猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

萩尾 望都 「残酷な神が支配する」

2009年02月27日 17時02分09秒 | マンガ家名 は行
         言わずと知れた1997年手塚治文化賞受賞作。

初出 「プチフラワー」 1992年7月号~2001年7月号まで 写真は 小学館 プチフラワーコミックス 1巻~17巻 (16巻抜け)


 私は最初はマンガ喫茶で読んだ。暗くて暗くてちょっと読むのがつらかった。一応最後まで読んだけれど、自分で買って置いておくのはやめといた。
 萩尾 望都氏は後からでも中古本を集めてみたりしてほとんど読んでいるし、ごく少数好きになれないものがあってブック○フに売ったりしているが、大体本棚に揃えてある。
 ところが 「残神」 は最初からそんな気が起らなかった。凄い作品だとは一読しただけでも分かったし、絵柄はとても充実している時期で、ところどころイラスト集のように綺麗なんだけれど…。

 9年の長きに渡って連載された長編で、人によっては萩尾氏の代表作としてとても高い評価をしている。もう一度じっくり読まないといけないかな~と最近思うようになってきた。
 そこへ、Eブック○フという大変便利なツールを見つけてしまい、さっそく検索したところ、プチフラワーコミックス 1巻~17巻が今は100円から150円位の値段で揃えられるではないか ! はい、しっかり他の本もネット購買にはまってます。(笑)

 
 やっぱり前半読むのが辛い。。。萩尾さん、これでもかってジェルミ♂ (主人公のひとり) を辛い目に逢わせてる。肉体的にもだけど、心理的に追い詰められていく ジェルミ を見るのは辛い。長いのよ又これが。最初読んだ時はもっと短い表現だと思っていたけれど、全17巻のうち 6~7巻くらいまで延々と 虐待場面 が再々出てくるんです。こんなに長くやんなくたってねぇ~と思わないでもないが、ジェルミの絶望を伝えるにはこれだけのページが必要だったのか。

 やっと痛くて辛い場面が終わったと思ったら、一度心理的に追い詰められた ジェルミ は元に回復できないくらいダメージを受けている。もう一人の主人公である イアン♂ (おぼっちゃん・イケメン) によって救われるかと、こちらは期待しているのに、イアンも真実を知った衝撃で自分の精神を保つのもやっとの時期もあってなかなかうまくいかない。
 イアン も頑張っているんだけどね~。前半は自分勝手な印象の イアン、中盤は事実が信じられない イアン も、後半は ジェルミ に誠実に対応しようとしていて好感が持てる。
 ただ、キレやすい イアン は ジェルミ を時に暴力的に扱ったりして、こちらは又ハラハラ。ジェルミも怒らせるようなことをわざとやったりするし。 
 後半は イアン の物語にもなっている。自分の信じていたものに裏切られた人はどう対応し、再生しようとするのか。

 読んだことない人でもこの有名な作品は、一筋縄ではいかないお話である事は知っていると思います。現実にはないかもしれない、でも世の中にはこんな事もあるかもしれない、フィクションの中に真実を見たい読者には、とっても重い物語。
 読んでいてとても疲れるのよ。それは、萩尾 望都氏の思惑通り、ジェルミやイアンの精神的困惑に引きずられて読者も大いに困惑し、考え、はては自分の人生のそちこちに引き合わせて考え始めてしまい、思考が止められない・やめられない。
 これ読んで寝られなくなりましたっていう人、多いでしょう。再読の私でも不眠になりかけましたもの。
 萩尾先生、凄いを通り越して恐いです。なんでこんな物語を作るの、作れるの!

 前半の暗い画面で少人数の沈鬱な舞台劇のような場面から、後半は登場人物もぶわっと多くなり、違う作品のよう。多少明るくなるのはいいのだけれど、しかしまだ ジェルミとイアン の苦悩と混沌は廻りの者を巻き込み、読者まで引きずって続く…続く…。
 やっと最後に希望の光が。流石に萩尾氏も絶望のままで物語を締めるのは憚られたか。

 この、時間にして3年に亘る物語の中で、読者は
親による子供への虐待について、
学校のいじめについて、
父親と息子について、
母親と息子について、
母親と娘について、
親に対する子について、
愛に潜む暴力について、
心の傷を癒す方法について、
そして愛について、 
考える。

 それは人によって様々でみんな同じではないでしょう。ラスト近く、ボート小屋でのイアンとジェルミの禅問答のような愛についての問いかけは私、久しぶりにマンガのセリフを読んでじっくりと考えましたよ。

 この作品だけでHPを作ったり、スレッド立ち上げたりしても十分書き込み者は集まるし、実際もうあるようだ。謎や結局解明されていないツッコミどころ (母親が事実を知っていたか) などもある作品なので、そこでは熱い討論が載っていて、私なぞちょっと引きかける。


 読み始める前、記事は1回目は グレッグ の視点から、グレッグという加害者の考えを書いて、それ終わったらジェルミかな、次は辛いけどイアンの気持になって…、書こうかと思っていたのですが、とんでもなかったです~。(泣く)  自分の甘さを思い知りました。


          今だ、「残神」 は語れず…のトミー。

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亜美 ぎうぎう のお詫び

2009年02月25日 09時33分09秒 | 猫・犬・動物
 今週はママ (管理人) が仕事で忙しいためと、「残酷な神が支配する」 (萩尾 望都氏) に 遭難中 なので、ブログ更新が滞っております。更新しない日もたくさんの方にお越しいただきありがとうございます。m(_ _)m

 なお、ここの題の 「ぎうぎう」 は、猫マンガブログで有名な くるねこ大和様 のブログで良く使われている忙しい状況を示す言葉を使わせていただきました。m(_ _)m


                 

 わたくし ? わたくしはいつものようにサンルーム (3階なだけ) にて、ゆったりと下界を睥睨しておりますの。おっほっほっほ。
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映画 「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

2009年02月19日 11時05分00秒 | 映画

 映画のオフィシャル・サイト → 映画 「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

 昨日水曜日で レディースディ だったので、近くの 六本木ヒルズ内にある TOHOシネマズ 六本木ヒルズ  で映画 「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」を見てきました。


 1918年に生まれた主人公の一生の物語を時々の世相を映して80年に渡って見せているところは、 トム・ハンクス 主演で1994年製作の 「フォレスト・ガンプ 一期一会」 のような趣もある。
 しかし、普通の人と決定的に違うのは彼が80代の老人の姿で生まれ、年をとるごとに次第に若返っていくところだった !
 
 TV等で大宣伝を繰り広げているので、大筋設定は皆さん知っていることと思いますが、設定はそりゃ考え付かない話だけど、映画公開前からばらしてしまって、それをどうやって見せてくれるのか。

 2時間47分という時間は忘れましたね。そういう意味では面白かったです。彼の人生には直接は関係ないが、暗喩的な エピソード (逆回りする時計とか何度も雷に打たれて死にそこなった人とか) が散りばめられていて、考えているうちに次の場面が来てしまう。じっくり何度も見たらいろいろなことが分かるかも知れません。

 分かるといえば、これは主人公と深いかかわりを持った女性の回想と彼の日記により語られるのですが、今の彼女は老衰のため病院のベッドにいます。 
 娘が付いていますが、外は大変大きなハリケーンが来ている模様。何度もこの場面が出てきて話が中断されてうるさく感じるほどなのですが、最後に気がつきました。これってあのニューオリンズに大被害をもたらしたハリケーン 「カトリーナ」 なんですね。アメリカ人なら途中で ピン とくるでしょう。これもこの映画の中の人たちが良く口にする
 「人生には、何があるかわからない」
ということを暗示しているのでしょうか。

 女性にとって、若返っていく ということは、一瞬 「なんて素敵なことなの !」 と思ってしまいますが、それが途中で止められないのは普通の人が年取っていくのと同じです。
 つまり、人生の最初と最後のそれぞれ数年間は他人によって世話されなければ生きていけないのです。それがたとえ 親や兄弟などの身内でなかったにしても、最愛の人だとしても…。

 そういう意味では、ベンジャミン は普通の人とは逆の人生で、学校も行けなかったけれど、はじめと終りがとても幸せな人生だったとも言えます。どう幸せだったかはどうぞ映画館でご覧になってください。

 実年齢より年とったり若くなったりする ブラピ を見るだけでも楽しかったです。特に20歳前後の年齢の時はほんとに若いわ。どうやってメイクするんでしょうね~。(参考にしたいわ)
 私としては、ブラピ作品の 「セブン」 より 楽しめ、「Mr.&Mrs. スミス」 よりも哲学的だったというところかな。

 ケイト・ブランシェットはもともと好きな女優さんですけど、やはり若い時から年取った時まで、ずっとスリムでいかにも 元バレリーナ という風情で演じていて見事でした。


       ただいまダイエット敢行中のトミー。


   
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変わって行く 青山・原宿

2009年02月16日 17時10分00秒 | 雑記

 上の写真は渋谷区の神宮前と呼ばれている交差点の写真。今 GAP が入っているビルの場所には以前 原宿セントラルアパート という建物があって、私が若い頃(30年~35年ほど前かね~) 小さいけれど個性的なショップが入り、上には当時を代表するようなデザイナーやカメラマンなどのクリエーター達が事務所を構えていた。

 そして、同潤会青山アパートの場所 には今 表参道ヒルズ が建っている。


                 


 ↑ 表参道ヒルズの本館内部は6層分の吹き抜け構造になっており、「スパイラルスロープ」と呼ばれる通路の床をスロープ状に傾斜させている。思っていたほど広くなかった。

 先日、だんなと知り合いの陶芸展を見るために青山、表参道付近をぷらぷらして食事やお茶などをしていた。私は高校から20代前半、原宿が大好きで (当時の若者は押し並べてそうだった) 買い物をしに足しげく通った。
 竹下通りの喫茶店やブティックでバイトしていた時期もある。一方だんなは学生時代というより、社会人になってから (それでも30年くらい前) 得意客先があったので良く出没し、やはりショップを冷やかしたりさぼってお茶を飲んだりしていたそうだ。どこかですれ違っていたかもね~。

 今表参道のケヤキ並木の通りは一流ブランド店が軒を並べて建っていて、自分の若い頃の面影はもうない。


                


                


                


 往時を知っている建物は、表参道ヒルズの一部に残された 同潤会青山アパート のほんの一部           ↓


                



 と確か中国料理店 (不確かです) のこの建物だけか。これも表だけ残して建て替えられているようだし。             ↓


                



                

                 ↑ 神社も変わっていませんね。



                

                 ↑ 裏原宿にいた猫ズの置物



                

                 ↑ あれっ家の近所に翌日そっくりさんがいたよ。 

     
      自分は何一つ変わっていないと信じているトミー。 (容貌もかい ? )
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わんちゃんを中心に銀座など。

2009年02月13日 12時46分32秒 | 猫・犬・動物
 相変わらず我が家の犬・猫の病院通いは続いております…。中での少ない楽しみは、他の家の子たちに会えること。

 上のもう大きな子は甘えん坊さんで、子供の頃のままに ムリクリ 飼い主さんの膝の上に乗って来ます。(笑)


                 

              ↑ もしもーし、足が乗り切れていませんよ~。(笑)


        
                 

               ↑ こちらは3ヶ月の柴犬の仔 萌え~~

 こういう仔にはアニメキャラよりBLキャラよりも萌えますな。あちこち動いてあまり良い写真が撮れなかったのですが、この日の注目度ナンバーワンでした。みんな目がそっち行っちゃって、ニコニコしちゃっているんだもん。


                 

                 ↑ 次の日曜日は映画を見に銀座へ。


 銀座4丁目角にあるお気に入りの喫茶店 「LE CAFE DOUTOR 銀座4丁目本店」 の2階窓からの 「和光」 やっぱりあなたは銀座のランドマーク !


                 

                 ↑ シフォンケーキ美味しかった。暖めたシナモンロールもなかなか。


 
                 

                 ↑ 歩行者天国には、飼い犬自慢がやってくる。
                    しかし・・デカ !


                 

                 ↑ 精悍なオス。

                 

                 ↑ たぶんこちらが女の子だと…思うけど…。
                   リボンつけても、でかい物はでかい。

 リストラだ、 不景気だ、といわれていても、天下の銀座の人出は結構なものでした。
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山岸 凉子 「牧神の午後」

2009年02月12日 08時18分18秒 | マンガ家名 やらわ行
山岸 凉子氏は実在の人物の伝記をいくつか描いている。

自身の出身地である北海道で運命観相家として昭和20年代~40年代始めに有名だった 白眼子 という男性について描いた、

拙記事 → 「白眼子」

横溝正史の推理小説『八つ墓村』(1949年)の原作になった事件「村人32人殺し」(岡山県で実際に起こった津山事件がモデル) の犯人を描いた、

「負の暗示」(1991年「YOU-all」8号)

バレエものでは、1953年にバレリーナとしては初めて 「ウーマン・オブ・ジ・イヤー」 に輝いた マリア・トールチーフ と ジョージ・バランシン の関係を描いた、

「黒鳥 ブラックスワン」 (「セリエミステリー」1994年4月号)
 
拙記事 (あまり内容には触れてませんね) → 「黒鳥 ブラック・スワン」


そして、稀代の天才ダンサー ヴァーツラフ・ニジンスキー を振付師のミハイル・フォーキンの目から見て描いたこの

「牧神の午後」(「ぶ〜け」1989年11月号-12月号)

などがあります。

 
 「牧神の午後」 は前後編の中編ながら、19歳で衝撃的なデビューを飾ったところから、1950年4月8日に亡くなるまでを駆け足ながら要領よく見せてくれます。しかし彼の後半生についてはあっさりと事実を紹介しているだけです。
 
 1913年、23歳の時に突然ハンガリー人のバレリーナと結婚し、彼の庇護者であった興行主の セルゲイ・ディアギレフ との関係が決裂してからの不遇の時期、続く精神的苦痛の長い長い後半生を詳しく描くにはページも少なく又作者にとっても忍びなかったのでしょう。読者の私も見たくないもの。

 ニジンスキーの伝記は映画にもなっています。
1980年 パラマウント 監督 ハーバート・ロス ニジンスキーはジョルジュ・デ・ラ・ペーニャ (知らない人だな~ ロシア人か?)

 ちなみに、前出の マリア・トールチーフ は幼いころ、ニジンスキーの妹 ブロニスラヴァ・ニジンスカ の生徒でした。

 もう一つ、競馬好きには同名の ニジンスキー という最後のイギリスクラシック三冠馬がぴんとくるでしょうが、このバレエダンサーから付けられています。
 エプソムダービーの時に、ニジンスキーの未亡人であるロモラ・ニジンスキーが招待され、亡くなった夫にちなんで名づけられた馬が勝利する光景に泣き崩れたとか。
 この馬の仔で当時の流行りから 「スーパーカー」 と呼ばれた マンゼンスキー というお馬さんがいまして、私1977年の日本短波賞を知人に言われて買った覚えがあります。綺麗で強いお馬さんでした。

マルちゃんについてはこちら → マルゼンスキー


 バレエ好きで、自身も習っている山岸 凉子氏には、短編でもいいのでもっとバレエ関係の伝記を描いて欲しい。私の好きなマーゴット・フォンテーンとルドルフ・ヌレエフの話とか、日本バレエ界の恩人「三人のパヴロワ」の一人に数えられるアンナ・パヴロワとか、男性では映画 「ホワイトナイツ」 のミハイル・バリシニコフとか、ウラジーミル・ワシーリエフの夫婦愛とか。(みんな自分が憧れていた人たちばかり時代がわかる) 
 わーんいっぱい見たいんだけど、最近の山岸氏の絵柄は テレプシコーラ のようにあっさりしているからな~。この頃の絵柄で見たいっっっっと不可能な贅沢を言わせて。。。
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映画 「マンマ・ミーア!」

2009年02月10日 15時40分32秒 | 映画
    
   マンマ・ミーア! - goo 映画

 珍しくだんなのリクエストで見に行った映画です。足で拍子を取りながらひたすら ABBA のメロディに乗って昔にタイムスリップ ! できる人は楽しめます。若い人も気楽にエンターティメントとして見ればよいと思うわ。ミュージカル映画は楽しくなくてはね。

 1949年生まれ、今年60歳になる メリル・ストリープ が凄い大ハッスル (古!) の演技。実年齢と同じ年頃の役をやっているのにこんなにハッチャキに踊って歌っていいの ?  
 彼女と彼女の昔の彼達3人の写真が小道具で出てくるんだけど、同年代の人が見たら笑うと思うわ~。あれは私たちかい ?

 彼女の映画としては私は 『マディソン郡の橋』(1995年) よりこっちの方が好感度大です。

 それにやっぱりピアース・ブロスナン渋くて素敵だわ。 (そっちかい)
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おばあちゃんの想い出

2009年02月09日 08時47分28秒 | 雑記
 私のおばあちゃんは昭和最後の年に、94歳で亡くなった。1895年頃の生まれだから日本では 明治28年 まだ最後の将軍 徳川 慶喜 が生きていた頃。(慶喜没年は 大正2年(1913年)11月22日)
 我ら兄弟に於いては、ある意味母親よりも影響を受けた 明治の女 だった。

 17歳(たぶん数え)の娘盛りに1度目の ハレー彗星 (公転周期75.3年) を見、1986年に2度目も見たというつわものである。次回の出現は2061年の予定で私は108歳、はたして見られるだろうか ?
 1度目に見た時は世界の終りだと大変な騒ぎだったそうだ。実際に1986年に地上で見られたよりもずっと大きく、天空いっぱいに見えたそうだ。

 娘の頃、大学の教授の先生宅に行儀見習いを兼ねて務めたこともあったそうだ。当時はそういったことが一般的にあった。

 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災 の時の話も聞いた。
 おばあちゃんは28歳前後か、もう結婚はしていたと思う。立っていられないほどの揺れだったそうな。

 私がものごころついた頃にはもうおばあちゃんはおばあちゃんの風貌をしていたと思うが、数えてみると私が7歳のころおばあちゃんは65歳、今ではそんなに年寄りという感じがしない年齢だ。おじいちゃんと町工場を起こし、若い頃には苦労もいろいろしたと思うが、あまり苦労話は聞いたことがなかった。

 おばあちゃんは ことわざ や 言い伝え をいっぱい知っていて、事あるごとに孫たちに言って聞かせてくれた。

「朝茶はその日の難を逃れる」
 朝一杯のお茶を飲む時間の余裕があれば、その日一日あわてずに事故もなく過ごせる。(という意味だと思う)

「朝の蜘蛛は殺すな」 (朝の蜘蛛は福が来る、夜の蜘蛛は盗人が来る が正確らしい)
 蜘蛛は害虫を捕るので、殺してはならないという戒めらしい。

頭隠して尻隠さず
一部しか隠されていないのに全てを隠しているつもりになっている。これは投薬を逃れようと頭だけ隠している 亜美嬢 にいつも言ってる私のセリフです。

暑さ寒さも彼岸まで
 時代が変わってもこれは毎年実感します。

慌てる乞食はもらいが少ない
 何事もあわててことに当たると失敗する。

牛に引かれて善光寺参り
 実際に信心深かったおばあちゃんは 善光寺 にお参りに行って、牛に布を取られてそれを追いかけてお参りするおばあちゃんの柄の手拭いをお土産に買ってきた。

帯に短したすきに長し
 何に使用するにも中途半端なこと。

四角い部屋を丸く掃く
 何事も几帳面にできず、大雑把な性格をあらわしている。

立っている者は親でも使え
 現在実践しています。(笑)

爪の垢を煎じて飲ませたい
 できの良い子がいると良く言われてました。

馬鹿とはさみは使いよう
 これもなんかで言われた記憶が…。

 他にもたくさん言われたけれども、分かりますか ? ほとんど孫の私たちを諌めるようなことわざが多いですね。小さい頃繰り返し言われた事って大人になっても覚えている。おばあちゃんの生きた教育ですね。

こんなのもあった。
一烈らんぱん破裂して 日露戦争始まった~ さっさと逃げるはロシヤの兵~ 死んでも戦う日本の兵~
 日露戦争当時子供たちに流行ったお手玉の唄だそうだ。

 とても進歩的な考えをする人で、姉は休みの日に家にいたりすると、「外へ行かないのは友達がいないのか」 と言われたことがあったそうだ。女性でもどんどん外に出て活発にしていなさい、ということらしい。
 概して明治生まれの人の方が進歩的でしがらみも少ないと感じるのは激動の明治・大正・昭和を駆け抜けた経験からか。戦前・戦中生まれは教育が お国に忠実に で、回り全部そうだから合わせなければならなかっただろうから。何と言っても 1941年(昭和16年)に発布された国民学校の目的は、

「国民学校ハ皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為ス」

 というものだったから。

 80歳を超えても煙草をたしなみ、暗算は私より達者で、孫たちの年齢は全て覚えており、頭は最後の最後までしっかりしていた。
 90歳を過ぎて足に鉄の棒を入れる手術をして、杖ありではあったが歩けるようになり、94歳で風邪をひいて3日だけ寝付き、家の畳の上で死んだ (現代はほとんど病院で亡くなるでしょう) あっぱれなうちのおばあちゃんを誇りに思うのです。

 おばあちゃんが死んだ日は昭和63年12月24日のクリスマスイブの日、あと2週間で平成の世になろうとする昭和最後の年末のことだった。明治・大正・昭和・平成の4代生きられなかったのはちょっと残念な気がする。
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おモー様 (萩尾 望都氏) の 「火星」

2009年02月05日 09時08分29秒 | マンガ家名 は行
 バイキング1号が撮影した火星(1980年2月22日) 分類 地球型惑星 『ウィキペディア(Wikipedia)』より


 萩尾 望都氏のマンガには、結構古い時期から 「火星」 が出てくる。星といえば 火星 という感じだ。

「ユニコーンの夢」初出「別冊少女コミック」1974年4月号
 赤い星 ((火星だろう) が近づいてくると、ぼくたちの星を欲しがっているヤツらがやって来て戦いを運んでくる。

「この娘(こ)うります!」 初出「週刊少女コミック」1975年6~16号
 主人公 ドミ♀ の好きな相手 クラビーは火星まで行って廃墟と化した神殿の上でカメラのフラッシュをたくのを夢見ているカメラマン志望の男の子。

「スター・レッド」 初出「週刊少女コミック」1978年23号~79年3号
 地球人と火星人 (もともとは人間から派生したエスパー) が火星の所有をめぐって戦争をしている。

「宇宙船乗組員 スペースマン」初出「週刊マーガレット」1978年22号
 主人公たちの家族が話しているときに 「そのとき 東の空から 赤い星が登ってきた…火星」という説明文がある。又、
 「遠い星の粉 火星の鉄のにおい 金聖の蔦のにおい 水星の炎 乳色の月」 という少年のモノローグも。

「4/4カトルカース」初出「プチフラワー」1983年11月号
 主人公 モリ がESPのコントロール方を覚えるために火星に行こうとする。


「X+Y」初出「プチフラワー」1984年7月号,8月号 「4/4カトルカース」 の続編になります。
 テラフォーミング(Terra Forming, 地球化、惑星改造)火星改造計画のカナルプランのコンペに地球代表として出席する タクト と前出の モリ が火星で出会って…というお話。
 
 最近はあまりSFを描かれていないので、作中に火星が出てくる機会は少ないようだ。

 萩尾氏が六星占術でいう火星人なので気になるのかと思ったが、萩尾 望都氏は 1949年(昭和24)年 5月12日生まれなのだが、私には火星人なのかよく分からない。 誰か詳しい人教えて。

 FS好きな萩尾氏のこと、レイ・ブラッドベリの 「火星年代記」 とかフレドリック・ブラウンの 「火星人ゴーホーム」 などの影響か。太陽系惑星の中でも隣の星 (地球は3番目、火星は4番目に太陽に近い) で、地球型惑星の 火星 は昔から親近感を持って小説や映画や漫画にたびたび登場している。

 考えを巡らしていたら、はたと思い当たった。氏が尊敬してやまない 手塚 治虫氏の作品で 「キャプテン ケン」 という作品がある。主人公ケンたちの活躍する場所は火星。荒涼としたアメリカ西部のような舞台設定だ。
 そういえば同じ 大泉サロン の伊東 愛子女史も「キャプテン ケン」が好きで、火星人が奴隷にされても殺されても、皆で歌うシーンが印象に残っていると言っているので、案外おモー様の 火星好き のルーツはそこいらへんかもしれない…。

 
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吉田 秋生 「海街diary シリーズ」

2009年02月03日 11時21分45秒 | マンガ家名 やらわ行
 大変人気のある作品で、私がよく行くマンガブロガーさん達もその記事で大絶賛である。今コミックスでは2冊出ていて、

「蝉時雨のやむ頃」 2007年5月1日 初版
「真昼の月」 2008年10月15日 初版

1巻にからめて、この作品よりハチャメチャな満天さんの経験を読みたい方はこちら → 満天ブログ2008年7月1日分 「蝉時雨のやむ頃」  凄いです…。

あらすじを詳しく知りたい方は tooru_itouさんのBBSの2009年1月16日分を →  tooru_itouさんのBBS1月16日分を見てね


 コミックス1冊目が出たところでブロガーさんの評判がよく、しばらくしてBOで見つかったので買ってみた所見事にはまり、2巻目を首を長くして待つことになった。
 で、2巻が出たところで早速読んでいたが、なにかに似ているよ~な気がしてならない。ストーリーとかは別に思い当たらないだが、雰囲気というかどこかひっかかる。
 昨年から今年にかけてこれと同じく楽しみに続巻を待っていた 羽海野チカさん の 「3月のライオン」 に感じが似ているな~と思ったのだ。

① 「海街~」 の すず と 「3月~」 の 桐山 零 はともに両親とも亡くなっている。すずは女の子で中学生、零は高校生で男の子、と性別・年齢は違うけれどまあ、私みたいなおばさんから見ればまだ 子供 であるのに一緒に住んでいる親がいない。
 すずには一緒に住んでくれる 腹違いの姉妹 がいるが、一番上の姉でも30歳は行っていない、親世代のいない家庭だ。零なんか高校生なのにひとりで住んでいる。つまり両方とも子どもたちだけで暮らしている。

② だけれども、二人とも今は寂しいと思っていない。それはそれぞれに心安らぐ 3姉妹 に出会えたから。すずはその異母姉たちと暮らすことを決心した。

③ 違う見方をすると、二つの作品とも景色が重要なことに気づく。住んでいる場所は全然違うところで、風光明媚な 鎌倉(海街) と東京下町の 川沿いの町(3月) だが、人物の心象風景に景色が重なって深い効果が出ていると思うのだ。
 桜舞い散る並木道は すず のことを好きな男の子の浮き立つ思いを、暗い川沿いの散歩道は母を亡くした女の子の絶望をという風に。 
 お二人ともこういう表現は上手いな~と思う。

 ここからは 「海街~」 について。
 セリフが現実をそのまま写したようにリアルに感じる。3姉妹の会話など、自分も3姉妹だったので自分の過去の会話や喧嘩を見ているようで笑ってしまう。兄弟のいた方はみんなそう思うはず。
 ただ、話の設定は有りそうで現実には無いと思う。ここに出てくる子どもたちは皆家族関係が複雑だ。
 父親が死んでしまったので父親の再婚相手とその連れ子と残されてしまった すず。父親の葬式で初めて逢った腹違いの姉たち。
 長姉は突然一緒に住まないかと言う。普通に考えたら始めて逢った姉妹より義理の母親についていくか、もしくは施設に入るかのどちらかだろう。作品の中でも姉妹の親戚が

「あなたねえ 犬や猫の子じゃないのよ!?
ひと一人養うって大変なことなのよ!?」 


 というようなことを言っている。2巻では すず の高校進学について長姉が早速現実を見せつけられた格好だ。

 仲良く一緒に暮らせるようになって良かったね、めでたしめでたし  
 ちゃんちゃん、で終わりでなく今後の展開がいよいよ興味を引くのである。

 それでも3姉妹から4姉妹になった彼女らは自然にすんなり家族になっているように見える。本当の姉妹とはおのずと違う、だけどまったくの他人と暮らしているのでもない、すずの言葉

「女子寮の一番下っぱみたい」

 が本当にうまい言い方だな~と。(笑)


 作中に 藤井朋章君 という高校生が出てくる。映画にもなったので吉田氏のファンなら知っていると思うが、「ラヴァーズ・キス」 という作品に出てくる人で、こちらも読むとより彼の家族関係や背景が分かる。10年以上前の作品だが、できたらこちらも読むとより一層世界が広がると思う。

 まだ連載中で彼らの周りの人たちにも面白いエピソードがいっぱい出てきそう。続巻をとても楽しみに待っている。

        猫の一生を見届けるにもしんどい思いのトミー。
 
 
コメント (10)
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