花火をするヒロシ。父親は大きな桶の陰で酔いつぶれて寝ているらしい。

 その夜台風が来て、朝起きてみると漬物工場は形もなく押しつぶされ、父親はつぶされて死んでおり、娘は影も形もない。ヒロシの妹がつぶやく。
 「……あの娘が殺したんだ……」
二百十日の太陽が眼を射った。

 短いけれど女の子の色っぽさとかガムを噛む様子の描き方とか伏線の張り方も心に残る作品。


 この号に乗っている他の漫画でひときわ強烈な光を放っているのは…。藤子不二雄氏 (当時の表記は不二雄のみ) の 白い童話シリーズ の中でも怖かった 「禁じられた遊び」 同名映画を少しひねったような内容だが、藤子不二雄A(本来は丸の中にA)氏の絵柄によるおどろおどろしさが恐ろしい。

 このシリーズは他の作品も毎回怖くて当時の COM の中では異彩を放っていたな~。そうだ、COMの記事では今度このシリーズを書いてみようかな。


        古レコードも写真に撮らなくちゃと焦るトミー。


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座談会 「伝説のまんが月刊誌『COM』を語る

2009年09月26日 09時18分09秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 「伝説のまんが月刊誌『COM』を語る 休刊38年目の関係者座談会」という座談会が8月2日に京都国際マンガミュージアムで行われたそうで、私は下記のBBSで知りました。

    おしゃべり広場  COM座談会

 出席者は当時のCOM無編集者や作家、また「ぐら・こん」支部長らという、実際に紙面を作っていた、活動していた方々。う~ん、聞きに行きたかった。上の記事中でも当日のレポートが掲載されていますが、座談会の詳しい内容は諸事情もあり載せられていません。

幸いその様子はすべて録画され、現在ミュージアムで映像の編集が行われています。そして今後、ミュージアムで一部が公開される予定

 ということなので、いつの日か 京都国際マンガミュージアム で見るのを楽しみにしています。やっぱり 「COM」 って今だに忘れられていないんだな~。

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「ぱふ」 1979年4月10日発行 通巻41号 特集 「COMの時代」

2008年12月25日 18時50分11秒 | まんがエリートのための雑誌 COM


 まん○らけで買ったのはだいぶ前でしたが、パラッと見ただけで積んでました。理由の一つには 「COM」の紹介記事を書いている私には、これを読んだことで書くことに影響を受けてしまうのではないかと思ったことがあります。

 マンガの感想を書くとき、つい他ブログの記事を探して読んではいませんか ? たとえ同じことを感じ、自分の言葉で書こうとしても何か読んだものに引きずられてしまう自分が嫌なんです。
 だったら他人のものは読まず、「マンガ夜話」 も見ず、拙くても自分が思ったとおり書いた方が良い。そしてそれはそんなに的はずれでもないと思うんですよね。

 と、偉そうにほっといたこの本、よく見ると内容がとても濃かった。COM特集の部分だけでも、
COMの表紙すべて (月刊)
COM前夜として 「鉄腕アトムクラブ」 時代の話
COMのビッグ3 (手塚・石森・永島) 各氏へのインタビュー
COM年表
座談会として 「COM」 の元編集者たちと司会の 峠 あかね氏 (真崎 守氏)
COMの投稿コーナーである 「ぐらこん」 から巣立った作家たち 青柳裕介・あだち充・市川みさこ・居村真二・岡田史子・加藤広司・コンタロウ・竹宮恵子(当時)・能条純一・日野日出志・諸星大二郎・やまだ紫 各氏の説明
その他コラム、その他の作家たちについて
まんが評論の旗手対決として 橋本 治氏 と 村上 知彦氏 の対談
最後に ぱふ の編集者による、C0Mの思い出とこれから・・・

以上で9p~64pの特集なのだけれど、この号の特集はそれだけではないんです。


 巻末の209pから237pまで 「大島 弓子」 さんの特集 (1978年6・7月号) の再録が ! 

大島さんへ独占インタビュー記事
4名の方々の大島 弓子論 というかファン丸出しの記事

この特集2つだけでも価値ある1冊なのに、

紫門 ふみ氏のマンガ 「苗木を越えて」 (絵はまだイマイチ)
寺山修二氏 の 萩尾 望都 論 「たかが少女の怖ろしさ」
漫画キャラクターの人気投票 ベスト100 第一回集計結果発表
1位 「トーマの心臓」 のオスカー・ライザーだんとつ
2位 「ポーの一族」 エドガー・ポーツネル
3位 ますむら ひろしの 「ヒデヨシ」
他にも小野 耕世氏のちょっと意味不明なマンガ評論だかなんだか
投稿作品を載せる 「ぱふまんが倶楽部」 も大量のページを割いている

 実はわたし 「ぱふ」 は知っていてもこの1979年頃というと、20代後半から30代始めという世代的にリアルタイムで読まなかった頃なので、とても新鮮でした。
 今アラフォーと呼ばれている世代の人はちょうどこのころ マンガ読書最盛期 の頃かしら。24年組さん達が大活躍の少女マンガ絶頂期の、初めの方かな。COM の後継を目指していたような 「ぱふ」 にはまって、集めてみたくなりました。



    まだまだ 「だっくす」 とか 「マンガ少年」 とか、興味あるものいっぱいありすぎのトミー。
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COM 1971年10月号 特集・座談会 「少女まんがをさぐる !!」 Ⅳ

2008年12月24日 18時29分25秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 最期になります、(したい) COM 1971年10月号 特集・座談会 「少女まんがをさぐる !!」 お付き合いください。m(_ _)m

 司会を上田 としこ先生、出席者 もりたじゅん、一条ゆかり、竹宮恵子(現在は惠子)、萩尾望都、まき・のむら (のちにレディスコミック等で活躍 管理人注) (以上敬称略)の各氏、で行われたこの座談会、1971年10月号の掲載ですから、出席者の面々はデビュー直後もしくは新人の域を出ない頃です。

 今回は枝葉末節を省いてまとめてみましたので、話した言葉そのままの 青字 はありません。


④ 原作まんがの良否

上田 
少女まんがには原作つきまんがが非常に多い…抵抗ありますか。

一条 
会社をルートにして回ってきて、原作者をあまり知らない。バサッと渡されて読んでもつまらない。原作と自分との接点がない。半分以上自分で勝手に変えて描く。これだと原作の良さがなく、プロットをもらっただけ。
 - 略 -
原作者をいかに知っているかが大切。お互いの良いところをとりっこして、悪いところをたたきあわねば。

竹宮 
最初の頃はその通りにやらなきゃと真面目にやったがやりにくい。いいネタならプロットとしてふくらましていくが、全然来ない。

もりた
原作者というのは少女まんがをなめてるみたいね。(笑)

一条
それはある、大変。

上田 
ゴーストライターが非常に多い。名前出さないで。

竹宮
原作者の名前出すならいい。責任がかなり行く。

一条
必死で名前出してもらったりね(笑)
けど、悪い原作を与えられて作品が悪くなるのは自分が悪い。こなしきれなかったということ、悪くても良くしていかなくちゃ。あからさまなのは断るとか、自分で考える。
自分のいい加減な態度が一番悪い。

もりた
後々自分の身になるならその人が本物だったということ。なんでも吸収することですよね。

上田
最後出版社、直接には編集者ですけど、そちらからの注文がなくて好きな作品をと言われたら、違うもの出てきますか。

竹宮
同じようなもの描くんじゃないかな。

一条
それほど規制されてない、嫌なものは描かない。

竹宮
描けと言われても描けるものじゃないです。

一条
相手に妥協しているようでこちらの意地はちゃんと通す。

上田
それは大切なこと。今日ここにいらっしゃる方たちは独自なものをちゃんと押し通している。これからも子供たちのエキスになるような作品に意欲的に取り組んでいただきたいと思います。


 今、同じ質問されてもきっと皆さん同じようにお答えになると思います。40年近くまんがをまっすぐ描いて来られた方々。初めからぶれたところがないのは気持ちいいですね。最後までお付き合い頂いてありがとうございました。


その1はこちら → COM 1971年10月号 特集・座談会 「少女まんがをさぐる !!」

その2      → COM 1971年10月号 特集・座談会 「少女まんがをさぐる !!」Ⅱ

その3      → COM 1971年10月号 特集・座談会 「少女まんがをさぐる !!」Ⅲ
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COM 1971年10月号 特集・座談会 「少女まんがをさぐる !!」 Ⅲ

2008年12月15日 10時44分24秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 COM 1971年10月号 特集・座談会 「少女まんがをさぐる !!」 そのⅢでございます。って、皆さん興味あるのかな ? 訪問者数は毎日結構な数なのにこのシリーズはコメントが少ない・・・・。
 気を取り直して前回 (12月12日) の続きから。 前回と同じく、青字は記事からの引用です。


上田氏
アイデアを考えてるとき・・・どういうときが一番気分が乗りますか。

もりた氏
主人公の性格を自分ではっきりつかまえたときですね。

上田氏
アイデアを立てるときは主人公が先ですかそれとも、テーマが先に出てくるわけですか。

一条氏
ものすごくいろいろですね。たとえばね、こういう性格の人物を描きたいなと思ったときにね、こういう人はどうするだろうかって話作ろうかと思ったときに、パッと一場面が― 略 ― カッコいいセリフを聞いてそのセリフ一つで話を作ったり本当にその時、その時ですね。

 小題の③は 「少女まんがにおける 性 」 

上田氏
昔は今と違って「りぼん」とか「なかよし」とか対象年齢の低い   -略-  「マーガレット」や「少女フレンド」が次の年代といったように年代にふさわしいものを載せてったわけですよね。ところが最近は層というものをはっきりしないで、どんな雑誌にもかなり高年齢対象の“性”というものが、ベッドシーンなど、かなり赤裸々に描かれていますね。それをどうお考えですか。

もりた氏
それを納得のいくテーマの上で重要なものであればいいと思います。ベッドシーンや強烈な場面が描きたいがために話を作ったという、後味の悪いものを感じる作品もありますけど  - 略 -  不潔感をただよわせて描いてほしくないと言うことですね。  - 略 - 
 少女の感覚と20歳前後の感覚とだいたい似ていると思うんです。中学1年ぐらいから性に対するあこがれ、恐れみたいなものと20歳ぐらいのそういうものはそれほど大差ないと思うんですね。自分が真剣に考えて、真剣に作品に向かった場合、やはり小学生が受け止めてくれるんですね。。だから私はそんな事いうのはおかしいと思う。
 女性は最初から成長しているところがあるような感じです。


一条氏
私なんにも感じないです。もし作品つくって必要だったら描くし、わざわざこじつけて描くこともないです。自分の中で描きたいものがあって、考えを煮詰めていってくとふしぎとそのシーンが入ってくることが多いですね。別段問題にするほどないんじゃないかと思うんですが…。

④ 専属契約制については

上田氏
少年まんが界には、あまり多くはないんいですけど、少女まんが界には専属契約制というものが、かなり一般的なことになってますよね。その問題についてはどうお考えですか。

もりた氏
私個人に関して言えばラッキーじゃないかと思います。私の場合、制約はそれほどされてないし、仕事の量がいくらか少なめにできているから。仕事はしやすいです。

一条氏
いまところ、どちらがいいといわれると迷ってしまいます。良いときも悪いときもあるみたいね。

竹宮氏
女の作家の場合、どうしても描ける量っていうのが決まってくると思うんですね。その意味じゃいいんじゃないですか。

萩尾氏
私は契約は結んでいないんですけど、こっちのやりたい仕事だけやらしてくれるならいいでしょうね。

まき氏
私、今虫プロと契約結んでるんです。(笑) 最近結んだばかりで、まだはっきりとは分からないところもありますね。

話変わって、女性作家が男性作家より実力で落ちる、漫画賞の選考の場合に筆が甘いし、構成も甘いなんて批評される、という話になり、

竹宮氏
少女まんがの場合、やたら柔らかい線でたとえばデッサンできてなくてもいいからどこか抜けたデッサンのところがいいんだっていう考え方があるみたい…

一条氏
そんなこともありますね。

もりた氏
少女まんがと少年まんがのどちらが優れているなんて - 略 -  
目指すものが違うんだからダイナミックなところは女がとてもかなうわけがないし、女の心を男が描けるわけがないってことですよね。(笑)


上田氏
最近よく聞くんですけど……少女まんがを男が読んで女の方が少年まんがを読む…少女まんがが男性のまんがよりおもしろいところっていうと、またその特性は…

もりた氏
男には描けない女の心のあやとか、……昔と変わってきて……今はキャラクターの中の人間性というものがかなり出てきているでしょ。- 略 - 
 いいなって思った意見なんですけど、矢代まさこさんが読者を意識するかって質問に対して、私は自分が読者だと思うっていってるんです。自分で描いてなおかつ自分が読者ってわけで、- 略 - ……



 37年前のこの座談だけを読んでも、確かに今までの少女まんが家とは違う人種が出てきたというのがわかる気がします。ベテランの上田氏の感じている葛藤のようなものを、そんなこと気にもしてないわ、というように軽々と越えて行けるような新人たち。彼女たちのその後の活躍がこれだけでわかるような。

なかなか終わらない。。そのⅣに続く・・・・・。

    これを書くので寝不足のトミー。



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COM 1971年10月号 特集・座談会 「少女まんがをさぐる !!」 Ⅱ

2008年12月12日 12時34分07秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 COM 1971年10月号の特集記事「少女まんがをさぐる !!」 そのⅡでございます。
 前回と同じく、青字は記事からの引用です。

 小題の ② はプロとしての抱負を・・・というもので、司会の 上田氏 は
 

私は仕事が出来て原稿料をもらえばプロ、ということにはならないと思うんです。本当のプロになってく、というのにはいろんな波がくると・・・・・
プロでやっていく上での心構えというんですか、何を描いていったらよいかといったものは・・・・


と聞いている。しかしこれにも もりた氏は

それはあまり口に出すべきものじゃないように思います。心の中にしまっておきたいものですね。

一条氏は
描いてるものを読んでてもらって、ああこの人はこんなことを描きたいんだなってわかってくれればいいんで、別に口にすることもないんじゃないかと・・・・

と、どうもジェネレーションギャップというか、ベテランと新人の考えの差と言うか、座談がかみ合ってこないところがある。

竹宮氏

特にっていわれても困るんですけど、とにかくどうしても描きたいっていうものは今ないんですね。自分が本当に描きたいものをもってデビューして、たとえば自分のコンプレックスを発散するために描くとか、そういうものがぜんぜんなくて、非常に消極的というか私はとても恵まれて育ってきて、まんがについてもなんにも障害がなくて、横やりが入ってきたらはねかえすという強さをもたなかったものだから、内容もあっちこち飛んだり、特にこれだというものを持たないんです。

と言うことは逆に何でも描けると言うことだと思う。

ただ好きで描くと言うんだったら楽しいですけど、読者がいると思うとそうはいかないし、そろそろまじめに本当のプロというものはこんなものじゃないかな、と分かってきてこれからこうしなくちゃいけないな、なんて考え始めたばかりだから、これだっていう線まで行ってないんです。

この時点ではこんなもんでしょうねー。正直ですよ。

上田氏

その中であなたは作家として  - 中略 - 今後はこういうものも入ってきていいんじゃないかと言うものは・・・・

萩尾氏
少女まんがの対象というのは大体小学生、中学生でその人たちが日々に感じているというのは、まんかだけじゃないんです。学校へ行って家庭があってその中で読む世界の名作や映画、とかいろいろなものがあるわけでしょ。
 まんがというのはそういうものに匹敵するものを描かなくちゃいけないと思うんです。


まき氏
私はまだ、描くというより読むほうの立場のような感じなんですけど、青春まんがって言うんですか、自分達と同じ世代の悩みとか経験とかそういってものを描きたいです。
 それがやっぱりいちばん自分が打ち込めるんですね。


その後 「純粋な創作」 を雑誌が描かせてくれるか、(好きなように雑誌社や編集が描かせてくれるか) という話題になって、

一条氏はもうこの頃から

描きたいものものがあるとどうしても描きたい、死ぬほど描きたいといえば、意欲を買ってくれて話し合って描きます。

なんて言ってます。(笑)氏は後年他のインタビューか記事でも 編集を説き伏せられないのは自分に実力がないからだ。。。うんぬん みたいなことを言っていて、強い信念の人なんだと思います。尊敬 ! 

竹宮氏

私の場合、割りに自由に描かしてくれます。編集の人なんかと話し合いしていると、先方が何をもとめているか分かってくるでしょ。こういうものを持っていってもOKされないなと話してるうちにわかるから、自分の方でOKされるものしか描かないってことがありますね。

上田氏
少女雑誌の内容がみんな同じでつまらないといわれるのには編集部の方の責任が重いわけですね。

もりた氏
それをはねのけるぐらいじゃないとだめなんじゃないかな。たとえば、このシーンはタブーであると言われても必要不可欠ならばやっぱり話し合って納得させるのが大切ですね。


さすが、後年 「うみどり」や「ダニイル」 等問題作を連発したもりた氏だけある発言。

弓月 光先生ももりた氏の文庫のあとがきで、

 当時は24年組みたいな少女マンガ家はみんな読者対象を無視して描いてましたからね。そういう時代だったんです。。自分の好きなものだけ、描いてた。で、受け入れられなければしょうがないっていう。

なんて言ってましたっけ。

続く・・・


  この後の、彼女ら24年組さん達の華々しい活躍があって、今の少女マンガがあるとしみじみ思うトミー。

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COM 1971年10月号 特集・座談会 「少女まんがをさぐる !!」

2008年12月08日 10時17分12秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
              ↑ この記事の載っている COM表紙

 初めて「COM」 の記事の中から紹介してみようかなと思います。前から「COM」 のマンガだけでなく記事の方も紹介したいとは思っていたのですが、良いものが膨大にあって、なにから書いていいやらと思っていたのです。
 このブログには少女マンガ好きな方が多くいらっしゃるので、最初はこんなものが良いかなと。

 新鋭少女まんが家が語る、現在の状況と抱負 ! とサブタイトルの付けられた座談会です。
 メンバーが凄いですよ。司会は 上田 としこ先生。 出席者はもりたじゅん、一条ゆかり、竹宮恵子(現在は惠子)、萩尾望都、まき・のむら (のちにレディスコミック等で活躍 管理人注) (以上敬称略)の各氏。1971年10月号の掲載ですから、出席者の面々はデビュー直後もしくは新人の域を出ない頃。皆さん初々しく話してらっしゃいます。又お話以上に初々しい顔写真も載っています。(微笑)

   ・・・・以下青文字は原文引用・・・・

 全体を5つにわけ、小題は

① デビューとその動機
② プロとしての抱負を・・・
③ 少女まんがにおける性
④ 専属契約制については ?
⑤ 原作まんがの良否

 になっています。① デビューとその動機 では、もりた氏が


 始めから好きだったということです。大学のとき、半年くらいはまじめに通っていたんですけど、おもしろくなくて、まんがを読んでいて、これなら描けるんじゃないかなんて思って描き始めたんです。ほんとうに軽い動機でしたね。一番初めに「りぼん」に乗せてもらったんです。

一条氏は

 私も、もりたさんとデビューが一緒だったんです。「りぼん新人賞」 を募集してて、一緒に賞をとったんです。そのときからの知り合いなんです。
 私がまんが好きだったのはやっぱり絵が好きだったから。小さいときから絵を描くのが好きでね。小学校のとき、将来何になるって調べがあって、みんなは看護婦さんとかパイロットになるって書いてるのに一人だけまんか家になるなんて書いて変なこと考えてるって笑われたりして。 
 (あっら~私と同じだわ。でもその先は大違い 管理人注)
 中学の頃からイラストレーターになりたいなんて思ってて、高校の頃、商業学校だったからまわりが就職ってうるさくて、自分一人くらい自分でなんとかならないかなあなんて考えてたんです。
 その頃、単行本ちょっとやってつまんなくてやめて、それから「りぼん」に応募したんです。で、入選してデビューしたのが(昭和)43年の3月です。


- 略 -

竹宮氏 

 私は根が寂しがりやなものでとにかくよろこんでいて何か興奮している状態が好きで、いろいろ興味持つんですけど、結局とことん興味をもてるのがまんが以外になかったと言うわけです。どんどん踏み込んでいって、ただ自分をよろこばしてくれるから描いていました。中学の時に突然興味を持って毎日描いていたんです。
 内容にしてもこれが描きたいんだ、というものはなかったみたいです。


- 略 -

 最初に出たのは私も十万円をねらって(笑)「マーガレット」の方へ応募して、だめだったんですけど佳作に選ばせて載せてもらったんです。それと同じ頃に「COM」に応募して、最初は佳作で載せてもらえなかったんですけどね、

    管理人注 以前の記事参照 → 竹宮恵子氏のデビュー前作品 「弟」

  それから何度か出したりしてて、描き出したんです。

萩尾氏

 とにかく幼稚園に入る前から絵が好きで、ずーっと学校にいるときは夢中で、高校の二年の時、石森先生の「マンガ家入門」を読んだわけです。三畳の部屋で頑張った、なんて書いてるんです。
 私は頑張る気はないからやめた、なんて思ってたらすぐ後で、手塚先生の「新撰組」を読んでショックを受けて描いて行こうと思ったんです。
 で、デビューしたのが二十歳のときに「なかよし」でです。編集の人に紹介されて、作品を送ったり返されたりしているうちに載せてもらいました。


まき氏

 描きはじめたのは中学二年の時で友達が描いているのを見て、これなら私も描けるんじゃないかな、なんておもってその頃 ちばてつやさん が「紫電改のタカ」 (懐かしい~) を描いていたんですね。それが大好きで、戦争ものばかり描いてたんです。
 最初に作品をまとめたのが高校2年の時で、それを「COM」に出したんです。それが佳作の次の準佳作で、それから何度か出してやっと去年(1970年)佳作の一席に入ったんです。
 デビュー作に当たるのは今年の5/6月号合併号の「ベストコミック」に発表した作品で、まだ新人のほやほやです。


 司会の上田氏は、現状がものたりないから自分で描いて行こうという抱負を持って描き出すより、まず絵から入ってきているようですね。なんて言ってる。自分の事を考えても、絵が好きだからチラシの裏に描き出してっていう人が多いと思うけれど、なんか文学論みたいなことから聞いていて、特に COM はマンガに対して文学を語るようなそんな空気が在ったのかもと思う。表現の場をマンガに求めて…とか ? 今の方がよっぽどエンターテイメントに徹した作品が多いかも。

 なるべく出席者の発言をそのまま載せようと思うと引用が長くなってしまって、小題1つ分で文章も長くなりました。続く・・・。



 マンガ雑誌 「COM」 で検索して来られた方、ありがとうございます。左側にある カテゴリー欄 の一番下にある まんがエリートのための雑誌 COM を押していただくとCOMの過去記事が全部出てきますので、参考になさってください。m(_ _)m

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COMの中の 萩尾 望都 「10月の少女たち」 1971年10月号

2008年11月12日 11時09分50秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 

 前回から大変離れてしまいましたが、マンガ雑誌 COM からの記事です。今回は初めてCOMの中の 萩尾氏 を出してきました。といっても萩尾氏は COM にはこれともう一つ短編を発表されているだけですが。
 萩尾氏出すと、とたんにアクセス数やコメント数が増えるもんで…。時々出さないとマンガブログ読みさんたちに見放されちゃう ? 

 
 萩尾氏の作品は、COM1971年1月号に初出掲載された「ポーチで少女が子犬と」に続いて、10月号には初出でこの作品が掲載されています。COMでの初出作品はこの二つだけだと思います。
 その後COMと虫プロ商事㈱が文字通り虫の息にならず、もっとちゃんと続いていれば萩尾氏はCOM誌上に実験的な作品をたくさん発表していただろうに…と思うのは私だけではないはず。

                                      


 この作品は24ページながら3つのオムニバスになっている佳作です。

Ⅰ. 可愛い巻き毛のトゥラ。日本でいえば小学生の3~4年生くらいかな。隣家のロビーは幼馴染で単なるお隣さん。たげど彼は最近つんけんして変だわ。
 学校では女の子の間でキスが話題になっている。ロビーと宿題をしているとき、彼ならお試しにいいか、と軽い気持ちで
「キスしていいわよ、」
というが…。

 初めて男と女の違いをはっきり意識する時、と言うのがテーマかな。

Ⅱ. 恋愛小説に夢中な夢見がちの高校生真知子。突然父親の知人の息子 行 (こう) が家に下宿することに。年頃の女の子がいる家になんて乱暴な男の子が来たのかしら…。しかも学校も同じところに転校してきた。クラスメイトはサッカー上手な 行 のことをカッコイイと騒ぐが真知子は下着姿を見られておかんむり !
 しかし、行の複雑な家庭事情を知り、また突然に家から出ることになると真知子の胸にはさびしい風が吹く。しかし学校は変わらないと思いいたってほっとするのだった。

 読む本も趣味も違うけれど、やっぱり男と女は惹かれあうようにできている。

Ⅲ.18歳のフラィシー。専門学校に通い、デザイナーになれたらと思っている。4週間付き合っているジェフに突然のプロポーズを受け、びっくり。
「そんな大事なこと、一人じゃ決められないわ」
 母親もまだ早いと反対。妹は賛成。ジェフはいい人よ、そうよいい人だわ。だけど…。彼女の決めた結論は ?
 
 まだまだ子供でいたい年頃。今まで人生全部が自分の時間だったものが他の者の占める割合が増える事に戸惑いを感じてる。

                                     

 年齢の違う3人の少女たちの意識の転換期を鮮やかに切り取って見せるこの作品、40年近く前の作品とは思えません。これがちょうどデビューして3年目、20作目なんですよ。

 この3作前には、高橋留美子氏が大絶賛したという名作、「小夜の縫うゆかた」 初出誌「週刊少女コミック」1971年夏の増刊 が発表されています。繰り返しコミックスにも収録されているのでこれは読んだ方も多いのでは。私も大好きな作品です。
 勘違いしていて、COMで読んだとばかり思ってましたが、違ったんですよ。「トーマの心臓」フラワーコミックス版の3巻に収録されていたのでこちらで読んだようです。

 この1971年頃はまだ短編ばかりですが、「11月のギムナジウム」 が「別冊少女コミック」1971年11月号に掲載されるなど、萩尾氏の世界が確立して行き、しかもそれを商業誌で発表出来るようになった大事な年ともいえます。そしていよいよ翌年1972年には 「すきとおった銀の髪」 で「ポーの一族」 が始まっていくのです。

                              


萩尾 望都作品の過去記事  ↓

11月のギムナジウム

ゴールデンライラックで朝ドラを

イラスト詩集 少年よ

山へ行くシリーズ ここではないどこか

トーマの心臓

トーマの心臓 その②

訪問者

あぶない丘の家

恐るべき子どもたち

イグアナの娘

イラストアルバム 萩尾 望都の世界

銀の三角 何で知名度低いの?

きりとばらとほしと ~ ポーの一族 ~ 銀河荘なの! 吸血鬼の系譜

吸血鬼マンガの系譜 を見つけてしまった。

マンガ 時空を越えて逢いに来る少女 の系譜

バルバラ異界


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永島慎二 「フーテン」

2008年07月28日 09時14分50秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 ↑ シリーズ「黄色い涙」 青春残酷物語 の中として 「フーテン」 が出てきたのが1967年の4月号からなので、それから7冊分の COM中 「フーテン」 の表紙絵など。永島氏の作品は COM 創刊時から手塚 「火の鳥」 石ノ森「ジュン」 と3本柱の一つだったので、前のページは「火の鳥」 のことが多い。


 永島慎二作 「フーテン」 についての説明は、まんだらけ出版から5度目に刊行された豪華本 (2008年6月10日発売) の説明が一番だと思ったので、以下にリンクさせていただいた。本当はこれ紹介するだけでいいかと思っちゃったくらい詳しいし、すべてを語っている。
 さすが、同時代を生きた 古川益三氏 (まんだらけ社長です) これはCOMに佳作入選したこともある氏にとっては思い出と呼ぶよりももっとすさまじい青春の記憶となる作品なのだと思う。どうしても復刻したかったのではないか。   ↓


まんだらけ出版 「フーテン」


 そして、私がリアルで読んでいた当時の 感想 と言えば…。はっきり言って青春前期の中学生にはまだよくわからなかった。若者の先の見えない苛立ちとか、世の中への不平不満とか、時に抑えきれない感情だとか、いろいろあるんだろうなとは薄っすらわかっても、自分はまだ親がかりでそこまで至っていないというのもわかっていた。東京新宿ではこんな人たちがいるんだな~、ちょっとカッコイイかも~と思っていた。(若気の至り)
 やはり、このマンガは私より3~5歳上の団塊の世代のものなのだ。ところがその後2~3年すると地方都市の私の地元でも格好だけは真似た 偽フーテン がわさわさ出てくることになるのだが、それは又違う機会に。

 1967年1月号からの3号分は短編3つだったが、4月号からは長編連載となっているので、フーテンとして始めから長く描くつもりだったようだ。1話目の最期に昭和42年3月2日付けとして、作者からの 「蛇足」 としてこの作品を書き始めたいきさつなどがつづられている。
 いわく、まんがの描けなくなった児童漫画家、長暇 貧治(ながひまひんじ) は知り合いのフーテン仲間 伍一 が財閥の実家に連れ戻されようとしてトラックにはねられて死んでからのその後七日間にわたり、出版社から借りてきたトラノコの3万円を使い果たし、スッテンテンになるまで新宿を離れられず、フーテンすることになる。それが上の写真の7冊に最初の章 春の章 として連載されている。もちろん全部実話じゃないだろうが、全部嘘でもなさそうである。

 しかもその後も2年ほどろくな仕事もせずにフーテンと呼ばれる若者達の間を夜のクラゲのごとくに泳ぎまわり、しかし結局フーテンにもなりきれず、この物語の狂言回しとなる。もちろん、長暇 は 永島 慎二 その人がモデルだろうが、彼は仲間と呼ぶフーテンたちとの交流を、ノスタルジア的感傷だけに終わらせたくないと考えこの作品を描いたようだ。

 今読むと私にとってもあの、時間ばかり有った 若者の時間 が思い出される。


   関連 以前の映画記事 → 永島 慎二 原作 映画 「黄色い涙」
コメント (6)
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