猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

人間観察は楽し

2013年02月25日 21時10分58秒 | 難病になっちゃいました

           


          ↑ 実家の庭に来た鳥さん 名前が解りません。





          ↑ 解る方いませんか ? すずめより少し大きいです。





鳥さん観察はさておき、
ブログを発信したり読んだりするような方は、きっと人間観察をすることが好きな人だろう。
私も電車内や病院などで、ついついあちらこちらの老若男女を観察して楽しんでしまうという癖を持つ。
現在、月に一度病院に通って薬を貰っているので、診察を待つ長い間にたっぷりと観察を行うことが出来る。

本日の話。
病院の廊下の長いすで診察の順番を待っていると、前の長いすからぶつぶつと文句を言うような声が聞こえる。
老年と思しき男性が順番について文句を言っているようだ。
どうやら診察の予約時間が来たのに順番が来ないとスタッフに談判してきたらしい。

大きな病院にかかったことのある方ならわかると思うが、同じ時間帯に何人か予約を入れて、受付順に呼ばれる場合がある。
10時に予約したからと言ってぴったりに呼ばれるわけは無いのだ。
その前の時間帯の患者の診察が長引けばもっと伸びるわけで、そんなこと病院では日常当たり前のこと。

そんな事もわかんないのかね~、とチラッと声の主を盗み見てみる。
身なりも良い、恰幅の良い紳士(に見える)、定年はとうに過ぎたと思われる男性だった。
どこぞの大きな会社に勤めてそれなりの管理職までのぼり、何か一言言えば周りのみんなが何とかしてくれてたんだろう。
お~お~、居るよな~、こんなヤカラ。
こんな人の奥さんはさぞたいへんだろうなぁ、と隣に居る奥様をそっと伺う。

と、こちらの奥様、周りを気にしつつも少しも動じず。
病院を変えるだの、もう帰るだの言いたい放題のだんなに対し、なだめたりすかしたり、合いの手を入れたりしながらのあやしようであった。
流石の采配と言うべきか。
夫婦の長い年月を思わせ、これはこれで見事な一幅の「動画」または夫婦漫才を見ているようであった。

声も大きかったし、内容も身に詰まされる事だからか、気が付くと周りのほぼ全員がこのご夫婦をちらちらと見ている様子。
皆さん、待っている間の暇つぶしとしては面白いものだったに違いない。
あっと行ってしまったわ。

暇つぶしが行ってしまったとたん、自分の待ち時間が気にかかる。
私の順番はまだかいな、もう1時間以上待ってるんですがね~ ! 




               この後15分は待たされたトミー。




        ↓ 我が家の外猫観察のうち、新入り猫さん (長毛種・白黒)






コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちばてつや 「紫電改のタカ」

2013年02月18日 19時13分43秒 | マンガ家名 た行


             ↑ ちばてつや全集(集英社)内の4冊



私の子供の頃、リアルで連載を読んでいたマンガです。
昭和38年7月から40年1月までの「週間少年マガジン」(講談社)にて連載されていました。
私には女の姉妹も男の兄弟も居ましたので、そのころ刊行され始めた少年・少女向けの週刊誌はどちらも買ってもらっていました。
だからどっちも読んでいたんです。
少年サンデー  少年マガジン  少年キング
少女フレンド  マーガレット  など読んでました。

その少女向け・少年向けどちらにも連載をされていたのが ちばてつや氏 でした。
少年マガジン(講談社) 
    昭和36年1号~37年50号   ちかいの魔球
    昭和38年1号~21号      ハチのす大将
    昭和38年27号~40年3/4号   紫電改のタカ
    昭和40年~42年       ハリスの旋風
    昭和43年~45年       あしたのジョー
    昭和48年8月〜55年5月    おれは鉄兵
  
少女フレンド(講談社) 
    昭和38年1月〜38年11月     ユキの太陽
    昭和39年3月〜40年6月      島っ子
    昭和40年8月〜41年7月     アリンコの歌
    昭和41年8月〜42年8月     みそっかす
    昭和42年9月〜42年11月     ジャンボ・リコ  
    昭和43年2月〜43年12月     テレビ天使
    昭和44年6月 (読みきりかな?) 風のように


マーガレット(集英社)
    昭和39年1月 〜39年3月    パパのお嫁さん

1980年までの連載です。

          ちょろおじさんの遊び場

と、その他平凡社「別冊太陽 子どもの昭和史 少女マンガの世界Ⅱ」など を参考にさせて頂きました。

上に上げたのは週間の連載ばかり、月刊誌や単発も有りますから今思えば凄い仕事量ですよね。
でもそのころの人気漫画家さん達は、皆さん週間連載の掛け持ちなんか平気でやってました。
石ノ森章太郎先生とか、赤塚不二夫先生なんかも少年向け・少女向け両方描いていたなぁ。


           


このマンガの主人公 滝 城太郎 は他のちばマンガの主人公より真面目すぎて、作者もあとがきで
「クソ真面目で自分で描いていても暗いなと思えちゃう」
なんて言ってます。
当時の少女向けの方の ちばマンガ のヒロインみたいだな、なんてちょっと思いました。
ちばマンガの女の子はとても真面目ないい子で、男の子はちょっといい加減さが入っていて面白い子が多いんです。(当社感覚比(笑))
真面目で直情過ぎて後の ちばマンガ の鉄平ちゃんやジョーとも違うんです。
そういう性格にしないと、作者の言いたかったことが伝わらなかったのかも知れない。

戦記物と言うんでしょうか、主人公は太平洋戦争末期の名戦闘機、「紫電改」に乗る少年飛行兵です。
当時は今の比ではなく、結構太平洋戦争の戦記物のマンガや小松崎茂氏の細密なイラストや絵物語やらが毎週少年週刊誌に載っていました。
アニメになったのも有ったんです。
今は仮想空間の中で戦っているマンガやゲームが多いですけど、当時はお話はフィクションではあっても、舞台は太平洋戦争だったんですよ。
第二次世界大戦が終わって10~20年くらい、まだ人々の記憶は有りますよね。
戦争終わってすぐには題材に出来なくても、そろそろ作品に出来た頃だったのかも知れません。

主人公に敵対する人物と言うのはマンガには必ず出てきますが、滝の敵は戦争しているアメリカの兵隊でなくて、身内であるはずの同僚日本兵や憲兵や部下だったりします。
次から次から何で身内ばっかり敵に廻るんでしょう。
反対に敵であるアメリカの少年飛行兵と、友情と言うんではないけれど同情を寄せたりしてます。
そこに、作者の 戦争は嫌だ~っ と言う気持ちが現れているように思います。

実は連載当時も、面白くて楽しくて読んでて爽快 !
と言うマンガじゃなかったんですよね。
だんだん連載が進むと戦争末期の話ゆえ、特攻とか玉砕の島とか、我々には結果は解っているわけですから、滝とその仲間達の運命も薄々わかるんですよ。
その前連載の野球マンガ 「ちかいの魔球」 などの方が気楽に読めてたんです。

暗い話になって来たので人気が落ちたのか、作者もそれを気にして途中にいろいろ面白くしようと頑張った、みたいなことをあとがきで述懐してました。 
そしてそれを少し後悔してらした。
現実には無理だろうみたいな武器を出したり、マンガだからの荒唐無稽な展開や、厳しい訓練に明け暮れるスポ根ものみたいな描写だとか。
何度落とされても生還してくる登場人物、みたいなお約束もありました。
作者は、
「地味になったかも知れませんが、もっとじっくり腰をすえて描きたかった」
と言ってます。

ラストは、もう忘れていたのですけど、読み直したらおぼろげに思い出しました。
解ってはいたけれど、こうだったっけ。
あっけないといえばあっけない。
最後のコマはいろんな意味で印象的です。

それでも、何度もコミックスとして出されているようだし、私もこれが復刻されたと聞けば手に入れたくなったし。
やっぱりもう一度読んでみたい名作なんです。

うちの父親は 以前にもブログで言いましたが、大日本帝国陸軍の戦闘機 「隼」 に乗ってました。
父親は大学を半年早く卒業させられて軍隊に入ったいわゆる 

           学徒出陣 - Wikipedia 

組で、最初なものですから、結構大切にされて飛行訓練も長めに出来て飛行技術も上がり、終戦まで生き残った人も多いそうです。
その後輩達は訓練もままならないうちに 特攻 に行かされて犠牲者が多い、かわいそうだったと父は言ってます。
そんな父親までが戦争が終わる寸前に特攻隊に指名され、出撃する少し前に終戦を迎えたそうです。
私が言えることではないかも知れないけれど、日本は負けることがわかっていたのにどうして早く降伏できなかったんでしょう。
父親から、一度だけ軍の上層部を許せないと聞きました。
あまりそんな事言わない父親だったので、ちょっとびっくりしましたが、自分達を虫けらのように死地に行かせようという人間を許すことは出来ない、当たり前ですよね。
父親を、だんなと一緒に靖国神社の花見に何度か連れて行きましたが、どんな思いで花を見ていたんだろうか…。



              紫電改 - Wikipedia


              一式戦闘機 (隼) - Wikipedia



      当時のマンガが読みたくなって まん○らけ に行きそうになってるトミー。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊の「ハチ公」死ぬ 教会通いで話題に

2013年02月14日 09時26分46秒 | 猫・犬・動物

こんな記事を見つけました。


伊の「ハチ公」死ぬ 教会通いで話題に(共同通信) - 海外 - livedoor ニュース


忠犬の名前が トミーちゃん ですって。
自分のハンネと同じとは、とても 人(犬)事 とは思えません !
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帝国ホテル内 虎屋

2013年02月12日 21時12分02秒 | グルメ 私の食べた美味しいもの


       ↑ 葛切



              とらやグループトップ|株式会社 虎屋


最近すっかりグルメブログと化していますが…。
東京都千代田区内幸町1-1-1の帝国ホテル本館地下1階アーケード内に和菓子の虎屋の直営店が有り、虎屋菓寮が併設されています。

虎屋菓寮と言うのは喫茶の部で、葛切をはじめ季節の生菓子、羊羹など召しあがれます。(なんか言葉遣いも丁寧になっちゃう)





          ↑ 姉は春の練りきりとお抹茶




              虎屋菓寮のご案内|株式会社 虎屋


この葛切が絶品で(ワウォ!)
京都の 

鍵善良房 

と言う京菓子屋さんに午前・午後1日に2回行ったことのあるほど葛切大好きな私には、本格的な葛きりを食べられるここは東京で貴重なお店なのです !
(お値段も貴重でしょっちゅうは行けないけど)


こちらで甘味以外に食べてみたいものがあるんです。
お値段 3,675円 の 季節の昼膳 と言うランチ。

       ↓ ホームページより

虎屋製の「赤飯」と、季節の素材を生かした老舗料亭金田中製の料理と椀を組み合わせました。食後の甘味はあんみつ、お汁粉、生菓子の中からお選びいただけます。ゆったりと季節の味をお楽しみください。

写真が上の 虎屋菓寮のご案内 に乗っています。
かの有名な、一般人は入ることも出来そうにない、老舗料亭 「金田中 かねたなか」のお料理がお昼に食べられるんですよ~ !
まだ私は食べたこと無いけど。
1日5食限定だそうです。
いつかは、と狙っています。




        京都に行って 鍵善の葛切 も食べたいトミー。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銀座 竹葉亭(ちくようてい)

2013年02月08日 21時25分52秒 | グルメ 私の食べた美味しいもの


          ↑ ↓ うな重 3千円台のもの







先日行きそこなった銀座の鰻屋さん 竹葉亭 に行ってきました。
こちらのうな重は、銀座らしい品のいいあっさりした たれ が特徴の一品。

敷いてある紙やお重の入れ物も 趣き 有ります。
壁にかかった絵や飾り、生花も素晴らしい。
もちろん働いている方達の、気の配り方も一流。
これぞ銀座の老舗と言う雰囲気が漂います。

こういうところに来ると、こちらも知らずに背筋がピンとなって、店に相応しい客になろうと思います。
そういう相乗効果が良いですね。
本店は銀座八町目に有ります。
行ったことは無いですが、中庭を眺めながらお食事ができる離れのお座敷など素晴らしいとか。
一度は行ってみたいと思います。



           銀座店-うなぎ蒲焼と御料理「竹葉亭」


       ↓ HPの歴史より一部引用させて頂きます。


竹葉亭の歴史 『食は文化なり』

「竹葉亭」の創業は江戸末期。当時は京橋付近の浅蜊河岸(あさりがし・現在の新富町)で桃井春蔵道場門下生の「刀預かり所」を役目とした留守居茶屋として初代別府金七が創業しました。明治9年「廃刀令」により、留守居茶屋から酒や鰻の蒲焼きを提供する店となりました。屋号は、中国で酒のことを「ササ」と称したことにちなんで「竹葉亭」と名付けられました。

二代目金七が中興の祖といわれ、最高の鰻屋を目指して研究を重ねる一方で販路の拡大にも努め、新富座を皮切りに歌舞伎座・帝劇などへ弁当を納入し、「竹葉亭」は鰻の代表的な店として確立されました。明治30年には尾張町に新店舗を出店。大正12年の関東大震災で被災し、東京市の区画整理により現在の銀座8丁目(当時は木挽町)に移転しました。昭和56年に一部を改装しましたが、離れの茶室と座敷は大正13年に建てられたままの姿を現在も残しています。大正15年には丸ノ内丸ビル1階に出店しました。

また、二代目金七は美術蒐集家として知られ(村松梢封の『本朝画人伝』に記されています)、琳派の本阿弥光悦・尾形乾山・俵屋宗達などが世にもてはやされなかった頃からこれらの蒐集をはじめ、その他の書画骨董にも一見識を持っていました。現在世に残っている琳派の名品は、かつて「竹葉亭」の所蔵であったものが少なくないと言われるほどの目利きでありました。残念ながらそのコレクションの主だったものは、震災の時に焼失したと言われています。

三代目哲二郎は、鰻料理に加えて日本料理にも本格的に取り組み、当時親交の深かった北大路魯山人の「星ヶ丘茶寮」に弟の得三を修行に出していました。また、大阪にも進出し「中之島竹葉亭」を出店するなど、東京に12店、大阪に10店と支店を増やしていきました。しかしながら、第二次世界大戦で東京と大阪の支店の大半は空襲で焼失してしまいました。

五代目得三は北大路魯山人のもとでの修行を土台に、料理や器・店のしつらえに力を発揮し、「竹葉亭京橋店」にはその遺産を随所にみることができました。京橋店はやむなく閉店しましたが、こうした数々の遺産の一部は他店に引き継がれ、一部は大切に保管され新しい店舗への出番を待っています。



すみません、長々と引用しましたが、こちらの歴史とか鰻に関する薀蓄(うんちく)を読んでいると、興味深くて次々に読んでいってしまいます。
興味のある方はHPへどうぞ。




        亡くなった だんな は、こちらの「鯛茶漬け」が好物だったと思い出すトミー。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

強運のタマ姫様

2013年02月05日 20時45分13秒 | 猫・犬・動物


         ↑ 友人の家の飼い猫 タマちゃん



先日、友人の経営するリサイクルショップに寄ってみたところ、最近猫を飼いだしたと言う。
そこのお宅は家族全員猫好きだが、どうも猫が居つかなかったり早死にしたりするので近年飼っていなかった筈なのだが。
その理由が、家族に寅年が多いせいだと言うのだが、そんな話聞いたこと有ります ?

それはともかく、聞いた私は居てもたっても居られず早速お宅にお邪魔した。
上の写真見てくれる~ !
お目目まん丸で可愛いでしょ~~ !
メスで1ヵ月半くらい ?
お名前は タマちゃん です。





          ↑ 訪ねた時はお寝むでぼけ~。






          ↑ ↓ 写真を撮ろうとしたらカメラの紐で遊んで撮れな~い








          ↑ 短めのしっぽがキュート



元は捨て猫だったそうですが、それが酷い話で…。
雪の降る夜に近所に車で来た 極悪人 が窓からポイッと彼女を捨てて逃げ去ったそうで。 
それを見ていたご近所さんが猫好きの友人宅に保護を求めたそうです。
まだ1ヶ月未満の300グラムくらいしかないような子猫。
雪に打たれていたら、10分も生きていられないような頼りない子猫だったそうです。

母猫の母乳も満足に与えられないうちに捨てられたようで、免疫が無いのか熱を出したり弱ったり。
2回病院に連れて行ったそうです。
家族みんなで下にもおかず大切に育て、やっとここまで育ちました。
今では タマ姫様 と呼ばれて幸せに暮らしています。

話を聞いている私は 涙・涙。
本当に良かったね、ラッキーガールのタマ姫様。



              これを書いていても涙が止まらないトミー。



こんなんも有りますよ~。



プーチン大統領から贈られたシベリア猫が秋田に到着


となりのトトロの「ネコバス」、ついに撮影される



コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする