旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

宝厳寺

2016年12月29日 | 旅 歴史
 巌金山(がんこんさん)宝厳寺(ほうごんじ)は、琵琶湖中の竹生島(ちくぶしま)にある真言宗豊山派(ぶざんは)のお寺です。神亀元年(724)、聖武天皇が夢枕に立った天照大神のお告げを受け、僧行基に開基させました。
 西国三十三箇所観音霊場の第30番札所で、観音霊場です。観音堂本尊は千手観音です。宝厳寺の本尊は弁才天で本堂は弁才天堂とも呼ばれています。弁才天信仰の聖地で、厳島神社、江の島神社とともに日本三大弁才天の1つにも数え上げられています。
 竹生島は神仏習合でした。宝厳寺は竹生島大神宮寺というお寺で、東大寺の支配下にありました。平安時代前期、10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様、比叡山延暦寺の傘下に入り、天台宗門下に入りました。竹生島は天台宗の僧の修行の場となり、平安時代末期頃からは観音と弁才天信仰の島として栄えました。
 宝厳寺は貞永元年(1232)、享徳3年(1454)、永禄元年(1558)に大火に遭い、興廃を繰り返しました。慶長年間(1596-1615)に、豊臣秀頼が秀吉の遺命により、片桐且元を普請奉行とし伽藍を復興させ、ほぼ現在の寺観になりました。
 明治時代になり、政府は神仏分離令を出し、宝厳寺を廃寺にし、都久夫須麻神社とするよう命じました。宝厳寺は弁才天は仏教の仏であると主張し、本殿を都久夫須麻神社にすることで廃寺を免れました。お寺と神社の両方が並存することとなったのです。
 明治7年(1874)、都久夫須麻神社と宝厳寺の境界が決められ、明治16年(1883)に両者の財産が区別され、今日に至っています。昭和17年(1942)、宝厳寺の現在の本堂が完成し、約70年間、仮安置されていた本尊の大弁財天がやっと安置されました。境内には国重文の観音堂、国宝の唐門、国重文の渡廊、国重文の石造五重塔など多くの諸堂が点在しています。竹生島も昭和5年(1930)に国の名勝に指定されています。

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