和歌山県伊都郡九度山町九度山にある善名称院(真田庵)です。
伽羅陀山善名称院は高野山真言宗のお寺です。そしてここは真田庵(さなだあん)ともよばれています。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで敗れた真田昌幸・幸村の隠棲時代の屋敷跡でもあったからです。
昌幸は、慶長6年(1611)無念の思いでこの地で65歳の生涯を閉じました。幸村は慶長18年(1614)、大阪城に入城、大阪冬の陣、夏の陣で奮戦、元和元年(1615)茶臼山付近で壮烈な最後をとげました。
寛保元年(1741)に九度山出身の大安上人が、真田昌幸の墓所に地蔵菩薩を安置した一堂を造ったことでこのお寺が生まれました。善名称院は和歌山県の史跡に指定されていて、牡丹の名所としても知られています。
六文銭の紋が刻まれた門をくぐると、八つ棟造りの重厚な三層城閣風の本堂が建ち、軒の瓦には菊花の紋章が入っています。本尊は地蔵菩薩で、境内には開山堂(大安上人の廟)、土砂堂、宝物資料館、真田昌幸の墓、それに与謝蕪村の句碑があります。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
伽羅陀山善名称院は高野山真言宗のお寺です。そしてここは真田庵(さなだあん)ともよばれています。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで敗れた真田昌幸・幸村の隠棲時代の屋敷跡でもあったからです。
昌幸は、慶長6年(1611)無念の思いでこの地で65歳の生涯を閉じました。幸村は慶長18年(1614)、大阪城に入城、大阪冬の陣、夏の陣で奮戦、元和元年(1615)茶臼山付近で壮烈な最後をとげました。
寛保元年(1741)に九度山出身の大安上人が、真田昌幸の墓所に地蔵菩薩を安置した一堂を造ったことでこのお寺が生まれました。善名称院は和歌山県の史跡に指定されていて、牡丹の名所としても知られています。
六文銭の紋が刻まれた門をくぐると、八つ棟造りの重厚な三層城閣風の本堂が建ち、軒の瓦には菊花の紋章が入っています。本尊は地蔵菩薩で、境内には開山堂(大安上人の廟)、土砂堂、宝物資料館、真田昌幸の墓、それに与謝蕪村の句碑があります。
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