旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

岩手公園

2013年01月16日 | 旅 歴史
 岩手県盛岡市内丸にある岩手公園です。
 「三日月の丸くなるまで南部領」と領地の広大さを誇った南部藩20万石の城下町です。盛岡城跡の石垣は、盛岡産の花崗岩を積み上げたもので、東北3三城跡のひとつとして知られ今は岩手公園になっています。
 盛岡の地は旧名を不来方(こずかた)といい、南北朝時代には工藤氏が支配していました。その後、北奥州統一を目指す南部氏によって攻略されました。
 南部氏は甲斐源氏の流れをくむ糠部の地頭の南部光行が祖です。三戸南部氏と八戸南部氏の二つの勢力がありましたが、室町時代中期の康正年間(1455-1456)以後、三戸南部氏の勢力が強くなりました。
 戦国時代に入って、南部氏26代の当主の南部信直の時代に南部氏宗家の基盤が固まりました。小田原征伐の際、信直は津軽為信に一歩遅れ津軽の独立を許したものの、秀吉に取り入り本領7郡を安堵されました。
 天正19年(1591)南部氏一族の九戸城主九戸政実(くのへまさざね)が反乱を起こします。信直は秀吉軍の援助のもとに政実を攻略します。乱後、信直は新たに3郡を与えられて10万石となり、居城を三戸城から九戸城に移し、城の名を福岡城と改めました。
信直は地理的に不利な福岡城から北上川と中津川の合流地点の要害の地・不来方の地に新城を築くこととし、慶長2年(1597)に鋤初め(すきはじめ)、翌3年に豊臣秀吉より正式に盛岡城の築城普請を許可され、築城工事が進められました。
 南部信直の嫡男利直は慶長5年(1600)の関ケ原の合戦で徳川家康側に属したために本領を安堵され、父の後を引き継いで築城工事を進め、不来方を「盛り上がり栄える岡」になるようにとの願いを込めて盛岡と改名しました。
 盛岡城が完成したのは利直の後を継いだ利直の三男重直の時です。寛永10年(1633)で、実に40年あまりかけたことになります。
 二の丸跡には「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」という石川啄木の歌碑が建っています。また、岩手公園東側には宮沢賢治の格調高い文語詩『岩手公園』の碑文もあります。

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波字志別神社

2013年01月15日 | 旅 歴史
 秋田県横手市八沢木字宮脇にある波字志別神社です。
 波字志別神社(はうしわけじんじゃ)は秋田県屈指の古社で、宮司大友家は1200年続く名家です。国の重要無形民俗文化財の霜月神楽を今に伝えている家系です。保呂羽山波宇志別神社は天平宝字元年(757)の開基とされ、平安時代に朝廷によって編纂された延喜式の神名式に記載されている神社(式社)です。
 神楽殿は桁行3間、梁間4間の切妻造りで、梁間2間の身舎の前後に庇を付けた両流造りになっています。東日本唯一の両流造りです。柱はすべて円柱です。
 神楽殿は平成2年から30か月の期間を掛けて、建立後はじめてとなる全解体修理を終えました。昭和55年(1980)に、国の重要文化財に指定されています。

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古四王神社

2013年01月14日 | 旅 歴史
 秋田県大仙市大曲古四王際にある古四王神社(こしおう じんじゃ)です。
 大仙市郊外に鎮座する古四王神社は元亀元年(1570)に建てられました。昭和5年(1930)解体修理の時、「古川村大工甚兵衛」と書かれた棟札が見つかり、飛騨の工匠の作であることがわかりました。
 本殿は1間社で小さな社殿です。入母屋造りの妻入りのこけら葺きで、正面には唐破風の向拝があります。軒の出が、建物本体に比べて異常なほど出ていて、高勾配な屋根は高さを稼いでいます。
 細部の意匠は軒下の組物は和調ですが唐様、天竺様等も取り入れています。向拝にある大きな蛙股もめずらしく関東で数例しか見られないそうです。昭和25年(1950)秋田県内では最初の国の重要文化財に指定されました。

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角館武家屋敷資料館

2013年01月13日 | 旅 歴史
 秋田県仙北市角館町東勝楽丁にある角館武家屋敷資料館です。
 角館武家屋敷資料館は河原田家の米蔵を資料館に改造した資料館です。中には佐竹北家で使用された武具、甲兜、刀剣などが展示されています。
 衣服、調度品、古文書なども展示され、打掛けや化粧箱には京風の装飾が見られます。

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武家屋敷「岩橋家」

2013年01月12日 | 旅 歴史
 秋田県仙北市角館町東勝楽丁にある武家屋敷「岩橋家」です。
 岩橋家は石黒家などと同様に芦名家の重臣で、芦名氏断絶後、佐竹北家に仕えました。禄高は減少したようですが、屋敷の広さは同じで、上級武士の家の様式をとどめています。ここは映画「たそがれ清兵衛」の撮影場所になったことでも有名です。
 柏の木は樹齢260年以上といわれ重い歴史を感じさせます。木羽葺き、切妻型の屋敷は角館の中級武士の典型的な形を残しています。秋田県の文化財に指定されています。

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角館町樺細工伝承館

2013年01月11日 | 旅 歴史
 秋田県仙北市角館町表町下丁にある角館町樺細工伝承館です。
 この伝承館は樺細工(かばざいく)が国の「伝統的工芸品」に指定されたのを記念して昭和53年(1978)に竣工されました。
 天然の山桜の木肌を磨いてつくる工芸品・樺細工の継承・振興をはかるための施設です。角館の古い建築様式を現代に活かした建物の中には樺細工などの工芸品の他に、角館の歴史資料も展示されています。

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武家屋敷 「河原田家」

2013年01月10日 | 旅 歴史
 秋田県仙北市角館町東勝楽丁にある武家屋敷 「河原田家」です。
 河原田家は石黒家と同様に芦名氏の会津時代からの譜代の家柄で、芦名氏断絶後には佐竹家に仕えました。代々木山方を勤めたそうです。薬医門の表札の下に「電話一番」の古びた札がかかっています。
 母屋は明治中期の建築ですが、藩政時代の建築をそのまま受け継いでいて、この地方の書院造りの典型的な様式が残されています。角館町の文化財に指定されています。
 閑静な緑の庭には、苔を敷いた内庭などがあり、庭園は藩政時代そのままの姿を残しています。

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角館歴史村「青柳家」

2013年01月09日 | 旅 歴史
 秋田県仙北市角館町表町下丁にある角館歴史村「青柳家」です。
 角館歴史村「青柳家」は角館を代表する武家屋敷で、立派な薬医門が目印です。母屋は万延元年(1860)頃建てられたようで、簡素にして格式のある武家屋敷です。3千坪の敷地内には、母屋、武器庫、青柳庵、秋田郷土館、武家道具館、企画展示館などがあり、膨大な資料が展示されています。
 青柳家は芦名氏譜代の武士でしたが、芦名氏断絶後佐竹北家に仕えました。母屋や門、蔵など秋田県指定文化財になっています。「青柳庵」では、佐竹藩ゆかりの絵画や古文書、秋田蘭画などを展示しています。
 青柳家の屋敷は、広い表間口に薬医門、道沿いにめぐらせた武者窓(のぞき窓)のついた黒塗りの彫子下見塀が特徴の、格式ある造りになっています。春には日本に1本しかないという八重紅枝垂桜が咲きます。
 蔵を利用した展示室「武器蔵」には江戸時代からの文献や武具などを収蔵しています。重要文化財の秋田郷土剣などもあります。
 武具、甲冑や創製期のカメラや蓄音機など懐かしい品々も展示されています。3千坪の屋敷は植物園のように草木におおわれています。

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角館町平福記念美術館

2013年01月08日 | 旅 歴史
 秋田県仙北市角館町表町上丁にある角館町平福記念美術館です。
 仙北市立角館町平福記念美術館は武家屋敷通りの北側にある美術館です。角館町生まれの日本画家,、平福穂庵,百穂親子の作品をはじめ小田野直武など主に同郷に関する画家の作品を展示しています。
 美術館の敷地は秋田武家屋敷の佐竹北家家臣の屋敷跡です。前庭の太い樹木は武家屋敷当時のものがそのまま残っています。大江宏氏の設計で昭和63年(1988)にオープンしています。

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武家屋敷 「石黒家」

2013年01月07日 | 旅 歴史
 秋田県仙北市角館町表町下丁にある武家屋敷「石黒家」です。
 石黒家の武家屋敷は青柳家の北隣にあります。藁葺き屋根の主家は、角館に現存する最も古い武家屋敷建築です。のぞき窓をつけた黒板塀がめぐっていて現存する武家屋敷の中で、最も格式が高く歴史がある屋敷です。
 石黒家は佐竹北家の藩財政勘定役を勤めた家柄で、嘉永6年(1853)に現在地へ移転しました。薬医門には文化6年(1809)の矢板があり、門を入ると起破風に懸魚のついた正玄関と脇玄関があります。
 母屋は萱葺きで庭に築山、巨岩、樹齢300年の樅の大木、東屋があり、簡素なたたずまいながら武家の格式を保っています。角館町の文化財に指定されています。
 母屋の座敷に上がることができるのはこの石黒家だけです。部屋の特徴や当時の生活様式を知ることができます。現在も住みながら、維持、保存しています。

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角館

2013年01月06日 | 旅 歴史
 秋田県仙北市角館町にある角館です。
 黒板塀を連ねる武家屋敷街や古い商家が今も残された角館は「みちのくの小京都」と呼ばれています。元和6年(1620)芦名氏によって開かれた城下町です。30年後、断絶後、佐竹義隣(よしちか)が治めました。 
 角館のシダレザクラは明暦2年(1656)所預りとなった佐竹義隣の嫡男義明(よしはる)の妻が輿入れの際、生家の京都三条西家から持ってきたものが植え継がれたものだそうです。

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玉川ダム

2013年01月05日 | 旅 歴史
 秋田県仙北市田沢湖玉川にある玉川ダムです。
 玉川ダムは、秋田県にある雄物川の右支川、玉川の上流に建設された重力式コンクリートダムです。生活基盤・産業基盤を築くうえで大きな役割を担っています。ダムによって造られた人造湖は宝仙湖(ほうせんこ)と名付けられました。

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草家住宅

2013年01月04日 | 旅 歴史
 秋田県仙北市生保内字下堂田にある草家住宅です。
 草家住宅は天保2年(1831)に建てられた上層民家です。この地方独特の「南部曲り家」といわれるもので、厩と農作業の棟が、住居とL字型につながっています。
 主屋は桁行18m、梁間9.7m、寄棟造りで茅葺きです。明治時代に造られた土間は桁行13.6m、梁間7.9m、南面は入母屋造りで北面は主屋につながっています。
 農耕と交通の重要な手段としての馬を大切にした暮らしぶりがうかがわれます。仙北地域の典型とされる農家建築の1つとして国の重要文化財に指定されています。

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御座石神社

2013年01月03日 | 旅 歴史
 秋田県仙北市西木町西明寺潟尻にある御座石神社(ござのいしじんじゃ)です。
 御座石神社は田沢湖の北岸にあり湖神でもある辰子姫を祀っている神社です。御座石という社名は、慶安3年(1650)秋田藩主佐竹義隆が田沢湖を訪れたとき、腰をかけて休んだことに由来するそうです。
 本殿には龍の姿をした像が安置されています。美人祈願や縁結びに御利益があるそうです。すべてが辰子姫伝説の舞台です。昔々、田沢潟と呼ばれていた頃、稀れにみる美しい娘辰子がいました。美しさと若さを永久に保ちたいと、百日百夜の願を掛けました。
 満願の夜、大蔵観音のお告げにより、山に湧く水を飲むと、飲めば飲むほど喉が渇き、ついには龍になってしまったそうです。田沢湖に残る有名な伝説です。
 境内には下半身が龍となった辰子座像があります。朱塗りの鳥居のそばには、1本の木から7種類の木が生えた「七色木(なないろぎ)」や、たつこが飲んで龍となった「潟頭の霊泉」、たつこが姿を映した「鏡石」などの名所があります。

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浮木神社(漢槎宮)

2013年01月02日 | 旅 歴史
 秋田県仙北市西木町西明寺にある浮木神社(漢槎宮)です。
 浮木神社(漢槎宮)は田沢湖湖畔にあるたつこ像の目と鼻の先にあります。湖面に顔を出している大木の浮木(流木)を祀ったことから浮木神社という名になったそうです。
 漢学者で俳人の秋田藩土益戸滄洲(ますどそうしゅう)によって漢槎宮(かんさきゅう)と命名されました。拝殿正面には滄洲が田沢湖を遊覧した際、船頭をつとめた少年・斉藤千太郎に書き与えた扁額が掲げられています。

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