つのだ氏については、有名なので特に引用はしません。私には 「うしろの百太郎」 などオカルト路線以前の つのだ氏 の作品の方が印象に残ってます。空手バカ一代とか、ルミちゃん教室等の少女まんがなど。詳しく知りたい方は下記へ ↓
つのだじろうホームページ
表紙はスクーターに乗る つのだ氏、バックにはトキワ荘があしらわれてます。欄外には、
トキワ荘に通うこと1年に三百六十六回、闘志の男 つのだ じろう が自信を持っておくる !! と煽ってます。(笑)
2ページ目、1コマ目にはトキワ荘周辺古絵図として、自宅からトキワ荘までの道のりが乗っています。スクーターで事故を起こしたところとか、画材屋さんとか、小さな喫茶店とか細々と載っています。よく覚えていますねー。
以下、黒文字は作品より引用部分です。
ぼくは一度もトキワ荘に家賃をはらって生息したことはない。しかし・・・ほとんど毎日トキワ荘にいた。
― 略 ―
ぼくがまんが家としてデビューしたのは昭和30年・・・、新漫画党なるトキワ荘一族の党員に加わりトキワ荘に足しげく出入りし始めたのは、昭和31年ごろからである。同期に石森章太郎 がトキワ一族に参加した !
寺田ら、メンバーの似顔絵が続く紹介のコマ。まじめなつのだ氏は、地方から一人で上京して生活しているみんなと違い、東京生まれで親のスネかじりの自分がみんなに負けられない、と勉強に打ち込む。
バス待ちの5分間でも電柱の写生、クロッキーに通い人体の勉強、毎日4コマまんがを描く、芸大の夏期講習へ通ったり、動物園へデッサンに日参したり、高校を卒業したてのつのだ氏はそれは一生懸命、それを強く全面に押し出してもいた。
ところが新漫画党の会合ときたら、みんな映画の話ばかりしていて勉強会の話も計画できない。立腹したつのだ氏は、ぼくは脱退するぞとばかり家へ飛んで帰り、四角四面の意見書を毛筆 () でしたため投函する。気になってしょうがないつのだ氏。
いってみようかなやっぱり・・・、トキワ荘へ・・・!
結局スクーターでトキワ荘へ。会合ごとにそんなことを繰り返すつのだ氏に、トキワ荘のみんなはオトナなのであった・・・。会合の映画の話題も大いなる勉強だったのだ。まじめ人間 という呼び名を頂戴し、それでも
まじめのどこが悪い !! と怒っている図。
恩師 島田 啓三先生に 「眼に見える勉強だけが漫画家の勉強じゃないんだぞ」 といわれ、旅をするようになって・・・。
やっとトキワ荘のなかまの偉大さ、恐ろしさが分かってきつつあった。背を丸め、必死で4コマを描くもの、百冊以上のクロッキー帳に素晴らしいデッサンを書き溜めているもの、映画を見て構成などを討論するもの、日夜音楽に埋もれ情操を高めているもの、みんな必死で努力しているのが分かってきたのだ。
あのボロなトキワ荘の中には表面はダラケたようにみえなか゛ら、本質は恐ろしい努力家の怪物たちが集っていたのだ!!同時にぼくは背筋が寒くなるのを覚えた!
負けず嫌いなのは俺だけじゃない、皆恐ろしくも尊敬できるライバルなんだ!!
で、コロリと遊び人派に宗旨替えしたそうです。 (笑)
場面変わって、それから十数年後のこの作品が描かれた1970年、石森・つのだ・我孫子の当時 「トキワ荘遊び人派」 3人が思い出話をしている。よくまあ、あんなにヒマができたもんだ、みんな結構忙しかったのに・・・と回想した当時とは。
毎日のようにスクーターを駆ってトキワ荘にへ行くつのだ氏。メンバーの部屋で夜遅くまで壁を背にだべり続け、深夜十一時の時報を聞く。すると新宿にあった名代のおにぎり屋へ必ず繰り出す。酒も飲めないまじめな遊び人だった彼等のお目当ては抜群に美人な三姉妹の看板娘たちだった。3人はほのかに恋心を抱いていたらしい。
腹いっぱいになるとお定まりのコースで深夜喫茶へ (喫茶ですよ!) そこで三題バナシ (落語でやる、関係のない三つのテーマを効果的につなげて話を続ける) などをして遊んでいると空が白んでくる。タクシーを拾って、つのだ氏の家のある十二荘 (じゅうにそうと読みます。新宿のそばです) 経由でトキワ荘へ帰る。
一眠りして眼を覚ましたつのだ氏、スクーターを置きっぱなしだからと又、トキワ荘へ。つい上がりこみ、だべっていると夜の十一時になり、おにぎり屋へ・・・。まったく毎夜のようにこのコースを辿る・・・。今だに忘れる事の出来ない楽しさだった・・・。と回想している。
当時はみんな新鋭売出し中で、つのだ氏も月刊5~7本、百ページ以上をベタまで一人でやっていたころ、どうしてあんなに時間が取れたのか、いつ仕事をしていたんだか全然わかんないと不思議がっている。しかし、あの三題バナシ、構成の勉強になったナ・・・。
朝帰りは・・・まだ空が暗黒から青みがかっているころまでに帰るべきだ。空が明るくなってしまうと気持ちがいっぺんに疲れてしまう。
疲れた顔の3人、タクシーに乗ろうとすると、あんたたち十二荘経由椎名町だろと運転手に言われてしまう。何度か乗せたことがあるそうだ。顔を覚えられるほど、通ったのね。
最後のコマはやはり、夜のトキワ荘に入る路地の絵で終わります。
次回は石森氏の巻。これ、文章にするの難しいです。どうしよう?
つのだじろうホームページ
表紙はスクーターに乗る つのだ氏、バックにはトキワ荘があしらわれてます。欄外には、
トキワ荘に通うこと1年に三百六十六回、闘志の男 つのだ じろう が自信を持っておくる !! と煽ってます。(笑)
2ページ目、1コマ目にはトキワ荘周辺古絵図として、自宅からトキワ荘までの道のりが乗っています。スクーターで事故を起こしたところとか、画材屋さんとか、小さな喫茶店とか細々と載っています。よく覚えていますねー。
以下、黒文字は作品より引用部分です。
ぼくは一度もトキワ荘に家賃をはらって生息したことはない。しかし・・・ほとんど毎日トキワ荘にいた。
― 略 ―
ぼくがまんが家としてデビューしたのは昭和30年・・・、新漫画党なるトキワ荘一族の党員に加わりトキワ荘に足しげく出入りし始めたのは、昭和31年ごろからである。同期に石森章太郎 がトキワ一族に参加した !
寺田ら、メンバーの似顔絵が続く紹介のコマ。まじめなつのだ氏は、地方から一人で上京して生活しているみんなと違い、東京生まれで親のスネかじりの自分がみんなに負けられない、と勉強に打ち込む。
バス待ちの5分間でも電柱の写生、クロッキーに通い人体の勉強、毎日4コマまんがを描く、芸大の夏期講習へ通ったり、動物園へデッサンに日参したり、高校を卒業したてのつのだ氏はそれは一生懸命、それを強く全面に押し出してもいた。
ところが新漫画党の会合ときたら、みんな映画の話ばかりしていて勉強会の話も計画できない。立腹したつのだ氏は、ぼくは脱退するぞとばかり家へ飛んで帰り、四角四面の意見書を毛筆 () でしたため投函する。気になってしょうがないつのだ氏。
いってみようかなやっぱり・・・、トキワ荘へ・・・!
結局スクーターでトキワ荘へ。会合ごとにそんなことを繰り返すつのだ氏に、トキワ荘のみんなはオトナなのであった・・・。会合の映画の話題も大いなる勉強だったのだ。まじめ人間 という呼び名を頂戴し、それでも
まじめのどこが悪い !! と怒っている図。
恩師 島田 啓三先生に 「眼に見える勉強だけが漫画家の勉強じゃないんだぞ」 といわれ、旅をするようになって・・・。
やっとトキワ荘のなかまの偉大さ、恐ろしさが分かってきつつあった。背を丸め、必死で4コマを描くもの、百冊以上のクロッキー帳に素晴らしいデッサンを書き溜めているもの、映画を見て構成などを討論するもの、日夜音楽に埋もれ情操を高めているもの、みんな必死で努力しているのが分かってきたのだ。
あのボロなトキワ荘の中には表面はダラケたようにみえなか゛ら、本質は恐ろしい努力家の怪物たちが集っていたのだ!!同時にぼくは背筋が寒くなるのを覚えた!
負けず嫌いなのは俺だけじゃない、皆恐ろしくも尊敬できるライバルなんだ!!
で、コロリと遊び人派に宗旨替えしたそうです。 (笑)
場面変わって、それから十数年後のこの作品が描かれた1970年、石森・つのだ・我孫子の当時 「トキワ荘遊び人派」 3人が思い出話をしている。よくまあ、あんなにヒマができたもんだ、みんな結構忙しかったのに・・・と回想した当時とは。
毎日のようにスクーターを駆ってトキワ荘にへ行くつのだ氏。メンバーの部屋で夜遅くまで壁を背にだべり続け、深夜十一時の時報を聞く。すると新宿にあった名代のおにぎり屋へ必ず繰り出す。酒も飲めないまじめな遊び人だった彼等のお目当ては抜群に美人な三姉妹の看板娘たちだった。3人はほのかに恋心を抱いていたらしい。
腹いっぱいになるとお定まりのコースで深夜喫茶へ (喫茶ですよ!) そこで三題バナシ (落語でやる、関係のない三つのテーマを効果的につなげて話を続ける) などをして遊んでいると空が白んでくる。タクシーを拾って、つのだ氏の家のある十二荘 (じゅうにそうと読みます。新宿のそばです) 経由でトキワ荘へ帰る。
一眠りして眼を覚ましたつのだ氏、スクーターを置きっぱなしだからと又、トキワ荘へ。つい上がりこみ、だべっていると夜の十一時になり、おにぎり屋へ・・・。まったく毎夜のようにこのコースを辿る・・・。今だに忘れる事の出来ない楽しさだった・・・。と回想している。
当時はみんな新鋭売出し中で、つのだ氏も月刊5~7本、百ページ以上をベタまで一人でやっていたころ、どうしてあんなに時間が取れたのか、いつ仕事をしていたんだか全然わかんないと不思議がっている。しかし、あの三題バナシ、構成の勉強になったナ・・・。
朝帰りは・・・まだ空が暗黒から青みがかっているころまでに帰るべきだ。空が明るくなってしまうと気持ちがいっぺんに疲れてしまう。
疲れた顔の3人、タクシーに乗ろうとすると、あんたたち十二荘経由椎名町だろと運転手に言われてしまう。何度か乗せたことがあるそうだ。顔を覚えられるほど、通ったのね。
最後のコマはやはり、夜のトキワ荘に入る路地の絵で終わります。
次回は石森氏の巻。これ、文章にするの難しいです。どうしよう?