猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

断捨離 進行中

2011年06月26日 21時01分50秒 | 雑記
だんな が亡くなって早一年以上経ち、初めは見ただけで涙が出て片付けるなんて到底出来なかった だんな の持ち物もぼちぼちと片付けている。
そうなると弾みがつくもので、だんな のものばかり処分するのにも後ろめたくなり、自分の物やうちの中の物、余分な物がいろいろ目に付くようになった。

もともと建ててから19年ほどになるこの家だが、大家族で住んでいた以前の家からの食器や家庭用品のほとんどは引き継がれており、私が見たこと聞いたこともない物があふれていた。
しかし、一家の主婦であった 例の叔母 がいるうちは新参嫁の私には手が出せず、内心忸怩たる思いをしておったが、気が付けば 叔母 も出て行き私の天下。
(だんなさえいなくなって一人だが)

この際、自分の思い出のないものから順番にすっぱりこの家から出て行ってもらうことにした。
食器棚を見れば、嫁に来てから一度も使っていない食器の山が棚を占領し、普段使っている自分の食器が片隅にぎゅうぎゅうに遠慮しながら重なっている。
いまさらながらにそれに気が付いたら キーッ となってとりあえず使っていないものを全部表に出す。

以前にも欠けたりひびが入った物などは、これ幸いとさっさと処分していたが、うん十年の使用で裏側がなにやら薄汚れているものなど、自分では触りたくないものもまだまだある。
だけどこれが曲者で、自分の実家にも同じ雰囲気を持つものが 居て それは家族の思い出の食卓と密接につながっていたりする。
こういう花柄のお皿、子供の頃に流行っていたよね、
これこれガラスのコップに青と赤の線が入ってるのお姉ちゃんのお気に入りだったよね、
この象さんのカレー皿、兄弟みんなの分がなくてさ~、小さい弟がみんなと違うとぶーぶー言ってたな。

他人の家の食器ながら、見ていると目の前に情景が浮かんでくるよう。

両隣は親戚……。

捨てたのがわかったら、古くて使えないものだとしても大顰蹙必死。
二重に頑丈に中が見えないようにして、燃えない物の処分日に出しました。はい。
食器棚は考えられないくらいすっきり~、自分の好きな食器を優雅に並べられるこの幸せ !
もっと早くやってれば良かったわ。

次は箱に入ったままのもらい物の山の洗い場の上の棚。
これも又、こっそりリサイクルショップへ持っていったりしていたものの、まだまだ魔窟状態である。
在るわあるわ
うん十年前の信用金庫のおまけの小皿20数枚、(小箱入り)
何十年前の結婚式の引き出物だい、という古色蒼然たる大皿小皿セット、
どでかいガラス鍋から
カトラリーのセットは4~5個、(さびてないかい?)
お猪口5個組木箱入り、
鴨さんの箸置きセット6ヶ入り、
買い置きのご飯茶碗なぜか3ヶづつ(こんなにいらんだろ)
箱入りならまだリサイクルショップに持って行けるのに、バラにして新聞紙に包んである色付きガラスの小鉢5ヶセット、
同上カレー皿セット、同上小鉢セットやら次々と。

上から下ろして床に並べるだけで疲れた。
一応、凝ったものやら高そうなものは除けといて(後で食器が好きな姉に上げよう)
リサイクルショップに持って行けそうなものは次の休みに持って行き、(2回行った)
後は捨て捨て ! 
二棚のうち一個分が空きました。

でもまだ捨てるには惜しい・・・などと決心が付いてないものも多数有り、下段の見えないところにまたもやこっそりしまって置く小心者(笑)
でも今に、もっと厳選して数を少なくするわ !

これで弾みをつけ、今まで渋っていた自分の洋服なども捨てられるようになりました。
だんな のポロシャツやシャツも写真に撮ってから親戚にあげたり、実家の父親に着てもらったり。
足が小さかった だんな のサンダルは親戚の女性が履いています。(笑)

だんな のスーツだけは人に差し上げられないのでずいぶん捨てました。
又 だんな は物持ちが良く、勤め始めて直ぐ作ったような細めのトラッドスーツなど何着も有り、本人には思い出深いものなんだろうけれど、私にははっきり言って 思い出 ないので捨てさせてもらいました。
最近着ていた物は流石に捨てられずまだ有ります。
いつかは処分しなければならないとは思うけれど、私にとっても記憶に新しいですもの。

段ボールに2箱のレコードの山、だんなのゴルフ用具、まだ開けてもいない棚、手付かずの納戸、押入れの数々…。
私の体の動くうちに全部目を通して、片付けて、処分できるんだろうか。


  これらを処分するまでは死んデモ死に切れない、と悲壮感漂うトミー。


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映画 「ダンシング・チャップリン」

2011年06月24日 16時25分35秒 | 映画


      ↓  goo映画より解説文引用させていただきます。

1991年に初演された振付家ローラン・プティによるバレエ作品『ダンシング・チャップリン』を映画化するまでのドキュメンタリーである第一幕と、映画のために再構成されたバレエを撮影した第二幕から構成されている。監督は「それでもボクはやってない」の周防正行。出演は「Shall we ダンス?」の草刈民代。

新聞広告の中で、山岸 凉子さまが、
「内情を知らない誰もが理解し感動する。
今までのバレエ映画の中で最もエンターテインメントで、
私の中のナンバーワン !」

と絶賛しているのでこれは見に行かなければと。

水曜日のレディースディに銀座のホテル西洋銀座と同じビル内にある「銀座テアトルシネマ」に見に行きました。

第二幕のバレエ場面はとにかく眼福の一言。
チャップリン役、主演のルイジ・ボニーノはこの作品を20年間も踊っている。
そもそもローラン・プティが彼の為に作った作品である。
私はバレエにあんまり詳しくないからルイジさんがどのようなダンサーか知らなかったが、まぁ、手を下げる 間 まで素晴らしい人である。
特に椅子を使って踊るシーンは圧巻で、とても60歳とは思えない。
ちなみに彼の人生を変えた方は ヌレエフ であるとか。

草刈民代も負けていない。引退するなんてもったいない。
彼女はシルエットになっても、彼女と直ぐわかるほど彼女だった。
舞台はだめでもこういうバレエ映画をたくさん作って学校に配布して子供の啓蒙活動などに活用すればよいのに。
映画なら取り直しも効くし、舞台より消耗しないと思うが。
手間とお金がかかるかしら。
文化庁か文部省か知らないが、援助よろしくお願いします。

冒頭、周防監督が警官のダンスを公園で撮りたいと言っていたのをプティさんは拒否していたが、出来たのを見るとどう見てもゴルフ場で撮影していた。
広い芝生の公園がなかったのか。
白樺が生えていたし、浅間山らしき山も見えたので、軽井沢あたりかな~なんてぼんやり見ていた。
堅い洋芝の上で警官役のダンサーさんたちは踊っていて滑らなかったのかしら…。
なんて思っていたら良くダンスを見ていなくて、こりゃプティさんの言うとおり背景があると却ってダンスの邪魔になっているかも。
このダンスはコミカルなので、他のダンスとの間の良い息抜きにはなっていた。

草刈民代のラストダンスだし、資料としても長く残りそうな映画であるので、バレエ好きさんは見損なわないように。



         草刈民代の演技力にもびっくりのトミー。




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大野 更沙 「困ってるひと」

2011年06月21日 22時35分55秒 | 難病になっちゃいました
        

       ↑ 『困ってるひと』 6月16日発売 ポプラ社



WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社 内


大野 更沙 「困ってるひと」


自分の難病である、自己免疫疾患関連の記事を検索していたらこのような人の記事を見つけた。
本当はポプラ社から本になって出たばかりらしい。
私よりずっとうら若い女性なのに私より100倍も大変な

長い長い医療機関の放浪、
筆舌に尽くしがたい検査、
壮絶な9か月間の入院生活を経て、
現在の病院の近くにともかくひとり居住し、
いったん退院はしたものの、
「難病」なので、もちろん治ったりはしていない。

という人である。

しかもこの方、入院する前は大学院生の身でビルマ(ミャンマー) 難民という問題に出会い、精力的に活動していた人なんである。
何で立派な志のある20代の方がこんな難病になるのかね~。

難病超ビギナーの私にはいろいろな点が参考になった。
私の疑問だった、難病で動けない人は、やっぱり委任状を何枚も書いて人に頼んで役所へ行ってもらうんだな~というのも解った。
いゃ、そんな細かいことに感心してられない。
この方の怒涛の闘病生活にはタダひたすら尊敬と恐怖すら覚える。
それをユーモアを交え、マンガ・アニメを引用し、自分の分野のビルマや難民を引き合いに出して読みやすくテンポ良く進む。

私、難病なんて関係ないわ、とおっしゃる諸嬢の皆様。
難病にならずとも誰にでも年を取ったら病気、介護、死は避けては通れません。
それらの社会的な実情を知っているのと知らないのとではその場になったときに差が出るは必定。
常識の一環として、たまらずご紹介する次第です。




      ああ、なんて私は幸せなんだ、としみじみするトミー。



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萩尾 望都 版画 「ペニー・レイン」

2011年06月18日 20時07分27秒 | マンガ家名 は行


        ↑ 萩尾 望都 版画 「ペニー・レイン」拡大画面



5月初めに購入の萩尾 望都 版画 「ペニー・レイン」がやっと届きましたので、お披露目いたします。
この版画は以前の萩尾 望都画業40周年記念の時の40枚限定のものと違い、100枚摺られているものですが、人気がある図柄と見えてそのときよりお値段少々高めです。
私も初めて見たときから印象深い絵だったので、見ちゃったら最後、思わず購入してしまいました。
さすがはプロの画商さん、ファンが引き付けられる図柄はちゃんと押えてます。(笑)


全体はこうです。   ↓





取り急ぎ画像のみアップします。


 
     そのうち持っている版画全部並べて写真アップして見ようと思うトミー。
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梅原 猛 「隠された十字架」 - 法隆寺論 -

2011年06月06日 20時58分15秒 | 本の感想

     ↑ 新潮文庫 昭和56年4月25発行 これは平成16年6月15日 45刷 


この著作があらわされたのは1972年である。すでに40年前に近い。
従ってここに書かれている 梅原氏 の説に対して新理論、新事実は山ほど出ているかも知れない。
巻末の解説を書いている 秦 恒平氏 も

…… 版を重ね続けてきた。その間には坂本太郎氏の「法隆寺怨霊寺説について」(日本歴史第300号)などを皮切りに厳しい批判や反論もあらわれた。

 ↑ 解説より引用

と書かれている。
私は不勉強でそれらのすべてを知らないが、それでもまだこの 梅原論 は十分説得力、魅力のある論文だと思う。(小説ではない)


雑誌「クレア」1992年の9月号は夢の永久保存版「THE少女マンガ!!」の特集であった。
インタビュー記事中で、 山岸 凉子氏 がもともと聖徳太子って変 !と思っていたところ、友人から 梅原氏の「隠された十字架」に今あなたが言ったことが書いてあるわよ、と。
それで早速読んでみたら、もうゾクゾクゾクーッときて、
名作「日出処の天子」をあらわしちゃったと。
これを知ったとき、読まずになんとしょう、と思っていたが、本当に読んだのは7年くらい前か。

そのときは気がはやっていたせいか、梅原氏の資料を駆使したしっかり、ねっとり、検証だらけの文章に始めはちょっとイラついた。
だから結論はなんなのさ。
今思えば私も多少若かったのかも知れない。
今回再読してみるとこのじっくりさが、病気入院中だった自分にちょうど良かった。

提示された古典や先人の書の年譜等もじっくり読む。
やはり本と言うものは2度3度読み込まないとその全貌は身に入らない。
良い本、良いマンガほど、読み返す都度新しい発見があるのは皆様ご存知のとおり。

梅原氏は第一部として、昔から言われている「法隆寺の7不思議」の伝説にかけて、「梅原氏の考える七つの謎」を提起し、第二部でそれらを解く解決への手かがりを探し、最後の第三部で真実の開示を行っている。
中でなんと言っても読みでがあって楽しく面白いのは第二部の「解決への手掛り」である。
小説家らしく「情熱的な女帝の恋」やら「無残な蘇我入鹿の死」「野心家中大兄皇子の母に対する複雑な思い」「藤原鎌足の長男の不幸な一生」などを生き生きと活写していく。
一編づつ小説としてもっと読みたいくらいだ。

法隆寺の建造に関して 正史 である「日本書紀」に一言も書かれていないそうである。
他にも官寺、大寺で有りながら建造年が書かれず、
「火事になった」
と言う記事でいきなり出てくる寺も多いそうだ。
「記紀 古事記・日本書紀のこと」の記事は不親切だと梅原氏はぼやく。

氏が言うように「記紀」が 藤原不比等 が作らせた「勝者の歴史書」ならばまったくのウソは書かないまでも、自分たちに都合の悪いことはあえて書かないだろう。
我々だって仕事のリポートではそんな潤色はしょっちゅうである。(笑)
しかし、氏は言う。
いかに取り繕って歴史を隠してもそのしっぽはどこかに出てくるものだと。
それらをひとつひとつ拾い上げ検証しながら、また地元の伝承を紹介しながら氏の解説は続く。
この地元の言い伝えと言うのがさりげなく真実を伝えているようで面白い。
いつの世も大衆は侮れないものだ。

法隆寺は
誰が - 聖徳太子ゆかりの一族か・藤原氏か -
何のために - 太子の徳を称え後世に残すためか・梅原論のように太子の霊を封じ込めるためか -
作ったにせよ、祭られているのは太子(及びその悲劇的な最後をたどった太子の子供、孫一族)が祭られているのは間違いない。
私はだからこの本を読めば太子本人についていくらかの人物像らしきものが解るかと思っていた。
が、そちらに関してはあまり期待しないほうが良い。そういう本ではない。

一般に思われている徳の高い高僧のようなイメージとは違う「戦う聖徳太子」のイメージが増えた程度かな~。


分厚い本だし内容少しばらしてしまったけれど、古代ロマンの謎を解き明かしたい方は、じっくり読んで見てください。


      飽きるので入院中毎日少しづつ読んでいたトミー。


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入院日記 - 4 -

2011年06月03日 20時50分48秒 | 難病になっちゃいました

        ↑ この日は月に2回の豪華な夕食の日 幕の内弁当みたい。


5月某日 15日目 (くもり)
朝洗濯する。今週の遼君はどうしたろう。

先生より病気及び治療の説明を聞く。
一生薬を飲まなければいけないかも知れないという事。
その中でも薬の量が多いままで推移すれば副作用の心配もあること。
量が少なければリスクは減ること。
今朝から薬の量が一段階減った。一週間様子を見て、量が下がっても効いているようならうまく行けば来週にも退院できると言う。

隣の部屋からおばあちゃんの声が聞こえる。

痛い イタイ いたい 痛い イタイ いたい 痛い イタイ いたい 
イタイ イタイ イタイ イタイ イタイ イタイ イタイ イタイ イタイ
イタイ イタイ イタイ イタイ イタイ イタイ イタイ イタイ イタイ
早く早くもらしちゃう こぼれちゃう もれちゃう
いやだ はずして いやだ いやだ いやだ いやだ いやだ いやだ いやだ

結構な大声である。
多分ボケも入っている人なんだろう。
看護士のなだめもなんのその、30分以上叫んでいる。
あるいはあれは30年後の私であろうか。
聞いていられなくなった私は私のリゾートである屋上へと向かった。




           ↑ 春巻

 
5月某日 16日目 (雨)
14時35分~男子ゴルフ「ダイヤモンドカップゴルフ」を見る予定
  ↑ と思ったら、遼君昨日予選落ちしているじゃない ! がっかり~(泣)
17時~ シャワー予定。
雨も降っているし、今日は不貞寝。


5月某日 17日目 (雨)
15時30分~シャワー予定
朝、PGAツアー(アメリカのツアー)「バイロンネルソン」を見る。
今田 竜二が3日目終わって3位タイと頑張っている。明日はぜひ2008年以来の優勝に向けて頑張ってほしい。





昼食のてんぷらそば定食についていた大学芋がすこぶるつきに美味。
外は飴がけがパリッと、中は黄金色の芋がトロリと、おなかいっぱいでもやめられない。
同じものどこかに売っていないかな。この病院特製なのかな。





夜、NHKBSプレミアムPM7時30分~9時 筒美 京平 を見る。
周りの人たちや本人へのインタビューがとても多くて内容が濃かったし、昔のヒット曲が次から次から出てきて私はとても懐かしくて楽しめました。

「サザエさん」から70年代80年代のアイドル歌謡、ジュディ・オングの「魅せられて」ノッコの「人魚」もそうなの ! 最近では中川ショコタンの「綺麗アラモード」まで…やっぱり凄い作曲家だわ。




           ↑ とり団子



           ↑ 魚のフライだったかな。




           ↑ おでん。




           ↑ 今日は中華定食




           ↑ パンの種類も違うのが出る。




           ↑ これはハムと玉子が入ったカツ。




           ↑ 豚しゃぶ




           ↑ とんかつも出た。





           ↑ 私の好きなメンチカツ





           ↑ 冷めないようにホットプレートが付いている。




豪華な食材と言うわけではないが、毎回工夫を凝らし、栄養バランスの取れた食事が出てくる。これで1日あたり780円だかの食費である。自分で作るよりよっぽど良い。
スタッフに頭が下がる。


5月某日 18日目 (雨)
病状の整理をしようと思う。

免疫力のバランスが崩れ、自分で自分を攻撃してしまう病気である。
薬はステロイド系で、コントロールが難しく、急に止めたりするとショック症状になることもあるらしい。
また、投薬中は免疫が低下するので、薬の量が多いときは菌を貰ってこないように外出は出来ない。
今回の入院も症状の出ている唇と口内以外元気であるが、医師の管理の下、投薬をするための入院である。
点滴もしていない。

処方の薬の量が決まったら、しばらくその量で様子を見る。
ちなみに最初の分量の決め手は体重である。ペットと同じだ。
肥満はこんなところでも不利である。
効いているとなると少し量を減らしてまた様子を見る。
それを繰り返して外で生活できる免疫力まで回復すれば退院できる。

が、もちろん完治したわけではなく、治療(投薬減量作業)はずっと続く。
薬量が減ってきても、ある程度以上の投薬が長く続くと副作用の対策も講じなければならない。
薬量が減れば減るほど副作用の危険は減る。
そしてそれは一生続くかも知れないが、担当医師も見届けた患者はまだいないそうだ。
おばあちゃんで他の原因で亡くなった人はいたそうだけれど。
やはり難病指定の病気なのだなぁ。

今日も朝から雨。
3日連続で1日中雨である。
階段の上り下りは続けているが、私のリゾート地(屋上)のベンチは濡れているし、寒いし、鳥の声も聞こえない。
明日は晴れてくれないかしら。

朝、PGAツアーの最終日を見る。
見始めた6時30分は 今田 竜二 が17番ホール -4でトーナメントリーダーだった。
頑張れ !
ライアン・パーマーと一打差であったのに17番でひとつ落としてトップが3人になってしまった。
その後18番でも落として結局2位となった。残念。

昼ごろ担当医師から唐突に明日退院できると言われる。
ぶり返したら即入院、と脅かされるがなんにしてもほっとして嬉しい。
水道やガスの復旧の電話を入れ、友人たちに退院メールを送る。


5月某日 19日目 (くもり・晴)
退院日
朝から用意をする。



         ↑ 屋上からの眺めも最後だ。左の小さい塔はスカイツリーの先端。




         ↑ 最後の朝食


清算書の計算の済んだ11時過ぎ頃退院。
帰りがけに寄ってお昼を食べた近所のビストロで、今井 美樹 の「PIECE OF MY WISH」(ピース・オブ・マイ・ウィッシュ)が流れてきて思わず泣きそうになる。



  長々と入院日記を読んでくださりありがとうございます。トミー。


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入院日記 - 3 -

2011年06月02日 22時13分18秒 | 難病になっちゃいました

          ↑ カレーが出ました。


5月某日 12日目 (くもり)
病院へ提出書類有り。
担当医師より、違う薬を少し出すと言われる。
薬が一時的に増えるが、今までの薬の量を減らし、全体的に量を減らす準備だ。
減量後一週間ほど様子を見て良ければ退院のめども付くという。
もう少しだ頑張ろう。

入院中、薬を飲むだけの治療なので大変暇である。
暇に任せてお肌の手入れをせっせとしている。
免疫力が低下していたり、唇が荒れていたので夜もマスクをして寝ていたおかげで肌の保湿もばっちりである。
結果、現在もっちもちの美肌をしている。
だが今は病院にカンヅメの身、七難以上を隠してきた生来の色白と、この美肌で世の男性諸氏を悩殺する機会は今の所皆無である…。(爆)





            ↑ 朝は食パンも出る。



5月某日 13日目 (雨~くもり)

17時~シャワー予定
朝の薬より一種類増える。

朝食後、夕べお見舞いでもらった「ミルクレープケーキ」を食べている。
お腹いっぱい、優雅なものだ。
階段のぼりを頑張らないと太る一方である。
朝から雨だと外へ出られない身でも少し憂鬱になる。
石川 遼君は全米オープン出場が決まってTVで緊張した笑顔を見せている。
ほんとに可愛いな~。
入院中は彼の姿をTVで見るのが唯一の慰めである。

明日の10時から18時まで、役所へ書類提出のため外出許可が出る。
昼食は外で、行く前・帰ったらナースセンターへ連絡。夕ご飯までに帰る。
効率よく1日で終わるよう、回る予定を立ててみる。
家にちょっとでも帰れるのは嬉しい。


5月某日 13日目 (晴)
昼の薬を忘れず持参。
区役所出張所(住民票取得) →  自宅(収入証明書類持ち出し) → コンビニ(書類コピー) → 地域の保険センター (提出) → 自宅 → もう一度保険センター(再提出) 
の順で何とか 「難病医療費助成申請書」 を申請してきた。
保険センターと自宅を2回往復したのは最初に持参した直近の「青色申告」を前年度分にしてくれというので取りに帰ったのである。
普通直近の書類の方がベストと思うじゃない。
なにやら6月が切り替え時で、5月なのでまだ前々度の方を出してくれという。
自転車で行き来できるところだから良かったが、本当に役所は一度で用事がすまないところだ。

教えてもらった事もあった。窓口の人に言われて、同じビル内にある「福祉事務所」での「手当申請」を薦められたのだ。
お国か都か知らないが、難病になるとお手当てがもらえるのか ! とびっくり。
聞けば所得による支給制限があるが、それを調べるのは福祉事務所がやるので、とりあえず新規申請を出しておいたほうが良いとのこと。
私の場合、3月まで会社勤めをしていたのでアウトだとは思うが、勉強のため早速行ってみた。
やさしそうな女性職員がテキパキ書類を示してくれ、住所氏名の記入、印を押してすぐ終了。
後ほど認定決定か却下決定かお知らせが来るという。
今年度却下でも治療中であれば延長をかければ私の場合今年度は収入がぐっと少なくなるので来年は 「お手当て」 が頂けるかも知れない。
もっとも、金額はひと月に「大学生のお小遣い」程度である。
今日は忙しかったがいろいろと勉強になった。

ここのところTVは毎日NHKBSプレミアムの「近代中国に君臨した女たち」を見ている。今日は 宋 慶齢 の巻。





          ↑ 久しぶりに食べた外の食事。家のそばの昼に定食を出す飲み屋さんのスペシャル親子丼そぼろ入り。



5月某日 14日目 (くもり~夜中雨)
16時~シャワー予定
入院から2週間たった。病気の症状は入院当時よりずいぶんと良くなったが、2週目に入り治る速度は遅くなったというか横ばいの感じがする。
明日から薬の量が減るので、あせらずに行こうと思う。
 



           ↑ 夕食にカツ煮が出ました。


つづく


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入院日記 - 2 -

2011年06月01日 21時51分05秒 | 難病になっちゃいました

           ↑ 以前の入院では牛肉など出なかったが。


5月某日 8日目 (快晴・暑し)
保険屋さん来院予定有り
午後教授回診予定
18時~シャワー予定

BSの6チャンネルで男子ゴルフ「とおとうみ浜松オープン」を連日5時間生中継しているので遼君を見る。
明日もあさっても、しあさっても見るぞ。

午後の教授回診(白い巨塔の20~30人ぞろぞろ引き連れて来るやつね)にて、教授に
「ナンだ軽いじゃない」
と言われてしまった…。
珍しい難病指定の子が入ったというので期待させてしまったかも。
担当の医師が「いえだいぶ良くなりましてここら辺とか~」
と説明するが、あっさり
「もう少し同じ量の薬で、それから減らしていきますか」
と2分もたたずに退場して行きました。(笑)


5月某日 9日目 (快晴)
昼間は男子ゴルフ「とおとうみ浜松オープン」をずっと見る。
5時間もじっくり見ていると、自分がゴルフ場にいるような気になる。
初めて開催の大会で、地元とプロが一緒になって手作りの運営をしているらしい。
ボランティアの皆様も一生懸命で微笑ましい。

後は猫のように今一番気持ちの良い場所を探してうろうろする。
やはり今の季節は屋上が良いようだ。


5月某日 10日目 (大快晴)
9時30分~「とおとうみ浜松オープン」を見る予定
17時~シャワー予定

6人部屋の同室には、病気、怪我、いろいろな人が入院している。
二泊だけで遠い老人施設へ搬送されていったおばあちゃん。
交通事故で両足骨折の70台の女性。
やはり交通事故らしい、全身に怪我と後遺症の残る22歳の色白のオリーブみたいな女の子。
不憫に思うのか、毎日来てべたべたに甘やかすオリーブの両親と妹。
全身ガンで体中に手術跡が有り、内臓のほとんどの部位を取りながら、尚パワフルな下町の女社長。
何の病気か端のベッドでいつもカーテンを引き、沈黙を守る中年女性。

治療が軽く済みそうなので言えることだが…。
自分は幸せだと思う。
入院は出来るならしたくはないが、良い人生経験が出来る機会でもある。


5月某日 11日目 (晴~くもり~雨~くもり~晴れと目まぐるしい)
11時30分~「とおとうみ浜松オープン」を見る予定
17時~シャワー予定

口の中が改善されてきたので、ちゃんと歯が磨けるようになったのが嬉しい。


さて、
日本のお役所というのは時々考えられないようなことを言って来る。
去年だんなが亡くなって車を手放すことになり、ディーラーに頼んだところ、陸運局から財産権の確認で上下の戸籍を求められた。
中古で40万ほどの売値だし半分は私が出したのだから半分の割合だが、まあそれはルールとしてしょうがない。
我々には子供がいないので下はだんなの死亡証明でよいが、親以上はおじいさんまで出せと言う。
おいおい、だんなは末っ子、父母とも亡く、父親は明治生まれである。
その親といったら 江戸 に近いぞ。
生きていたらどう考えても130歳前後のご長寿ホルダーである。(笑)
それでも死亡が確認できる書類を出せと言う。
幸い、「佐吉さん」という だんな のおじいちゃんは、だんなと同じ本籍地に住んでいたのでそこの区役所で戸籍が取れた。
今住んでいる区とは違うが、同じ都内で済んでよかった。
これが当人やその子(だんなの父親)が地方から出てきた人なら、またそちらの役所に問い合わせたり郵送願いなどしなくてはならず面倒な事だった。


今回私の病気は症状がまだ軽いとはいえ難病指定となっている。
病名がなかなか突き止められないのと、治療が長引くとか、薬のコントロールが難しいとかでそうなっているのかと思うのだが。
指定があると治療費の補助が出るのはありがたい。

例によってさまざまな書類を揃え、

 当人 
が役所の窓口にて申請しないといけない。
申請以前は病名がわかっていても、治療が始まっていても一切補助は出ないそうだ。
現在担当医師に書類を揃えてもらっているところだが、同時に病院にカンヅメで治療中の身である。
病院の書類が揃っても、投薬のため免疫力が落ちた体で、この暑いのにマスクをかぶり、人ごみを避けてタクシーに乗り、添付書類の住民票を取ったり、保険証のコピーをコンビニに撮りに行ったり、所得証明書類を取りに自宅に帰ったりしなければならない。
そしてやっと役所の窓口に申請に赴くのだ。
医師が本当は外に行かせたくないけど、本人じゃないとだめなんだよね。
と言う。
少ない量の薬が効いてきた私だから良いが、もっと重篤な人はどうすんだろう。
人に頼もうとするとまた「委任状」出せとかいうんだろうなぁ。


本日の「とおとうみ浜松オープン」は、小林 正則と石川 遼の2度にわたるプレーオフ、遼君負けちゃったけど、非常に見ごたえが有りました。
小林 正則プロ、初優勝おめでとう。




             ↑ 麺類も出ます。かき揚げうどん。



つづく
 


コメント (2)
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