旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

野村美術館

2019年02月11日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区南禅寺下河原町に野村美術館があります。
 南禅寺の門前を北に進むと数奇屋風の和風建築の野村美術館があります。野村證券・大和銀行などの財閥を築きあげた野村徳七(号得庵(とくあん))が、茶の精神を基本に据えて収集したものです。北隣には別邸であった野村碧雲荘があります。
 「佐竹本三十六歌仙・紀友則」(旧秋田藩主であった佐竹家伝来の三十六歌仙絵巻(二巻本)の内、下巻に含まれていた紀友則像)、雪村筆の「風濤図」などの国の重要文化財をはじめ、与謝蕪村筆の「草廬三顧」などの重要美術品も収集しています。
 他にも本阿弥光悦筆、俵屋宗達下絵による和歌巻、千利休による書など、美術工芸品、茶道具を中心に能面・能装束など約1500点を所蔵しています。毎年、春季(3月初旬ー6月初旬)と秋季(9月初旬ー12月初旬)の年2回、テーマに応じた展示をしています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


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清流亭

2019年02月10日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区南禅寺下河原町に清流亭(せいりゅうてい)があります。
 南禅寺の山門の北、碧雲荘の西に清流亭があります。塔頭の楞厳院があった場所といわれ、桜の名所として有名です。南禅寺一帯の別荘地開発を手がけた実業家・塚本與三次によって大正2年(1913)頃に庭園を囲むように建てられました。施工したのは数寄屋大工の上坂浅次郎と北村捨次郎で、作庭は小川冶兵衛です。
 琵琶湖疏水から引き入れたせせらぎから大正4年(1915)、東郷平八郎が「清流亭」と命名したそうです。大正14年(1925)この邸宅は2分割され西側は三菱財閥の岩崎小弥太邸、東側は近江長浜出身の実業家、下郷伝平邸に渡りました。現在は東側が清流亭になっています。
 表千家残月亭(ざんげつてい)を写した広間の「残月の間」を中心とした主屋は、様々な茶の湯の座敷を集成した建築で、吟味された材料と熟練した伝統技術を駆使して建てられています。主屋、寄付(よりつき)、立礼席(りゅうれいせき)が平成22年(2010)に国の重要文化財に指定されています。

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金地院開山堂

2019年02月09日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区南禅寺福地町に金地院があります。
 開山堂は「黒衣の宰相」と言われた以心崇伝の塔所です。小さく「開山堂」と書かれた木札がありますが、後水尾天皇の筆によるものです。堂内の左右両脇に十六羅漢像が安置されています。

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金地院明智門

2019年02月08日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区南禅寺福地町に金地院があります。
 金地院には「明智門」と呼ばれる唐門があります。金地院にあった唐門(国重文)が豊国神社に移築されたため、大徳寺から明治元年(1868)に移築された門です。「明智門」は桃山時代の唐門で、天正10年(1582)、明智光秀(1529-1582)が本能寺の変の後、母の菩提のために黄金千枚を寄進して大徳寺に建立したものでした。

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金地院庭園

2019年02月07日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区南禅寺福地町に金地院があります。
 金地院の庭園は鶴亀の庭園といわれ、国の特別名勝に指定されています。崇伝が徳川家光が上洛した時のために小堀遠州に作庭させた庭です。方丈の前に広がる庭園は、一面に白砂を敷いて大海を表し、奥の右に鶴島、左に亀島と呼ばれる石組みが組まれています。正面には巨大な平面石があり、東照宮への遙拝石といわれています。

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金地院方丈

2019年02月06日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区南禅寺福地町に金地院があります。
 金地院の方丈(本堂)は、崇伝が伏見桃山城の一部を徳川家光より賜わり移建したといわれています。禅院方丈にみられる典型的な六間取りで、前列中央が「室中」、その奥が本尊地蔵菩薩像を安置する「仏間」になっています。西側は奥が「富貴の間」(衣鉢の間)、その手前が「次の間」(檀那の間)、東側は手前が「鶴の間」(礼の間)、奥が「菊の間」(書院の間)となっています。
 「富貴の間」は奥に床高を一段高めた上段があり、床(とこ)、棚、付書院を設け、天井を格天井とする格式の高い部屋です。方丈は間口11間26.3m、奥行7間19.6m、単層、入母屋造り、こけら葺きの大きな建物です。正面には山岡鉄舟の筆による「布金道場」が掲げられています。方丈は本堂として明治33年(1900)に国の重要文化財に指定されています。

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金地院東照宮

2019年02月05日 | 旅 歴史
 京都府京都市左京区南禅寺福地町に金地院があります。
 東照宮は徳川家康の遺言で建てられ、家康の遺髪と念持仏を祀っています。「南禅寺中金地院へ小堂をいとなみ、所司代はじめ武家の輩進拝せしむべし」との遺言で寛永5年(1628)に造営されました。元禄6年(1693)には幕府により1千両をかけて社殿修復と御門廊下が造られたそうです。
 東照宮は本殿と拝殿を石の間でつなぐ、京都で唯一の権現造りの建物です。本殿は間口3間、奥行2間、単層、入母屋造り、檜皮葺き、石の間は間口3間、奥行1間、単層、両下造り、本瓦葺き、拝殿は間口3間、奥行2間、単層、本瓦葺きで、正面に千鳥破風と軒唐破風が付いています。
 拝殿は総漆塗り、石の間と本殿は柱や梁を丹で、壁や扉は白、黄、緑などの極彩色で塗られています。拝殿の天井の鳴龍は狩野探幽の筆で、欄間には土佐光起画、青蓮院宮尊純法親王の書になる「三十六歌仙」額が掲げられています。金地院の東照宮は昭和31年(1956)に国の重要文化財にも指定されています。

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金地院

2019年02月03日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区南禅寺福地町に金地院があります。
 南禅寺の塔頭である金地院は臨済宗南禅寺派のお寺です。元は南禅寺68世大業徳基(だいごうとくき)和尚が、室町幕府4代将軍足利義持の帰依を受け、応永年間(1394-1428)に北山の鷹ヶ峰に創建しました。 金地院の3世となったのは以心崇伝(いしんすうでん)和尚です。
 崇伝は足利氏の家臣・一色秀勝の第二子でした。織田信長により足利義昭が将軍職を追放されたため、南禅寺に引き取られ、玄圃霊三の弟子となり建長寺や南禅寺の住職になり、臨済宗の最高位についた人です。
 崇伝は、慶長10年(1605)、金地院を南禅寺の三門の南西に位置する現在地に移し、復興させました。慶長13年(1608)、崇伝は徳川家康の信任を得て駿府に赴き、外交事務の担当をするようになります。秀忠、家光にも使え、天海僧正とともに江戸幕府の基礎を確立し、黒衣の宰相ともいわれました。
 崇伝は家康没後の元和5年(1619)に「天下僧録司」に任ぜられました。京都、鎌倉五山を頂点とする臨済宗寺院の住職の任命や統制を任されたのです。これ以降、金地院の歴代の住職は明治維新に至るまで僧録司の地位を継承しました。
 崇伝は寛永3年(1626)、後水尾天皇より「円照本光国師」を賜わり、翌年、金地院の大改築に着手し、現在の寺観を整えました。寛永5年(1628)には、家康の遺髪と念持仏を祀って東照宮も造営しました。幕府から、寺領1900石、10万石の大名の待遇を与えら「寺大名」ともいわれました。
 崇伝は慶長19年(1614)の大坂の陣の発端にもなった方広寺の鐘銘事件にも関与しています。刻まれている「国家安康」「君臣豊楽」は、「家康の名を引き裂き」、「豊臣を主君として楽しむ」ととれると換言しました。その結果、豊臣家は滅亡しました。
 家康の遺言で建てられた東照宮は国の重要文化財です。金地院の方丈(本堂)は、伏見城の遺構と伝えられ、方丈裏の茶屋・八窓席は小堀遠州の作で、ともに国の重要文化財です。方丈の前に広がる庭園も小堀遠州によって作庭されたもので国の特別名勝に指定されています。

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真乗院

2019年02月02日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区南禅寺福地町に南禅寺があります。
 真乗院には応仁の乱で西軍の総大将だった山名宗全のお墓があります。山名持豊(宗全)は嘉吉の乱では、播磨の白旗城に籠城した赤松満祐を滅ぼし、備前、美作を与えられました。その後、山名氏の領国は9ヶ国におよび、管領の細川氏を凌ぐほどになったのです。
 宝徳2年(1450)入道になり宗全と号しました。赤松家の処遇をめぐって将軍足利義政と対立。享徳3年(1454)子・教豊に家督を譲ってのちに、備前で赤松則尚を滅ぼしました。
 長禄2年(1458)に幕政に復帰してからは、細川勝元と対立。畠山政長を管領職から追い、畠山義就を就けたため、応仁の乱が勃発し、何年にもわたって両雄は争いを止めることなく、京にある寺社はことごとく灰燼に帰しました。

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南禅寺方丈庭園

2019年02月01日 | 旅 歴史
 京都府京都市左京区南禅寺福地町に南禅寺があります。
 南禅寺の方丈庭園は小堀遠州の作庭と伝えられ、江戸時代初期の代表的枯山水庭園です。砂と石と松で構成され、巨大な石を横に寝かして配置する石組みの配置から「虎の子渡しの庭」と呼ばれています。小方丈庭園は心字形に庭石を配置していることから「如心庭」といわれます。南禅寺方丈庭園は昭和26年(1951)に国の名勝に指定されています。

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