二草庵摘録

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原彬久「岸信介 ̶権勢の政治家̶」岩波新書(1995年刊)を読む

2021年07月23日 | 歴史・民俗・人類学

吉田茂以後、日本の政治はどのように変質し、高度成長時代に突入していくのか。
それを知りたくてこの「岸信介 ̶権勢の政治家̶」を手に取った。
あの「吉田茂」を書いた原彬久さんの著作である。
吉田茂と岸信介を抜きにしては、日本の“戦後政治”は語れないと、いつごろからかかんがえていた。
妖怪とも巨魁ともいわれて恐れられ、批判され、現在につながる日米安全保障条約を成立させた政治家である。

あとからかんがえると、日米安保を成立させることが、岸政権の唯一といってもいい、大きなテーマであった。いったいどんな紆余曲折をへて政権を掌握し、そして崩壊していくのか、岸政権とはどんな政権であったのか、大変興味深い政治現象というべきである。
理念や理想を語るのではなく、現実を見据えて政治的施策を成就しようとする一群の人間たち。それは現在の自由民主党がどういう経過をへて誕生し、国会の多数派をしめるにいたったか、と問うことでもある。

国際的には冷戦構造の時代における、日米安保と高度成長経済をいまの時点から分析しようとすると、いうまでもないことではあるが、吉田長期政権が倒れたあとしばらくしてあらわれる岸政権の存在が前面にクローズアップされてくる。
これまでわたしは、60年安保を、主として野党的立場から漠然と他人事のように眺めてきた。いつまで“野党的立場”であるのか、生涯そういう立場を堅持するのか、それとも、資本主義の日本的現象として、政権政党たる自民党を冷静に観察してみるのか、数年前からその種の課題に直面するようになったのだ。

対米戦争に完膚なきまでに敗北したあと、日本の政治は、55年体制といわれる自民党とその補完勢力たる社会党の支配によって担われてきたことは、紛れようのない現実である。
彼らがリーダーシップを握って、昭和の戦後政治・社会を動かしてきた。岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫、中曽根康弘等・・・自民党の総裁は、そのまま日本の首相である。
これまで妖怪とも巨魁ともいわれる岸信介は、こういった中にあって、最も人気のない、“戦犯”あつかいされることの多かった憎まれ役である。

本書が書かれたのは1995年。
その時点を念頭において読まなければならないだろう。政治というのは、基本的に“汚れもの”である、とわたしは思っている。
「あなたが尊敬する日本の政治家はだれか?」と問われれば、はたと困惑せざるを得ない。この場合、源頼朝や徳川家康の名を出しても仕方ないからである(T_T)
地方選挙にはめったに出かけないが、国政選挙にはわたしも重い腰をあげる。それがわたしのような庶民が、国政にかかわる唯一の機会であるから。

無名の一庶民と権力者とは、目が眩むほどの距離がある・・・とかんがえている。だから、いまでも、“政治的発言”は極力ひかえているのだ。まったく無関心なわけではないが、“政治的発言”のむなしさにつまずく。
とくに郷土群馬は保守党の典型的な草刈り場。
うっかりしたことをいい、気まずい雰囲気がただようという経験を、これまで4~5回はしている。

「そうか、吉田茂のあとには岸信介がいたなあ」
昭和62年(1987)に90歳で没した彼は、半ば歴史的人物になりかけていると思いながら、本書を手に取ったわけである。
原彬久(はらよしひさ)さんは、「吉田茂 ̶尊皇の政治家」を読んだばかりだし。
本書もそつのない、すぐれた出来映えである。原さんのご専門は国際政治学、日本外交史、日米関係論。
サブタイトルを「権勢の政治家」とした真意はよくわからないが、政治家のいわば評伝として、わたしは読んだ。

生前、引退後の岸に20回以上インタビューしているそうである。政界のフィクサー、旧満洲帝国の黒幕の一人、昭和の妖怪。そしてあの“けしからん”安保条約を米帝と締結した張本人。
それらの言は、野党的立場、反権力の思想からの発言である。
原さんはその種の先入観に左右されることなく、政権政党の一政治家・岸信介の政治家像・人間像を、きめ細やかに彫り上げていると思われる。

第6章「幽囚の日々 ̶獄中日記が語るもの」、第7章「保守結集に向かって ̶五五年体制の構築」、第8章「権力の頂点に立って ̶安保改定への執念」、エピローグ「執念と機略と」。
このあたりの記述に、原さんの真骨頂がきらめいている。
書けそうでいて、なかなか書けないものなのだ。1995年といえば、外交の機密文書など十分には開示されていないはず。しかも、岸信介をよく知る人たち、親族その他に配慮しなければならない。

本書において、戦後民主主義という時代背景の中の岸信介を、じつにうまくあぶり出していると思われる。密着しすぎはしないし、距離をとりすぎることもない。
なかでも第6章「幽囚の日々 ̶獄中日記が語るもの」の章は出色である。政治家というより、人間岸信介に、そのいわば存在感といったものに、たしかな手応えが感じられる。
空理空論を弄んでいるわけではないし、思考のアクロバットを愉しんでいるのでもない。
結果として、すぐれた評伝の味わいが生まれた。

内容については、表紙裏につぎのような紹介文が付されている。
《戦前、革新官僚として満洲国の産業開発を主導、東条内閣の商工大臣を務めた岸信介は、A級戦犯容疑者とされながら政界復帰を果たし、首相の座に就いて安保改定を強行、退陣後も改憲をめざして隠然たる力をふるった。
その九〇年の生涯と時代との交錯を生前の長時間インタビュー、未公開の巣鴨獄中日記や米側資料を駆使して見事に描く。》

あとがきをふくめ、243ページ。
岸信介がいかなる政治家、人間であったかを知りたい読者には、まず参照すべき貴重な評伝となっている。
《一国の政治、外交が、虚構としての「国家」よりも、むしろ、実体としての政策決定者とそれを取り巻く政治過程によって造形されていくという立場に立てば、安保改定を完成した政策決定者岸信介が、それまでに一体いかなる政治的系譜を背負い、歴史にみずからをどう刻んでいったのかを知ることは、重要である。》(あとがき 243ページ)と原さんは述べている。
哲学者・思想家に類別すべき抽象的な人間を、書物を通して論じるのではない困難が待ち受けている。政治家の最大にして最後の任務は、決断することである。多事争論、喧々諤々、議論をつくしたあと、おのれの責任において決断しなければならない。
左翼による反安保闘争が空前の盛り上がりをみせたとき、実弟佐藤栄作と官邸にこもり、殺されることも覚悟したそうである。

軍国主義の昭和十年代をしたたかに生き延び、A級戦犯から蘇って首相へのぼりつめる。そして安保改定を成し遂げてその直後身をひく。まるでドラマの主人公さながらではないか!
とはいえ吉田茂と違い、岸信介はどうにも好きにはなれない人間。
しかし、好悪の感情では政治は語れないのだ。
本書は未公開資料、独自のインタビューを基礎とした、すぐれた人間観察の記録であり、評伝として歯ごたえ十分な一冊となったと評価しておく。

先日、原彬久編「岸信介証言録」(中公文庫)を手に入れたので、本書の記述を証言録の中でたどり直し、いずれ検証してみようと思っている。



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