中沢新一さんは、現代のわが国で「思想家」という呼称が似合う、数少ない知性のお一人である。このあいだ、ラジオ番組として、震災直後放送された鼎談に、若干手をくわえて緊急出版された「大津波と原発」を読んでいて、えぐりの効いた内田樹さんの発言もおもしろかったけれど、中沢さんの発言には、それを上まわる「本気度」が感じられて、眼を瞠ったものである。
「中沢さん、これまでの業績のすべてを賭けて、なにかを引き受けようとしているな」と感じたわたしは、中沢さんのつぎの著書がどんなものになるか、愉しみにしていた。
すると、このあいだマイミク・ケンちゃんがmixi日記でつぎのようなサイト情報を紹介してくれた。
「日本の大転換」集英社新書 2011年8月17日発売
ここには、著者ご自身のビデオメッセージと「太陽と緑の経済」全文が19ページにわたって掲載されている。
http://shinsho.shueisha.co.jp/nakazawa/read/#15
よし、よし。これは発売と同時に手に入れて読まねば!
はたしてどんな反響をまきおこすか予想はできないけれど(たぶん、表面的には“論壇”の一部をにぎわす程度だろう)、わたしにとっては、これからの日本を生き抜くための「指針の書」になる可能性が多分にあると期待しているところである。
ところで――わたしにはめずらしい「散文詩」が生まれてきたので、つぎにアップしておこう。
<「一草庵」由来(ポエムNO.36)>
ぼくはあるサイトで「一草庵摘録」というブログをやっている。この名称は蕪村の「夜半亭」、鴎外の「観潮楼」、荷風の「断腸亭」をはるか遠くに見はらしながら、群馬県高崎市にあるわが茅屋を指しているのだが、同時にぼくの右手の暗喩でもある。
“草のようにさやぐ右手”から生みだされるものが、写真であり詩であり、仕事上の書類だからである。左手が感受性や感情と直結したセンサーであるとすると、右手は知性や意志と直結している。人が「右利きである」とは、そういう意味をふくんでいるように思われる。
女の肌をいつくしむのはしたがって、左手の役目となる。
いや、冷静に考えると、右手で女を愛することもあったのだが、右手だと、左手を使ったときほど、感じないのである。左手だと針が振り切れてしまうことだってあるのにね。
とはいえ、女はぼくの右手と左手を区別しないだろう。
従って、これはまったく個人的な、閉鎖空間の中の小事件である。
右手では決して愛は陶酔にはいたらない。
右半身の理論と左半身の理論が、二枚貝のように合わさって、ぼくという現象の中身が宿る。右は左脳に、左は右脳にそれぞれ対応している。ぼくの右脳は、ぼくの左脳がおこなうことに、しばしば無関心である。むろんその逆もまた。
かとおもうと突然のように、右に暴走したり、左に暴走したりする。ブレーキを踏んだくらいでは止まらない・・・ということだけは、経験的にわかっている。
人間は大抵の場合、左右対称につくられている。感覚器官の大半は左右一対に存在している。魂といえるようなものがもしあるとしたら、それは、左右一対の感覚器官の“中間”にあるのだろう。
そのあたりには、広大な無意識がひろがっている。
だから・・・。厳密にいえば、一草庵ではなく、二草庵と称するのがただしい。
とはいえ、これを書いている(キーボード入力している)のは、ブラインドタッチができないぼくの場合、おおよそが右手の作業。左手が支配する領域をたえず参照しつつ、無意識の底のほうでうごめく小石や、紙切れや、抜け毛や、壊れかけたハサミや、イチョウの葉っぱを、意識のテーブルに拾いあげる。
右手の論理と左手の論理はほんとうは矛盾していて、隅からすみまで合理的に解釈しようとする“他人のことば”を拒んでいる。
だからこのあたりはほかに住んでいる人はいない。入ってこられるのは音楽だけである。
音楽。それがおそらく唯一の、そして絶対のいわば接着剤なのである。・・・ひとまずはそういって、この小文の結末としよう。
<反歌>
たったこれだけのことを、ぼくは二年ほどまえに、そのころとても親しくしていた友人に話した。ファミレスでランチを食べながら、二十分か、もう少し時間をかけて。すると辛抱強く聞いていた友人は「それで? それから?」と質問したのであった。
「ん? うーん」ぼくは黙りこむしかなかった。
※いつものごとく、冒頭の写真と詩のあいだには直接の関係はありません。