↑ 見返り美人スタイルでお送りしております。
初めまして。
拙ブログ管理人(ママにゃん)と同居しております、黒猫メスのミミと申します。
今日は私のお話を聞いてくださいな。
今から3年ほど前、東京都某区に他の兄弟3匹と生まれました。
ほんとのママはスリムな黒猫野良で、去年このあたりで生まれたようです。
私達が乳離れすると、さる一軒家の縁側に連れてきてここが餌場だよと教えてくれました。
そこは昔から地域猫用に縁側に餌と水を用意してくれている家でした。
兄弟3匹と必死に縁側に登り、初めてお乳以外のネコカリカリと呼ばれるご飯を食べました。
ちょっと硬かったけど、美味しかった。生きるためにこれまた必死に食べました。
後で知った事だけど、この縁側は代々黒猫一家の縄張りで、兄弟のうちメスが継ぐことになっているようです。
ほんとのママはこの縄張りを受け継いだ雌猫だったんですね。
縁側の有る家の主人である うちのママにゃん は「黒猫の館」と呼んでました。(笑)
↓ 2013年の黒猫の館
縁側に来る新人 長毛黒猫
↓ 2014年の黒猫の館
外猫が子猫を連れてきた。
↓ 2015年の黒猫の館
猫ひ孫が出来ました。(笑)
↓ 2016年の黒猫の館 みみたんママが家に来た時の記事です。
黒猫の館 うち編
私は伝統ある黒猫の名家に生まれた末っ子なのです。
↓ ミミが来た最初の頃の過去記事。ミミの子猫の頃の写真が見られます。
2017年 黒猫の館
お母さんは暫らくすると自分たちの世話は放棄して新しい恋に夢中になってしまい、4匹で助け合いながら縁側に通いました。
いつも一緒で寂しくはなかったです。
↓ 少し大きくなったころの記事
黒猫の館 2017年のその後
でも、黒猫のお兄ちゃん達と黒縞のお姉ちゃんはどんどん大きくなるのに、末っ子の自分はいつまでも小さく、冒険もできなくて縁側のあたりをうろうろして育ちました。
そんな私の為に ママにゃん はお魚の入っていた発砲スチロールの箱を繋げて猫のおうちを作ってくれ、タオルを敷いてくれました。
ある日、美味しそうなご飯の匂いに誘われて大きな箱のようなところに入ったら入口がバタンとしまって、えっ ?
その後はよく覚えていないんだけど、気が付いたらお腹に手術跡と右耳に切れ込みが入った体になってました。
作者注 → 近所のボランティアさんに避妊手術をしてもらったようです。
↓ ついにママにゃんの仔に
うちの仔になりました。
このままここで4兄弟で生きていくのかな~と思いながら暮していたら、男の兄弟は次々と旅に出てしまい、気が付いたら黒縞のお姉ちゃんと二人きりになってました。
その頃から今の ママにゃん がなーんかうちの中にご飯を入れて誘ってきて、私も居心地いいもんだから敷物の上で昼寝したりして。
家のなかを出たり入ったりしてたら、さらにトイレまで設置してくれて、庭でトイレしていた土を中にばらまいたりするもんだからついついそこでやったら縁側の窓を閉められちゃった。
これって 拉致 ? 保護 ?
ここに通いだしてから1年以上経ってついに 飼い猫 になりました。
後でママにゃんに聞いたところによると、黒縞のお姉ちゃんも保護しようとしたそうです。
でも中に入れると騒いで、どーしても逃げようとするので保護を諦めたそうです。
お姉ちゃんやお兄ちゃん達、今もあのあたりに元気でいるんだろうか。
時々どうしているかと思い出します。
私のミミという名前ですが、フランス語で洒落た名前を考えていたそうです。
プチ・ノワールとか、シャ・ノワールとかシャット・ノワとか、小さいとか黒いとかあたりを探していたとか。
探しているうちに、ミミという単語にも小さいという意味が有るのを見付けて ミミ にしたそうです。
結局ありきたりな名前か~い (*ノωノ)
私を飼い猫にしたのには、ママにゃんが引っ越しを控えていたから。
兄弟の中で一番弱そうに見えた私は、ママにゃんが居なくなったら死んじゃうんじゃないかと心配されていたそうです。
うーん、当たらずとも遠からずだったかもね。
野良猫の平均死亡年齢は2~3歳だそうだから。
引っ越しに当たり近所の猫たちの避妊手術に奔走したりして、ママにゃん大変だったみたい。
私、引っ越し先で大事件を起こしたんだけど、それは次回にしようかしら。
初めまして。
拙ブログ管理人(ママにゃん)と同居しております、黒猫メスのミミと申します。
今日は私のお話を聞いてくださいな。
今から3年ほど前、東京都某区に他の兄弟3匹と生まれました。
ほんとのママはスリムな黒猫野良で、去年このあたりで生まれたようです。
私達が乳離れすると、さる一軒家の縁側に連れてきてここが餌場だよと教えてくれました。
そこは昔から地域猫用に縁側に餌と水を用意してくれている家でした。
兄弟3匹と必死に縁側に登り、初めてお乳以外のネコカリカリと呼ばれるご飯を食べました。
ちょっと硬かったけど、美味しかった。生きるためにこれまた必死に食べました。
後で知った事だけど、この縁側は代々黒猫一家の縄張りで、兄弟のうちメスが継ぐことになっているようです。
ほんとのママはこの縄張りを受け継いだ雌猫だったんですね。
縁側の有る家の主人である うちのママにゃん は「黒猫の館」と呼んでました。(笑)
↓ 2013年の黒猫の館
縁側に来る新人 長毛黒猫
↓ 2014年の黒猫の館
外猫が子猫を連れてきた。
↓ 2015年の黒猫の館
猫ひ孫が出来ました。(笑)
↓ 2016年の黒猫の館 みみたんママが家に来た時の記事です。
黒猫の館 うち編
私は伝統ある黒猫の名家に生まれた末っ子なのです。
↓ ミミが来た最初の頃の過去記事。ミミの子猫の頃の写真が見られます。
2017年 黒猫の館
お母さんは暫らくすると自分たちの世話は放棄して新しい恋に夢中になってしまい、4匹で助け合いながら縁側に通いました。
いつも一緒で寂しくはなかったです。
↓ 少し大きくなったころの記事
黒猫の館 2017年のその後
でも、黒猫のお兄ちゃん達と黒縞のお姉ちゃんはどんどん大きくなるのに、末っ子の自分はいつまでも小さく、冒険もできなくて縁側のあたりをうろうろして育ちました。
そんな私の為に ママにゃん はお魚の入っていた発砲スチロールの箱を繋げて猫のおうちを作ってくれ、タオルを敷いてくれました。
ある日、美味しそうなご飯の匂いに誘われて大きな箱のようなところに入ったら入口がバタンとしまって、えっ ?
その後はよく覚えていないんだけど、気が付いたらお腹に手術跡と右耳に切れ込みが入った体になってました。
作者注 → 近所のボランティアさんに避妊手術をしてもらったようです。
↓ ついにママにゃんの仔に
うちの仔になりました。
このままここで4兄弟で生きていくのかな~と思いながら暮していたら、男の兄弟は次々と旅に出てしまい、気が付いたら黒縞のお姉ちゃんと二人きりになってました。
その頃から今の ママにゃん がなーんかうちの中にご飯を入れて誘ってきて、私も居心地いいもんだから敷物の上で昼寝したりして。
家のなかを出たり入ったりしてたら、さらにトイレまで設置してくれて、庭でトイレしていた土を中にばらまいたりするもんだからついついそこでやったら縁側の窓を閉められちゃった。
これって 拉致 ? 保護 ?
ここに通いだしてから1年以上経ってついに 飼い猫 になりました。
後でママにゃんに聞いたところによると、黒縞のお姉ちゃんも保護しようとしたそうです。
でも中に入れると騒いで、どーしても逃げようとするので保護を諦めたそうです。
お姉ちゃんやお兄ちゃん達、今もあのあたりに元気でいるんだろうか。
時々どうしているかと思い出します。
私のミミという名前ですが、フランス語で洒落た名前を考えていたそうです。
プチ・ノワールとか、シャ・ノワールとかシャット・ノワとか、小さいとか黒いとかあたりを探していたとか。
探しているうちに、ミミという単語にも小さいという意味が有るのを見付けて ミミ にしたそうです。
結局ありきたりな名前か~い (*ノωノ)
私を飼い猫にしたのには、ママにゃんが引っ越しを控えていたから。
兄弟の中で一番弱そうに見えた私は、ママにゃんが居なくなったら死んじゃうんじゃないかと心配されていたそうです。
うーん、当たらずとも遠からずだったかもね。
野良猫の平均死亡年齢は2~3歳だそうだから。
引っ越しに当たり近所の猫たちの避妊手術に奔走したりして、ママにゃん大変だったみたい。
私、引っ越し先で大事件を起こしたんだけど、それは次回にしようかしら。