フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月2日(月) 晴れのち曇り

2023-01-03 11:23:52 | Weblog

9時、起床。起きたら居間のテレビで箱根駅伝がかかっていた。

お節の朝食。

煮物はついつい摘まんでしまいますね。

お雑煮は好きです。

昨日のブログを書いてアップしから、池上方面に散歩に出る。

堤方橋のあたりから本門寺の五重塔の尖端が見えてくる。

養源寺の境内からお囃子が聞こえて来る。

獅子舞だ。口の中に千円札を入れてもらって、客たちの頭を噛んでいた。小さな子どもは泣き出すんじゃないかな。

こちらはかわいらしい。

本門寺の総門前に着く。

かなり混んでいそうである。総門の外から参拝するだけにしておく。

大晦日、元旦、そして今日、「ヒトナミ」は営業している。

新年の挨拶をしていこう。けっこう客が入っている。

店長さんと週末担当のスタッフさんが一人(お子さんも)。

「お汁粉はありますか?」と尋ねたら(メニューには載っていないようだが)、「はい、ありますよ!」と小笠原さんが笑顔でを答えた(少し声が枯れている)。

甘酒ベースのお汁粉。わざわざ作ってくれたみたいである。ありがとうございます。

帰りは池上線に乗って帰る。

3時ちょっと前に高校以来の友人、謙さんがやってくる。相模原の方に住んでいるのだが、奥さんの実家が矢口にあって正月はいつもやってくるのである。

一階の和室(掘り炬燵)で、妻も一緒に。話題は健康や老後の話が中心である。途中から息子が加わって、謙さんと息子は同じタイプの仕事(器械メーカー)をしている(いた)ので、その方面の話をしていた。

二人とも1954年(昭和29年)に生まれて、高度成長の時代に子供時代を送り、大学入学は1973年。オイルショックの年だったが、それは高度成長から低成長への転換期で、けっして景気が悪くなったわけではなくて、高度消費社会の幕開けでもあった。その後、バブルやその崩壊を経験したが、それによって生活の基盤が大きく上下することはなかった。しかし、いま、われわれがその中で生きて来た「戦後」というものの安定感が揺らいでいるのが気がかりである。

謙さんは2時間ほど滞在して、帰って行った。これから奥さんと蒲田駅で待ち合わせて、共通の友人と大森で会うそうだ。2日のいつものパターンである。

駅まで送る。今年もよろしくね。

昨日と違った雲の多い2日も暮れた。

本日発表の東京の新規感染者数は7537人。ちなみに去年の1月2日は「84人」だったのである。

テレビを点けたら『さんまのまんま』をやっていた。プロ野球の村上選手が出ていた。

夕食もお節とお刺身。

食事をしながら『とんねるずのスポーツ王は俺だ!』を観る。安定した面白さ。「おかわりない」ことは大切である。

散歩のときに買ってきた葛餅を食べる。

少し横になって、起きたら11時になろうとしていた。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時過ぎに就寝。