滋賀県大津市坂本本町に比叡山延暦寺があります。
元三大師堂(四季講堂)は慈恵大師良源の住居跡と伝えられています。「元三大師」とは、正月三日に入滅した良源の大衆的尊称です。慈恵大師は延暦寺中興の祖としてしられ、学識、寺院経営、後継者育成の方面に優れた高僧でした。第18代天台座主として19年間在職しました。
四季講堂とも呼ばれるのは、康保4年(967)から村上天皇の勅命で春夏秋冬それぞれの季節に法華経の論議が行われたため称されるようになったといわれています。
始めは弥勒菩薩を本尊としていましたが、今は元三大師の画像を本尊として祀って大師信仰の根本道場となっています。人々からは「横川の大師さん」などとも呼ばれています。
元三大師堂は間口5間、奥行4間、単層、入母屋造り、瓦棒銅板葺きの建物です。現在の建物は承応元年(1652)、後水尾天皇の勅願により再建されたものです。江戸時代初期に建てられた寺院建築の遺構として滋賀県指定文化財に指定されています。
正面中央は双折唐戸(ふたつおりからど)で、その左右に蔀戸と舞良戸をはめています。側面はほとんどが板壁で囲まれた素木造りで、低い縁高欄が周囲を廻っています。
現代のおみくじの形は、慈恵大師が考え出したといわれていて、この元三大師堂がおみくじ発祥の地といわれます。今でも、先ず僧侶の前で自分の悩み事を話し、おみくじを授受します。そしておみくじに書いてある内容について10分ほど僧侶から教えを受けるのだそうです。
元三大師堂の本堂に向かって左側に建っている建物は旧恵雲院です。右側に建てられている鷄足院は、向かい合っているため2つの堂宇は「向い堂」と呼ばれています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/

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元三大師堂(四季講堂)は慈恵大師良源の住居跡と伝えられています。「元三大師」とは、正月三日に入滅した良源の大衆的尊称です。慈恵大師は延暦寺中興の祖としてしられ、学識、寺院経営、後継者育成の方面に優れた高僧でした。第18代天台座主として19年間在職しました。
四季講堂とも呼ばれるのは、康保4年(967)から村上天皇の勅命で春夏秋冬それぞれの季節に法華経の論議が行われたため称されるようになったといわれています。
始めは弥勒菩薩を本尊としていましたが、今は元三大師の画像を本尊として祀って大師信仰の根本道場となっています。人々からは「横川の大師さん」などとも呼ばれています。
元三大師堂は間口5間、奥行4間、単層、入母屋造り、瓦棒銅板葺きの建物です。現在の建物は承応元年(1652)、後水尾天皇の勅願により再建されたものです。江戸時代初期に建てられた寺院建築の遺構として滋賀県指定文化財に指定されています。
正面中央は双折唐戸(ふたつおりからど)で、その左右に蔀戸と舞良戸をはめています。側面はほとんどが板壁で囲まれた素木造りで、低い縁高欄が周囲を廻っています。
現代のおみくじの形は、慈恵大師が考え出したといわれていて、この元三大師堂がおみくじ発祥の地といわれます。今でも、先ず僧侶の前で自分の悩み事を話し、おみくじを授受します。そしておみくじに書いてある内容について10分ほど僧侶から教えを受けるのだそうです。
元三大師堂の本堂に向かって左側に建っている建物は旧恵雲院です。右側に建てられている鷄足院は、向かい合っているため2つの堂宇は「向い堂」と呼ばれています。
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