ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

GBI行:カウリと鯨

2013-12-19 | 旅行
明日もバリバリ続編行きまーす
と一昨日言ったら、いきなり続かなかった昨日


なぜか堂々前振りしたときに限ってその通りにならない、
へそ曲がり?その日任せ?なブログ
昨日はとにかく、
三ちゃん祭りでした



それでもめげずに
GBI
(※なぜこんなにひつこいのか?)


グレートバリア島旅行は雨ばかりでしたが、出掛けてもいました。

初日にロッジから近かったトラムライン・トラックと呼ばれる
片道45分の道を歩いてみました。


かつてNZ原生の高級木材カウリの切り出しに
1925-41年までたったの16年間使用されたトロッコ線跡です。
この頃にはノースランドのカウリが取り尽され、こんな不便な場所にまで
カウリを求めてやってきたのですね!


トロッコは雑木林の中を走る国内で最も勾配のきついものだったそうで、
伐採の難易度からして、資源の枯渇具合がうかがえます。


美しいシダのトンネル

とても自然に見えましたが、この辺は再生林でした


確かに勾配がきつく、ちゃんとした靴を履いていって正解

帰りがけに雨が降ってきて幸いでした。濡れたら足場が相当悪そう。


途中に錆びたかつての線路発見



この辺はキャンプ場になっていました。

ファンガパラパラ湾に面したグリーン・キャンプ場


あるのはこれだけ



こんな水道もあって、

「島には水道がないのに水が出るの?」
と蛇口をひねってみたら・・・・・





出ました
(※どこかに雨水タンクがあるのかな?)


やったー

トロッコ発見


この辺に操作場か作業場があったよう。



ただただ朽ちているだけで何の説明もなし。



もう少し道なき道を行ってみると

ファンガパラパラ湾に出ました。


この杭の太さと多さ、

かつてかなり立派な桟橋があって、満潮時には船が着いたのでは?
宿まで往復きっちり2時間のなかなかいいコースでした。



し・か・し、
雨のことなど、これっぽっちも頭になく
水着だなんだと晴天しか頭になかった私たちはレインコートも傘もなく、
旅行中のトレッキングはこれのみでした




別の日に行った

ミルク・ハニー・穀物博物館
なんと、まんまな名前!


中は個人の手作り的な展示

島のあちこちから集めてきたんでしょうね~


これは脱穀機

だったはず


こんな風に水車を使って脱穀したりしていたようです。

本当に自給自足だったんですね。




この小部屋は?



ギャー
(※音声を消してお届けしています)

ドアを開けるとこの人が
トイレに座って新聞から顔をあげます。





まんまと引っかかった私



博物館の裏に住んでいるらしいオーナーは(家あり)毎日この
ギャー
を楽しんでいるのかも・・・・



ここで見つけたトロッコの写真




ノースランドの博物館で何度も何度も目にした

カウリを運搬している様子
水牛あり


トロッコあり

船あり
ありとあらゆる手段で宝の山を切り出し、お宝を運び去り、
後には禿山と仕事のなくなった人たちが残されるという、
近代の採集経済


カウリが終わったあとは鉱物資源を掘ったり、

なんと捕鯨も行われていました。


解体中
まるで雪のような白さ

1956-63年までファンガパラパラに鯨工場があったそうです。
これもたったの7年という超短命なビジネス


装備を整えたロシアと日本の捕鯨船に太刀打ちできずにあえなく撤退。

技術力、資金力、市場の差が歴然だったのでしょうね。



この写真なんだかわかりますか?



乳絞りをしているおニイさんが、

猫にミルクをあげているところ
2匹とも後ろ立ちしています。


これも!

かーわーいー


写真が突然カラーになって1960年代

私が生まれた頃?
日本ではオリンピックがあり、新幹線も東京タワーもあった頃ですよ


とーっても小さな博物館でしたが

なかなか勉強になりました


(つづく)