8時、起床。豚肉生姜焼き、トースト、キャベツ、紅茶の朝食。昨日とは打って変わって今日は暖かい。冬の暖かな陽射しには幸福感がある。具体的に何かいいことがあるわけではないが、穏やかな気分で朝食をとる。
昔、佐藤公彦(通称ケメ)というシンガーソングライターがいた。女性的というか中性的な雰囲気の人で、私は彼のファーストアルバム(LP)を持っている。その中の「生活」という曲の次のフレーズが、いまでもときどき口をついて出ることがある。
♪僕の生活は よころびの朝ごはんと 悩みの晩ごはん 小さなテーブルの上に
前後の歌詞は忘れてしまった。だから、このプレーズだけをくり返し口ずさむ。
♪僕の生活は よころびの朝ごはんと 悩みの晩ごはん 小さなテーブルの上に
「ときどき」とはどういうときかというと、今日のような、穏やかな気分で朝食をとっているときだ。穏やかな気分で朝食をとるというのは「ときどき」しかない。いや、「ときどき」もないかもしれない。「ときどき」と「たまに」の中間ぐらいであろうか。たいていは、もっと気ぜわしく、ときに沈んだ気分のこともある。つまり、このフレーズを口ずさむのは「よろこびの朝ごはん」のときであって、「悩みの晩ごはん」のときではないのである。
昼から大学へ。3限は講義「現代人間論系総合講座2」。今週と来週は多田千尋先生の担当。「福祉文化」をテーマにお話いただく。お金の話がいっぱい出る。気になったのは、授業の途中で教室を出て行く学生が数人いたこと。無作法である。こういう場合は、次のようにするのが正しい。(1)授業が始まる前に教師に途中退席することの許可を得る。(2)教室を出るとき教師に会釈(一礼)をする。(3)ドアの音を立てない。たったこれだけで印象は大きく違ってくる。4限は空き時間。「フェニックス」で昼食(ピラフと珈琲)をとりながら授業の準備。
5限は大学院の「質的調査法特論」。授業を終えて研究室に戻ると、ドアの前で卒業生のAさんが私を待っていた。頼まれていた書類をお渡しする。今日は事務所にも用事があったので、早めに来て、「カフェ・ゴトー」で時間をつぶしていたそうだ。そうしたらフランス語を教えていただいた先生がいらして、挨拶をしたら、Aさんのことを覚えてくれていたとのこと。やはりそういうのは嬉しいものであろう。もっとも「本当に」覚えてたかどうかは定かではない。覚えているフリをするのは教員がしばしばすることである。その疑いがあるときは、「じゃあ、私の名前を言ってみて下さい」と厳しく迫ってみる手はあるが、そんなことはしないのが大人のたしなみである。
夜、新潟のいとこから電話がある。母が送ったさつま揚げ、とても美味しかったとのこと。昔のあの味だそうで、とても喜んでいた。これからちょくちょく送ることになりだろう。