記憶の底にわだかまるおもちゃ箱をひっくり返す。クラッシュするスコアボード。フラスコの中のたてがみのない透明な馬。垂直にのびるヒコーキ雲。
マスタードの味がするトラックのヘッドライト。捨てられない奇妙ながらくたが飛び出してくる。あれはなに?なんだろう。真っ白いまな板のうえで影絵のモーツァルトがお辞儀している。まぶたの裏でコオロギが鳴き鮎が数匹跳ねる 跳ねる。見えるのにそこにないもの。
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モーツァルトが聴きたくて、今日もBGMには、モーツァルトが流れている。
「名曲名盤300」というクラシックの本には、モーツァルトの“名曲”が40曲ノミネートされて、2位のベートーヴェン、3位のバッハを引き離し、最高の圧倒的人気を誇っている。だけど、モーツァルトとつあっていると、ここにノミネートされた曲ばかりでなく、ほかにもすぐれた曲が続々と出てくる。ポリーニでモーツァルトのピアノ・コンチェルト第17番や19番を聴いたとき、そのことを痛感した。モーツァルトは一般的に35年の生涯の中で600曲と少しの音楽を作曲しているとされる。ディヴァルティメントやセレナードを聴いていると「若書き」といわれるころのものにも、すぐれた作品がかなりある。聴きなじんでくると、そういうものに、少しずつ理解がおよぶようになって「おやおや。これもいいじゃないか、うん、こっちも . . . 本文を読む