猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

西谷 祥子 「お元気ですか?」 -亜子からあなたへの手紙-

2007年07月30日 18時02分38秒 | マンガ家名 な行
  セブンティーン・コミックス ①~④ 1971年8月30日初版~ 定価は250円、ビニールカバー付です。 夜さんにお借りしました。
 
 連載は週間マーガレット 1970年7号 (2月頃からですかね) ~1971年5号まで約1年間 この頃の少女週刊誌の長期連載ってこの位の長さが普通だったかな。1年でコミックス4冊分、その他に別マに短編読みきりとか描いてらしたから、西谷氏後年のインタビューに当時寝る間もなかった、と答えているの分かります。
 何しろ当時の絵を見ると、ほとんどアシさんなしで全部西谷氏が描いているふう、おまけにレタリングも背景も斜線さえスクリーントーンなし、ぜ~んぶ手描き。いまどきの同人誌より手作り感いっぱい、もう恐ろしいです。

 24年組さんたちはお互いに手伝ったりアシスタントさんを共有 (融通?) したりしていたようですが、1970年代始め頃まではマンガは一人で描くものだったのですね~ 

 あー、やっぱりこの方の作品は、外国ものより日本国女子高校生が主人公の学園ものの方が読みやすくて好きです。というか、今読んでも感情移入できるのは自分が以前は純情可憐な日本国女子高校生だったからか ? (ほぉ~40年近く前じゃ忘れてるでしょ) という声は無視させていただいて。

 「花びら日記」 がその名のとおり日記形式だったのに対し、この 「お元気ですか?」 は亜子のペンフレンドに宛てた文通の形式になっています。だから時々顔と花のアップの後ろに今度は長々と 「これはもうお話しましたっけ?」 だの 「あなたはどう思いますか? お返事待ってます。」 とか言った文章が入っていて、そのまま読者への問いかけになっています。これはマンガの上手い方法だとは思うんですが、読者対象が絞られていないと通じない気もします。
 今、少年マンガ雑誌を男も女も小学生から中年まで読むこのご時世では、出来ない手法になってしまいました。

 この作品は、以前ご紹介した西谷氏の 花びら日記 コミックス①~③巻 とその続編の 「奈々子の青春」 同①~②巻など他にもいっぱいある西谷氏の学園ものと同じく、とある共学高校に通う女の子 亜子 の恋愛とその周りで起こる学園内外の騒動が主体のお話です。亜子の幼馴染の美少年 竹也 とか、両親、兄妹などの兄弟、学校には仲の良い女子グループもいて、というシチュエーションは似通っていながら、発表年月が他の学園物より遅いせいかちょっと他と違うところが有ります。

 それは年頃の男女に避けて通れないセックスの話題が絡むようになってきたこと。グループ内の友人の一人は年上の男性と同棲して子供まで出来ちゃうし、(後に流産という悲しい結果) 主人公の亜子も竹也と何度もキスシーン有りの、竹也はこれまた年上の色っぽい女性に誘惑されるわ、亜子にも理性ぐらぐらのシーンも有ります。

 私が高校生だった1970年前後、実際の学園生活でも有りましたよ。卒業したとたん若い男性教師と結婚した子とか、(これって在学中に付き合ってたのバレバレだよね~) 妊娠した事がバレて学校辞めた子とか。
 女の教頭先生が朝礼で、休み中は 「桃色遊戯」 にふけることの無いよう、と言って全校大爆笑した思い出とか…。
 もちろん私の回りを見回しても、大半の子は興味はありながらも大人の世界にはまだまだなお子ちゃまが多かったですけどね~。もちろん、私もよ~。(ブリッ)

 実生活がそんなだもん、マンガだっていつまでもキスもない清らかな学生生活なんてかえって可笑しいと言うもので、亜子はまだしも、周りの男の子、女の子たちいろいろやってくれちゃいます。
 もちろん今から見れば可愛いところも有りますが、大して変わらないところもあり、今の方が乱れているとは言いがたいです。

 変わったと言えば、女性の人生についての意識の方が大変革していて、16~17歳の女の子の夢や憧れが結婚して奥さんになること、というのが男も女もこの中では大前提になっているんですね~
 亜子もそんな人生で良いのか ? とふと考えることはあるのですが、やっぱり好きな竹也のお嫁さんになって専業主婦になりたい、と考えている。廻りの大人もそれが女の子の幸せと信じている風で、あれ~当時ってそんなに前時代的だったかな~~

 それに17歳なのに婚約、婚約って大騒ぎしていて、それも不思議。きっと当時の高校生には憧れのアメリカにかぶれて、ステディとか婚約してる、と言うのがマンガの中の憧れ、高校生としてのゴール、だったのでしょうか。

 週間連載だったせいか、亜子と竹也のこのカップル、あっちへフラフラこっちでウロウロ、実にじれったい。相手を信じると言った先から疑ったり自分に自信が無くなったり。一気読みすると疲れます。でも来週はどうなるのか・・・と楽しみに読んでいたティーンの読者にはそんなヤキモキも楽しかったのかも。

      これを読んで、マンガは 世に連れ と言うのがよく分かりました。
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2007年7月のビストロ ボン・ヴィボンのお献立

2007年07月25日 17時29分49秒 | グルメ 私の食べた美味しいもの
      ↑ まずは帆立のカルパッチョ 梅肉ソース サラダ仕立て


 ちょっと遅くなりましたが、7月14日の夜に食べた、いつもの北軽井沢ビストロ ボン・ヴィボンさんの晩餐メニューをご紹介します。

 上の写真のカルパッチョは梅肉ソースというところがミソでして、さっぱり夏向きのお味でした。


                  


                  今回の絶品、蟹のクリーム煮のココット

 蟹のクリーム煮をココット型に入れ、その上に卵を一個ポンと乗っけてオーブンへ。食べる時は半熟の卵を割りながら食べましょう。ただでも濃厚なクリーム煮に黄身が溶けて~~ああ絶品。


                  


                  オニオンキッシュ


 キッシュの中身はよく炒めてあるたまねぎのみ。しか~し、この甘み、旨みは何という衝撃のお料理なのですよ、これ。


       間に先月も出たとうもろこしの濃厚ポタージュが入って、
 
         
                  


                  春野菜たっぷりとトマト煮込みソースの手打ちパスタ


   
                  


                  牛肉ステーキのブルギニヨン?ソース


                  
                  


                  デザートはプレミアム卵を使ったクレームブリュレ


 いつもここでミルクティーを頼むとティーオレにしてくれて私は嬉しい。パンもバターもここのは美味しくて始めについ食べ過ぎて、お料理最後の方はお腹がパンパンなのよね~。(やせられないわけだ 汗) いいんだうちら夫婦はお酒飲まないからその分食べるんだい 
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あすなひろし 哀しい人々シリーズ 「幻のローズマリィ」

2007年07月24日 17時02分06秒 | マンガ家名 あ行
       ビッグコミック・オリジナル 1977年2月20日号 掲載


 一つの作品が個人的な思い出をまざまざと思い出させることがある。
 
 その店は東京のJR (当時はまだ国鉄と言ってたっけ) 山手線の大塚駅の近くにあった。凹字型のカウンターしかない小さな居酒屋はおばさん一人で切り盛りしていた。カウンターの上には大皿が並び、すぐに食べられる煮物とか焼き物などが盛られていて、客はとりあえずそれらを頼んでつまみにし、頼んだ料理が出来上がるのを待つのだ。

 その店が他の店とはっきり違っていたのは、おばさんの愛猫が店の中にのんびり居座っていたこと。普通食べ物屋さんの店内では動物はご法度で、家で飼っていたり、残り物をやっていて居ついてしまったノラ猫でも店の中には入らせない。食べ物を扱っていたら当たり前のことで、私もそんな店は後も先もここ以外に知らない。
 
 女主人が猫好きなのは当然のことだが、客も猫好きしかいなかった。猫がカウンターの上の皿に近づこうが、ひざに乗ってこようが喜びこそすれ、誰もとがめる客なんていなかった。一見の客がそれを見てびっくりしようもんなら、常連客がみんなで そんなやつぁここに来るな ! という目で客を追い払う、そんな店だった。

 そこのおばさんは昔 SKD(松竹歌劇団) か NDT(日劇ダンシングチーム)かどこかで踊っていたらしい。当時20歳を少し過ぎた頃の私には、その50がらみのおばさんはそう言われればそうなのかなぁという華やかさしか感じられなかったが。
 
 ビッグコミック・オリジナルの本作を見たのはその頃よりもう少し後だったと思うが、すぐにその店を思い出した。
 中年のおばさんが一人で切り盛りする居酒屋が舞台で、彼女は宝塚歌劇にいたのだが新人の頃失敗して退団し、その後ストリッパーをしてあちこち転々としていたという設定だった。
 その店に集まる人々のそれぞれのほろ苦い物語で話は進むけれど、やっぱり私にはその元ストリッパーのおばさんだけが自分の思い出と結びついてずっと記憶に残っていた。特に上の写真の場面をはっきりと。

 先日、ネット友人の tooru_itouさんがこの作品のコピーを送って下さった。自分では持っていなかったし、もう題名も話も忘れていたので見た時はとても嬉しかった。これはあの作品ではないか・・・。

 とたんにあの凹形をした狭い店内を思い出した。自分がまだ若く生意気だった頃、当時付き合っていた男の子とよく行ったあの私の  「店の名はライフ」 を。

  tooru_itou様、ありがとうございました。
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COMの中の女性作家 ④ もとやま 礼子 「白い影」

2007年07月23日 10時03分09秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
   COM 1968年9月号 第12回月例新人入選作 <青春・実験まんがコース>            
            写り悪いし、私の指が写っちゃってますが (笑) 


 あらすじ 

 江戸時代、捕縛され血まみれの着物を着た若い女が引き立てられていく。女は呆然と前を見つめ、口を半開きにして見物人の前を歩いていく。そこから女の回想に入っていく。
 
 貧しい漁村、幼い男女が仲良くたわむれている姿。女の子が転んで泣くと父親が出てきて、男の子のせいだと言わんばかりに男の子を殴り女の子を抱いて行ってしまう。貧しいながらも女の子は大事にされているらしい。
 十代後半だろうか成長した二人。男は漁師で網の修理をしている。手をケガした男に女が布切れを巻いてあげる。思春期の二人は口付けを交わすが、女は怖くなってその場を立ち去ってしまう。

 女の父親が死んだらしい。後には泣く母親と幼い弟妹。女は50両の金で売られていくことになった。窓から青ざめた顔でそれをみる男。旅の支度をし、人買いに連れられ漁村を出発する女。途中竹林で男が待っていて、つかの間抱き合うが人買いに手をつかまれ、無理やり引き離されてしまう。

 時が流れ、宿場らしい町の一角、胸をはだけ髪も乱した女が酔客の相手をしている。カラのお銚子を持って階下に下りていくとそこには・・・・。青年となった男が自分を探して会いに来ていた。嬉しそうな男。しかし、女は突然のことに声も出ないようだ。

 突然かんざしを手に男の首に切りつける女、飛ぶ鮮血。なぜだ ?! という目を向けて、抱きしめようと女の体にすがる男にもう一度躊躇なくかんざしを振りかざす女。
 女は男に会えた嬉しさよりも、今の自分の姿をみられた恥ずかしさの方が勝ってしまったのか ? 

 冒頭の場面に戻り、ふらふらとしゃがみこんでしまう女。見上げた目の中には、やっと一滴の光るものが見えただけだった。


 もとやま氏はこれ以前にもCOMのこのコーナーで佳作に入っていたりしますが、この作品は後にCOMに発表されたものも含めて、一番印象に残っていて、一番上手いと感じた作品です。理由は以下の4つ。

① まず選者の 峠 あかね氏 も言っているように、着物の柄のタイトルバックから女の歩く姿、そこから女の回想に入っていく導入部が作品の世界に自然に入って行け、達者だ。

② に 全編当時で言う 「サイレントまんが」 で一言のセリフも説明文も入っていない事。

③ は 主人公二人の他の人物は黒いシルエットで表されていて、徹底して二人に焦点が当たっていること。

④ はラストに意外性があること。
 金持ちになった男が迎えに来るとか、貧乏でも上手く手に手をとって苦界から女を助け出した、とかのハッピーエンドではありきたりで、短編としては面白みがない。

 思ってもいなかった事態に遭遇した時、人はどのような行動をとるか。
 この女は酔客の相手をする仕事、夜の世界に生きることに慣れた自分を幼馴染の好きな男には死んでも見られたくなかったに違いない。こんな自分には逢いに来て欲しくなかった。
 でも、見られてしまったからには男を殺し、ひいては自分の身の破滅になろうとも悔いはない。綺麗な思い出のまま二人を滅ぼすのは、形を変えた心中と同じなのだ。封建社会に生きる女にとってそれは当たり前のことだったのか、はたまたこの悲劇は女の情念が深すぎたためか ? 

 読み終えて短編ながら読者も呆然と考えをめぐらす佳作です。

 
 もとやま氏はその後少女漫画誌にデビューされ、別冊少女コミックの 「巴御前」 ものや「湯けむりねえちゃん」「先生にしつも~ん」 などの作品で活躍されました。一時レディコミックスにも描いていたような・・・。今はどうされているんだろう。

 尚、昭和53年(1978)4月28日発行の 「もとやま 礼子の世界 白い影」 という、多分ムック本 (未見) に 矢代 まさこ氏 が 「もとやまサンはもてやまし礼子です」 という作品を描いているので、矢代氏も もとやま氏 及び、この作品のファンなのでしょう。
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迎え火・送り火

2007年07月20日 14時23分16秒 | 雑記
       お盆の時に使うお道具です。はすの葉っぱに水が入ってます。


 東京は新暦でお盆をするので、7月13日の夜に我が家でも迎え火を焚きました。こちらにお嫁 (ぷぷ 40の花嫁でしたけどね~) に来てこちらのやり方を知り、へーっと思ったんですが、地方によっても違うんでしょうね~。

 こちらでは、まず庭などで ほうろく に新聞紙と乾燥した枝などで火を焚きます。火が収まるまで待ちます。 ↓ 焚いた後の写真で汚くてごめんなさい。


                  

 
 ほうろく(焙烙) というのは素焼きの大皿のようなもので、銀杏を炒ったりします。私の実家にも有りませんでしたし、今では知らない人も多いかも。居酒屋さんしか使わないかもですね~。

 それからその家の主人から、最初の写真の右に写っている花の付いてる草を束ねたもの (何の草だか分かりません 泣) をはすの葉っぱに入っている水をつけて ほうろく の火に3回振り掛けます。それからおもむろに (ここからが面白い) ほうろく の上を3回またぎます。そして ほうろく に向かってお祈りします。順に家人が同じことをやってお終い。15日の送り火も同じことをやります。

 最初に見た時面白くて、「何でまたぐの~ ? 」 と聞いたのですが、昔からやってるからどうしてか知らない、ということでした。埼玉の実家では迎え火と送り火は焚きましたが、火をまたぐなんてしませんでしたね~
 関東ではみな同じなんでしょうか ? 


                  


                  みんな出てきて火なんか焚くので犬のペルは興奮してます。


                  


                終わって玄関入ったら猫の亜美も 「みんなで何やってんの~」 と不思議顔

        皆さんの所で面白いお盆の風習があったら教えてくださいな。
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秋乃 茉莉(まつり) 「Petshop of Horros」 ①~⑦

2007年07月19日 19時25分38秒 | マンガ家名 あ行
           朝日ソノラマ ソノラマコミックス文庫

 たれぞ~さんにお借りしています。

 読み進むうちにだんだんと面白くなってきて、ずんずん読んでしまいました。(なんちゅー感想でしょ) 

 アメリカの大都会、チャイナタウンにペットショップを営む、若く美貌を持つ男の中国人。オッドアイ (左右の目の色が違う ペルシャとか白い猫にいますね) を持つその男はD伯爵 (カウントディー) と呼ばれる。
 動物で揃えられないものは無いと言われるこのペットショップでは、生きているものどころか 麒麟 や 龍、人魚から、はては古代中国に生息していたと言われる人喰いの妖獣 饕餮 (とうてつ) までそろっていると言う。そして彼は時折絶滅した種を痛んでその夢を見るのだ。

 D伯爵はそれら希少なペットたちにかしずき仕え、彼らが自ら主人を決めた時、主人 (マスター) との橋渡しをしてあげるのだ。
 もちろん、犬や猫、アライグマなど普通のペットも扱ってはいるが、彼らの声が聞け、人間の姿となって見えるD伯爵は彼らと人間との関係に心を砕く毎日だ。

 このD伯爵様、私の厩戸の王子様にすこ~し面影が似ていて、ちょっと~ん、良いじゃなーいしかも巻が進むにつれ、お茶目で可愛いところも見せるのよ。そういうところは厩戸さまは少ししか見せなかったから、いよいよ可愛いわ。
 しかし、動物達に対する愛情と裏腹に人間社会がどうなっても知~らないというところがあって、なにやら不老不死の吸血鬼にも知り合いがいるようだし、彼の生い立ち及び一族はどうなっているのだろうかという謎が生まれる。

 絶滅した動物が生きているように出てくるのは 「百鬼夜行抄」 のようだし、動物達が時に人間の姿に見えるのは 「雨柳堂夢咄」 のようだが、D伯爵は 「百鬼夜行抄」 の律にも 「雨柳堂夢咄」 の蓮にも似ていない。7巻の最後ではD伯爵とその父親、祖父の謎がついに解き明かされる。

 市警のオルコット刑事と3巻の最後から登場するその弟のクリストファー(クリス)、も絡んで一話完結で進みますが、全体の謎も次第に分かってくるという仕掛け。最終話は7巻の半分を使った長いものになっています。ですが、この最終話はちょっとSFアクションになっていて、今までと違う雰囲気で私はう~ん少し違和感あったなー。謎が解明されて落ち着くんだけど。それと20年後くらい経った後のラストシーンも好きだけど。

 今2回目読んでます。続けて読むのは最近無いことで、それだけ面白かったのですよ。日本を舞台にしたも出ているそうで、これも読みたいですねー。


 ところで、厩戸さまといえば…。私が良く伺う なれのはて さんというブログについに山岸 凉子氏の 「日出処の天子」 の記事が載ってました~。とてもよかったので、山岸 凉子氏好きの方は読んで見てください。

  なれのはて さんの → 日出処の天子/山岸 凉子

こちらと、私のブックマークに入っている 処天 のディープなサイトである

ソマリ宮 さん

を読めば、わたしは 処天 の記事書かなくてもいいかなと思ってしまうのです。
 
 も一つPS.

 つるさんが7月5日の ふたつの 「バビロンまで何マイル」  の記事にコメントをくれましたが、これがまたまたすばらしく、私の質問にも見事に答えてくれていますので、こちらの方もぜひ読んで見てくださいませ~。
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萩尾 望都 「訪問者」

2007年07月18日 19時41分21秒 | マンガ家名 は行
         初出 プチフラワー 1980年 春の号


 私が読んだのは小学館文庫 1995年9月1日初版 2000年7月1日 第13刷 のもの


 名作 「トーマの心臓」の中の読者一番の人気キャラクターである オスカー・ライザー の子供の時の話がつづられています。

 6月12日の記事はこちら → 「トーマの心臓」 

 「トーマの心臓」 の中で彼の母親は父親に殺されたらしい事、その後父親と1年くらい各地を放浪した事、実の父親である ルドルフ・ミューラー 校長のいるシュロッターベッツ学院に半ば置き去りのように入学させられた事、などが語られていますが、その詳細が明らかにされてきます。ちょっと刑事などが絡んでミステリーにもなっている。

 直接 「トーマ~」 とは関係のないストーリーですが、オスカーが 「トーマ~」 の中であのような冷たいとも取れる落ち着いた大人の態度が取れるのが、1年留年しただけでなく皆より経験が豊富だから、という事が分かります。こんな1年を過ごせばどんな子供でも大人になってしまうよね・・・・。

 ラスト近く、ミュラーと初めて会うオスカー。オスカーを始めて見るミュラー。二人の何も言わない、けれど二人とも分かってしまった、描写が胸にズシンと…来ます。読者は先に 「トーマ~」 を読んでいるからこの重さが分かるのですね。

 それから私、最後になってこの題名の意味が分かりました。― 訪問者 ―は雪の上を歩いてくる神様のようでいて、それぞれの心の中にあるものだったのね ?


 同収録の 「城」 (初出 プチフラワー 1983年9月号) という作品は初めて見ましたが、表紙のイラストが 岡田 史子氏 を思い出させるもので、そう言えば、COMを通じて萩尾氏は彼女の影響も受けているのかな~と考えました。

 他に問題作で作品としても暗い 「エッグ・スタンド」 (初出プチフラワー 1984年3月号) 女子高校生の恋愛と心と体のアンバランスを描いた 「天使の擬態」 (初出 プチフラワー 1984年11月号) を収録。 
 「城」 と 「天使の擬態」 では、子供の自我の確立を、「エッグ・スタンド」 では 死 を、「訪問者」 ではその両方をテーマにしているように見えます。この頃 (1970年代後半~1980年半ば) は 「恐るべき子供たち」 (1979年)などもそうですが、萩尾氏はこのテーマを繰り返し描いているように見えます。そしてそれがその後の 「残酷な神が支配する」 などに繋がっているのでしょうか。
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箱根ラリック美術館

2007年07月13日 15時39分47秒 | お出かけ・旅・美術・博物館
               前面より正面玄関を望む

 

 まずはHPから → 箱根ラリック美術館

 もう先週になりますが、7月7日の七夕の日に友人達と箱根へ行き、一泊して帰ってきました。この写真は7日に行った 箱根ラリック美術館です。
 曇りではっきりしませんが、風情のある建物です。中庭には自然のままのように造られた池が有り、モネの庭を見るようです。箱根湿生花園の隣で、周りも全て緑緑でとても落ち着く場所にあります。
 
 ルネ・ラリック (1860-1945)はガラス工芸を芸術の域にまで高めた芸術家として有名で、本人は第2次大戦の終戦の年に亡くなっていますが、その工房は存続していて、日本では銀座和光の地下一階などで作品を買うことが出来ます。
 
 私の勤続20年の時に記念に会社からラリック社の ガラスの鳥の置物 をもらいましたが、日本のサラリーマン家庭には飾るところも無く、処分させていただきました。(商品券の方がありがたいんだよ ! 頂き物にあら、はしたない。)

 ただし、こういうものを見るのは好きなので、前から行ってみたかった美術館なのですが、箱根には他にも素敵な美術館がいっぱいあって、やっと今回足を運ぶことが出来ました。車を敷地内に入れようと待っている時、宮様かどなたかが乗ったプレジデントが2台するすると退出していくのが見えました。警備員達に敬礼されてましたね。今企画展で 「幸せの髪飾り 展」 をやっているので見に来られたのでしょうか。

 以前行った箱根ポーラ美術館の記事はこちら → ポーラ美術館を見て来ました。

 

               

 
 入り口を入ってすぐ左にオリエント急行の車両が飾ってあるレストランがあります。そこを裏側から見たところ。こんな芝生をゴルファーに見せちゃいけませんや、夜中にこっそり入ってグリーン周りの練習をしたくなります。
 
 こちらの美術館を作った方は、さる山林王の家系の方らしく、最初はクラッシックカーを集めていて、カーマスコットに使われていたラリックの作品に興味を持ち、それからコレクションを始めたようです。


                


                館内に飾ってあるブガッティ


 
                


                そのカーマスコットのとんぼ もちろんラリックの作品

 ラリックの作品はとても繊細で、香水ビンやアクセサリーなど小さいものも多いので、HPの写真を見ても、もどかしい感じがします。綺麗なもの好きの女の子さんたちは一度ぜひ足を運んで見てくださいな。
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せどり ル

2007年07月12日 15時11分06秒 | マンガ家名 さ行
 これは以前記事にした 佐藤 史生氏の 「打天楽」 というコミックスです。


 過去記事はこちら  →  佐藤 史生 「打天楽」 (ワン・ゼロ番外編)

 以前 「ワン・ゼロ」 をお借りして読んでからどうしてもその番外編を読みたくて まん○らけ へ行った折に見つけて購入したもので、価格は800何十円でした。定価より高いですが、佐藤氏の作品は入手が難しいと聞いていたので納得して購入。
 
 それが・・・・・・先日地元のブック○フで105円で見つけてしまいました。掘り出し物というわけです。ムズムズ、こ・これはネットでよく聞く せどり ができるかも知れない…。始めはあっ、同じもの、しかも初版だわと手にとってながめていたのに、いくらかでも元を取りたいという不埒な気持ちがふつふつと…(笑)
 
 もちろん せどり を本格的にネットで始めるつもりは有りませんが、まん○らけ ではどの位で仕入れているのか興味もあったので (言い訳言い訳)

 で、しばらく後に行ってまいりました まん○らけ渋谷店 さん。

結果は・・・・・・300円でした~。

 本格せどりさんたちはもっと高いお値段つけてネットに出しているのでしょうね、まん○らけさんには仕入れですから。1冊や2冊で交通費使ってやるもんじゃ有りません。私はついでに 探していた 山田 ユギ氏の 「最後のドアを閉めろ」 ② をネットより数段安く見つけたので当日は大満足でしたけれど。

せどり → 同業者の中間に立ち、注文品などを尋ね出し、売買の取次をして口銭を取ること。また、その人(岩波書店『広辞苑』)。

 最近では、古本屋で掘り出し物を仕入れてネットオークション等で転売している人たちのこと、又はその行為を指すようです。
 背 (せ) 表紙を見て一瞬で判断して 取り (とり) 仕入れる、というところから来た、という記事を見ましたが本当かな~ ? 広辞苑の由来からは本とは限らないようだし。どなたか知っていたら教えてください。


 近況報告

 7月1日から新しい部署に転部となり、6月の立ち上げからその後の処理まで大変忙しくしています。しばらく飛び飛びの記事アップになるかも知れませんが、お見捨てなく~(泣)気長にお待ちになっていてくださいませ~(泣・泣)
 それでも夜のマンガ読書はやめられず、ただいまたれぞ~さんにお借りした 秋乃茉莉氏の 「Petshop of Horrors」 を読んでいます。これ、新 (日本編) もあるんですね~。続けて読みたいですわ。
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あの頃君は若かった  (byスパイダース)

2007年07月09日 12時42分58秒 | 雑記
          私のだんな、今を去ること35年程前、22歳のお姿。


 当時若者に絶大な人気の雑誌 「平凡バンチ」 の表紙から抜け出てきたようですわ~~。(にょーぼーバカ)

 今日は昔話、それも私のだんなの話を。あ~そこのあなた逃げないで、バリバリ都会っ子のだんなの高校時代はお友達も含め面白い話がいっぱいあるのよ~

私とだんなの馴れ初めはこちら → ゴルフが取り持つ縁 えん?

私とだんなの勘違いの日々はこちら → 多忙な日曜日、もしくはだんなの幸せな1日



 東京下町生まれの我がだんなを、一言で言うと 下町のしつけをちゃんと受けた大人 かな。特にべらんめぇ口調ではないですが、(営業が長かった) 時折下町言葉も出てくるちょうど江戸在住3代目、江戸っ子です。
 生まれたところも今の家でお産婆さん、今年57になる今日まで家の新築の為一時引っ越していた以外はずっ~と今の所に住んでます。こういう人もいまどき珍しいと思うがね~。

 さて、すくすくと (背は今でも小さいが) 育って高校入学となり、入った高校の場所は銀座の隣町、出来た友達が悪かったのか、はたまた自分の不徳の致す所縁か、行きも帰りも銀座で遊び、立派な不良 (当時としてはね) となりました。
 
 朝は3通りの過ごし方があったそうで、始礼時間に間に合いそうな時は3~4人でタクシーを乗り合わせて駅から学校へ。当時タクシーの初乗りは80円、4人で乗って一人20円バスと大して変わらなかったそうな。メーターが変わる直前の学校手前で降りるのがミソだそうで。先輩が一緒の時はごちそうになれたそうです。
 
 1時限目に間に合わなそうな時は、手前の駅で降りて行きつけの喫茶店へ。三々五々仲間が集まって、あっちのテーブルの女子からはタバコをせびられ、3曲100円のジュークBOXでR&Bを聞き、2時間くらいサボって学校へ。

 もしくは示し合わせて早朝ボーリングという日もあり、ボーリング場に朝8時集合、1レーン1時間800円で貸切、2人で@400円で8ゲームできたそうです。1ゲーム100円は当時でも安かったそうな。

 夜 (夕方から?) は夜で友人宅で麻雀づけ、タバコを1箱買って4人でこれまた分けて吸っていた。当時ピースは一箱100円、1/4 で25円 ? 
 ジャズ喫茶に入り浸る友人もいたそうで、都会の高校生は凄いなぁ。当時の大学生と変わりませんね。
 
 着る物は流行 (ハヤリ) のVAN等のボタンダウンシャツ、銀座の田屋 (高級紳士服店) では1,500円、安い洋品店では800円くらい。だんなは上野三峰で1足800円のブランド物ソックスを買って親に怒られたとか。
 ファッション誌は 「メンズクラブ」 と 「男子専科」 メンクラは若い子向き、「男子専科」 はもう少し大人のサラリーマンや自営業者の方々の愛読書でした。

 小遣いは高校時代 (1967年前後) で一月3,000円、郵便局の年末バイトが一時間90円~100円くらいで1日で750円くらい、大学生になってキャバレーのボーイのバイトをやったら1時間250円で、でも5時間くらいしか働けない。それでも郵便局より割りのいいバイトですね。素うどんが30円って言ってたか、ラーメンは50円、もんじゃはもっと安かったよね。

 私はそのころお姉ちゃんのお下がりを着て、埼玉県の中学校でマンガ読んで、へたなマンガ描いて、毎日卓球ばかりやって、憧れの生徒会長の人形など作ってました。

 続きは又だんなから面白い話を聞いてから綴るとして、どうも、人間50も少し越えるようになると、昔のことを懐かしく思い出すようです。

皆さんの青春の思い出はどんな友達、どんな洋服、どんな食べ物に彩られていたでしょうか。
コメント (8)
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