(承前)
6時前に帰宅。PM。
玄関を上がると「Wii Fit Plus」というゲーム機が届いていた。ジムに行けなくなった妻が中古で購入したのだ。
妻はこんなものも購入している。
夕食はカレーライス。居間の食卓ではなく書斎の机で食べる。
なぜ書斎の机で(デスクトップ・パソコンの前で)食べたのかと言うと、6時から始まった「無観客配信リーディングライブ Reading/Unpluggede」を見ていたからである。自粛ムード漂う演劇界の中で、「立体映画館」の池崎浩士が「いまできることをやろう」と立ち上がり、それに賛同した「獣の仕業」の立夏が企画した「無観客配信リーディング」である。
6時から10時近くまで4時間に及ぶ長丁場である。所謂、投げ銭方式で、無料でも見られるし、事前にあるいは後から所定のフォームからお金を振り込こともできる(特典あり)。
ながら視聴だったので、個々の作品についてのちゃんとした感想は書けないが、一番印象に残ったのはきえるによる自作の(ですよね?)詩「フウ」の朗読だった。彼女の原稿を持つ手がずっと緊張で震えていたが、まさに身を削るような、魂の叫びのような朗読であった。私は「頑張れ、きえる」と心の中で声援を送っていた。
配信が終わってから、立夏がツイッターに連投していたメッセージは記録しておくに値するものである。
「池崎さんとのこと」
池崎さんがツイッターに中止や延期のことを書いていた。 そして「無観客配信ライブやりませんか?」と締めくくっていたのを見て居ても立ってもいられなくなり、連絡した。
「獣の過去の動画提供もできます」「裏方でもできます」と少しでも関われれば、助けになれればと思って。 しかしあっという間に、12日のとりまとめまでさせてもらえることになった。
あっという間に人は集まった。「私もできる」「俺も出る」池崎さんのお人柄だと思った。池崎さんが自分のことを後回しに人を助ける人だから、みんなも池崎さんを助けたいのだ。
「出演者のみなさまのこと」
そしてなにより楽しみにしていた舞台がなくなってしまった観客の皆さんの悲しい気持ちや、必死に作った作品を発表できなかった仲間のくじける心を支えたくて、集まったのだ。
皆さま明るくて、心が開けていて、LINEでの打ち合わせや配信準備も含めてすべてが楽しかった。何より表現をこれからもずっと続けていこうという居住まいに心を打たれた。
「ご覧いただいたみなさまへ」
配信中のコメントうれしかったです。 普段演劇活動をしていると感想をもらえるのはどんなに早くても終演後。 リアルタイムで感想を読み、共有する喜びをいただいた。
劇場での上演では笑いや拍手、涙を流す以外のリアクションはむずかしい。 でもコメントでは皆さんの心の中の思いが具体的な言葉で流れてくる。 あたたかい体験でした。
なので「無観客」と銘打っていたものの、個人的にはまったくそんな感覚はありませんでした。目の前に、皆さんがいてくれる実感がずっとありました。 心より感謝いたします。
「これからのこと」
これから世の中や表現をとりまく状況がどうなっていくのか、私には分かりません。 でも、これからも私はずっと芝居を続けていきます。どんな形でも。
「表現はやるのもみるのもすごくたのしい」そんな思いを持つ人がたくさんいることを改めて知りました。 嘘つきがいる世間、理不尽や悔しさもありますが、私たちはここにいます。
私の周りにも命を削って作った作品が中止になったり、現場が飛んだ仲間が数多くいます。 彼らの暮らしや夢が断たれることのないよう、私にできることを続けます。 作り続けます。
「お金のこと」
無料でご覧になれるイベントに投げ銭をくださった皆さま、誠にありがとうございます。 お金の話は普段あまりしませんが、ご存知の通り、今回のイベント製作にもお金はかかっています。
会場費、通信機材費、車両、小道具、衣装、そして出演者が創作と稽古に費やした膨大な「時間」です。 好きでやっていること。 しかし同時にこの世のあらゆるものはタダでは産まれません。
投げ銭は出演者で分配します。 そのお金でまた私たちは創作をし、見てくださる皆さまに表現という形でかならずお返しいたします。 ※お金の話は苦手なのですが昨今の世情もあり書きました。
「最後に」
今回初めてこのようなイベントを見てくれた皆さま。世界には多くの表現者がいます。表現を生活にあるいは夢にしている人たちが。 ご自身の心が安心できたときには、 ぜひ劇場にきてください。
それが私たち表現者の、 そして今回この「無観客配信上演」を立ち上げた立体映画館池崎氏の 心からの願いです。
深夜、ウォーキング&ジョギング。風がだんだん冷たくなってきたので、予定の3分の2ほどでやめておく。
「社交篇」「観劇篇」「無観客配信リーディングライブ篇」と盛りだくさんの一日だった。自粛は悪いことではないが、上からの要請で行う自粛はただの服従である。過度の自粛は自粛した方がよいし、また、自粛するとは何もしないことではない。
1時半、就寝。