↑ 中公文庫 Cみ2-1 CHUKO COMICS 2009年12月25日初版
原作はかの寂聴女史である。作画は水野英子氏。
このお二人の取り合わせにまず目を引かれた。寂聴氏の原作は1981年講談社から出ているので結構年月が経っている。
題名の通りブッダにかかわった女達、母親マーヤー、第三夫人で息子を産んだヤソーダラー、ブッダの悟りに関わった村の娘スジャーター(ミルクに関係有り)、野心的な長者の養女や信心深い王妃、又はブッダの美しい弟子に恋焦がれて付きまとう娘など、さまざまな女達の物語が語られます。
最初のお話はブッダの生い立ちと、王子と言う立場を捨てて修行の旅に出るまで。
生まれた時に僧や仙人に
「全ての人を救う聖者になる」
と言われた王子を心配した父王は
「出家されたら王位を継げぬ」
とばかり次々と妃を与え、高殿に豪華な宮殿をいくつも造り、地上に降りないように計ります。
しかし聡明なブッダはついに宴に飽き、馬車に乗り街に出ます。
そこでブッダは老人や病人、葬式、つまり「老・病・死」を見ます。
そしてバラモンの僧が裸同然なのに満ち足りた顔をして歩くのも。
初めてブッダは知るのです。
「私は今まで美しいものしか見てこなかった!」
息子を産んだヤソーダラーの不安そうな顔を見ても、父王に反対されても、修行の旅に出たいと思い悩むブッダ。
ついにある夜のこと、愛馬カンタカはひとりでに駆けつけ、かんぬきはひとりでに抜け、城門の扉はひとりでに開き、王子は東へ走り続けて真実を求める旅に出てしまいます。
付いて来ていた馬ていのチャンダカが切り取った王子の髪と衣服を持ち帰ったとき、妻のヤソーダラーは叫びます。
「聖者ですって ! 人の幸せのためですって !
私達の幸せはどうなるの子供は父なし子よ。
自分の望みのためなら私達はどうなってもいいのね。なんという冷たい方…」
妻と呼ばれる女なら同感のセリフです。
いくら高い志しのためとは言え、自分の夢を追いかけるあまり妻子をこころみないとは妻子にとっては辛い事。
ここのセリフ、もともとの原典より寂聴さんは脚色していると思います。
女の気持ちを込めて書いているとも思います。
今でもそんな男いそうだけれど。
もっとも別の男と言う手近な幻を追いかけて夫や幼い子供を捨てて出奔する無責任な女も居ますから、男だから女だからと言うことではないかもね。
偉大なブッダのその始まりは、家族の不幸(少なくともヤソーダラーにとっては)から始まったのです。
その後恐ろしいほどの苦行を続けたブッダは永遠の悟りを開き 如来 になって人々に自分の得た悟りを教え広めようとします。
多くの弟子を連れ、布教をしながらブッダは故郷のカピラヴァットゥへ帰ります。
そこには立派に成人した子のラーフラがいました。
母のヤソーダラーは有名になったブッダに財産も有るだろうと、息子を会いに行かせます。
母親からの伝言を聞いたブッダは
「財産を分けるとしよう」
と言って静かに教えを説きました。
それは何物にも替えがたい宝としてラーフラの心に染み入り、ラーフラは出家してしまいます。
さらに異母弟にも教えを伝え出家させてしまいました。
王位を継ぐものがいなくなってしまった、と老いた父王、養母、妻は嘆き悲しみます。
養母と妻ヤソーダラーは自分達も出家させてもらおうとブッダの元に行きますが、ブッダは
「女は身勝手で心が移ろいやすい。我々と同じ修行は出来ぬ。」
と許しません。
頭を丸め袈裟を纏い、裸足の足からは血を流しながらブッダの後を追う女達は、弟子の言葉添えでやっと尼になることが許されました。
他にもいろいろな女達が登場するこの物語の中で、一番過酷で最後まで哀れで可愛そうな女 ウッパラヴァンナー が忘れられません。
彼女は幸せな結婚をして身ごもりましたが、実家に帰って女の子を産んだ直後に夫と自分の母親の関係を知ります。
夫の家に戻り娘を育てますが夫は外泊を重ねるばかり。
娘が七歳になった時、彼女は家を捨てガンジス河のほとりで倒れます。
ベナレスの商人に助けられ、その妻になったのですが夫はなんと、かって捨ててきた故郷から妻の実の娘と知らずに娘を連れ帰り第二夫人にしてしまいます。
またもや母娘で夫を共にした因縁を知った彼女は、ブッダに救いを求めました。
彼女は尼僧となり、すさまじい精進の末悟りを開いてアラハン(聖者)となったのです。
しかし彼女の運命はまだ過酷で、暴漢に襲われたり、最後は謀反人によって撲殺されてしまうのです。
これが有名な神通第一の女性弟子 蓮華色尼(れんげしきに) のお話です。
原作者の寂聴さんはあとがきで下記のように言っています。
ブッダの故国サーキャ国はブッダの存命中に滅ぼされてしまいます。
義母(実母の妹)のマハーパジャーパティーも妻のヤソーダラーも出家して尼僧となっていた為、又子のラーフラも義弟も出家していたので殺されずに済みました。
結果的には別の生を生きることになったのです。
私も読んでいる最中ずっと思っていましたが、ブッダは結構男尊女卑だったことも言っています。
当時のインドでは当たり前だとも思いますが。
けれど最終的には尼僧も認めているし、女性を数限りなく救っていることは経典の中にもたくさん書き残されている、とも言っています。
「ブッダと女の物語」となっていますが、自然にブッダの生涯とその教えについてもよく解り勉強になります。
それも綺麗な水野氏のマンガで。
文庫ですがそんなに厚い本でもないので、気軽に仏教の始まりを読んでみるのはいかがでしょうか。
そこには仏の教えと、現代に通じる女性の嘆きや生き方、矛盾に満ちたお話が詰まっていることでしょう。
聖書と似たところも感じたトミー。