猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

「トキワ荘物語」 ⑨ つのだ じろう

2006年11月30日 15時42分14秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 つのだ氏については、有名なので特に引用はしません。私には 「うしろの百太郎」 などオカルト路線以前の つのだ氏 の作品の方が印象に残ってます。空手バカ一代とか、ルミちゃん教室等の少女まんがなど。詳しく知りたい方は下記へ ↓


             つのだじろうホームページ



 表紙はスクーターに乗る つのだ氏、バックにはトキワ荘があしらわれてます。欄外には、

トキワ荘に通うこと1年に三百六十六回、闘志の男 つのだ じろう が自信を持っておくる !!  と煽ってます。(笑)

 2ページ目、1コマ目にはトキワ荘周辺古絵図として、自宅からトキワ荘までの道のりが乗っています。スクーターで事故を起こしたところとか、画材屋さんとか、小さな喫茶店とか細々と載っています。よく覚えていますねー。
 
 以下、黒文字は作品より引用部分です。


 ぼくは一度もトキワ荘に家賃をはらって生息したことはない。しかし・・・ほとんど毎日トキワ荘にいた。

  ― 略 ―

 ぼくがまんが家としてデビューしたのは昭和30年・・・、新漫画党なるトキワ荘一族の党員に加わりトキワ荘に足しげく出入りし始めたのは、昭和31年ごろからである。同期に石森章太郎 がトキワ一族に参加した ! 

 寺田ら、メンバーの似顔絵が続く紹介のコマ。まじめなつのだ氏は、地方から一人で上京して生活しているみんなと違い、東京生まれで親のスネかじりの自分がみんなに負けられない、と勉強に打ち込む。
 バス待ちの5分間でも電柱の写生、クロッキーに通い人体の勉強、毎日4コマまんがを描く、芸大の夏期講習へ通ったり、動物園へデッサンに日参したり、高校を卒業したてのつのだ氏はそれは一生懸命、それを強く全面に押し出してもいた。

 ところが新漫画党の会合ときたら、みんな映画の話ばかりしていて勉強会の話も計画できない。立腹したつのだ氏は、ぼくは脱退するぞとばかり家へ飛んで帰り、四角四面の意見書を毛筆 () でしたため投函する。気になってしょうがないつのだ氏。

 いってみようかなやっぱり・・・、トキワ荘へ・・・!

 結局スクーターでトキワ荘へ。会合ごとにそんなことを繰り返すつのだ氏に、トキワ荘のみんなはオトナなのであった・・・。会合の映画の話題も大いなる勉強だったのだ。まじめ人間 という呼び名を頂戴し、それでも

 まじめのどこが悪い !! と怒っている図。

 恩師 島田 啓三先生に 「眼に見える勉強だけが漫画家の勉強じゃないんだぞ」 といわれ、旅をするようになって・・・。
 やっとトキワ荘のなかまの偉大さ、恐ろしさが分かってきつつあった。背を丸め、必死で4コマを描くもの、百冊以上のクロッキー帳に素晴らしいデッサンを書き溜めているもの、映画を見て構成などを討論するもの、日夜音楽に埋もれ情操を高めているもの、みんな必死で努力しているのが分かってきたのだ。

 あのボロなトキワ荘の中には表面はダラケたようにみえなか゛ら、本質は恐ろしい努力家の怪物たちが集っていたのだ!!同時にぼくは背筋が寒くなるのを覚えた!

 負けず嫌いなのは俺だけじゃない、皆恐ろしくも尊敬できるライバルなんだ!!
 で、コロリと遊び人派に宗旨替えしたそうです。 (笑)

 場面変わって、それから十数年後のこの作品が描かれた1970年、石森・つのだ・我孫子の当時 「トキワ荘遊び人派」 3人が思い出話をしている。よくまあ、あんなにヒマができたもんだ、みんな結構忙しかったのに・・・と回想した当時とは。

 毎日のようにスクーターを駆ってトキワ荘にへ行くつのだ氏。メンバーの部屋で夜遅くまで壁を背にだべり続け、深夜十一時の時報を聞く。すると新宿にあった名代のおにぎり屋へ必ず繰り出す。酒も飲めないまじめな遊び人だった彼等のお目当ては抜群に美人な三姉妹の看板娘たちだった。3人はほのかに恋心を抱いていたらしい。
 腹いっぱいになるとお定まりのコースで深夜喫茶へ (喫茶ですよ!) そこで三題バナシ (落語でやる、関係のない三つのテーマを効果的につなげて話を続ける) などをして遊んでいると空が白んでくる。タクシーを拾って、つのだ氏の家のある十二荘 (じゅうにそうと読みます。新宿のそばです) 経由でトキワ荘へ帰る。
 一眠りして眼を覚ましたつのだ氏、スクーターを置きっぱなしだからと又、トキワ荘へ。つい上がりこみ、だべっていると夜の十一時になり、おにぎり屋へ・・・。まったく毎夜のようにこのコースを辿る・・・。今だに忘れる事の出来ない楽しさだった・・・。と回想している。

 当時はみんな新鋭売出し中で、つのだ氏も月刊5~7本、百ページ以上をベタまで一人でやっていたころ、どうしてあんなに時間が取れたのか、いつ仕事をしていたんだか全然わかんないと不思議がっている。しかし、あの三題バナシ、構成の勉強になったナ・・・。

 朝帰りは・・・まだ空が暗黒から青みがかっているころまでに帰るべきだ。空が明るくなってしまうと気持ちがいっぺんに疲れてしまう。

 疲れた顔の3人、タクシーに乗ろうとすると、あんたたち十二荘経由椎名町だろと運転手に言われてしまう。何度か乗せたことがあるそうだ。顔を覚えられるほど、通ったのね。

 最後のコマはやはり、夜のトキワ荘に入る路地の絵で終わります。

 次回は石森氏の巻。これ、文章にするの難しいです。どうしよう?
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またしても、亜美め

2006年11月29日 11時55分11秒 | 猫・犬・動物
 昨日の夜のこと、1階の用事を終え3階の寝室にやれやれと戻った私が見たものは・・・。

 亜美とだんなの同衾シーン  

 むっか~ !

 と、思いつつブログネタになると冷静にデジカメを取り出す自分が嫌じゃ~。


                



                


 魔性の女 (猫又とも言う) の亜美にゃん、気持ち良さそうね。だんなはあげるから、私に赤間 (百鬼夜行抄ね) 程度で良いからイケメンの妖魔でも出してよ (笑)
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東京国立博物館 「一木彫り 仏像展」

2006年11月28日 11時35分36秒 | お出かけ・旅・美術・博物館
東京国立博物館の正面入り口を入ったところ。正面は本館

 東京国立博物館についてはこちら  →  東京国立博物館



 11月25日(土)かねてから、だんなの行きたがっていた 「特別展 一木彫 仏像展」 に行けました。ふうふう、いつも終わりの前週とかにヤット行けるのですよ。もっと計画的に美術館めぐりをしないといけないですね。でも今は芸術の秋で、行きたいところ目白押し。来週はやはり上野の国立西洋美術館の 「ベルギー王立美術館展」 へ行く予定です。
 
 さて、「特別展 一木彫 仏像展」 ですが、結論  日本人なら、ぜひ一度は見てみて下さい。  

 一木オールスター 。(一本の木で彫り上げたありがた~い仏像です。寄木ではない) 百四十五余軀東京に集結 ! 奈良・平安仏から円空・木喰(もくじき)まで 

 という事で、全国のお寺、美術館より集められた国宝・重要文化財の嵐が並んでいます。

詳しくはこちら   →   仏像展ホームページ
              

 寺外初公開の滋賀・向源寺(こうげんじ)の国宝十一面観音菩薩立像を見たくて、11月7日の展示開始を待って行って来ました。皆さんよくご存じで、これが展示していない前半より込んでる模様です。
 美術館へ行く時は土曜の朝っぱらからという鉄則を守り、(私が遅れてちょっとだんなに怒られた) 10時半頃到着。もうぞろぞろと中高年の列が入っています。それでも私たちが出てきた午後12時半頃は、ずらっと入場制限の列が長く伸びていたので、やはり休みの日は午前中に来ないとすぐに入れませんね。

 詳しい内容については、ホームページの方が正確ですから省きますが、これだけの貴重な仏像が並んでいると、人がこれだけいても空気が違います。正面からじっと各仏像を見ていると、目から放たれるオーラで動けません。そのままにしていると10分くらい見つめてしまうので、無理やり横や斜めに移動し、ありがたく鑑賞させて頂きます。ひとつところでこんなにたくさんの全国の仏像が拝めるなんて ! 素晴らしい仏像の数々   時間があれば疲れたら座りながら、1日ゆっくり鑑賞したいです。
 しかし、人波に押され疲れ果て、2時間で出てきてしまいました。いつもの展覧会より、凄く疲れたです。なんか、放たれているものがいつもの絵画や工作物より濃く感じます。疲れたけど、満足しました。

 お昼という事で、博物館内のレストランへ行きました。ここには東洋館にひとつ、法隆寺宝物館にひとつ、レストランがありますが、私たちのお気に入りは法隆寺宝物館にあるホテルオークラ ガーデンテラス。


               

                法隆寺宝物館の入り口 左側に時々噴水が出ます。


              
                 


                レストラン ガーデンテラスから室内を望む


 例によって並んでいたけど、寒いテラス席ならすぐ入れます、という事で、だんなはたばこ吸えるし、外の方が好都合なのですぐに入れました。それにこの日は暖かく、風も無いのでとても快適、上着を脱いでくつろぎましたよ。凄く気持ちよかったー 


                

              あんまり気持ち良いので、食事の後もケーキセットを取ってのんびり~。


                


                テラスの横には落ち葉の色紙。


 法隆寺宝物館の館内をざっと見て、帰り際に敷地内にある、旧因州池田屋敷表門、江戸上屋敷の正門で東大の赤門と並び称される、通称黒門の前を通り帰りました。  ↓


                


 法隆寺宝物館も凄いですよ。特に聖徳太子がお使いになったという硯台とか水入れとかの文房具は 「日出処の天子」 ファンは必見かと。(笑)


 こちらの博物館は高校生の頃より大好きでよく来ますが、1日ではとても全部見て廻れません。大概特別展と、もう一館見るのが精一杯です。たまには通常展示のみの日に、ゆっくり本館の刀剣や鎧 (これまた国宝、重文の嵐です) 鳥獣戯画などの、教科書で見たことあるあまたの国宝を見るというのもいいものなんですが。
 
 本館は大林組の前身が作った明治建築の傑作ですし、本館左側に立つ 表慶館 も明治時代末期の洋風建築を代表する建築です。去年から今年にかけて平成の大修理を行い、リニューアルしたようです。ああっ、今回は見れなかった。次回は見なくちゃ。ここは平常は埴輪とか古代のものを展示しています。 
 
 平成館は、今回の特別展もここでしたが、よく企画展をしています。私は、ここの建物はあまり好きではありません。設備は一番なんでしょうけど・・・。もうちょっと、瓦を載せられるような、日本的な建物にして欲しかった・・・。後は東洋館があり、ここにはミイラがいますよ~。

 地方の方も、東京にいらしたら、銀座や新宿、渋谷も良いけど1日博物館で国宝を愛でるって言うのも、心豊かになりますよ。国宝の数は他の国立博物館 (京都、奈良、九州国立) より断然多いと思います。日本人なら、ぜひ本館だけでも見に来て下さい !
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秋の上野恩賜公園

2006年11月27日 12時52分52秒 | お出かけ・旅・美術・博物館
 上野恩賜公園の噴水より、博物の殿堂 「東京国立博物館」 を見る。

 11月25日(土)、秋晴れの東京地方、一木彫りの 「仏像」 を見に東京国立博物館へ行ってまいりました。その前に上野恩賜(おんし だからね)公園をぶらぶら。天気もよいし、折から美術館、動物園に行こうという家族連れなどがわんさ、わんさ。土・日はいつもお祭りをしているような人ごみです。
 いつも良く道と少し違う道を通ったので、「正岡子規記念野球場」 などというところの横を通りました。翌日のニュースで、野球を日本に紹介した 正岡子規 を偲んで当時のユニフォームを着て、当時のルールでおじさんたちがここで野球をやってました。

 日当たりの良い公園のベンチは、ブルーシートから出てきたおじさんで占領されています。日向ぼっこ及びお昼に救世軍から配られる食事待ちのようですが、あまり良い風景とは言い難い。上野公園は凄いんです。何百というブルーシートの家が木立の中に並んでいて、暗くなるとちょっと女の一人歩きは怖い。追い出しても又帰ってくるんでしょうか。
 北海道など、寒いところの人には考えられないでしょうが、都会はなんとか生きられるのでしょう。うちの近くの大きな川の河原にもぽつぽつ並んでます。あんな所に住む位なら、どんな仕事でもするよとか、家族の元に帰るよ、なんて考えは最初から無いんでしょう。
 あれ、話がドンドン横に・・・。失礼しました。


                 


                    黒にゃんの兄弟がいたんですよーーー!

 黒にゃん好きとしては触りたかったけど、しっかりと触らせてはくれませんでした。惚れ惚れするくらい2匹とも大きくて立派。


                 


 今日ここに来た甲斐はあったわ・・・ふにゃ~ん。いや、まだ博物館行って無いし・・・。
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「トキワ荘物語」 ⑧ 赤塚 不二夫

2006年11月27日 11時19分27秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 赤塚氏については、簡単に はてなダイアリー から引用させて頂きます。


漫画家。俳優。

1935年9月14日、旧満州熱河省承徳の生まれ。帰国後に奈良、新潟で育つ。本名:赤塚藤雄。

1962年、「おそ松くん」大ヒット。1997年、食道がん発覚。1998年、紫綬褒章受賞。

トキワ荘、入居経験あり。アルコール中毒。

一時期、筆名を山田一郎に変えていたことがある。

漫画の中に編集者を出した最初の漫画家だと言われる。

また、俳優としても数多くのドラマや映画に出演している。

タモリを芸能界に送り出した人でもある。


■代表作

天才バカボン
おそ松くん
ひみつのアッコちゃん
もーれつア太郎

例によって、文中黒文字は作品中のセリフおよび文章です。

 表紙は、トキワ壮に入っていく路地の入り口の絵。片目の猫つき。誰が描いても、右側の塀の下にブロックのようなものがいつも積んであります。いつまで片づかなかったんだろう ?

 欄外に、「トキワ荘物語」 なのだ! 赤塚不二夫でやんす!読むべし!の文字。

 僕がトキワ荘へ引越しのは昭和31年のことだった。そのときの持ち物は雑誌とまんがの道具だけ・・・・・・。これからおれどうなるんだろうなあと部屋の真ん中で腕組みしている赤塚氏。
 
 赤塚氏の部屋の下は共同炊事場で、夏の暑い日など我慢できないくらい熱そうだ。しかし、お金がなくてフロに行けない赤塚氏、みなが寝静まった夜中に炊事場へ行き、裸になって・・・。水道の蛇口を全部あけ、流しに横になって水浴びをしていた。

 いい気持ち

 突然戸がガラっと開いて、驚いた赤塚氏、頭を蛇口にぶつけてしまった 
 入ってきたのは石森氏。結局二人で水ブロとしゃれ込んだ。なぜか石森氏、赤いベレー帽を被ったままです。

 最初は机が無かったので、森安氏からもらったベニヤ板を窓の敷居にクギで打ちつけ、手前は本を重ねて高さ調整して使っていた。ある日急ぎのカットの仕事が入り、張り切って担当者を待たせて描いていると・・・。最期の最期でクギが抜け、墨汁が飛び散ってカットが台無しに。早く描いていいところを見せるつもりが・・・、というエピソード。

 ちきしょう 机さえあればなあ
 
 よっぽど悔しかったんでしょうね。他の人が徹夜で仕事するのを見て、徹夜で仕事してみたいと思ったり。石森氏の仕事を手伝ったりして、自分は中々売れっ子になれなかったのです。

 みんなバリバリやってるなあ・・・ 俺はだめなんだなあ・・・

 寺田氏にまんがをやめてボーイにでもなろうと思って、と相談しに行く。寺田氏に、今描いてる作品を見せてごらんといわれて少女ものを見せると、

 ぼくならこの原稿から五つのまんがをつくるな、君のは詰め込みすぎだよ。テーマを通すことだよ、もう一度やってごらん。

とアドバイスされ、今月のアパート代まで貸してくれて、励ましてくれた。

 うれしいなあ! よーしやるぞォ

 石森氏にいつもおごってもらって映画を見て歩いた。それこそ食うものも食わずに・・・とその頃見た映画の題名がずらりと並ぶコマもある。
 
 もうすぐお正月。石森氏が田舎に帰ってしまい、ご飯をおごってもらえない赤塚氏は、田舎から送ってきたモチをぞうににして7日まで食いつなごうと、なけなしの28円で醤油の小ビンを買いおつゆを作る。しかし、その夜友人の横山某がやってきて、おつゆを全部飲んでしまった  おかげで次の日からモチだけ、何もつけずに食べたそうです。
 次の日横山氏に映画をおごってもらった半券です、と「情婦マノン」の半券コピーが張ってある。あら、池袋人生座だわ。だんなのお友達のおじい様が関係しているので、懐かしかった。

 その頃、嫌々少女マンガを描いていたが、締め切り間際になると石森氏や長谷 邦夫氏が手伝ってくれた。そのときだけアシスタントを持ったまんが家になれたのだ。その頃から毎日アイデアを一本作らないうちは寝むらないことに決め、将来ギャグまんが家になることを誓っている。

 そして昭和33年の秋、石森氏の推薦があり「まんが王」 からよみきりギャグの仕事が回ってきた。アイデアノート片手に石森氏に聞いてもらう。ああなって、こうなって、石森氏、ああなるんじゃなくてそうなったほうがおもしろいな。タイトルも石森氏に 「ナマちゃん」 と付けてもらった。張り切って描き、そして本が送られてくるとなんと連載になっているでは無いか! 

 わーっ!

 と石森氏に報告する赤塚氏。おれ、がんばるよ、そうだ来月号のアイデア聞いてよ・・・。

 僕はそのとき夢中だったが、石森は僕のアイデアをよく聞いてくれ、ぼくに自信をつけてくれた。いい仲間をもってしあわせだった。

 最期のページは又トキワ壮へ入る路地の入り口。向こうにトキワ荘の入り口が見えます。

 もし― ぼくがトキワ荘の住人にならなかったら・・・ ぼくは現在まんがをかいていなかったかもしれない ―

 次回はつのだ じろう氏の巻です。私、この回好きなんですよ。
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法月 理栄 (のりづき りえ) 「利平さんとこのおばあちゃん」 

2006年11月26日 13時23分50秒 | マンガ家名 な行
          ㈱インターブレイン 上下巻とも 2006年4月初版 


 あとがきによると、作者はお子さんを生んでからこれを描き始めたそうです。この作品で小学館第三回新人コミック大賞の佳作を受賞し、その後10年にわたるシリーズ連載となりました。(昭和54年から昭和63年まで。)その47作品のうち、27話を選んだ傑作選です。

 このお話、田舎の一人暮らしのおばあちゃんのお話ではありますが、縁側でほのぼの、まったりだけのお話ではありません。おばあちゃん、活動的で村内を歩き回るし、世話を焼くし、焼かれてるし、街やお祭りにも出かけます。村にも人がやって来たり、出て行ったり、帰ってきたり。いろいろな事件も起こります。それでなくちゃ、ビックコミックで10年も連載が続きませんが。

 おばあちゃん子の私、覚悟して泣かされないように我慢していたのですが、下巻の第23話、「杉」 というお話でだめでした。ついに、ボロボロとなってしまい・・・。他の話同様、特にお涙頂戴の話ではないのですが。
 後は、インバネスを着た男の話が良かったな。マントとコートを一緒にしたような、昔男性が着ていたコートですが、うちにもおじいちゃんの黒いインバネス有りました。うちのおばあちゃんは、トンビと言っていたかな。

 全体に、登場人物の心の動きがリアルです。一筋縄ではいかない現実の生活を知っている、大人の女性の目が光ります。主婦感覚もばっちり入ってます。うちのだんなと同じ年生まれらしい。若い作家には描けないものを感じます。いうなれば、誰だって、みんなわかってんのよ、分かっちゃいるけどね・・・、というような。


 満天さんにお借りしました。しみじみしました・・・。ありがとうございます。
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ゴルフ場のわんちゃん。

2006年11月24日 10時26分48秒 | 猫・犬・動物
      ティーグラウンドの横に、なぜか犬小屋が ?

 昨日、久慈ガーデンゴルフクラブ (旧 久慈大洋GC) さんへ、さるコンペでお邪魔しました。最初の写真はアウトの2番目、11番ホールのティーグラウンドの横にいた子犬ちゃん ! 多分母犬とおぼしき犬と一緒に飼われているようでした。



              


              母犬は黒っぽい色。



               


               こんな感じでいました。


 ゴルフ場で犬の鳴き声とか聞いたことはありますが、犬小屋がコースの脇にあるゴルフ場は初めてでした。子犬ちゃん、超フレンドリーで、側に寄るだけで尻尾千切れんばかりで、男性陣が1打目を打ってる間に思いっきり遊んであげました。母犬もフレンドリーで、最初は用心しながらも触らせてくれて、こういう親子だからここにいさせても大丈夫だし、犬好きな人にも和みなんだなぁ。
 しかし、いつもは犬がいるとよっていくだんなが、今日はゴルフの方が大事らしくて触りに行かなかったのは意外でした。ま、他の人もいたしね。

 こちらのゴルフ場は、なかなかバブリーなつくりで、ロッカー室もこんな感じ。



                 


             あれ、ゴルフシューズを履くのに椅子が無いじゃん、と思っていると。



                


          ロッカー内に内蔵されてて、こうなっているんですねー。


 庫内も広くて、クラブハウスも豪華でした。
 コース設計は 中部 銀次郎氏 というアマチュアでは大変有名な方 (もう70歳以上の方らしいですけど) らしく、だんなはいろいろ説明してくれましたけど、(山口出身の大洋漁業に関係のひととか) 私は知りませんでした。そういえば、なぜか山の中なのにゴルフ場のマークが鯨の絵でしたし、お土産に鯨の缶詰が並んでました。今は違う経営母体になっているそうです。
 
 グリーンが凄く難しかったです。先ず早い、受けてて下の方に乗ったかと思うとコロコロ落っこちてくる、広いワングリーンで、乗っても端だと乗らない方がいいくらい。みんな3パット、4パットしてました。うちのだんなも珍しく102くらい打っちゃいましたから。

 わたし~、言わずもがなですねー、はい。今回もスコアは言えません 

 
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漆原 友紀 「蟲師」 1~7巻

2006年11月23日 21時35分10秒 | マンガ家名 あ行
          今評判のまんが、「蟲師」 1~7巻、2回目熟読に入っています。


 ブログのお仲間の満天さんからお借りしています。以前からうわさは聞き及んでいましたが、本屋でちらりと見た限りでは、昔の ガロ によく乗っていたような絵柄で、お話はともかく、自分で買うのはどうかと躊躇していました。お借りできて良かったです~。読んで見たら、内容にあった絵で、これはこれでよかったですけどね。読んでみれば評判になるの分かります。独特の世界観があって、今巷に溢れているマンガとはちょっと違いますね。アニメにもなりました。今度はオダギリ・ジョーで実写映画にもなるそうで。これはどうなっちゃうか、ちょっと怖いですけど。
 原作で私が気に入ったのは、4巻の5話目に入っている 「草を踏む音」 ちょっと友情についてなんて考えてしまいました。遠く離れていても、昔のことでも、心に思っているだけでいいのよね。あとは、3巻の5話。「眇(すがめ)の魚」 寂しいお話だけど、ギンコがどうしてギンコになったか、いわれの分かる話なのではずせません。まだまだ連載は続きそうなので、楽しみです。
 
 アニメのほうもtooru_itouさんがわざわざダビングして送ってくださり、まだ途中しか見ていませんが、これが又凄い事になってまして。原作に忠実で、しかも原作より丁寧に説明され、衣装や風景も作りこんでいて凄いです。色や空気感がよいですわ。しかも、主役のギンコがまんがよりニヒルで大人っぽくて、惚れちゃいそうです。アフレコの人のせいもあるのかしら。tooru_itouさんが、原作よりアニメの方が良い、珍しいケースと布教活動に熱心なの、分かります。

 満天さん、tooru_itouさんに感謝感激でございます。お二人のブログやHPも面白いですよ。


 満天さんのブログ → 満天ハチャメチャ日記

 会社の同僚話が評判を呼んで、今人気ブログになってます。付くコメントも面白い。


 tooru_itouさんのHP → Second house(別荘)by tooru_itou

 マンガ、アニメ、ゲ-ムにも詳しそうで、博識ぶりが凄いです。BBSにお集まりの方々も年齢高めで私のような中高年には安心していられます。

 興味がおありの方、寄ってみるとはまりますよ~。
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「トキワ荘物語」 ⑦ よこた とくお

2006年11月22日 13時33分15秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 よこた とくお氏について、今回は はてな から引用させて頂きました。

本名は横田徳男。1957年から1960年までトキワ荘の住人だった。

『日本史できごと365日事典』『世界の偉人まんが伝記事典』『クイズきまりことば』『まんが方言なんでも事典』『はじめはじめのそのはじめ』『おもしろトイレ物語』など、多くの学習漫画を手がける。

少女漫画家として『マーガレットちゃん』という作品を週刊マーガレットに掲載していたこともある。

 『マーガレットちゃん』私覚えてます。絵柄もストーリーもほのぼのタッチでした。
 週刊マーガレット・少女フレンドは毎週のように読んでました。なんたって3姉妹いれば買ってくれますよね。おまけに弟二人も読んでいた。当時の少女まんがを覚えているんじゃ無いでしょうか。少年まんが雑誌も時々買ってもらっていたので、「少年」 「少年画報」 「少年キング」 「少年サンデー」 「マガジン」 と、いろいろ読んでいた記憶が・・・。それはさて置き。

 
        「トキワ荘物語」 ⑦ よこた とくお

 例によって、黒字は作品中のセリフ及び文章の引用となっています。


 表紙は作者自画像 (もちろんまんが) 横広、目が^^の線、団子鼻の特徴あるお顔が全面に。なぜか枠や題字の字体はボロボロです。古いという事をあらわしているのか。
 
 原稿が散らかっている中でイビキを掻きながら寝ているよこた氏。赤塚氏がごはんだよ と起こしに来るとガバッと はいよ 赤塚氏の母上が石森さんも呼びなさいというと、赤塚氏、おもむろに壁をたたいて隣の石森氏を呼びます。みんなでいただきます !!

 とき=昭和31年 ところ=トキワ荘 当時ぼくと石森氏は赤塚氏のおかあさんに食事やせんたくの面倒をみてもらっていた。

 ニンジン嫌いな赤塚氏のおかずを 「赤塚氏は好き嫌いが多すぎるよ、ねえ」 と他のおかずまでいっしょにガパッと食べてやる。

トクちゃんは仕事は遅いけど食べるのは早いね と石森氏

なにしろ 口が大きいもんな と赤塚氏、悔しそう。

ガハハハ くちだけじゃなくてハナのあなも大きいよん 指をハナのあなにスポッと入れてみせるよこた氏

わ、きたない 石森氏

 食後は赤塚氏と相撲を取って食後の運動。よこた氏強い!ニンジンを食べないから馬力が出ないんだという よこた氏 にトクちゃん、頭は弱いけど相撲は強いんだね、と赤塚氏に皮肉を言われて本気で投げ飛ばしている よこた氏 。赤塚氏の顔は笑ってます。(なごみ~)

 そろそろTVで相撲が始まる頃と、石森氏の部屋へTVを見せに貰いに行く。当時大きなTVは石森氏の部屋にしかなかったのです。

栃の海 そこだっがんばれ~ 

 うるさくて仕事にならない石森氏、やっと相撲が終わったと思ったらナイターを見始める よこた氏。

長島がんばれっ ホームラン頼むぞ TVがワーワー

 もうしらないっと野球が終わるまでひと寝入りする石森氏だったが よこた氏に起こされる。野球が終わったかと思いきや、

いま 一番いいとこなんだけど、ひとりで見るのもったいないから一緒に見て欲しいの 
石森氏  めいわくだなぁ
 
ほら、長島ホームラン打ったよ、みてみて

            寂しがりやさん ?

 そこに渡りに舟とタバコを買いに行こうと赤塚氏が登場。ちょっと待ったと よこた氏 

タバコを買うなんてばかばかしいよ、そのお金でパチンコやれば・・・。

 ご想像の通り、最初からタバコ屋で買ったほうが安く付きました。はあ~
相撲も野球もパチンコも終わったし、つまんねぇと寝っころがる よこた氏。(遊び人ですねー) 将棋がマダだったと赤塚氏を誘って始めるが、

トクちゃんは負けるとしつこいから花を持たせてやろう

 と途中から逃げられる。花フダにも、仕事があると逃げられ、しょうがない、オレも仕事するかと部屋へ帰るが、紙も無い、鉛筆もない、ペンも無いという有様。何度も赤塚氏に借りに行って呆れられる。
 はちまき締めてがんばるぞ~と思ったけど、眠くてだめだと大いびき。そして、続きが見たい人は始めに戻る、となり、

同じような生活が三年余りつづいたってわけなの

 と終わっています。仕事するより遊びが命だったのね。でも、一時期この人のマンガよく見ましたよ。りぼんコミックやマーガレット等の少女誌でも連載していたし。
 大作家ではなかったかもですが、ほのぼのして、見ていてゆったりした気分になる楽しい作品ばかりでした。
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秋の会席料理 

2006年11月21日 15時21分01秒 | グルメ 私の食べた美味しいもの
            まず、先付け


先日、父親の誕生日のお祝いで美味しい懐石料理を頂きました。いろいろ言わずに写真だけ、UPさせて頂きます。


               


             次にお椀。紅白のすり身の中身は、大きなハマグリです。



              


               お刺身。小さいながらも鯛のお頭付きです。



               


               有頭海老の鬼殻焼き。



               


             焚き物。下の白いものはホタテでした。ねっとりとした口当たり。


                


                てんぷら。めでたくも稲穂付き。


               
                


                 酢の物。蟹ときゅうり。



               


          ご飯は松茸ごはん。お替わりしたかったが、お腹が無理でした。



               


               デザートは洋ナシのアレンジで。


 以上、9品でお腹いっぱい。地元では美味しいと有名な一流料亭さんでした。
コメント (8)
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