<たわめられたバネ>
たわめられたバネのように
一つの才能がくねり回る。
苦しんでいるのか
笑いこけているのかぼくにはわからない。
台所でキャベツを刻む音がトン トンと聞こえる。
高層マンションの何階だったか それもわからない。
透明な丸い容器の中で
あるいはステージや
パソコンのキーボードやグランドピアノの鍵盤の上で
たわめられたバネのように
一つの才能がくねり回っている。
<午後のひととき>
蚊取り線香の渦で眼を回したネコが
コケのついたブロック塀から足をすべらして落下する。
花々にいろどられた永遠のほうへ。
にゃご と一声鳴いて。
夕暮れと夜のあいだのほそい裂け目から
巨人の目玉がそれを見ている。
日常の奥に埋没した悲惨。
観客がいないから 人びとに知られることはない。
一匹のネコが消えたことに だれも気がつかない。
静かな しずかな午後のひととき。
<星座>
夜になると星々がゆっくりと姿をあらわす。
北斗七星やスバルが アンドロメダやいて座が もっと遠くの星雲が。
そこにはモーツァルトのピアノ協奏曲第22番(変ホ長調)という星もまじっていてね
ぼくの耳は空の彼方からやってくる音楽にとても敏感になっている。
時空のある一点にしか立つことができないという不思議。
人びとは眼のまえを横切る景色の美しさについて語る。
話なんて噛みあうわけないのだし 皆そっぽを向きながら
・・・背中あわせになりながら 押しくらまんじゅう 押しくらまんじゅう!
そうさ またそこにくわわって
ぼくも一汗かいてくるとしよう。
この世から退場するまで まだいくらか間があるらしいから ね。
萩原朔太郎は短い詩をよしとしていた。
長くても30行以内。理想は14~15行だそうである。
短い詩は、とてもむずかしい。少なくともわたしには。
とはいえ、以前から15行以下の短い作品を書いてみたいという欲望は抱いていた。
うーん、ほんとうにむずかしい。
短歌や俳句がいいのは「愛唱」できるからである。このわたしですら、「百人一首」や、芭蕉や蕪村や一茶の俳句を、たちどころにそれぞれ数編は愛唱できる。
ところが、70行、80行、あるいはもっと長い詩を、いったいいくつ愛唱できるというのだろう。
もうしばらく、短い詩を書く努力をつづけよう。そのうち、もしかして、うまくいくかもしれない(^_-)