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マルクス著「資本論」第1巻の概要
商品と貨幣
マルクス著「資本論」第一卷(「向坂逸郎訳岩波書店」)は資本の生産過程を扱う。マルクスは商品の分析から始める。マルクスによれば、商品は使用価値(「効用」)と交換価値(「価格」)を有する。商品は自然物に人間労働が加わった労働生産物であり、貨幣との交換(「販売」)を目的として生産される。
使用価値を生産するのが具体的有用労働であり、交換価値を生産するのが抽象的人間労働である。それは基本的に労働時間によって決定される。労働時間は商品を生産するための個別的具体的な労働時間ではなく、社会的に必要とされる一般的平均的な労働時間である。「商品の価値はその商品を生産するために必要な社会的平均的な労働時間によって決定される」(「価値法則」)。
商品の価値は貨幣によって表示される。それが価格である。商品の価格は需要供給の変動により価値を離れて変動するが、長期的平均的には価値によって決定される。
貨幣の資本への転化・剰余価値の生産
マルクスによれば、貨幣は賃金労働者の存在によって「剰余価値」を生む資本に転化する。資本は労働者から労働力商品を購買する。労働者はその対価として賃金を受け取る。賃金は労働力商品の価格である。労働力商品の交換価値(「賃金」)は、労働力を再生産するための生活費で決まる。
「労働力商品の使用価値は、自己の交換価値(「賃金」)を超える剰余価値(「利潤」)を生みだし、労働力商品を購買した資本家が取得する。なぜなら、労働力商品の使用価値には、生活費を生産する必要労働時間と剰余価値を生産する剰余労働時間が含まれているからである」(「剰余価値法則」)。資本は無限の剰余価値を取得するために生産を行う(「利潤第一主義」)。
剰余価値の生産は、労働時間の延長(「絶対的剰余価値生産」)と機械化による生産性の上昇(「相対的剰余価値生産」)によって行う。
資本の蓄積と資本主義の崩壊
マルクスによれば、資本が獲得した剰余価値は労働力商品を購買した資本家の所有となる。「資本家は剰余価値を再び資本に転化し資本蓄積を行う。資本蓄積の過程は、資本の集積・集中と、多くの賃金労働者を資本が吸収し、資本と賃金労働者の拡大再生産である」(「資本蓄積法則」)。
ヨーロッパでは、農民を土地から追い出す「囲い込み」によって大量の農民が都市に移住しプロレタリアート(「賃金労働者」)になった。国家の暴力を利用したプロレタリアートの創出が「資本の本源的蓄積」である。
機械化による相対的剰余価値の生産に伴う生産力の拡大は、不変資本(「生産手段」)に対する可変資本(「労働力」)の比率を相対的に低下させる(「資本の有機的構成の高度化」)。そのため、賃金労働者の多くが相対的過剰人口=産業予備軍(「失業者」)に転化する。その結果、一方で資本家の側には富が蓄積され、他方で賃金労働者の側には貧困が蓄積される。
マルクスによれば、賃金労働者によって担われる生産の組織化社会化が進む一方で、他方、富の取得は資本家に委ねられ私的なままである(「生産の社会的性格と所有の私的性格」)。このため、資本と賃労働との対立・矛盾は大きくなる(「資本主義の基本矛盾」エンゲルス著「空想から科学へ」河出書房新社)。この基本矛盾が階級闘争を激化させ資本主義の「弔いの鐘」となり、収奪者が収奪され、資本主義は崩壊するのである(「資本主義崩壊論」)。
マルクス「資本主義崩壊論」の理論的破綻
マルクス著「資本論」と先進国革命
マルクス著「資本論」によれば、上述の通り、資本主義が発達すると資本の集積・集中が進み、機械化による資本の有機的構成が高度化して相対的過剰人口=産業予備軍(「失業者」)が増大する。その結果、労働者階級の貧困・抑圧による階級闘争が激化し、社会主義革命により、資本主義が崩壊して社会主義に移行するとされる。
すなわち、「資本主義が発達すれば社会主義に移行する」(「資本主義崩壊論」)というのが、「資本論」の根幹であり結論である。ところが、実際には欧米や日本など、資本の集積・集中が進み、資本の有機的構成が極めて高い発達した先進資本主義諸国から社会主義革命により社会主義に移行した国は皆無である。
反対に、帝政ロシアや中国、北朝鮮、ベトナム、カンボジア、ラオス、キューバなど、資本の集積・集中がなく、資本の有機的構成が極めて低い未発達の遅れた後進資本主義国や、農業国、発展途上国、植民地国に限って社会主義革命が成功し、社会主義に移行している。
これらの事実は、「資本主義が発達すれば社会主義に移行する」(「資本主義崩壊論」)というマルクス著「資本論」の根幹の理論とは明らかに矛盾し対立する歴史的事実である。このような歴史的事実からは、マルクス著「資本論」の核心である「資本主義崩壊論」は、理論そのものに重大な矛盾や破綻があり、少なくとも、発達した先進資本主義諸国では、もはや有効でも妥当でもないと評価せざるを得ない。すなわち、マルクス著「資本論」の上記根幹の理論はすでに理論的に「破綻」しているのである。
そして、この「破綻」の根源は、後述の通り、マルクス著「資本論」の理論の核心である「資本主義が発達すればするほど労働者階級は窮乏化する」という「窮乏化法則」の破綻にあることは明らかである。
レーニン「不均等発展」と「鎖の輪」理論
こうしたマルクス著「資本論」の根幹の理論の「破綻」に関連して、帝国主義の時代にマルクス主義を創造的に発展させたとされるレーニンは、「帝国主義論」(「レーニン全集第22巻大月書店」)において、「資本主義の最高の段階としての帝国主義の時代には、資本主義の<不均等発展の法則>により、帝国主義の<鎖の輪>の弱い後進資本主義国から社会主義に移行する」との理論を提起した。
<不均等発展の法則>とは、資本主義社会では生産が無計画であるから、個別資本間、各生産部門間、各国間の発展が不均等に進むとの理論である。
スターリンもレーニンの理論を踏襲し、「不均等発展の法則により、資本主義の戦線(「鎖の輪」)の弱い国はプロレタリアートがこの戦線を断ち切ることが比較的容易であるから革命が勝利する。」と言っている(「スターリン全集第1巻」大月書店)。
これは、未発達の遅れた後進資本主義国であった帝政ロシアの社会主義革命を合理化し正当化するものである。なぜなら、ロシア革命は「資本主義が発達すれば社会主義に移行する」というマルクス著「資本論」の根幹である「資本主義崩壊論」では到底説明がつかないからである。
そのため、レーニンは<不均等発展>と<鎖の輪>理論を提起し、ロシア革命を正当化したのであるが、これは、明らかにマルクス著「資本論」の「資本主義崩壊論」の「修正」である。そして、この「修正」はマルクス著「資本論」の根幹の「修正」であるから、マルクス著「資本論」の理論的「破綻」であることは前述のとおりである。
史的唯物論との矛盾
そのうえ、レーニンによる、ロシア革命を念頭に、未発達の遅れた後進資本主義国であっても社会主義への移行を合理化し正当化するこの<不均等発展の法則>と<鎖の輪>理論による「資本論」の「修正」は、「一つの社会構成は、それが十分包容しうる生産諸力がすべて発展しきるまでは決して没落するものではなく、新しいさらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化され終わるまでは、決して古いものにとって代わることはない」(「マルクス著「経済学批判」岩波文庫」)という「史的唯物論」(「生産力の発展が生産関係を決定する」)の根本法則とも甚だしく矛盾する。
なぜなら、帝政ロシアについては「史的唯物論」のいう「生産諸力がすべて発展しき」っていたとは到底言えないからである。ましてや、レーニンのいう「帝国主義の鎖の輪」の中にすら入っていない発展途上国であった中国、北朝鮮、ベトナム、カンボジア、ラオス、キューバなどが社会主義に移行したことを考えると、これらの国々の「生産諸力がすべて発展しき」っていたとは、帝政ロシア以上に到底言えないことも明らかだからである。
このように考えると、レーニンによる「資本論」の「修正」すなわち<不均等発展>と<鎖の輪>理論によるロシア革命の合理化は、マルクス著「資本論」の根幹である「資本主義崩壊論」(「資本主義が発達すれば社会主義に移行する」)の理論的破綻であるのみならず、「史的唯物論」とも甚だしく矛盾し「史的唯物論」そのものの正当性の有無にまで波及する根源的問題である。
すなわち、レーニンによる「資本論」の「修正」が正しければ「史的唯物論」は誤謬となり、「史的唯物論」が正しければ、レーニンの「修正」は誤謬であり、両者は完全な二律背反となるからである。
レーニン「死滅しつつある資本主義」
さらに、レーニンは「帝国主義論」において、発達した資本主義(「帝国主義」)の「寄生性」と「腐朽性」を理由に、「帝国主義は死滅しつつある資本主義である」との理論を提起した。
「寄生性」とは、帝国主義国では資本輸出が増加し諸外国の労働者を搾取する結果、生産労働をしない金利生活者が増え「金利生活者国家」になるというものであり、「腐朽性」とは、「独占資本」による独占価格の設定や特許権の買収により技術的進歩が抑制される結果、経済が停滞するというものである。
しかし、「寄生性」については、先進資本主義諸国においては、資本輸出が増大し金融資本化の傾向はみられるが、そのために、生産労働をしない金利生活者が特段に増加して「金利生活者国家」に転化する現象は存在しない。
また、「腐朽性」についても、「独占資本」による独占価格の設定は独禁法で厳しく規制(「懲役刑」)されているうえに、「独占資本」といえども海外企業との国際競争は極めて激化しているから、特許権を買収しても不断の技術革新が不可欠であり、技術的進歩が抑制される現象は存在しない。
レーニン著「帝国主義論」(「1916年」)から100年以上が経過して、死滅したのは資本主義ではなく、ソ連社会主義(「<国家資本主義説>などの異論がある。しかし、生産手段の国有化と計画経済からソ連は社会主義であったと考える。」)であったことを考えても、「寄生性」「腐朽性」を含め、レーニンの「死滅しつつある資本主義」の理論は、明らかな事実誤認であり理論的誤謬である。
それは、レーニンが、客観的で冷静沈着な純粋の学者ではなく、特定の政治目的(「世界革命」)の実現を目指す現実政治家であったからである。その意味で、レーニン著「帝国主義論」は一種の「政治的プロパガンダ」の性格を有する。
以上が、マルクス著「資本論」の「資本主義崩壊論」及びレーニン著「帝国主義論」の「死滅しつつある資本主義」の理論に対する筆者独自の視点からの問題提起であり根本的批判である。これは、「マルクス・レーニン主義」(「科学的社会主義」)を含むマルクス主義理論全般の正当性・有効性・妥当性の有無にも影響を及ぼす根源的問題である。
(次回:「なぜ資本主義は崩壊しないのか?その原因を究明する②」に続く)