とてもとても遠い場所からやってきてぼくの傍を通りすぎふたたび遠くへと消えていってしまうものがある。宇宙の果てじゃないのに宇宙の果てほども遠い とおいところからやってきて。サラブレッドのように疾駆していくもの。母にすてられた子どもとなって涙を流しているもの。ぼくの耳たぶをひっ掻いたり裏庭の落ち葉のようにかさこそと動き回ったり・・・そうして ふたたび遠くへと消えてしまう。ああ なんてやさしいんだ。
ああ なんて残酷なんだ。ああ なんて滑稽なんだ。ああ なんてみじめったらしいんだ。ああ なんて愚かしいんだ。ああ なんて麗しいんだ。
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音楽からうける感動をことばにするのは、とてもむずかしい。これまでいろいろやってきたけれど、あまりうまくいったためしがない。それはとても困難な翻訳作業である。すくなくともわたしにとっては。いま聞こえているのはジョージ・セルが1970年、来日にさきだって収録したドボルザークの交響曲第8番ト長調。このシンフォニーは、今年の夏、クーベリックがベルリン・フィルと入れたディスクを手にしてから聴きはじめたので、これまであまりなじみがなかった。クーベリックのディスクは第9番ホ短調“新世界より”とのカップリングなので、第8番を聴いてから、第9番を聴く・・・というふうにして、この夏7、8回は聴いている。これまでは第8番なんて、なんだか散漫に感じられて、しまいまで聴いているのがいくらか苦痛だった。ところがどうして、どうして。
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