二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「ローマ世界の終焉」(「ローマ人の物語」第41、42、43巻新潮文庫)塩野七生著 レビュー

2015年02月11日 | 塩野七生
新潮文庫の「ローマ人の物語」の表紙は、すべてそこに書かれた時代に発行されたコインが装幀としてあしらわれている。
「通貨は国情の反映である」と塩野七生さんはいう。彼女はこれらを、オークションサイトそのほかで、蒐集したのである。単純な意味での「コイン蒐集」ではなく、歴史家としての眼がそこに光っていて、たいへん興味深いものがある。

本シリーズも、いよいよ最終巻(単行本では15巻中第15巻)となった。
ローマ一千数百年の歴史の幕切れ。
しかし、この幕切れにはドラマチックな要素はまったく存在しない。
「なに? ローマ帝国って、まだあったのか」
衰弱の果ての、静かな終焉。こういう国家の滅亡もありうるのかと、わたしも一読者として感慨にふける。偉大な輝けるローマ世界の終焉に、この幕切れがふさわしいのか、そうでないのか。数行でそれを要約するなんて、できっこない。

地中海の覇権国家ローマは、20世紀21世紀のアメリカ合衆国にどこか似ている。多宗教、多民族、多言語からなる、巨大な“国家”としての枠組み。大英帝国時代のイギリスを思い出す人もいるだろうが、それよりはやっぱりふ、わたしはアメリカと比肩したくなる。
巨大国家というなら、チンギス・ハーンが築いたモンゴルがある。あるいはソ連時代のロシア、そして明、清、共産党の中国が・・・。

しかし、古代のローマといちばん似ているのは、だれが考えても、民主主義を旗印にかかげたアメリカということになるだろう。共和制のローマ、元首制のローマ、絶対王政のローマ。どの時代にスポットライトをあてるかによって、ローマは少しずつ違った顔を見せる。
その変化を、塩野さんは、15年かけて跡付けてきたのだ。全身全霊をかたむけ尽くした、文字通りのライフワーク。

国家とはなんであるのか?
所詮国家という枠組みなしに、人間が生きられない以上。
この問いに対する塩野さんの解答が、これらの著作を生んだのである。全15巻が、巨大山脈の峰々のように聳えている。その眺めはまことに壮大なものがある。
彼女は「読者に」という短いメッセージを、よく巻頭に据えている。
日本人に向けて・・・つまりある種の読者を念頭に置いて書いているからだろう。
しばしば大言壮語に陥りそうになるが、そのことばは、わたしには“箴言”のように響く。

個人の私生活を書いているのではない。
歴史を検証しながら、国家について、文化について、政権の担当者について・・・彼らがやろうとしたこと、やったことを記述していく。塩野さんの視座は一貫していて、ブレることがない。
わが国の“世界史”をめぐる書籍は、8割が模倣・剽窃の類ではないかと、わたしは邪推している。頭脳明晰な学生が、2-3年、あるいは4-5年ヨーロッパに留学する。
そして、イギリスやドイツ、フランスの先学の本を読み、自己流に解釈して、あたかもご自分のオリジナルな歴史観、見解や意見として学習の成果を世に問う。
あるいは、ヨーロッパの動向をと最新の学問の成果を日本語で紹介する。
それが権威として通用するのが、日本であった。
そういう時代が長かったのだ。

大学の先生たちは、めぐまれた研究室を与えられ、資料の山にうもれる。人文科学は実証性の科学ではないから、そういった“方法論”がまかり通るのだろう。悪しきインテリの典型。
そういったものと、塩野さんの「ローマ人の物語」と、著作物としての価値は大きな隔たりがある。
ローマ帝国の歴史には、いくつかの大いなる曲がり角があった。わたしはそれを数行で“要約”することを諦めている。
塩野さんのこのシリーズは、多くの読者に迎えられ、「ローマ観光」「イタリア観光」がちょっとしたブームになったことがあった。彼女自身がどれほどその内容にかかわったか知らないけれど、塩野七生の名で、観光ガイドの本が刊行されている。
古代ローマの魅力を、彼女はアピールしつづける。本書は全体として、非常にメッセージ性の強いものである。独断と偏見とは一口にはいえないが、男性なみ、いやそれ以上の膂力によって、彼女は体操の選手のように、あるいはフィギュアスケーターのように、着地を決める。拍手を送らずにはいられないその見事さ! 

そういう意味で、彼女は塩野流儀をつらぬいている。同性を甘やかさないのも、彼女の特徴だから、女性読者は少ないのではないかと想像する。「女子どもは・・・」といった書き方をしばしばしているが、それは彼女が書いている歴史の中軸に戦争があるからである。
・・・そう。多くの戦争が、じつに多く語られ、検討の対象にされる。
支配者と、被支配者の軋み合いによって、国家もまた舞台装置となる。

わたしはまだしばらく、塩野さんから離れられそうにないから「悪名高き皇帝たち」あたりまでもどって、「ローマ人の物語」を再読しようかと考えている。
本書の続編となる「ローマ亡き後の地中海世界」はこのあいだ、読みおえたばかりだし、
また、読み返すこと、それ自体に“大いなる愉しみ”がひそんでいるというのが、わたしの確信であり、流儀なのだから。

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