■吉村昭「陸奥爆沈」新潮文庫(昭和54年刊 原本は昭和45年新潮社)
筆者吉村さんは、あとがき冒頭でこう述べておられる。
《長い旅であった。闇に塗り込められたトンネルを手さぐりで進むような日々であった。それだけに書き終えた時、疲労とともに満足感にもひたった。
その後原稿の推敲をすすめる間、私は、しきりに妙なものを書いたという感慨にとらえられた。この作品は、一般の小説形式とは異なって、私自身が . . . 本文を読む
■吉村昭「関東大震災」文春文庫(2004年新装版刊。原本は1973年文藝春秋刊)
吉村昭はこの「関東大震災」によって、1973年第21回菊池寛賞を受賞している(正しくは「戦艦武蔵」から「関東大震災」に至る業績に対して)。
1974年、パソコンもインターネットもない時代に、この著作をまとめ上げたのは、相当な力技である。助手だとか秘書だとかを使っていたふしはないので、独力で成し遂げたのだろう。著者 . . . 本文を読む
■吉村昭「冬の鷹」(昭和51年刊。原本は昭和49年毎日新聞社から刊行)
おそらくフィクション70%、史実30%かしらね。こういう小説になってしまうと、そのあたりを見極めるのはひどくむずかしい。
いうまでもなく無条件な虚構ではない。
「おそらくこうであったろう」という推定が、ぴしぴしと決まって、吉村さんの腕のたしかさにのせられ、読者は時間的にも、空間的にも、はるかな彼方へ散歩につれ出される。酸っ . . . 本文を読む
昨日手に入れたばかりの吉村昭エッセイ集。
ここで注目は「創刊! 文春新書」のオビ(^^♪
平成10年10月、最初の配本10冊の一つだったのだね。
巻頭に収められた「『破獄』の史実調査」を読み直し、作品読了直後なので、あらためて驚嘆! 取材の舞台裏が赤裸々に述べられている。
これはフィクションではない、ということだね、まさに。 . . . 本文を読む
(新潮文庫で読んだのだが、単行本も手許にある。)
■吉村昭「桜田門外ノ変」(平成7年刊。単行本は1990年=平成2年新潮社)
吉村昭以前と以後。
そういう括りがあるのかどうか知らないが、「生麦事件」につづき、この「桜田門外ノ変」を読んでいて、そう思わざるをえなかった。
記録文学としての歴史小説・・・これは語の矛盾のようにもかんがえられよう。しかし、吉村さんは、そういう力技を決めたのだ . . . 本文を読む
吉村さんのエッセイ集7冊。ほかにも文庫本で3冊か4冊出ているようだ。
実店舗を散歩がてらよく歩くけど、それによって集まってきた。
吉村ワールド! 吉村ワールド!
エッセイで肉声のようなものというか・・・小説家のこぼれ話が聞ける。
昨日、今日、そして明日も吉村ワールド!(^^♪ . . . 本文を読む
■吉村昭「プリズンの満月」新潮文庫(平成10年刊 原本は平成7年新潮社)
司馬遼太郎は鳥観図を用いて、そのパースペクティブがもたらす視野の中で歴史や時代を眺めようとするが、吉村昭はそうではない。
むしろ地を這うような低いまなざしを好んで用いる。
それは司馬さんが、大抵の場合、その時代の権力者や英雄、いわゆる“歴史的有名人”をしばしば主役に据えていることを勘案すればわかる。それに比べ、吉村さんは、 . . . 本文を読む
■吉村昭「羆嵐(くまあらし)」(昭和57年新潮文庫 原本は昭和52年新潮社)
このところ、吉村昭に入り浸りである。
なぜそうなったかというと、吉村さんがノンフィクション、ドキュメンタリー作品を多く手がけているから。
小説は基本フィクションなのだが、どういうわけか近ごろ2年ばかり、わたし的にフィクション離れが甚だしいということ。だから吉村昭がおもしろくて仕方ないのだ・・・と思える。なぜそうなのか . . . 本文を読む
(庭にころがっていた金柑の実を置いて撮影)
沈潜する慈愛のまなざしというべきものが、この作品を背後から照らしている。吉村昭は尾崎放哉と同じく肺結核に苦しんだのだ。若き日のそうした体験が、「海も暮れきる」というこの作品を特別なものとしている。
近所に住む漁師の妻、シゲの存在が大きく、放哉は彼女に救われた。彼女がいなければ、この小説も成り立たなかったろう。彼女が死んでゆく放哉の看取りをした . . . 本文を読む
(カバーの傷みが気になるレベルだったので、右の本を買いなおした)
■吉村昭「破獄」新潮文庫(昭和61年刊) 原本は昭和58年1983年岩波書店から刊行
新潮文庫 37作品
文春文庫 30作品
講談社文庫 10作品
2021年現在で、吉村さんの著作はこれだけが現行版である。
合計77本は、松本清張、司馬遼太郎と肩をならべる大作家であることを語っている。
一時期たくさんの作品が網 . . . 本文を読む