猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

外猫 クロちゃん

2008年02月29日 20時13分31秒 | 猫・犬・動物
          叔母がエサをあげている 外猫 の クロちゃん です。

 写真だと大きく見えますが、小柄で鳴き声も可愛いので女の子だと思っています。ガラス戸を開けて撮影したので、ちょっと緊張していて可愛くありませんね。本当はもっと可愛い顔をしているのです。

 叔母が縁側でエサをあげている外猫は4~5匹いて、最初に来るようになった首輪をした子は1号と呼ばれていた。その後よく似た2号が来て、さび猫の3号がしばらくボスのように縁側に居座るようになった。
 真っ黒な大きな猫も来たし、今はこのチビ猫が居座っている。

 近所で昨年秋頃から、子猫のこの子を見かけるようになったが、この場所はいいらしいと聞きつけてやってきたらしい。始めは他の猫たちのお余りを遠慮がちに食べていたが、最近ではすっかり縁側の主になり雨戸を開けると座ってうるさく鳴き、それは叔母がご飯を上げるまで続く。朝食べていなくなっても昼に来、夕方に又来たりするそうだ。

 可愛い声で鳴かれると私も情が移るが、私はご飯を上げていない。これ以上情が移って内猫を増やしたくないのだ。ただでさえ亜美嬢であと1年以上は苦労しそうだし、叔母が動けなくなってペットもいたら旅行も出来ないし・・・。

 しかし、私の好きな黒猫でホワイトソックスちゃんのこの子、必死に顔を見て鳴かれるとうう~ん。だめだめ~。

        もう少しで暖かい春が来る。ノラちゃんたちもあと少し頑張ろうね。
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ささや ななえ傑作集 「私の愛したおうむ」

2008年02月27日 14時42分46秒 | マンガ家名 さ行
     ㈱白泉社 花とゆめコミックス 1975年12月20日初版 これは 1976年5月20日の第2版

収録作 「私の愛したおうむ」 「本町51番地」 「薔薇よ薔薇よ」 「ユマ」 「木枯らしにふたりだけ」 「フェリシア」 「かもめ」 の7編

                  夜さん からお借りしています。

          ささや ななえ とは - はてなダイアリー


 りぼんコミックデビューの作家 第3弾 ささや ななえ氏です。私がささや氏の名前を認識して読み始めたのはデビューされてからずっと経ってからで、ビックコミックフォアレディ連載の 「おかめはちもく」 の頃から。アレは面白かったですよ~。主婦の日常を 昔からある家庭まんが の枠に収まらずに表現した、やっとこんなマンガが出る世の中になったのね、と大人のマンガ読みにはプチ感慨ものの、家庭コメディでした。

 ですが、ささや氏は当時でも、もっと前から少女マンガ誌で活躍されていたベテランだったのですね。りぼんコミックでデビュー以来、りぼコミ や りぼん でも描いていたので、何作かは読んでいるはずですがあまり憶えてない。
 初期の社会派的な作品や少女マンガには珍しい地方の普通の少年の話などもあったようです。(現在 夜さんからお借り中) 
 途中ミステリーがヒットして、そういう作品ばかり頼まれるようになったとエッセイマンガでぼやいていたのを以前読みました。(笑)


 この本の中には7編の短編が入っていますが、最後にデビュー作の 「かもめ」 が収録されています。デビュー時の絵柄は石ノ森章太郎氏そっくりで、女の子は水野 英子氏似です。当時マンガ家志望の人の何割もがそういう絵を描いてました。かくいうわたしも真似て描いてました。(とてもへただったけれど) 上のはてなダイアリーにも、石ノ森氏に憧れていたとありますね。


                  

 「かもめ」 あらすじ

 第二次大戦時、ドイツ国内の海岸で脱走してきたユダヤ人の少年を助けた少女とその弟。海岸にある洞窟に隠し、ドイツ兵の目をくらませていったん家に帰ります。ユダヤ人の悪口をいう父親に 同じ人間なのにどうして、と食って掛かりますが、その父親にドイツ兵に知らされて隠し場所を知られてしまいます。
 初めから、ここには死にに来たんだと言っていた少年は追い詰められ、少女に笑いかけながら崖から海に飛び込みました。死体に取りすがって泣く少女。父親達に同じ人間なのに、と又、問いかけながら・・・。

 というようなお話で、デビュー作で重いテーマに挑んでいます。少女マンガ家のデビュー作といえば、もっとねぇ、軽いラブコメとか学園ものとかあるでしょうに、なんて思いますが、そこは りぼんコミック というか、後々も社会的なテーマで描いている (最近も児童虐待テーマ有り) ささや氏ならではというか。

 一方、表題作の 「私の愛したおうむ」 は継母や周囲全般との人間関係に悩む女の子の独白で進む内向的な作品。暗いです、救いがないです、ちょっと最後になって明るさが・・・。
 作者も作品の横の欄 (掲載当時は宣伝スペースでしょうか) で自分が東京へ出てきた当時の 鬱的 な感情を描いてみたと言ってます。これ、問題作だらけのりぼんコミックでなく りぼん 掲載なんですが、背伸びしたい小学生高学年・中学生の女の子に衝撃を与えたのではないかと思います。自我が強くなって来るこの頃は、わたしなんて 誰にも愛されないのじゃないか、とか世の中に居場所の無い感覚がふっとあるのです。主人公の思いつめる様子がいじらしいですね。

 他の5編も、学園物とかもありますが、やっぱりちょっと暗い影のちらつく作品やミステリーホラーっぽいものもあって、ハッピーエンドは1篇だけかな~。当初から一筋縄でいかないお話を描く作家さんですね。最近のものはあまり読んでいないので、ちょっと読んで見たくなりましたが、う~ん虐待をテーマにした 「凍りついた瞳」 か~、引くかも・・・。
 
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2月23日 (土) は強風・お通夜記念日

2008年02月26日 16時55分48秒 | 雑記
 変な 題名 ですいませんm(_ _)m。大変だった1日を、遅れましたが日記にしておきます。

 2月23日(土)に会社関係のお通夜が入ってしまった。場所は自宅から2時間は掛かると思われる埼玉県の川越市の奥。八高線というローカル線の沿線だ。前日の夜、家に帰りながら考えた。以前、世田谷の奥にお通夜に行った時、だんなに送ってもらって待っててもらって帰りは会社の女の子を乗っけて途中まで送ってやり感謝されたっけ。

 今回もその手は使えないものか。帰ってきただんなに早速話したら、ガーン ! だんなもお通夜だと。私も知っているだんなの高校時代の友人のお母様が亡くなった由。何もなければ自分も行かなければならないところ、しょうがない、エッチラ一人で八高線に行ってこよう。

 23日は朝から大車輪で犬の散歩、家の掃除をして10時始まりの動物病院に猫を連れて行き、犬の診察券も置いてだんなと犬を呼び、帰ったら又掃除の続き、昼ごはんは叔母さんが作ってくれた物を食べ、後片付けはちゃっちゃとやり、早めに午後の犬の散歩、息抜きのマンガを読む暇もなく出かける午後4時前になった。

 朝から風が強いとは思っていたが、電車に乗ったとたんになにやら電車の遅れや不通の情報が放送されている。あらら~、大丈夫かいな・・・でも同じ部の同僚達も向かっているし、行けるところまでは行って誠意を見せなくては、と混雑した電車にめげず頑張って向かう。

 しかし、1時間半かかって大宮駅まで着いたところで川越線が不通のためこちらからはどうにも行けなくなり、同僚達に連絡して引き返すことに。違う方向から行った幾人かはたどり着いた模様。
 帰りも1時間半くらいかかって地元駅に着いたので、友人のお母さんのお通夜には遅れながらも間に合う時間。途中だんなに電話して疲れた足を引きずり寒い風の吹く中2件目のお通夜会場へと急いだ。

 やっと人心地がついたのが なおらい (お参りの後で軽いお食事を出すところ) の場所で熱いお茶を頂いてから。寒く、疲れた1日だった。
 なお、次の日もこちらのお葬式で斎場まで、2日間お付き合いした。実はこちらのお母様、直接お話したことはなかったが、私の父親と同じ年で今年88歳になられる方だったので、なにか人事に思えなくて。

           自分の親世代が亡くなる年頃となりました。
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山岸 凉子 「白い部屋のふたり」

2008年02月25日 11時57分49秒 | マンガ家名 やらわ行
 集英社刊 山岸 凉子傑作集 3 1973年9月10日 りぼんマスコットコミックス 

                 夜さんにお借りしています。


 前回に続いて りぼんコミックス 初出の作品から。表題作の 「白い部屋のふたり」 はさんざん記事の中で書いときながら、読んだことがない作品だったのですが、夜さんがお持ちということで今回お借りして読むことが出来ました。夜さんありがとうございます。m(_ _)m

 初出は りぼんコミック 1971年2月号で、その頃私はりぼコミ読者だったのに覚えてない・・・。毎号買ってたわけじゃないので飛んでいたのかも
 当時びっくりの女性同性愛者を扱ったものですが、際どいシーンはまったく無し。キスシーンがちょっと、という程度ですが当時は男女の恋愛ものでも、キスシーンが少女たちには充分クライマックスでどきどきタイムでした。

 当時私たちは エス とか呼んでましたけれど、ジュニア小説等ではそれらしきものはありました。が、ペギー葉山の 「学生時代」 のような 

姉のように慕い~~

 の表現だったと思いますがね~。


 お話は・・・

 両親が交通事故で死んだレシーヌが財産狙いの叔母の家に入るのを嫌い、良家の子女の入る寄宿学校へ入る導入部から。同室になったシモーンというテニスの上手いカッコイイ少女はレシーヌばかり見ている (ような気がレシーヌはする) 一方のレシーヌも要領の好い問題児シモーンを不良と思いながらも気になって行く。

 ここから一気に相思相愛になるわけではなく、学園祭の 「ロミオとジュリエット」 が入ったり、私たちのは 友情 よと言い張るレシーヌのためにシモーンがボーイフレンドを紹介したりいろいろあるのですが、どうやらシモーンの方ははっきりレシーヌを好きだと自覚しているゲイ (もしくは両刀) らしい。

 今読むと、どこが気に入ってシモーンがレシーヌを思い始めたのか、動機がイマイチわからないのですが、(単に好みのかわい子ちゃんだったから ?) シモーンに好きだと告げられたレシーヌの狼狽振りはよく分かる。
 必死に否定し、ボーイフレンドとデートし、

「あなたは自分を汚したくないだけよ、皆と同じレールから外れるのが怖いのだわ」

 と詰め寄るシモーンから逃げる為に転校までして忘れようとします。そこに届いたシモーンの死の知らせ。彼女はわざと付き合っていた男の子を挑発し、まるで自殺するように殺されたのでした。

 シモーンに死なれて初めてはっきりと自覚した愛に、レシーヌは死ぬことも叶わず石の心を抱いて生きるのみ、それは愛に命をかけた相手から逃げたレシーヌの罪の代償。涙と苦悩の中でのラストとなります。

 この作品、雑誌 「クレア」 の1992年9月号のTHE少女マンガ!!特集のインタビュー中で、作者 山岸 凉子氏 がちょっと触れています。

 - 以下 引用 -

 あれもね、実は、男同士のつもりで描いたんですよ、まだそういう世界に魅かれる自分って異常だと思ってたし、とても許されないだろうと思ってたのでつまり苦肉の策。
 後になって少年愛マンガをどんどん描くようになった人たちでさえ、私がその手の話をすると 「オトコ同士の愛 ? なあにそれ」 と質問攻めに会う時代でしたから。それが今ではあたり前という雰囲気でしょ。まだ 「日出処の天子」 も最初はどうか同性愛の話に行かないでくれって頼まれたものです。それが連載が終わる頃になると 「今の時代、少女マンガはホモが入ってないと駄目。ホモさえ入れれば何だってウケます。」なんですから・・・もう・・・ねぇ(笑)


 時代ですねぇ。今じゃBL (ボーイズラブ) として一ジャンル確立してますから。又、ここでは言っていませんが、ネーム (映画で言う絵コンテ) の段階ではオトコだったが、編集部のOKが貰えず女同士にしてやっとOKが出たとかどこかで言っていたと思います。
 
 他に

「遠い賛美歌」 初出 りぼんコミック 1970年12月号
「水の中の空」 初出 りぼん 1970年10月号

 が収録されていますが、いずれもアンハッピーな終わり方。主人公達は納得しているのですが、死んでしまったり、誤解のあるままに立ち去ったり。他人が見たらハッピーじゃないです。誤解が解けて、大団円、生きてて良かったね、でもいいじゃないかと読者は思うのですが。

 山岸氏は最近でも去年の 「舞姫 テレプシコーラ」 第1部終了間際の悲劇とか、すぐ後の 「ヴィリ」 でも主人公が事故にあったり娘といろいろあったり、決してすんなりハッピーエンドにならないのですよね。いつも救いようがない絶望の中とか、暗いままいつまでも続く・・・みたいな終わり方だったり、まったくないわけではないけれど、昔からハッピーエンドが少ない作家さんですね。そこが読者にはひねった印象を与えて、気になる作家であるのですが。
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もりた じゅん名作選 「うみどり」

2008年02月22日 18時30分10秒 | マンガ家名 ま行
         集英社文庫 1997年6月23日 初版 ブック○フにて購入

 以前 ま○だらけ で、文庫でないコミックスの もりたじゅん初期傑作選 3冊組セットが売っていて、ずいぶん迷って買わなかったんですが、文庫が出ていたんですね。中身がまったく同じかどうかは分かりませんが、「うみどり」 が入っていたし、しかも105円だったので喜んで買いました。前に手元にないのにこの作品について書いていたのよね。(恥)

 以前の記事 → もりた じゅん先生について話しましょうよ。 

収録作品
「うみどり」 初出 りぼんコミック 1970年6月号
「しあわせという名のおんな」 初出 りぼんコミック 1971年新年号
「ちっちゃな時から」 初出 りぼんコミック 1970年10月号
「ごくろうさん」 初出 りぼん 1971年3月~5月

 どれも一度は見たことある。初出当時高校生だった私は他の雑誌とちょっと違う雰囲気の りぼんコミック を毎号ではないけれど楽しみに見ていたから、初出当時に見たものだろう。37~8年振りの再会 !
 「うみどり」 はカットだけはその後  私の少女マンガ原風景 別冊太陽 子どもの昭和史 少女マンガの世界 Ⅱ 昭和38年~64年 の中に少し載っていて見たけれど、「しあわせという名のおんな」 のこのカットなんか憶えているわ~。こんな話だったっけ ? とひとしきり懐かしかった。

 以前にも言ったが、 りぼんコミック というのは、新人を多く起用した読みきり中心のマンガ雑誌で、 りぼん より問題作が目白押しだった。

 山岸 凉子 の女性同性愛もの 「白い部屋のふたり」 昭和46年(1971年)2月号(ちなみに山岸 凉子氏のデビューも りぼコミ レフトアンドライト 昭和44年1969年) 
 ささや ななえ 「木枯らしにふたりだけ」 (この人もデビューは りぼコミ かもめ)
 一条 ゆかり 「クロディーヌに愛を ! 」 
 樹村 みのり なんと10代でベトナム戦争もの 「海へ・・・」
 あすな ひろし 「ビリー・タムタムは空へ ! 」 
など、今もみんなの思い出に残る傑作を多く送り出しています。

 たった3年間の命だった雑誌だけれど、ここでデビューや育った作家さんはその後 りぼん や りぼん増刊 や りぼんデラックス などで活躍している。
 上記の太陽別冊に拠ると、水野 蔵美子、千明 初美、のがみ けい、松田 明姫、汐見 朝子、田渕 由美子などの各氏。私はちょっとその後のりぼん系の雑誌は大人になってしまって読んでないので、のがみ けいさん しか覚えがないが・・・。
 又、ベテランの 北島 洋子、井出 ちかえ、巴 里夫、花村 えい子氏らも他誌では描けない思い切った短編を描いていた。だもんで、へぇ~こんなの描くんだ~とか思って好きだったんですよ、当時この雑誌。

 あまたある問題作の中でも高校生の私がびっくりしたのがこの文庫の表題作になっている 「うみどり」 。タブーに挑戦、実の兄妹の恋愛及び心中ものです。まだこの頃は以前からの慣例というか、少女マンガでは自殺を描いてはいけないという不文律があったような ? 感受性豊かな少女には影響が大きいと思われていたのでしょう。
 もちろん、初めから知ってて兄妹で恋愛というのでなく、両親が子供の頃交通事故で死に、養護院に預けられ、別々の家に貰われて行って・・・というストーリー。それに妹の養家の兄が妹に恋していて悩んでいる、という話を絡めて進みます。

 38年前ですからね。今ではBLでいとこだろうが双子の兄弟だろうがお構いなしにくっついてますが・・・。しかもこの雑誌、小学生も見てるマンガ雑誌だったから良く出せたなぁと今見ても思いますよ。もっとも二人は結ばれるわけもなく、海へ入って清いまま心中するというラストになります。(ああ言っちゃった)


                  

 この頃、もりた氏の描くリアル絵の男性はCOMで人気だった 宮谷 和彦氏 に似ていて、特に目がそっくりでした。氏はCOMに投稿していたので影響受けて憧れていたのかも。

他の作品は

 「しあわせという名の女」
 演歌歌手としてデビューしたハーフ(たぶん黒人と)の女の子 さち とそのマネージャーとなった男。その不幸の影を利用して売り出す事務所。別れた母も見つかり曲は大ヒット、しかし不幸のイメージが壊れてしまうと画策する事務所の社長達。それをとめられないマネージャーの男は さち を愛し始めていたが・・・。という話。

 「ちっちゃな時から」 
 幼馴染が高校生になり、それぞれ相手がいて楽しくやっていたが、お互いの相手どうしがくっついてしまい・・・という話。はじけて明るいです。

 「ごくろうさん」
 父母にうそをついてまで警察学校へ通い、警察官になろうとするタ~マ。父は反対する理由を隠そうとし、タ~マはすでに知っていた。下宿するイケメン刑事との恋も絡めて描く人情ラブコメ ? 

 巻末のインタビュー記事は 弓月 光氏。彼と もりた氏 と 一条ゆかり氏 はりぼんの第一回新人漫画賞の受賞者なのだそうだ。その後3人はお互いのアシスタントなどして同期生として仲良くしていたそうだ。後年 弓月氏 は青年マンガ誌へ、もりた氏 はレディコミへ行き、いまや少女マンガを描いているのは一条氏しかいなくなった (1997年当時) と寂しそうだが、いえいえ、お3人とも40年近くマンガ界でご活躍している方が素晴らしいことだと思いますが 
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COMの中の みなもと 太郎 「白い狩人 -ハンター-」

2008年02月21日 09時59分41秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 
 1969年9月号掲載 たぶん同人としての 作画グループ の名も入っている。みなもと 太郎氏 22歳頃の作品。

 あらすじ

 猟師の俺はある日山の中で1羽のうさぎを見つけ、つい撃ち損なってしまった。始めに仕事が出来なかったものには、ずっと仕事が出来ないらしく、その後度々見かけるそのウサギには俺は銃を向けられず、向こうも安心しきったように俺の回りを歩いている。いつしか俺はヤツを山の友達として見ていた。

 それなのに違う猟師がヤツを撃って獲物としてしまった。かわいそうだが俺にはどうしようもない。
 そのとき、かの猟師のそばを鹿の群れが駆け抜けた。猟師はまだ息のあるヤツをホッポリだし、そちらに向かって走り出す。なんと言うことだ ! 

 俺を見上げて楽にしてくれと言うような目のウサギ。だめだ、他人の獲物には手を付けられないのだ。どうしてトドメもささずに放り投げた ! 放り投げるのならなぜ撃った ! 俺は怒りで震えている・・・。

 そうだ、仕事は思ったときにやっておかないとな。俺はゆっくりその猟師の背中に標準を定めた。


 ちょっと怖い最後です。COMの他の号には確か氏の 「ホモホモ7」 的な絵柄のギャグマンガがあったと思うのですが、その絵柄とも全然違ったシリアスタッチの絵です。ところがウサギちゃんのみ、もろ少女マンガの絵柄で、お目目キラキラで可愛いこと。
 うさちゃんは COMの中の 泉谷しげる投稿作品 の最後の方に載せた みなもと氏 の猫のイラストと似ています。後のギャグマンガでも女の子は皆、とっても可愛い みなもと氏の絵柄 の原点です。
 40年ほど前のデピューしてすぐの頃のこの作品はたぶんコミックスになっていないでしょう。

 最近は、代表作『風雲児たち』で2004年第8回「手塚治虫文化賞・特別賞」を受賞されたり、和田誠の映画の名セリフについての作品『お楽しみはこれからだ 映画の名セリフ』をもじった『お楽しみはこれもなのじゃ 漫画の名セリフ』などで有名ですね。

ウィキ → みなもと 太郎

みなもと氏のあすなひろし氏への追悼文 → みなもと先生の追悼文
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映画 「L change the WorLd」

2008年02月20日 13時17分24秒 | 映画
 去年の夏からの猫の介護と、年末足を痛めてしまって外出を控えていたことも有り、しばらくゴルフも美術館もご無沙汰していた。映画も正月映画に見たいものがなかったので気分転換できずにイライラ、マンガだけが唯一の娯楽だった。

 しかし、いよいよ 映画 が足りない  状態になり、松山君見たさに会社帰りに行ってきました、「L change the WorLd」 銀座プラゼール 夜7時の回。こういう時は、さっさと定時に切り上げて、まだ行ったことのない銀座新名所のイトシアのフードコートでも・・・と行ってみたらばフードコートのある地下1階は定休じゃん ! 他の階のレストランや高級喫茶店はやっていたけど、女一人で入ってもつまらないしね~

 で、結局銀座に出たときにはよくお世話になるJR高架下 ベッカーズ のミネストローネスープセットになってしまった。ミネストローネは美味しかったけどさ。ここはスイカなど電子マネーが使えるから便利だわ。現金で払うよりポイント溜まって少しでもお徳だし。
 いつもの癖で3つ隣の席のおばさん (お前もだよ!) 二人組の会話に聞き耳どうやら近くにある東京宝塚劇場に来たファンらしい。スターの出待ち、どうやったら良い席が取れるか、だれだれのファンはお側に行く迄にいくらくらい掛かったらしいなど情報交換に忙しそう。やれやれ、どの世界もディープなファンは大変らしい。


 で、映画の話なんですが、あまり期待していなかったのです・・・。「デスノート」 は1・2とも見たし、それなりに面白かったけれど、これはLの番外か~という程度。松山君は好きだけど、やっぱり藤原君と二人美少年のそろったところが見たいし~とマンマおばさん根性。

 デモね、結構面白かったよ。デスノのディープファンでないので、あれ、この時期本編ではどういう展開の頃だっけ、とか背後関係忘却の彼方で引っ張り出すのが大変だったけれど、本編知らなくてもLがどういう人物かさえ分かっていれば話は分かる。又、映画の 「デスノート 1・2」 よりタイロケとかカーチェイスや爆破シーンなどもあってお金かかっていそうなのよ。細菌テロがらみなので、私には少しホラーで見られない箇所もありでしたが、デスノ好きな人は見て損ないわよ~。
 


                  

                 ↑ 「エリザベス:ゴールデン・エイジ」


 次の日、引き続き ケイト・ブランシェット 主演の 「エリザベス:ゴールデン・エイジ」 も見てきて、さてどうやって感想を・・・と思っていたらば、西洋史に詳しいたれぞ~さんが早々に記事アップしてるでないの → すす゛め休憩室 エリザベスゴールデンエイジ こっちの方が詳しいので、どうぞ行って見てね~ (と逃げる)

 いえいえ、わたしもちゃんと前作 「エリザベス」 も見てる歴史好きですよ。
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COMの中の女性作家 ⑥ 樹村 みのり 「おとうと」

2008年02月19日 11時33分47秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
           1969年9月号掲載 「おとうと -弟-」 

 COM初出には珍しく、コミックス 「ポケットの中の季節 2」 に収録もされているようだ。1950年生まれの作者、19歳の大学生時の作品。年代的には24年組さんの一人。

 ウィキ → 樹村 みのり

 この頃から、COMにアウシュビッツを舞台にしたものや、りぼん (りぼんコミック?) にベトナムものを発表したりと少女漫画家には珍しい社会派的な作品を発表していた人だ。現在も団塊の世代の青春群像を描いた、最新刊 「見送りの後で」 をこの1月に発売したばかりとご活躍。(私は未見) 

 私などは、「おとうと」 と聞くと 幸田 文 の小説 「おとうと」 を思い出してしまうが、姉が弟を思い出しながら、という点ではきっと作者も 幸田 文 の 「おとうと」 を意識しているのだろう。 幸田氏の作品の方は 先日亡くなられた 市川 崑 監督、岸 恵子主演で映画にもなった。弟役は 川口 浩。
確か、TVか何かで昔 郷 ひろみ もやってなかったっけ?

 幸田氏と同じく、樹村氏の 「おとうと」 もまったく創作でないように思える。
 あらすじは、子供の時から大学生となった今までの、弟と自分の思い出や性格の違いなどを淡々と思い出し、エッセイ風にまとめているもの。特に大事件があるわけでもない。が、
 私にも弟が二人いるので、いちいち頷くところも多く、COMの他の樹村作品より印象が深かった作品だ。私個人としてはこの方の戦争ものよりも当時は好きだった。今見ると戦争ものも又、違って見えるけれども。

 幸田 文氏の 「おとうと」 は作者がずいぶん後になってから、結核 (だったか?) で死んでしまった弟の思い出を語る話だったが、樹村氏のは主人公の 姉 が大学生になり、東京に行く電車の中で おとうと のくれた手紙を読むところで終わる。そこには異性の家族としての照れくささとか、家族愛 (らしきもの) が詰まっていて、姉 を笑わせ、そして読者を泣かせてくれるのだ。

 兄弟のいる人もそうでない人も、機会があったら読んで見て欲しい佳作。
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私の好きなイラストレーター 山口 晃さん

2008年02月18日 16時29分15秒 | 雑記
 
 あー、光って上手く写せませんでしたが、六本木ヒルズのお土産売店で売っている、山口 晃さんのイラストのビニールファイルの一部。ネットでお付き合いしているお友達に送ったこともあります。

 私が今一番好きなイラストレーターさんです、山口 晃さん。どんなものを描く人かといいますと、ちょっと前に公共広告機構のCMで、 江戸しぐさ というのは全国で放映されていたかな~ ? あのアニメの元絵の人です。うん、詳しくは山口さんの作品を扱っているこちらの画商のHPを見れば一目瞭然か。


現代アート通販のタグボート → 山口 晃 販売作品

ついでにウィキも → 山口 晃 ← 一番下の外部リンクの所のインタビューも面白いよ。


 読売新聞で以前土曜日に連載されていた 「私と20世紀のクロニクル」 というドナルド・キーン博士の 思い出話 のイラストも担当されていました。本文ともどもとても楽しみにしていたものです。そういえばこの本、まとまって1冊になって出たのにまだ買ってなかったわ。買わなくちゃ。全部切り取っとけばよかった。イラスト全部載っているだろうなぁ。

 芸大ご出身で、大和絵と浮世絵のようなタッチで現代を描き、発想が独自でこの人だけのものです。私が調べたくてウィキとタグボートさんのHPを発見したので、みなさんにもご紹介しました。

 実は・・・・今ちょっと忙しくて 青池 保子氏 の 「アルカサル-王城-」 を読み終わったのに感想書けてないんです~~(泣)
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正しい もんじゃ の作り方

2008年02月15日 13時35分01秒 | グルメ 私の食べた美味しいもの
              ↑ 土手につゆを入れたところ

 私は埼玉生まれですが、子供の頃には駄菓子屋の店先でもんじゃを焼いて食べた記憶があります。そのころ私のいたところでは ぼった焼きとかぼったら と呼んでいました。小麦粉のつゆがぼたぼたたれるところからの命名でしょうか。
 店先に炭のおこった七輪を置き、鉄板をその上に置いて水で溶いたうどん粉の中の具はキャベツやてんかすだけ。ソースや醤油で味付けて、縁の立ってない鉄板からつゆがこぼれない様にうまく真ん中に寄せながら食すのが難しくてねぇ~。

 以前、東京都町屋 (荒川区 京成電鉄線・地下鉄千代田線・都電荒川線の駅有り) の駅のそばで、もんじゃ発祥の店というのに入りました。今は月島のもんじゃロードが有名ですが、どちらにしても50歳代以上の方には懐かしい、元々は東京の下町及び埼玉、群馬の子供の食べ物だったようです。

ウィキ → もんじゃ焼き

 先日の某トピオフ会で関西の方が珍しそうに もんじゃ の話題をしていたので、正しい作り方をアップせねばと もんじゃ作り50うん年 の友人に作ってもらいました。この方生粋の月島ご出身、私なんかがもんじゃを語ろうものなら100年早いと怒鳴られそうです。
 年季が入っているのは 足立区生まれの だんなのお友達たちも同じで、だんなと結婚後14年たってやっと私は カルビチャーハン の作り方にOKを貰ったところです。もんじゃを作らせて貰える頃にはきっと100歳は超えているなぁ~

 さて、上の写真の前の段階ではカップに入った具だけうまく取り出し、炒めておきます。

                  ↓  これのみウィキより引用

                    


 ざっと炒まったら具で土手を作ります。つゆが中から出ないように隙間を作らないで慎重に。このお店は最初からだしが入っているので味付けはしないで、つゆを中に注ぎます。(最初の写真参照)

 しばしぐつぐつとやってから、今回はトッピングにチーズがあったので中に入れます。             ↓


                 


 具には牛肉・豚肉・生イカ・めんたいこ・たまごなどの生もの、切りイカ、干しえび、紅しょうがやカレー粉やベビースターラーメンなどのトッピングも何種類もあって、お好みで。もっともこんなに具が入るようになったのは最近で、子供の頃はてんかすとキャベツの切った物、切イカ、しょうがくらいでしたがそれはそれで美味しかったもんです。
 写真のものは生イカもんじゃにもちとチーズをトッピングしたのだったかな。

        またしばしぐつぐつと…。 ↓


                   


 その後かき混ぜて食すのですが、この頃合が難しい。私なぞ我慢できなくて自分用の小さなヘラを伸ばしたところで、ピシッと手をはたかれること数回、もんじゃのプロはなべ奉行より恐ろしいのでございます~。 もんじゃは自分用の小さなヘラを鉄板に押し付けながらもんじゃを取って、そのまま食べるものなんですよ。お箸は使いません。
 せんべいと称して、鉄板の端でつゆだけ薄く伸ばしてパリパリに焼き上げ、ぴらっとはがして、これがまた旨いのなんの…。やっとできたそれを横から取り上げて食すのがまたまた…。あ~じゅるじゅる

 具材やお店によっては自分で味付けするところもあり、あさりと長ネギと紅しょうがのもんじゃにはしょうゆ味とか、私は好きですね。今はソース味が主流のようです。

 子供のおやつだった もんじゃ も今や高級具材も入って大人のお酒のお供に定着しました。我々の仲間では、まず鉄板でイカやカキや豆腐などをバター焼きしておつまみに食した後、好みのもんじゃやお好み焼きを皆で分けて食べます。大阪ではお好み焼きを一人一個独占して食べて、分けないってTVで言ってましたけど、本当ですか  いろんな味のお好み焼きやもんじゃを皆で分け合って食べるのは美味しいですよ。
 その後、まだお腹に余裕があれば焼きそばかカルビチャーハンなどのごはんものを分けて食べることもあります。

 デザートはあんこ巻き。写真はないのですが、クレープのように薄く焼いた小麦粉にあんこを乗せ、巻いて食べます。(私はあんこ怖い人なのでパス) 贅沢にフルーツを入れることもあります。後は定番のアイスにあんみつ・みつまめなど、今のもんじゃ屋にはこれくらいそろってます。
 お酒も飲んで地元の店ではひとり2,500円~3,000円くらいでいつも収まってます。その後カラオケ屋へ行って 浜田省吾 を歌い倒す、というのが57歳、だんなの仲間たちの週末です。(笑)
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