歴史経済波動学を知らないと
このように専門家といえども
間違った予測をするものです
1917年の革命・ユダヤ人による共産主義革命は
酷い絶対王政ツアー皇帝に代わって
共産党が皇帝以上に大弾圧大虐殺を行い
独裁体制には変化がなかったという意味で
いわゆるクーデターに属します
1990年の崩壊は
これは体制が
熟れた果物が
木から落ちるように
抵抗もなく崩壊したので
まさに革命ですが静かな革命です
つまり体制の寿命が到来して静かに死んだのです
その後の新しい体制を作ろうとして
エリチンは資本主義制度を
導入しようとして
見事に失敗しています
それを本来の体制
日本で言えば
戦国時代後の体制は
江戸幕府絶対王政ですので
ロシアの体制もそういうことになります
体制は270年の寿命があります
新体制後33年しかならないロシアは
したがってその本質である・絶対王政は
2260まで続きますから
近々崩壊することは絶対あり得ません
言い換えれば、むしろプーチンが失脚すれば
より独裁力の強い大統領が絶対王政を築く事になります
このようなロシアの体制が再び崩壊するという予測が
ユダヤ金融資本家の悪徳を刺激して
再びロシアの資産を奪おうと
ロシアの周りで
クーデター騒ぎを起こして
ロシアを刺激することになるのです
言い換えればUSA/ユダヤ金融資本家の
火遊びは成功しないと云う事です
・・・・
・・・
・・
・
Text by Charlotte Lalanne
ロシア出身の歴史家アレクサンドル・エトキントは、新著『ロシアの反近代』(未邦訳)でそう言い放つ。エトキントは1955年、サンクトペテルブルクで生まれた。2000年代初頭にロシアを離れ、英ケンブリッジ大学、フィレンツェの欧州大学院を経て、現在はウィーンの中央ヨーロッパ大学で教えている。
ウクライナでの戦争が「ロシア帝国」滅亡の最終段階になると予測するエトキントに、仏誌「レクスプレス」が話を聞いた。
──ロシア連邦は早晩、崩壊すると確信されているそうですね。どうしてですか。
歴史をひもとけば、多くのことを学べます。未来のことはわかりませんが、私たちは現在を生きており、過去のことなら知っています。帝国はロシアを除いてすべて崩壊しています。その意味では、ロシアは最後の帝国なのです。通常、帝国の崩壊は、戦争によってもたらされます。世界大戦で帝国が崩壊した事例もあります。
ロシア帝国の崩壊のプロセスは、非常に長い時間をかけながら進行してきています。崩壊が始まったのは第一次世界大戦末期の1917年です。このとき、ポーランドとフィンランド、それからウクライナがロシアから分離しましたが、ウクライナはその後、ロシアに再併合されました。
1991年にも大きな動きがありました。ソ連を構成していた14ヵ国(コーカサス地方やバルト地域、中央アジアの共和国)が独立国家になったのです。ウクライナもそのとき独立した国家の一つです。つい最近の出来事のように感じる人もいるかもしれませんが、あれからすでに30年以上の歳月が経ちました。その間、プーチン(大統領)はロシアを冷凍状態で維持してきたのです。
私見では、ロシアの今後を予測するうえで最も参考になるモデルは、オーストリア・ハンガリー帝国です。第一次世界大戦さえ引き起こさなければ、ハプスブルク家の帝国をその後も存続させることができたのと同じで、プーチンとその仲間たちの権力も、あと十数年は安泰だったのです。それなのに、プーチンは戦争開始を決定しました。
ロシアは「衰退している帝国」である
──いまのロシアを、なぜ「帝国」だと言うのですか。
帝政ロシアが倒れた後にソ連が続き、そのソ連が崩壊すると、ロシアの正式な国名は「ロシア連邦」になりました。ロシア連邦は、数多くの地域で構成されていますが、それぞれの地域は法的地位も異なり、一部は「共和国」とも呼ばれています。
通常、連邦制の特徴は、加盟も離脱も自由だというところです。たとえば、EU(欧州連合)は連邦制ですので、英国はEUを離脱するときに四苦八苦こそしましたが、戦争をする必要はありませんでした。
一方、ロシア連邦には、そのような離脱の仕組みはありません。その意味において、ロシアは連邦制の国家ではないのです。ロシアは「衰退している帝国」と見るべきであり、この帝国はやがて崩壊します。
ロシア政府は、これまで経済力を使って封建制を敷いてきました。「連邦」を構成する共和国の数々に補助金を出し、これらの共和国は、補助金を受け取るのと引き換えに、国家としての独立や発展を断念していたのです。
補助金の財源は、石油収入です。しかし、いまのウクライナでの戦争で、中央と地方のバランスが乱れています。ウクライナの前線に送り込まれた兵士も、戦争で死亡した兵士も、その多くがロシア国内の最も貧しい地域の出身者です。
また、西側諸国が実施した大規模な経済制裁が国家財政に重くのしかかることになれば、中央が地方にお金を配って黙らせる力が制限されることになります。
──ボリス・エリツィン大統領時代のロシアでは、地方分権化を推し進めて、本当の意味での「連邦制」の樹立をめざした時期があったかと思います。
タタルスタン共和国が同国の憲法を改正し、主権宣言ができたのも、そういった事情があったからです。エリツィンの時代は、各地域の指導者がさまざまな権力を持って、経済を運営することができていました。しかし、プーチンが権力の座に就くと、こうした地方分権化の動きに終止符が打たれたのです。(続く)
PROFILE
アレクサンドル・エトキント 1955年サンクトペテルブルク生まれ。歴史学者。2000年代初頭にロシアを離れ、英ケンブリッジ大学、フィレンツェの欧州大学院を経て、現在はウィーンの中央ヨーロッパ大学で教える。