二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

晩年の思想 ~モンテーニュの場合

2017年06月29日 | エッセイ・評論(海外)
わたしがモンテーニュのどんなところに感心しているのか、その一端を少し書いておこう。

《われわれは大変な愚か者である。だからわれわれは「あの男は一生を無為に過ごした」とか、「私は、今日は何もしなかった」とか言うのである。「何をいうのだ、きみは生きたではないか。それがきみの仕事のなかで根本の仕事であるばかりか、一番輝かしい仕事なのだ」・・・
われわれの偉大な、名誉ある傑作は、賢明に生きることである。ほかのいっさいのことは、国を治めるのも、財を成すのも、建築するのも、せいぜいそれに付属する、補助的なことに過ぎない》

この部分だけ取り出して読めば、“よくある”名言に過ぎないだろう。
ところが、彼がどういった時代を生き抜き、どういった事件を経験し、どういった仕事をしてきたのか、それを十分知ったうえで読むと、はじめて読者の胸に、重いおもい響きをつたえてくる。ことばとは、その背景を知っていないと、上滑りしてしまうことになる。

《いま私の命を掴んでいる最後の老境にあってさえ、私は人生を価値がある、快いものだと思っている。人生を楽しむには、その切り盛りの仕方というものがあって、わたしは人の二倍は楽しんでいる。
なぜなら楽しみの程度はどれにどれだけ身を入れるかにかかっているからだ。
とりわけ自分の人生の時間がこれほど短くなっているのに気が付いているいまは、それを重みの点で引き伸したいと思っている。
人生が逃げ去る素早さを、私がそれを掴む素早さで引き止め、人生が流れ去る慌ただしさを、人生を生きるたくましさで補いたいと思っている。
生命の所有がますます短くなるにつれて、それだけ私はその所有をいっそう深い、いっそう充実したものにしなければならないのだ。》

法官を務め、戦争に従軍して戦い、国王と交際し、市長を二期やった男。
子を亡くしたり、ペストの猛威から家族をつれて逃げまわったり、尿管結石その他の病気に苦しんできた男。
壁いちめんが書物でおおわれたモンテーニュの書斎を見ればわかることだが、彼は驚くような量の書物を読んできたし、その天井には、ラテン語で、古代ギリシアの哲人たちのことばを刻みつけていた。
彼自身が座右の銘としたクセジュ((フランス語: Que sais-je? 私は何を知っているか?)も、そこにあったかもしれない。
しかし、彼は読書はよりよく人生を楽しむためにやったと断言する(当時書物は大変な貴重品であった。)

モンテーニュは59歳で亡くなっているから、現代人からみればこの「老境」など、ほんの短い一瞬の出来事に等しい。
彼は城館をもった貴族だったし、恒産にめぐまれていたから、われわれのような庶民と比較しても仕方ない・・・という人がいるかもしれないが、そんなことはない。
彼は高みから見下ろし、教えさとすように、これらのことばを書いてはいない。保苅瑞穂さんがいうように、対等な相手に対し、親しく語りかける・・・そのように書いている。

晩年になって、「彼本来の生き方を発見した」と、保苅さんも書いておられる。
《発見されたその生き方とは、戦闘も、統合も、蓄財もない、いわば主題も脈絡もない日常を生きるという一事である。》
わたしなら、主題をみつけ、脈絡をつけるのは「自分自身」といいたいところだが、生意気が過ぎるというものかもしれない。

現代風にいえば、こういったものは「日常の思想」というべきだろう。しかし、モンテーニュこそ「私的な、しかし豊饒な領分」としての日常を最初に「発見」した人物、それをことばにはっきりと書きとめ得た、そういう人物であったと、わたしは思う。

フランス16世紀を生きて、「エセー」を残したミシェル・ド・モンテーニュ。
わたしはごく最近まで彼を、18世紀を生きて「ローマ人盛衰原因論」「ペルシャ人の手紙」「法の精神」その他の論攷で知られるシャルル・ド・モンテスキューと混同することがあった。モンテーニュとモンテスキュー、音が似ているうえ、どちらもフランス南西部、ボルドー近郊で、貴族として生まれ、哲学者・思想家として、後世に大きな影響をあたえた人物だからだ。
ところが・・・、
モンテーニュ:1533~1592年
モンテスキュー:1689~1755年

生きた時代が、150年へだたっている。この差は大きいので、当然ながら、しっかりわきまえていなければならない。
この差をわたし自身に適用するなら、わたしは江戸期の1802年(享和2)に生まれ、明治維新(1868年)を、66歳でむかえたことになる。

わたしの中で、モンテーニュが成長をはじめる。彼のあとにしたがって、わたしも「老境」というものを、もう一度見つめ直そう。
わたしの目の前には父という、このうえない先達もいる。父の後ろ姿を眺めていると、モンテーニュの「晩年の思想」を体現した人物が、そこにいる・・・と思えてくる。
老境こそ、人生の収穫の季節。わたしがときおり書いている詩も、一口でいえば、この老境を探索する試みなのだ。そのことはこれまで何度もここに書いている。
確信をこめていえるのは「だれも老境について、あるいは死について、モンテーニュのようには語ってくれなかった」こと。

保苅瑞穂さんの「モンテーニュ よく生き、よく死ぬために」(講談社学術文庫)を名著だというのは、こういった意味においてである。

最後に保苅さんご自身のことばを紹介させていただこう。
《繰り返して言うようだが、人間の運命はなにも起こらない日常を生きることであって、歴史に残る事件や、戦争や、災害を生きることではない。
事件や戦争は乗り越えるためにあって、生きるためにあるのではない。それを乗り切って、日常の平凡な生活に復帰することが、ある事件に見舞われたときにわれわれが果たすべき唯一のことである。
われわれはそれを果たして、再びいつもの自分に戻る。そしてその日その日を生き続ける》(「モンテーニュ」383ページ)
これが保苅さんが「エセー」の中からつかみ取った、単純でいたって平凡な結論ともいえるが、なんとまあ、確信に満ちた力強いひとことだろうか。


まだ堀田善衛の「ミシェル 城館の人」が残っている。しかし、そろそろ「エセー」それ自体に向きあう時期がきている。
訳者では、岩波文庫の原二郎さん、中公「世界の名著」シリーズの荒木昭太郎さんのものをそろえよう、とかんがえている。










※本文と写真とのあいだに、直接的な関係はありませんm(_ _)m
なお、読みやすさを考慮し、引用文の改行を適宜行っています。

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