二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

気儘な読書 ~近ごろの日常とチェーホフからの贈り物

2021年02月13日 | エッセイ・評論(海外)
野鳥を撮りに外出しなくなったので、一日の大半は家のなかか、クルマのなかで過ごしている。
若いころ、10代20代のころにも、こうして長い時間、本を相手に過ごしたものだ。
だけど、それから半世紀あまり、本から目をあげたときの風景はずいぶんと違っている。
外界やわたしが、変わってしまった・・・ということだ(´Д`)

昨日は思い余って、救急車を頼んで、すっかり老衰した母を病院へつれていって、入院手続き。
口からほとんどものを受け付けなくなってしまった。情けないことに、腰痛のため、母を担ってクルマに乗せることができない。
今日は甥の結婚式。杖をついてやっとこさっとこ歩行している父は、車椅子で式だけ(披露宴まではムリ)出席するのだという。

母を1か月ほど病院にあずけるので、わたしの負担は軽くなったが、コロナ禍のため、面会は禁止。父は「おお、そうなのか」と落胆している。

そのあと、確定申告やら、父の代の遺産分割の後処理やら、いろいろ頭の痛い雑事がひかえている(。-ω-)
だれもがそうだけれど、やりたいことと、やらなければならないことが、日常のなかで折り重なって、錯雑とした模様を描出しているのだ。

このところ、仏教の関連本が10冊ほどやってきたので、それも片っ端から消化していかなければ。
一方では、チェーホフ熱がぶり返している。
昨夜は遅くまで、岩波文庫「カシタンカ・ねむい」(神西清訳)を読んでいた。






この文庫には、神西清さんの「チェーホフの短編に就いて」と「チェーホフ序説」が収録されている。辛辣かつ、えぐりの利いた文章で、はじめて読んだ10年あまり前の記憶が蘇ってきた。
「ワーニャ伯父さん」の翻訳で芸術選奨文部大臣賞受賞した神西さんは、戯曲ばかりでなく、ほとんどすべての短編を翻訳し、一世を風靡したことがあった。堀辰雄や竹山道雄さんが親しい友人で、53歳で亡くなったが、「神西清全集」(全6巻)が刊行されている。その一覧を眺めていたら、詩集もお出しになっていることがわかった。“一翻訳家”という以上の仕事をしておられる。

「チェーホフ序説」は、渾身の力編というべき、秀抜なチェーホフ論で、読み逃すことができない。
こういう鋭利なシニシズムを、どうやって手に入れたのだろうとかんがえてみたが、それこそ「チェーホフからの贈り物」であったのだ。
「神西さんは、チェーホフと結婚したのだ」と、三島由紀夫が評しているそうである。
翻訳という作業において、ロシア文学では、トルストイの中村白葉、ドストエフスキーの米川正夫と並び立っているといえるだろう。
翻訳は賞味期限切れになるのがはやいので、神西さんもかつてのファンから忘れさられようとしている。

むろん、それでいいのである。古典として残るものは千編に一つ・・・あるいはもっと少ないだろう。わたしなどさしずめ、神西さんを多少は知っている最後の世代となるかもしれない。

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