和歌山県伊都郡九度山町慈尊院にある慈尊院です。
万年山慈尊院は高野山真言宗のお寺で、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されています。弥勒堂の本尊である木造弥勒仏坐像は秘仏で寛平4年(892)の墨書があり国宝に指定されています。
弘仁7年(816)、弘法大師が、高野山開創の時に、高野山参詣の要所のここに創建しました。高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場所としたのです。
大師の母が善通寺より会いに来ましたが、高野山は女人禁制だったため、ここに住み、翌年逝去したため母公廟が営まれました。それからは女人結縁の寺として女人高野と呼ばれました。
弘法大師はひと月に9度も20kmも離れている高野山から山道を下って、政所にいた母を訪ねたそうです。そのことで「九度山」地名になったそうです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
万年山慈尊院は高野山真言宗のお寺で、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されています。弥勒堂の本尊である木造弥勒仏坐像は秘仏で寛平4年(892)の墨書があり国宝に指定されています。
弘仁7年(816)、弘法大師が、高野山開創の時に、高野山参詣の要所のここに創建しました。高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場所としたのです。
大師の母が善通寺より会いに来ましたが、高野山は女人禁制だったため、ここに住み、翌年逝去したため母公廟が営まれました。それからは女人結縁の寺として女人高野と呼ばれました。
弘法大師はひと月に9度も20kmも離れている高野山から山道を下って、政所にいた母を訪ねたそうです。そのことで「九度山」地名になったそうです。
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