二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「新約聖書」

2008年01月06日 | 哲学・思想・宗教
 福音書はキリスト者ではないわたしのような人間にとっても、一度や二度読んだらといって、星印で評価したりできない特別な本である。聖書、主として福音書は読まざるをえないから、必要にかられて、十代の終わりころから断片的には読んできた。美術史においても、文学においても、ヨーロッパを理解するうえで、キリスト教はギリシア文明とならんで無視し得ない、強固な土台そのものであったからである。日本聖書教会が発行した「聖書」(旧約、新約)も手許にある。これは中学生のときに買った本で、もうぼろぼろになっていて、傍線がひかれたり、書き込みがあったりする本である。どちらも口語訳だが、文章はこの日本聖書刊行会の聖書とは微妙にことなる。
 福音書がどのように成立したのかは、現在のところはっきりわかっていない。
 しかし、感想を書くにあたって、基礎知識としてつぎのようなことは最小限知っていなければならないだろう。

【共観福音書――マタイ・マルコ・ルカの三福音書をいう
マタイ・マルコ・ルカの三福音書を、共観福音書と呼ぶ。これら三書はヨハネ福音書と比較すると共通の記事が多い。つまりこれら三書は共通の資料によっており、またその叙述観点もほぼ共通しているからである。しかし、かってイエスと共に生活した弟子達がその個人的記憶に基づいて著述したものでなく、イエスの死後も各派教会に伝えられた伝承を資料とし、それぞれの教会員のために、各記者が編集したのである。
 最近の研究では、マタイとルカ福音書は、それぞれマルコ福音書と、Q資料といわれる未発見の文書を基に作成されたと考えられる。一見、共観的叙述に思われるが、各記者の思想的立場はかなり鮮明に異なり、それぞれが相互に批判的である。むしろ批判的であるからこそ、3つの福音書が存在するといってよい。

「マタイの福音書」
 成立年代:AC80~90年ごろ。執筆者:不明。ユダヤ人キリスト者の福音書で成立の場所は南シリアあたりと推定されている。
「マルコの福音書」
 成立年代:AC50~60年ごろ。執筆者:パレスチナ出身のユダヤ人キリスト教徒とされるが、詳細は不明。最古の、ユダヤ人の律法被差別者のための福音書。
「ルカの福音書」
 成立年代:AC80~90年ごろ。外国人が書いた、外国人のためのイエスの福音。ギリシア人など非ユダヤ系のための物語。執筆場所はシリアか小アジアと推定されている。
「ヨハネの福音書」
 成立年代:AC95~100年ごろ。執筆者:不明。ヨハネ教団によるユダヤ教に対する論争の書。執筆場所は小アジアまたはパレスチナ北部とされるが、推定の域を出ない。】
 ・・・以上は江札宮夫さんの「聖書の呼ぶ声」に基づいてわたしが任意に編集したものである。

 イエスの教えは、多義的な比喩に満ちていて、反語や逆説が頻繁にあらわれ、文脈はときには混乱し、エピソードの説明が不十分で、ぼんやりした読み手を翻弄するかのように書かれている。旧約聖書からの引用も多く、祖述者によって似通ったエピソードであっても異同がかなりあり、はっきりいえば、初読のわたしには到底手におえない本である。いままで断片的に読んできた本を、今回はなんとか通読したわけだが、これほどおもしろい本は、そうめったにあるものではないな、というのが全体の印象であった。しかし、通読しえたからといって、急いで感想を書きとめるなど、わたし自身にとっては、あまり意味があることとは思われないが、まあ、気になった数言を書きとめておこう。
 福音書にはどれも、イエスがおこなった「奇蹟」について多くのことばがしるされている。疫病にかかったものが治癒し、足萎えがあるき、盲人の眼があくとは、迷信以外のなにものでもない。まして死人が蘇り、湖上を歩いて渡るなど、ばかばかしいかぎりではないかというのはたやすい。これは宗教がやってみせる手品である。とくに「ヨハネ福音書」におけるラザロの復活など、よく描かれていて、なかなかの迫力。
 が、わたしが考えるのはこういったことである。すなわち、近代合理主義が勃興するまえには、信者の大多数にとって、「迷信」は迷信ではなく真実であったのである。こういった奇蹟を信じることなしにはのりこえることができない悲しみや苦悩をかかえた膨大な数の人間がいた、ということである。いや、21世紀の現代においてすら、そういった人々は存在している。そういった人々の群れを、一刀両断には切り捨てられないであろう。
「イエスの教えや行いが仮にまちがっていても、わたしは、他の者といるよりはイエスとともにいる方をえらぶ」とどこかに書いてあったが、信仰の核心には、こういった現実がある。唯円がまとめたとされる親鸞の「歎異抄」のなかでも、同様のことばがあったのをわれわれは知っている。
 またこれが、まぎれもなく宗教の書、信仰の書だと戦慄を覚えたのは、イエスに従うものの心得について書かれた部分。「マタイ」では10-34以下、「ルカ」では12-49以下である。

<わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。・・・自分の十字架を負ってわたしについて来ない者はわたしにふさわしい者ではありません。>

 こういう場所で、宗教としていかにラディカルな側面を持っていたか、一連のオウム真理教事件の経過を知っているわれわれは、容易に想像できる。
 本書の巻末に「こういうときこういう箇所を」という一ページがあるが、それを抜粋する。

・心に平安が欲しいとき ・失敗したとき ・悲しみのとき ・疲れたとき ・孤独なとき
 ・・・そういったとき、聖書のどこを開いて読めば安らぎとなぐさめが得られるかを教えている。「人生座右の書」というわけである。海外ばかりでなく、日本のホテルなどにも、枕頭の書として聖書を置いているのをだれでも知っている。それを形骸と観るか、生きた書物と観るかによって、判断は大きくゆらぐだろう。考えはじめると、疑問はつぎつぎ湧いてくる。人々は人々と、あるいは自然と、あるいは書物と対話しながら生きている。
 だからここでは最後にこういっておこう。経済発展とテクノロジーの進歩を最優先しながら発展してきた近代合理主義思想が、そのほころびを大きく広げているいま、教会の恐るべきドグマとしてではなく、一冊の本、つまり聖書から聞こえてくる啓示に耳を傾ける数時間はわたしにとって貴重な経験であった、と。 
 

 ※聖書についてはweb上でだれでも読むことができるし、ダウンロードも可能。
  聖書と聖書史についてはつぎのサイトが充実していている。
  
■聖書史<聖書史>
 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/3902/b_establishment.html 
■組織による総合サイト<(財)日本聖書協会>
 http://www.bible.or.jp/
■個人による総合サイト<聖書の呼ぶ声>
 http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/
 (Q資料について簡単明瞭な言及があり、参考になる。linkも充実)

 「新約聖書」(四福音書)日本聖書刊行会>評価せず

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