二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

福岡伸一「生物と無生物のあいだ」

2008年04月09日 | エッセイ(国内)
福岡さんは、狂牛病問題がマスコミで騒がれたころ、テレビに登場したのを見かけたことがあった。
生物学者という肩書きをお持ちのようだが、京都大学農学部の出身で、専門は「分子細胞生物学」らしい。
らしい、と書いたのは、わたしがそのあたりの予備知識をまったく持っていないからである。典型的な「文化系人間」なので、物理・化学は中学時代からかなり毛嫌いしていた。理科のなかで関心が持てたのは、生物、地学、天文学といったジャンルに限定されていた。

TVなどで分子生物学に関連した番組があると、スイッチを入れたくなる。この分野が、遺伝子工学とならんで、ここ20年あまりので著しい学問的成果をあげているのはわかっていた。
しかし、web上で分子生物学を検索すればすぐに見当がつく通り、文化系出身の素人が興味を持っても、まったく手のつけようがない高度な専門分野なのである。しかも、データベースも、研究発表も、ほとんどすべて英文でなされていて、なおさらむずかしい。
「専門用語のあまり出てこない、一般向けにかかれた入門書はないものか?」
そう考えていたら、mixiの書評欄でこの本に出逢った。そこに1320件を超える書評がupされている(2008.4.9現在)。しかも、たいへんな好評をはくしているのを読んで、読もうと決めたのであった。

本書はつぎの15章からなっている。

 1.ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク
 2.アンサング・ヒーロー
 3.フォー・レター・ワード
 4.シャルガフのパズル
 5.サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ
 6.ダークサイド・オブ・DNA
 7.チャンスは、準備された心に降り立つ
 8.原子が秩序を生み出すとき
 9.動的平衡とは何か
10.タンパク質のかすかな口づけ
11.内部の内部は外部である
12.細胞膜のダイナミズム
13.膜にかたちを与えるもの
14.数・タイミング・ノックアウト
15.時間という名の解けない折り紙

また、福岡さんは、ある場所でこう書いている。

<現在、私たちの周りには生命操作を巡る様々な議論がある。遺伝子組み換え、クローン技術、ES細胞、臓器移植・・。これらを可能とする先端技術の通奏低音には、「生命とはミクロな部品が集まってできたプラモデルである」という見方、すなわち機械論的生命観がある。ルドルフ・シェーンハイマーは、生命が「動的な平衡状態」にあることを最初に示した科学者だった。この「動的平衡」論をもとに、生命観を問い直したものが、自著『生物と無生物のあいだ』である。生物を無生物から区別するものは何かを、私たちの生命観の変遷とともに改めて考察してみたい。>

数行で要約すれば、こういうことになるのであろう。
しかし、本書の真骨頂は、「なにが書かれているか」だけでははかれないところにある。

とにかく、おもしろい。
著者は本書によって、サントリー学芸賞を受賞しているとのことだが、
売れゆきの方も、こういった地味なジャンルの本としてはずば抜けているようである。(18万部突破との記事があった)。

<生物と無生物のあいだには一体どのような界面があるのだろうか。私はそれを今一度定義しなおしてみたい>
<小さな貝殻が放っている硬質な光には、小石には存在しない美の形式がある。それは秩序がもたらす美であり、動的なものだけが発することのできる美である。動的な秩序。おそらくここに、生命を定義しうるもうひとつの規準(クライテリア)がある>
<生物は、原子・分子に比べてなぜそんなに大きいのか? それは粒子の統計学的ふるまいに不可避の、誤差率(それはn分のルートnで表される)の寄与をできるだけ小さいものにするためである>
<なぜ、膵臓がかくも大量の消化酵素を、大量の細胞によって作り出しているのかといえば、それはとりもなおさず「流れ」をとめないためである>

こういったかたちで、著者は「生命とは何か?」という難問に、一歩一歩迫っていく。
著者は重窒素を使った実験を紹介しながら「分子レベルでは、わたしは昨日のわたしではない」といいきっている。爪や皮膚がそういったものであるのは知ってはいるが、細胞のすべてが、分子レベルでたえず入れ替わっているという現実は、「では、そこで<私>とはなにか?」という問題を浮上させずにおかないのである。
これは哲学や文学における古くて新しい課題が、クロス・オーバー的に最新の生命科学において、別な角度から問われるようなものである。

はっきりいえば、わたしは本書によって、生命に対する認識が変わった。・・・というか、ある程度直感していたことを、実証科学において、裏付けられたとの感を深めた。

「behavior(物質のふるまい方)」
「ブラウン運動と負のエントロピー」
「ダイナミック・イクイリブリアム(動的平衡)」

こういったキーワードを抜き出すことには、本書においてはじつはたいした意味がない。
著者は幼少年期からはじまって、アメリカの大学で研究助手として、学問の最前線にたっていた日々までを回想風に振り返りながら、学問と人間について、研究結果と、それが人間社会にあたえる影響について考察している。この考察が、すばらしいストーリー性と、小説のようなイマジネーションを持っている。
それが、本書の真の価値である。

トリバネアゲハやアオスジアゲハに寄せる、畏敬にも近い憧れが、この著者の生物学者としての根底に存在している。チョウの生態写真にのめりこんでいるわたしのような人間にとっては、「ああ、そこなんだね。結局はそこからはじまって、そこへ帰ってくるのだね」
そういった部分での共感をおさえることができない。

「あとがき」を、福岡さんはこうしめくくる。
<私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである。それは実のところ、あの少年の日々からすでに自明のことだったのだ。>

分子生物学のわが国における最先端のひとりからもれてきたことばである。
わたしは深い感動につつまれた。

福岡伸一「静物と無生物のあいだ」講談社現代新書>☆☆☆☆★


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