旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

粉河寺

2010年07月13日 | 旅 歴史
 和歌山県紀の川市粉河にある粉河寺(こかわでら)です。
 風猛山(ふうもうざん)粉河寺は粉河観音宗の総本山です。西国三十三カ所第3番札所として知られています。清少納言の枕草子に「寺は壺坂、笠置、法輪(中略)石山、粉川、志賀」と粉河寺の名も出てきます。
 奈良時代末、宝亀元年(770)、大伴孔子古が現在の本堂の場所に草庵を結び、千手観世音菩薩を本尊として粉河寺は創建されたそうです。
 最盛期には七堂伽藍、塔頭550坊、寺領4万石を有し、高野山、根来寺に次ぐ勢力を誇りましたが、豊臣秀吉の紀州攻めで諸堂を焼失しました。現在の堂宇は江戸時代に再建されたものです。
 江戸中期の代表的な寺院建築物で、西国に三十三所の中では最も大きい本堂を初め、大門、中門、千手堂の4棟は国の重要文化財に指定されています。
 寺宝の紙本著色(しほんちゃくしょく)粉河寺縁起は鳥羽僧正筆で国宝です。本堂前の左右に築造された粉河寺庭園は、桃山時代の枯山水の庭園で上田宗箇の作庭といわれており、国の名勝に指定されています。
 

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紀伊国分寺跡

2010年07月12日 | 旅 歴史
 和歌山県紀の川市東国分にある紀伊国分寺跡です。
 紀伊国分寺は、紀の川市(旧打田町)東国分にある聖武天皇の発願で鎮護国家を目的に建てた官寺である国分寺の一つです。正式には八光山醫王院国分寺です。
 天平13年(741)、聖武天皇の国分寺建立の詔により、造営が開始され、天平勝宝8年(756)には主要伽藍が完成したようです。紀伊国では国分寺がここ旧打田町に、国分尼寺は岩出市に造営されました。
 元慶3年(879)火災で伽藍が全焼し、金堂と僧坊だけが再建され、14世紀初めに本堂が講堂跡に再建され、根来寺の末寺になりました。天正13年(1585)の紀州征伐で根来寺とともに焼き討ちされ、伽藍は再び焼失しましたが、元禄年間に本堂は再建されました。
 現存しているのは本堂だけですが、七重塔の緑泥片岩製の心礎を始め、金堂、講堂、僧房、鐘楼、軒廊の瓦積み基壇、柱跡も確認され、国の史跡に指定されています。


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岩出市民俗資料館

2010年07月11日 | 旅 歴史
 和歌山県岩出市根来にある岩出市民俗資料館です。
 岩出市民俗資料館は根来寺の敷地内にあります。根来寺をはじめ、岩出の歴史や文化、風土、人々の暮らしの変遷を紹介する資料館です。根来寺の僧が作り出した根来塗の工房もあります。



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根来寺・本堂

2010年07月10日 | 旅 歴史
 和歌山県岩出市根来にある根来寺・本堂です。
 大伝法堂は根来寺を総括した本堂です。中央に5mの本尊・大日如来を安置した三尊像で、文政10年(1827)に再建されたものです。和歌山県の指定文化財になっています。


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根来寺・大師堂

2010年07月09日 | 旅 歴史
 和歌山県岩出市根来にある根来寺・大師堂です。
 大師堂は大塔とともに秀吉の焼き討ちをまぬがれた建物で、根来寺の建物の中で最古のものです。内部の須弥壇と併せて国の重要文化財に指定されています。本尊の胎内銘から明徳2年(1391)の建立とみられます。真言宗を開宗された弘法大師空海上人像を本尊として祀っています。


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根来寺・大塔

2010年07月08日 | 旅 歴史
 和歌山県岩出市根来にある根来寺・大塔です。
 国宝の大塔(多宝塔)は文明12年(1480)に起工し、天文16年(1547)に竣工された我国最大の木造多宝塔です。高さ40m、幅15mの二層一階建ての塔で、高野山の根本中堂を模して造られたそうです。
 初層(裳階)の平面が方形、上層が円形ですが、初層の内部は円形の内陣が造られています。全体に装飾を控えた簡素な造りですが、規模壮大で重量感のある建物です。


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根来寺

2010年07月07日 | 旅 歴史
 和歌山県岩出市根来にある根来寺(ねごろじ)です。
 一乗山大伝法院根来寺は新義真言宗総本山です。本尊は大日如来、開山は覚鑁(かくばん、興教大師)です。覚鑁は平安時代後期の高野山の僧で空海以来の学僧といわれました。
 覚鑁は大治5年(1130)に高野山内に伝法院を建てました。鳥羽上皇は覚鑁に帰依し、荘園を寄進するなど手厚く保護しました。長承元年(1132)、鳥羽上皇の院宣を得て、高野山に大伝法院と密厳院(みつごんいん)を建立しました。そして長承3年(1134)には高野山全体を統轄する金剛峯寺座主になりました。
 覚鑁は空海の教義を重んじ高野山の信仰の建て直しを計りましたが、東寺と密接な関係にあった高野山内の衆徒はこれに反発し、対立しあうようになったのです。
 保延6年(1140)覚鑁の住む密厳院などが焼き討ちになり覚鑁一門は高野山を下りたのでした。豊福寺(ぶふくじ)、円明寺を経て根来寺が出来上がってきたのです。
 最盛期の室町時代末期には堂塔坊舎2700、寺領72万石、僧兵1万人と勢力も強大となり、一大武装集団として成長しました。豊臣秀吉は、「根来一寺を滅ぼせば、紀州の諸豪族は刃を交えず降伏する」と、根来勢の壊滅を決意します。
 天正十三年(1585)、秀吉は10万の兵力で根来を攻め勝利を収めました。その時、大塔・大師堂以外の建物がすべて焼失しました。江戸時代に入って、紀州徳川家の庇護のもと復興されたのでした。


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和歌山城

2010年07月05日 | 旅 歴史
 和歌山県和歌山市一番にある和歌山城です。
 和歌山城は、戦国時代末期の天正13年(1585)3月、紀州を攻めて平定した羽柴(豊臣)秀吉が、藤堂高虎らに命じて自らの縄張りで築城したと伝えられています。
 その後、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦で勝利を得た徳川家康は、浅野幸長を和歌山城主として甲斐から入城させました。幸長は、石垣の積み替えや城郭の拡張を始め、天守や城門、櫓の建設を行い、今に残る和歌山城の基を作り上げました。
 元和5年(1619)、幸長に変わって徳川家康の十子頼宣が55万5千石の地領で和歌山城へ入城。以来幕末の第14代藩主茂承までのおよそ250年にわたって紀州藩主として御三家として執政し、和歌山城がその藩政の中心となりました。
 築城当初は、山頂部分に本丸、二の丸があり、浅野時代になって麓に「御蔵の丸」「御屋敷」「御数寄屋」などが造られました。「梯郭式」と呼ばれる構造でしたが、徳川時代には「二の丸」を北麓の平地に移し、その跡に「本丸御殿」を建てました。
 さらに南麓に「南の丸」、御数寄屋の地に「西の丸」を置き、大手門から北の京橋口に、重臣屋敷を集めた「三の丸」を置きました。
 現在の和歌山城は、内堀で囲まれた内部の天守曲輪、本丸跡の虎伏山、その麓の二の丸、砂の丸、南の丸などの石垣が残されていま。それは、当時の4分の1の規模でしかないそうです。
 天守は大天守と小天守が連結式に建てられ、更に天守群と2棟の櫓群が渡櫓によって連ねられた連立式と呼ばれるものです。姫路城、松山城と並んで日本三大連立式平山城の一つに数えられています。


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室生寺・北畠親房の墓

2010年07月04日 | 旅 歴史
 奈良県宇陀市室生区室生にある室生寺・北畠親房の墓です。
 北畠親房の墓といわれる五輪塔と小さな五輪塔が2つあります。室町時代前期のもので国の重要文化財に指定されています。


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室生寺・五重塔

2010年07月03日 | 旅 歴史
 奈良県宇陀市室生区室生にある室生寺・五重塔です。
 室生寺の五重塔は創立当時800年頃の建立で、国宝に指定されています。屋外にある木造五重塔としては、法隆寺の塔に次いで日本で2番目に古く、現存する五重塔では最も小さい朱塗りの優雅な塔です。 
 高さは約16m、初重は一辺の長さ2.5mで、高さは興福寺五重塔の3分の1ほどです。塔の最上部の九輪の上には通常「水煙(すいえん)」という飾りが付きますが、この塔では水煙の部分が宝瓶(ほうびょう)になっています。その上に宝鐸をつるした八角形の宝蓋がついています。この室生寺独自の意匠です。寺伝では、創建にかかわった僧・修円がこの宝瓶に室生の竜神を封じ込めたと伝えられています。


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室生寺・本堂

2010年07月02日 | 旅 歴史
 奈良県宇陀市室生区室生にある室生寺・本堂(灌頂堂)です。
 室生寺の本堂は国宝で、灌頂堂(かんじょうどう)とも称されています。灌頂という密教儀式を行なう堂でもあるのです。桁行5間、梁間5間、入母屋造の檜皮葺きです。延慶元年(1308)に建てられています。
 堂内中央の厨子に国の重要文化財に指定されている木造如意輪観音坐像を安置しています。その手前左右の壁に両界曼荼羅(金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅)が向かい合わせに掛けられています。


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室生寺・弥勒堂

2010年07月01日 | 旅 歴史
 奈良県宇陀市室生区室生にある室生寺・弥勒堂です。
 弥勒堂は鎌倉時代に建てられていますが、後世に大分改造されています。国の重要文化財に指定されています。
 弥勒堂の堂内中央の厨子に本尊弥勒菩薩立像(重文)を安置しています。平安時代に造られたものです。向かって右に国宝の木造釈迦如来坐像があります。伝来や造像の由緒は一切不明ですが、作風から平安時代前期の作と思われます。


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