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介護生活敗戦記
果てなき介護に疲れ、ついに母に手をあげた日
母の“意外な”反応と、介護者側の暴力への対応策
松浦 晋也
バックナンバー
2017年7月13日(木)
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衰える足腰、量が増える失禁、度重なるトイレでの排便の失敗――老衰とアルツハイマー病の両方の進行により、2016年の秋の母は弱り、ますます介護に手間がかかるようになっていった。
10月に入ると、これらに加えて過食(「介護体制が整ったと思うや、病状が進行…」)も再発した。
いつも午後6時頃に夕食を出すようにしていたのだが、少しでも遅れると台所をあさり、買い置きの冷凍食品を散らかすのだ。「お腹が空いてお腹が空いて、いてもたってもいられない。御飯を作ってくれないあんたが悪い」――食欲は原始的かつ根源的な欲求ということなのだろう。何度言っても、懇願しても怒っても止まらなかった。
自分が壊れる時は、必ず前兆がある。
今回の場合、前兆は、「目の前であれこれやらかす母を殴ることができれば、さぞかし爽快な気分になるだろう」という想念となって現れた。
理性では絶対にやってはならないことだと分かっている。背中も曲がり、脚もおぼつかず、転んだだけで骨折や脱臼する母を私が本気で殴ろうものなら、普通の怪我では済まない。殴ったことで母が死んでしまえば、それは殺人であり、即自分の破滅でもある。
が、理性とは別のところで、脳内の空想は広がっていく。
簡単だ。
拳を握り、腕を振り上げ、振り下ろすだけだ。
それだけでお前は、爽快な気分になることができる。
なぜためらう。ここまでさんざんな目に合わせてくれた生き物に、制裁の鉄槌を落とすだけではないか。握る、振りかざす、振りまわす――それだけで、お前は今感じている重苦しい重圧を振り払い、笑うことができるのだぞ。
悪魔のささやきという言葉があるが、このような精神状態の場合、間違いなく悪魔とは自分だ。悪魔の声は、ストレスで精神がきしむ音なのだ。
遂に手が出てしまった
10月23日土曜日、私は少し台所に立つのが遅れた。すると母は冷凍食品を台所一杯にちらかし、私の顔を見て「お腹が減って、お腹が減って」と訴えた。明日の日曜日も自分が夕食を作らねばならない。「明日は遅れないようにしよう」と思う私の脳裏で、別の声がはっきりと響いていた。「殴れ、明日もやらかしたら殴れ」。
翌24日の夕刻、いつもの日課の買い物に出た私は、少し予定が遅れた。大急ぎで戻って来たのは午後6時過ぎ。5分と過ぎていなかったと記憶している。
間に合ったかと思った私を迎えたのは、またも台所に散らかった冷凍食品と、母の「お腹が減って、お腹が減って」という訴えだった。
気が付くと私は、母の頬を平手打ちしていた。
母はひるまなかった。「お母さんをなぐるなって、あんたなんてことするの」と両手の拳を握り、打ちかかってきた。弱った母の拳など痛くもなんともない。が、一度吹き出した暴力への衝動を、私は止めることはできなかった。拳をかいくぐり、また母の頬を打つ。「なんで、なんで。痛い、このっ」と叫ぶ母の拳を受け、また平手で頬を打つ。
平手だったのは、「拳だともう引き返せなくなる」という無意識の自制が働いたからだろう。その時の自分の気持ちを思い出すと、「止めねば」という理性と「やったぜ」という開放感が拮抗して、奇妙に無感動な状態だった。
現実感もなく、まるで夢の中の出来事のように、私と母はもみ合い、お互いを叩き合った。いや、叩き合うという形容は、母にとって不公正だろう。私は痛くないのに、母は痛かったのだから。自分を止めるに止められず、私は母の頬を打ち続けた。
我に返ったのは、血が滴ったからだ。母が口の中を切ったのである。暴力が止むと母は座り込んでしまった。頬を押さえて「お母さんを叩くなんて、お母さんを叩くなんて」とつぶやき続ける。私は引き裂かれるような無感動のまま、どうすることもできずに母をみつめるしかなかった。
そのうちに、母のぶつぶつの内容が変化した。
「あれ、なんで私、口の中切っているの。どうしたのかしら」――記憶できないということは、こういうことなのか! この瞬間、私の中に感情が戻って来て、背筋を戦慄が走り抜けた。
洗面所に向かった母を置いて、私は自室に籠もった。なにを考える気力も沸かないまま、携帯電話を見ると、ドイツにいる妹からのLINEの連絡が入っている。
「今日コネクトした方が良ければ連絡ちょうだい。
来週は秋休みになるので自宅にいません。再来週の11/6はいます」
妹とは、毎日曜日の午後6時か7時頃に、スカイプをつないで、母に孫達の顔を見せるという習慣をずっと続けていた。都合が付かない時は、柔軟に中止したり延期したりしているので、その連絡だ。
今日が日曜日で助かった――。すぐに私は返事した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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● このレベルでは、まだ初期です。つまり、正常に戻るときがあるということは、
また機能的に異常な状態であり、半永久的な脳細胞の障害はないと
いうことです。
● 至急脳の機能を阻害している原因を除去しましょう。それはアスベスト等汚染物質の体内蓄積と
ヒューマンパピローマウイルスの感染です。その両者を除去排泄できるのが
タウリンとビタミンDの併用です。
● タウリン175㎎x3/日(リポビタンDタウリン1000mg入りなら2日分)、ビタミンD400 I.U. x3/日。
● 勿論コリアンダー(デトックス剤)とEPA/DHA(魚油)の併用が出来れば、最高でしょう。
介護生活敗戦記
果てなき介護に疲れ、ついに母に手をあげた日
母の“意外な”反応と、介護者側の暴力への対応策
松浦 晋也
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2017年7月13日(木)
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衰える足腰、量が増える失禁、度重なるトイレでの排便の失敗――老衰とアルツハイマー病の両方の進行により、2016年の秋の母は弱り、ますます介護に手間がかかるようになっていった。
10月に入ると、これらに加えて過食(「介護体制が整ったと思うや、病状が進行…」)も再発した。
いつも午後6時頃に夕食を出すようにしていたのだが、少しでも遅れると台所をあさり、買い置きの冷凍食品を散らかすのだ。「お腹が空いてお腹が空いて、いてもたってもいられない。御飯を作ってくれないあんたが悪い」――食欲は原始的かつ根源的な欲求ということなのだろう。何度言っても、懇願しても怒っても止まらなかった。
自分が壊れる時は、必ず前兆がある。
今回の場合、前兆は、「目の前であれこれやらかす母を殴ることができれば、さぞかし爽快な気分になるだろう」という想念となって現れた。
理性では絶対にやってはならないことだと分かっている。背中も曲がり、脚もおぼつかず、転んだだけで骨折や脱臼する母を私が本気で殴ろうものなら、普通の怪我では済まない。殴ったことで母が死んでしまえば、それは殺人であり、即自分の破滅でもある。
が、理性とは別のところで、脳内の空想は広がっていく。
簡単だ。
拳を握り、腕を振り上げ、振り下ろすだけだ。
それだけでお前は、爽快な気分になることができる。
なぜためらう。ここまでさんざんな目に合わせてくれた生き物に、制裁の鉄槌を落とすだけではないか。握る、振りかざす、振りまわす――それだけで、お前は今感じている重苦しい重圧を振り払い、笑うことができるのだぞ。
悪魔のささやきという言葉があるが、このような精神状態の場合、間違いなく悪魔とは自分だ。悪魔の声は、ストレスで精神がきしむ音なのだ。
遂に手が出てしまった
10月23日土曜日、私は少し台所に立つのが遅れた。すると母は冷凍食品を台所一杯にちらかし、私の顔を見て「お腹が減って、お腹が減って」と訴えた。明日の日曜日も自分が夕食を作らねばならない。「明日は遅れないようにしよう」と思う私の脳裏で、別の声がはっきりと響いていた。「殴れ、明日もやらかしたら殴れ」。
翌24日の夕刻、いつもの日課の買い物に出た私は、少し予定が遅れた。大急ぎで戻って来たのは午後6時過ぎ。5分と過ぎていなかったと記憶している。
間に合ったかと思った私を迎えたのは、またも台所に散らかった冷凍食品と、母の「お腹が減って、お腹が減って」という訴えだった。
気が付くと私は、母の頬を平手打ちしていた。
母はひるまなかった。「お母さんをなぐるなって、あんたなんてことするの」と両手の拳を握り、打ちかかってきた。弱った母の拳など痛くもなんともない。が、一度吹き出した暴力への衝動を、私は止めることはできなかった。拳をかいくぐり、また母の頬を打つ。「なんで、なんで。痛い、このっ」と叫ぶ母の拳を受け、また平手で頬を打つ。
平手だったのは、「拳だともう引き返せなくなる」という無意識の自制が働いたからだろう。その時の自分の気持ちを思い出すと、「止めねば」という理性と「やったぜ」という開放感が拮抗して、奇妙に無感動な状態だった。
現実感もなく、まるで夢の中の出来事のように、私と母はもみ合い、お互いを叩き合った。いや、叩き合うという形容は、母にとって不公正だろう。私は痛くないのに、母は痛かったのだから。自分を止めるに止められず、私は母の頬を打ち続けた。
我に返ったのは、血が滴ったからだ。母が口の中を切ったのである。暴力が止むと母は座り込んでしまった。頬を押さえて「お母さんを叩くなんて、お母さんを叩くなんて」とつぶやき続ける。私は引き裂かれるような無感動のまま、どうすることもできずに母をみつめるしかなかった。
そのうちに、母のぶつぶつの内容が変化した。
「あれ、なんで私、口の中切っているの。どうしたのかしら」――記憶できないということは、こういうことなのか! この瞬間、私の中に感情が戻って来て、背筋を戦慄が走り抜けた。
洗面所に向かった母を置いて、私は自室に籠もった。なにを考える気力も沸かないまま、携帯電話を見ると、ドイツにいる妹からのLINEの連絡が入っている。
「今日コネクトした方が良ければ連絡ちょうだい。
来週は秋休みになるので自宅にいません。再来週の11/6はいます」
妹とは、毎日曜日の午後6時か7時頃に、スカイプをつないで、母に孫達の顔を見せるという習慣をずっと続けていた。都合が付かない時は、柔軟に中止したり延期したりしているので、その連絡だ。
今日が日曜日で助かった――。すぐに私は返事した。
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● このレベルでは、まだ初期です。つまり、正常に戻るときがあるということは、
また機能的に異常な状態であり、半永久的な脳細胞の障害はないと
いうことです。
● 至急脳の機能を阻害している原因を除去しましょう。それはアスベスト等汚染物質の体内蓄積と
ヒューマンパピローマウイルスの感染です。その両者を除去排泄できるのが
タウリンとビタミンDの併用です。
● タウリン175㎎x3/日(リポビタンDタウリン1000mg入りなら2日分)、ビタミンD400 I.U. x3/日。
● 勿論コリアンダー(デトックス剤)とEPA/DHA(魚油)の併用が出来れば、最高でしょう。