和歌山県紀の川市粉河にある粉河寺(こかわでら)です。
風猛山(ふうもうざん)粉河寺は粉河観音宗の総本山です。西国三十三カ所第3番札所として知られています。清少納言の枕草子に「寺は壺坂、笠置、法輪(中略)石山、粉川、志賀」と粉河寺の名も出てきます。
奈良時代末、宝亀元年(770)、大伴孔子古が現在の本堂の場所に草庵を結び、千手観世音菩薩を本尊として粉河寺は創建されたそうです。
最盛期には七堂伽藍、塔頭550坊、寺領4万石を有し、高野山、根来寺に次ぐ勢力を誇りましたが、豊臣秀吉の紀州攻めで諸堂を焼失しました。現在の堂宇は江戸時代に再建されたものです。
江戸中期の代表的な寺院建築物で、西国に三十三所の中では最も大きい本堂を初め、大門、中門、千手堂の4棟は国の重要文化財に指定されています。
寺宝の紙本著色(しほんちゃくしょく)粉河寺縁起は鳥羽僧正筆で国宝です。本堂前の左右に築造された粉河寺庭園は、桃山時代の枯山水の庭園で上田宗箇の作庭といわれており、国の名勝に指定されています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
風猛山(ふうもうざん)粉河寺は粉河観音宗の総本山です。西国三十三カ所第3番札所として知られています。清少納言の枕草子に「寺は壺坂、笠置、法輪(中略)石山、粉川、志賀」と粉河寺の名も出てきます。
奈良時代末、宝亀元年(770)、大伴孔子古が現在の本堂の場所に草庵を結び、千手観世音菩薩を本尊として粉河寺は創建されたそうです。
最盛期には七堂伽藍、塔頭550坊、寺領4万石を有し、高野山、根来寺に次ぐ勢力を誇りましたが、豊臣秀吉の紀州攻めで諸堂を焼失しました。現在の堂宇は江戸時代に再建されたものです。
江戸中期の代表的な寺院建築物で、西国に三十三所の中では最も大きい本堂を初め、大門、中門、千手堂の4棟は国の重要文化財に指定されています。
寺宝の紙本著色(しほんちゃくしょく)粉河寺縁起は鳥羽僧正筆で国宝です。本堂前の左右に築造された粉河寺庭園は、桃山時代の枯山水の庭園で上田宗箇の作庭といわれており、国の名勝に指定されています。
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