滋賀県近江八幡市安土町下豊浦に摠見寺があります。
遠景山摠見寺(そうけんじ)は安土城跡にある臨済宗妙心寺派のお寺です。天正4年(1576)織田信長が鈴鹿山の江雲寺を移して城郭内に建立しました。安土城跡は摠見寺の私有地になっていて、代々織田家ゆかりの人物が摠見寺住持になっているそうです。
現在ある大手道の東側の仮本堂は幕末の安政元年(1854)の大火のため移転したものです。信長、信忠の像が祀られています。信長が創建した時には、百々橋(どどばし)から本丸に続く道沿い、二王門や三重塔付近に堂宇を構えていました。
信長の死後10年たった天正20年(1592)に豊臣秀吉が摠見寺に領地を与え、信長の菩提寺と定めました。以後400年の間、安土城跡二の丸跡地に建てられた信長廟と残された織田一族の菩提を弔ってきました。
江戸時代後期には22棟の堂宇が残されていたようですが安政元年(1854)の大火により二王門や三重塔、裏門を除く多くの堂宇が焼失しました。二王門と三重塔は国の重要文化財に指定されています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
日本一周 ブログランキングへ
にほんブログ村
http://blog.fc2.com/
遠景山摠見寺(そうけんじ)は安土城跡にある臨済宗妙心寺派のお寺です。天正4年(1576)織田信長が鈴鹿山の江雲寺を移して城郭内に建立しました。安土城跡は摠見寺の私有地になっていて、代々織田家ゆかりの人物が摠見寺住持になっているそうです。
現在ある大手道の東側の仮本堂は幕末の安政元年(1854)の大火のため移転したものです。信長、信忠の像が祀られています。信長が創建した時には、百々橋(どどばし)から本丸に続く道沿い、二王門や三重塔付近に堂宇を構えていました。
信長の死後10年たった天正20年(1592)に豊臣秀吉が摠見寺に領地を与え、信長の菩提寺と定めました。以後400年の間、安土城跡二の丸跡地に建てられた信長廟と残された織田一族の菩提を弔ってきました。
江戸時代後期には22棟の堂宇が残されていたようですが安政元年(1854)の大火により二王門や三重塔、裏門を除く多くの堂宇が焼失しました。二王門と三重塔は国の重要文化財に指定されています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
日本一周 ブログランキングへ
にほんブログ村
http://blog.fc2.com/