9時、起床。焼肉、トースト、紅茶の朝食。猫に噛まれた母の手の傷の回復がいまひとつなので医院へついていく。傷の周辺の脹れは収まってきているのだが、傷口とは離れたところの手首が腫れてきているのである。母が言うには、その手首のところというのは、10年前に階段から落ちて骨折した部分で、手術のときのプレートが入っているところだという。プレートが入ったままというのは初めて聞いた。そういえば腫れている部分が円形ではなく長方形をしている。私は医者にレントゲンを撮って確認してもらえませんかと尋ねたが、医者は確認することはできるが、もしプレートと腫れが関連しているとしたら、処置をした病院(地元の大学病院)の外科で診てもらった方がいいと言った。ただ10年前だとカルテは残っていないかもしれないとのことだった。年末で病院が休みに入る前に回復の目処がたつだろうか、少々心配である。
会計を待つ母を残して、私は自分の風邪の薬をもらいに内科医院へいく。いつもはほとんど待たずに診察室に呼ばれるのだが、今日は前の患者の診察に時間がかかり、このまま待っていると会合の時間に間に合いそうもないので、明日出直そうと思うと受付の人に言ったところ、看護師さんが次の患者さんがお急ぎのようなのでと院長に言って、前の患者さんの診察(というか老人の長い話の相手をしていたのだが)を中断して、隣の診察室で私を問診し、薬を出してくれた。町の小さな医院ではこういうのはよくあることなのかもしれない。
真冬のスロープ
医院を出たその足で大学へ。昼休みの会合をすませて、3限は講義「ライフストーリーの社会学」。少し早めに教室に行ってAV機器のセッティングをしたら、おそらく1年生だろう、今日発表になった論系進級希望の一次集計結果についてああだこうだ話をしていた。現代人間論系を希望した学生は139名。これは去年(193名)より大幅ダウン。一昨年(137名)とほぼ同じである。一昨年の場合は変更受付期間後が15人増の152名(ほぼ定員と同じ)だったが、たぶん今年も同じようなことになるのではなかろうか。大幅ダウンの理由は、第一に、去年の大幅アップそれ自体にあるだろう。株価と同じで、急激な上昇は反動を伴いやすい。第二に、複合文化論系の頑張り。現代人間論系を希望する学生には二種いて、迷わず現代人間論系を希望する学生と、他の論系との選択に迷いながら現代人間論系を希望する学生である。前者を固定層、後者を浮動層とすれば、浮動層で一番多いパターンは「現代人間論系にしようか、複合文化論系にしようか」である。去年はこのパターンで現代人間論系を選択した学生が多かったが、今年は複合文化論系を選択した学生が多かったということがいえるのではないだろうか。実際、複合文化論系は去年が141名で今年が207名の59名増で、現代人間論系の54名減と呼応している。傍で見ていても、今年の複合文化論系の努力は大変なものだった。基礎講義のレビューシートにきちんと返信していたし、レポートにもちゃんとコメントを付けていた。論系主催の講演会の企画も盛んだったし、何より感心したのは、ゼミ見学会の実施である。通常のゼミの見学を認めたのである。私もこれはチラッと考えはしたのであるが、授業に差し支えがあるのではと考え、踏み切れなかった。
しかし、そうした努力と決断を賞賛する一方で、私は思うのだが、学部全体のバランスを考えたとき、学生を呼び込む努力はほどほどにしておいた方がよいのではなかろうか。論系には定員というものがあるので、希望する学生が多ければ選外になる学生も多くなる。それはその学生にとっても、その学生の受け入れ先になる論系にとっても、好ましいことではない。学部全体として第一希望の論系に進める学生の割合は90パーセントを切ってはならないと考える。そのためには、希望者の少ない論系の大いなる努力だけでなく、すでに希望者の多い論系の過剰な努力の抑制が必要なのではないだろうか。
文キャンの上の雲
3限の授業の後、「メルシー」で昼食(チャーシューメン)。研究室に戻って学生の面談を2時間ほど。6限・7限はゼミ。前半のテーマは「地域社会とライフストーリー」。後半はインタビュー調査のケース報告を2件。後半の途中、9時近くになって、二文のFさんが教室にやってきた。卒論の提出のためである。夕方の約束が最後の作業に手間取ってこの時間になったのである。彼女から卒論を受け取り、書類にサインと捺印をした。彼女はそれを事務所に提出に行った。ほどなくしてケータイに彼女から無事事務所の受領証をもらったとのメールが入った。やれやれだ。ゼミは10時前に終了。
今日はスイーツではなくてしょうゆ餅
11時、蒲田着。「満月」で天ざるを食べる。忘年会帰りだろうか、普段より客が多く、ほぼ満席状態である。12時ちょっと前に帰宅。風呂を浴びてから、『不毛地帯』第10話(録画)を観る。ついに壱岐正と秋津千里が男女の関係になった。最終的に行動的だったのは千里の方であったが、女性がコートを着るのを男性が手伝うという欧米的な作法が千里の大胆な言動の呼び水になっていたことを、見逃してはならないだろう。