フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月2日(日) 晴れ

2020-02-04 14:52:24 | Weblog

8時、起床。

トースト、牛乳、紅茶の朝食。

日曜なのに早起きなのは、そして朝食が簡素なのは、これから大学に出なくてはならないからである。

10時から大学院の博士課程の入試(二次試験=面接)があるのだ。

二次に残った受験生は一人だけ。なので早めに終わるだろと思っていたが、案外長引いた。

業務を終えて、長居は無用、さっさと帰る。

昼食は蒲田に戻ってから「プリミエールカフェ」で。日曜だが、けっこう混んでいる。お客さんも定着してきたようで、よかったですね。

「本日のスパゲッティ」=ミートソースを注文。サラダが付いてくる。

バタートーストも付いてくる。

「本日のスパゲッティ」はミートソースである。

食後に(食前でも食中でも可)珈琲が付いて〆て900円である。

昨日観た芝居、『助けて』と『車曳き』の脚本に目を通す(『助けて』については初演時の脚本にも目を通す)。

観劇したときはブログに感想を書くことにしているが、脚本が手に入るときは、それにも目を通すようにしている。劇場での観劇は一回性の体験であるが、後から脚本を読むことで、その体験を反芻することができる。

店を出るとき、マスターが見送りに出て下さった。二つお隣の「しなそば天味」には店の外に客が並んでいる。天ぷら屋からラーメン屋への思い切った転換は、まずは成功だったといえよう。でも、「天味」に代わる天ぷら屋を私はまだ蒲田で探せずにいる。

帰宅して、答案の採点作業。

答案の採点は単純な頭脳労働である。どこまでも続く砂丘を黙々と歩いていく。たまに「いいね」とか「おいおい」とかつぶやきながら。

甘いものを脳細胞に補充する必要を感じて(平たく言えば、疲れてきて)、近所の「まいばすけっと」にチョコレートを買いに行く。「セブンイレブン」とは並びだが、同じ商品があるときは、こちらの方が安い。先日の新聞に昨年のコンビニ出店数が初めて前年より減少したと報じられていたが、「まいばすけっと」はコンビニではなくスーパーに分類されているのだろう。私の皮膚感覚では、「まいばすけっと」は頭打ちのコンビニ諸店点を尻目に、どんどん増えているように思う。大型スーパー→コンビニ→小型スーパーという流れが存在するように思う。

購入したのはロッテのアーモンドチョコレートだ。私にとっての仙豆のようなものである。

夕食はポークソテー、春雨サラダ、玉子とズッキーニの味噌汁、ご飯。

ポークソテーの付け合わせはレンコン、シイタケ、スナップエンドウ。

深夜まで答案の採点。月の砂漠をはるばると旅の駱駝は行きました。

2時、就寝。


2月1日(土) 晴れ

2020-02-03 17:40:05 | Weblog

9時、起床。

今日から2月だ。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

今日の『スカーレット』。喜美子と八郎の別離は決定的なようである。周囲の人も、視聴者も釈然としないだろう。八郎と三津の不倫疑惑はあったが、「そういうことはなかった」「それで別れるわけではない」と言明しているので、余計、「なぜ別れなくてはいけないの」と釈然としないわけだ。今日の「荒木荘」の面々の突然の再登場は、いうなれば、そういうくぶずった思いを鎮火させ、喜美子を人生の次のステージに送り出すための応援団としてであった。とりわけラジオから流れてきた信楽太郎の歌う『さいなら』は心にしみる「別れの歌」だった。しかし、『さいなら』は大ヒットしているそうだから、喜美子がそれを知らなかったというのは不自然ではある。信楽で信楽太郎のことが話題にならないはずはない。けれど、喜美子が信楽の家で信楽太郎の歌を聴いたのでは、インパクトが弱い(信楽太郎があの「荒木荘」にいた雄太郎だということが伝わらない)。喜美子が彼らと再会するために、そして「さいなら」を彼女の心の琴線に触れるような形で聞くために、信楽の里の外(大阪)に一旦出る必要があったのだ。そして喜美子は晴れ晴れとした気持ちで信楽に戻ってくる。

 戻られへんから

 笑った顔だけ忘れんように

 記憶のノートに描いとくわ

 泣いて泣いて

 切なくて泣いて心はまだ

 君のカケラばっかしゃあないな

 それでもさいなら

昼食は焼きそば。

午後から、妻と江古田に芝居を観に行く。

劇団「獣の仕業」と劇団「兎団」のコラボ企画「とりかえばや地下戯団」。「獣の仕業」の演目である『助ける』を「兎団」の斎藤可南子が演出し、「兎団」の演目である『車曳き』を「獣の仕業」の立夏が演出するという「とりかえっこ」である。

開演30分前に入場すると、ジョーカーのような顔をした「地下戯園」の園長(倉垣吉宏)が前説を始めていた。この人、何度か芝居を観させていただいているが、世が世なら、全共闘運動のリーダーが務まりそうな人格者である。山の中で道に迷っている時に出くわしたら、ギョッとすると思うが、きっと親切に麓の里まで道案内してくれるだろう。

その横で仮面を被った二人の女優が戯れていた。ここがアンダーグラウンドな見世物小屋であるという雰囲気を漂わせている。

さて、開演。

前半が『助ける』、間に倉垣のグリム童話「七匹の子山羊と狼」の朗読を挟んで、後半が『車曳き』。どちらも30分の短篇だ。

最初、それぞれの劇団の演目を別の劇団の演出家が手掛けるとどういうものになるのか、という視点から見ようと思ったが、それは無理であることがすぐにわかった。第一に、『車曳き』は今回が初見で、オリジナルな舞台(2006年初演)は知らない。だから立夏の演出の効果がどのようなものなのかがわからない。第二に、『助ける』の初演(2013年)は観たことがあるが、だいぶ昔のことなので、今回と比較ができるほど記憶が鮮明ではない。また、脚本そのものが手を加えられている(とくにエンディングの部分がより明るく温かいものに変っていた)。第三に、「とりかえっこ」したのは演出家だけでなく俳優もである。たとえば「獣の仕業」の小林龍二は『助ける』にも『車曳き』にも出ているし、「兎団」の松尾武志は『車曳き』にも『助ける』にも出ている。両方に出ているわけだから「とりかえっこ」というよりも「まぜっこ」と言うべきかもしれない。それは二つの芝居の差異よりも類似性を高める働きをするだろう(照明や音響も類似していたように思う)。

というわけで、立夏と斎藤可南子の演出の違いという視点は早々に放棄せざるをえなかった。もし純粋に演出家の違いの効果だけを見たいのであれば、同じ演目を同じキャスティングで、ただ演出家だけを替えて2回上演するというのがベストな方法であるが、それは「見世物小屋」というよりも「実験室」での検証作業のようなものになるだろう。私は観てみたいが、きっと手間暇のかかる作業になるだろう。

『助ける』と『車曳き』は二つの劇団の相互浸透作用によって類似性の高い(私の印象)芝居になったが、もちろん、本来別々の作品である。『助ける』は東日本大震災の津波と原発事故をモチーフにした作品で、主役の医師ヨルハは自分を頼ってやってきた病人ユウリを見捨てたこと、そして双子の妹エリを助けられなかったことにずっと苦しんでいる。しかし、実際はエリは生きており、ヨルハは身代わりになって死んだのだという事実が明らかにされる。ヨルハはそのことに気づいていない(死んで「魚」になっているのだ)。「魚」の灯で明るくなった街で、ヨルハはユウリの部屋をノックしてユウリに手をさしのべている。ユウリはヨルハの手を取る。(注:『助ける』の初演では登場人物はヨルハとユウリの二人だけだった。今回はそこにエリが加わり、別の医師も加わることで、ヨルハの魂が救済されたことが証言されるエンディングになっている)。

『車曳き』はエドガー・アラン・ポーの『黒猫』をモチーフにした作品である。落ちぶれて失踪した流行作家の遺作という形をとる。主人公の車曳きの男は、子どもの頃、母から土蔵に閉じ込められるという虐待を受けていたが、指に薔薇の棘が刺さったことに腹を立てて、自宅の薔薇園に火をかけ、そのとき庭仕事をしていた母は火に巻かれて死んだ(男の子のせいだとは疑う者はいなかった)。やがて成長した男は作家となり、若く美しい妻を娶った。二人の新居にあるときから黒猫が住み着いた。それは男に子どもの頃の自宅の土蔵にあった猫の置物のことを思い出させた。母の記憶と結びついた猫の置物だ。元々神経質な男だったが、彼の神経は徐々に蝕まれていく。ある日、男は自分の手を噛んだ猫の目をナイフで抉り、それを妻に目撃される。妻は夫がとうとう気が狂ったと思った。数年がたったある日、男は猫を斧で殺そうとして、間に入った妻を殺してしまう。男は妻の死体を土蔵の漆喰の中に塗り込める。猫はどこかに逃げてしまった。でも、どこからか猫の声が聞こえる。失踪した作家の遺作はここで終わっている。・・・男が土蔵の壁をスコップで壊すと妻の死体が出てくる。その死体の上に猫がいて、ニャアと鳴いた。

苦悩から魂の救済に至る『助ける』とは違って、子どもの頃に母を殺してしまったかもしれない男が妻を本当に殺してしまった話である。どこまでも絶望的で救いのない話であるが、考えようによっては、犯した罪が露見することや、行方不明だった猫の所在が判明することは、男にとっては一種の救済といえなくはないかもしれない。男の犯罪の動機を「理解」することは難しく、その意味では「不条理劇」と紙一重であるが、まったくもってわからないというわけではなく、神経症的で分裂症的でもある男の心理は少し薄めれば現代人の精神状況に似ていなくもない。

私は「兎団」の他の芝居を観ていないので、『車曳き』が「兎団」の演目の中でどのような位置にあるのかはわからない(代表的なのか、特異なのか)。ただ、男の狂気を見事に演じ切った斎藤可南子の存在は、「兎団」のレパートリーを広げるのに貢献しているだろうということはわかる。「獣の仕業」にはおそらく『車曳き』は向いていない。立夏や小林龍二が『車曳き』の男を演じてもどこかで弱さや優しさが出てしまうだろうと思う。

終演後に、何人かの写真を撮らせていただいた。

「兎団」代表、斎藤可南子。

「獣の仕業」の小林龍二と立夏(代表)。

「獣の仕業」の団員になったきえる。

「獣の仕業」にしばしば客演している松本真菜美(salty rock)は「獣の仕業」枠で出演。

関係者一同(関係者のツイッターより拝借)

『車曳き』は2月8日(土)に「スターフィールド ショートショート」という多ジャンルの劇団が参加するフェスティバルで再演される。劇場スターフィールドは新宿三丁目が最寄駅。

チラシには「入場料3500円」とあるが、学割2000円、高校生は無料とのことである。

6時頃、「兎亭」を出る。

夕食は蒲田に戻って来てから「Zoot」で。

辛子味玉チャーシューつけ麺+ライスを注文。

最後に熱々のスープを足してもらってライスを入れ、雑炊風にしていただく。普通はラーメンライスは食べないが、辛いのでライスがちょうどいい。

答案の採点に着手する。しばらく採点天国となる。

2時、就寝。


1月31日(金) 晴れ

2020-02-02 00:01:52 | Weblog

8時半、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

12時に蒲田駅で首都大学東京(4月から「都立大」)の安藤藍さんと待ち合わせ、「西洋料理SUZUKI」へ行く。

「寒い中、遠路はるばるお越しいただいて、ありがとうございます」と私が言うと、「八王子から蒲田というのはそんなに遠路ではありませんよ」とおっしゃる。東京の南の端の蒲田から見ると八王子は遠隔地に見えるのだが、電車の時間は乗り継ぎのタイミングがよければ1時間15分ほどだから、もちろん近くはないものの、「遠路はるばる」という表現は確かにあたらないかもしれない。

アラカルトで注文する。オードブルは鮪と鯛のタルタル。きれいなお好み焼きのような外見である。

スープはコーンポタージュ。

海老フライ。単品で注文する海老フライはランチのときの海老フライより大ぶりである。(今日もお店の方は「ランチで海老フライお出ししましょうか」と言って下さったのだが、私は大ぶりの海老フライが食べたいのである。

ビーフシチュー。

食後にコーヒーを注文すると、デザート(プリンアラモード)がサービスで付いてくる。

初めて方にはサプライズ感がある。安藤さんは気持ちが顔に出やすい方である(笑)。

今日は蒲田・大森のカフェ巡りをする。最初の一店は、今度の日曜日で開店一周年を迎える「ティースプーン」だ。

シマダさん、開店一周年おめでとうございます。ここに来る前に東急プラザの花屋で購入したブリザードプラワー(ピンクの薔薇)をプレゼントする。年末に帯状疱疹にかかった妹さんも、回復された(お顔の発疹もきれいに消えた)そうで、よかったですね。

昨年9月にここでワークショップ「長生きリスクに備えるお金の話」というワークショップを開かれたキャリアコンサルタントの棚橋あきらさんが顔を出されたので(常連さんのお一人のようである)、おしゃべりをする。

これがそのときのチラシ。「お金の話」とあるが、そのは背景には仕事のことや家庭の事情(たとえば離婚とか)があり、「お金」を入口にして素寺の方に話しが及ぶというケースが多いようである。たしかに最初から「離婚」相談というのではちょっと躊躇するも、ランチを食べながら「お金」の話題からということであれば、話がしやすいだろう。

安藤さんは家族社会学者(研究テーマは「里親)だから棚橋さんとは話が通じやすい。初対面とは思えない打ち解けようである。

当初、お花をお渡しして、温かい紅茶を飲んだら、すぐに失礼する予定であったが、滞在時間は1時間に及んだ。やっぱりここは「おしゃべりカフェ」である。

さて、大森に移動しましょう。

今日は金曜日なので、馴染みのカフェのほとんどが営業しており、選択肢には迷うところである。「まやんち」もいいし、「スリック」もいい。しかし、どちらも安藤さんをすでにお連れしたことがるので、今日は初めてのカフェに行くことにした。大森の「sanno2198」である。私自身が今日がまだ三度目で、誰かをお連れするのはもちろん初めてである。大森の駅を降りてからお店に電話を入れて、いまから2名で伺いますと伝える(カウンター席は5席しかないので、着いてから満席だとショックなので)。

カウンターには女性の先客が一人いるだけだった。マダムに安藤さんを「お若いけれど先生なんです」と紹介する。

本日のケーキから金柑のタルトを注文する。美味しそうだ。

珈琲はマダムがネルドリップで丁寧に淹れてくれるモカマタリ。ドリップというとペーパードリップがほとんどだと思うが、紙よりも目が粗いネル(=フランネル)を使うと、珈琲オイルが抽出されるので、まったりとした口当たりとほんのりと甘味の感じれれる珈琲になる(そうである)。

でも、使い捨てのペーパーとは違って、ネルをきちんと洗って、乾かして、清潔に保たないといけないので、気持ちにゆとりが必要である。

洋菓子にも旬あり!

先客の女性はミキさんといって、前回来た時、ちょっとだけお見かけした方である。このマンションの住人で毎日のように(一日に二度のことも)来店されているそうである。フリーランスの美容の仕事をされているそうだが、今日はスッピンなので(まさか!)、写真は後ろ姿で。「ミキティーと呼んでくさい」とおっしゃっていたが、たぶん安藤さんに向かって言っていたと思うので、私はミキさんにしときます(笑)。西荻窪のカフェ事情にやたらと詳しくて、西荻窪にはつい先日卒業生のミズキさんと行ったばかりだが、ミキさんからお話を聞いてから行けばよかったと思った。

少しして二人連れのお客さん(常連さんみたいだ)が入ってきて、カウンター席は満席になり、さらにもうお一人(やはり常連さんのようである)が入ってきたので、私たちは席を立つことにした(実際、次に行くカフェの予定があるのだ)。入口横の奥の小部屋が安藤さんは気になるようであった。

ちょっと入ってみる。ここには靴を脱いで入る。「わー、ここで仕事がしたいです」と彼女は言った。仕事ですって?!働き盛りの人はいうことが違いますね(笑)。

「sanno2198」にも1時間ほど滞在した。今日はお店の方や常連さんとおしゃべりの弾む日だ。時刻はすでに5時近くになっている。次のお店に行きましょう。

本日のカフェ巡りの最後のカフェは「昔日の客」と決めていた。「昔日の客」の奥様にも今日知り合いを連れて訪問することはあらかじめお伝えしてある。

「sanno2198」から「昔日の客」に向かう途中に「あんず文庫」がある。急いではいるのだが、前を素通りというわけにはいかない。ちょっと立ち寄る。

今日が二度目の訪問である。初回の訪問(今月20日)から今日までの間に「昔日の客」の関口さんから私のことは聞いたらしく、店主の加賀谷さんから「先日いらしたときに近代文学についての評論(注:秋山駿『私小説という人生』)を購入されたので、そういう分野の専門の方なのかなとは思っておりました」と挨拶される。「専門」ではないが、「私小説」というジャンルの作品は好きである。高校生のときの一番好きな作家は志賀直哉であったし、あの本で秋山が最初に取り上げている田山花袋『蒲団』は、あれこれ批判されている作品であるが、私はいい作品だと思っている(秋山もそう評価していて我が意を得たりと思った)。

古書店だが、夏葉社の本のコーナーがあり、安藤さんは「夏葉社の本はいいですね」と言っていた。短い会話の中で、加賀谷さんと安藤さんには共通点が1つあることがわかった。山羊座の生まれであることだ。

「あんず文庫」には10分足らずの滞在であった。加賀谷さんとはいずれじっくり文学談義をしたいと思っている。

時刻はそろそろ5時になろうとしていた。「あんず文庫」から「昔日の客」までは20分ほど(徒歩)かかる。急がなきゃ。時間のことは別にして、風が冷たいので、体を温めるためにも早足で歩かないとならないのである。

「昔日の客」に着いたのは5時20分頃。まさに「夕日の客」である。お店の中に奥様の姿が見える。「こんにちは。遅くなりました!」と言いながら引き戸を開ける。

私は紅茶(ダージリン)、安藤さんは珈琲を注文。彼女は今日三杯目の珈琲である。本当に珈琲がお好きなんですね。

私たちが来たことを奥様から知らされて、ご主人(関口直人さん)がお隣のご自宅からお店の方へやってこられた。安藤さんが手に持っているのはご主人のお父様の著書『昔日の客』(夏葉社の復刊本)である。11月に安藤さんとカフェをしたとき、私がした『昔日の客』の話に彼女が興味をもち、さっそくAmazonで本を取り寄せ、カフェ「昔日の客」にも行ってみたいと言われたのである。関口さんが本にまつまるお話をいろいろ聞かせてくれた。

彼女が手にしているのは『風報』という同人誌。昭和22年に尾崎一雄、尾崎士郎が中心となって創刊された。この66号(昭和34年)に関口良雄が初めて寄稿したのが「正宗白鳥先生訪問記」で、その軽妙にして味わい深い文章は玄人筋の評判を呼んだ。『昔日の客』では巻頭に置かれているから、本人にとっても自信作だったのだろう。

同号には「加藤治郎」という名前が見えるが、これは初めての学士棋士(早稲田大学卒)で、当時、日本将棋連盟の会長だった加藤治郎のことだろうか。彼の観戦記は名文として坂口安吾が激賞していたと聞く。

これは『風報』百号記念号(同時に最終号)。

錚々たる執筆陣の中に関口良雄の名前も見える。「私は店を閉めたあとの、電灯を消した暗い土間の椅子に座り、商売ものの古本がぎっしりとつまった棚をながめるのが好きである」という書き出しの「古本」というタイトルの作品を寄せている。

ところで今日、関口さんと話をしていて、思わぬことがあった。関口さんは私より5歳上で、早稲田大学の先輩でもあり小山台高校の先輩でもあるのだが、先日、武蔵小山のカフェで「シャンソンの夕べ」というライブをされたのだが(生憎私は先約があり伺えなかった)、そこで関口さんと一緒に出演した樫村裕子さんというシャンソン歌手も大学のシャンソン同好会の後輩であると同時に、小山台高校の後輩だというのである。「いくつ後輩ですか?」と私が尋ねると、「5つ下」だという。私と同じ代ではないか。「もしかして旧姓は〇〇さんというのではありませんか?」と重ねて尋ねると、「そう、そう、〇〇さん。ご存知なの?」「はい、同じクラスでした」「えっ~!」と言って関口さんはスマホを取り出して樫村さんに電話をかけた。えっ、いきなり電話ですか。

最初、留守番電話の応答だったが、関口さんが「いまね、「昔日の客」に大久保さんという方が来ていてね、あなたの高校のとき同じクラスだったということがわかってね、覚えてる?」という話を吹き込んでいる時に彼女が電話に出た。そして私にスマホを渡した。彼女と話をするのは何十年ぶりだろう。実は私と彼女の間にはちょっと気まずいことがあった。私は推薦入学で早稲田の第一文学部に入ったのであるが、彼女もそれを希望していて、担任の先生から「残念ながらあなたより少し成績が上の人がいてね・・・」と結果を聞かされたそうである。それで彼女は一般入試で教育学部に入ったのである。「大久保君がいなかったら推薦を受けられたのに・・・」と私は彼女から卒業後に言われた。私は電話口で「あのときのこと覚えてる?」と恐る恐る聞いてみた、「覚えてるわよ」と彼女は言った。ああ、やっぱり覚えてるんだ。関口さんと安藤さんがそばでニヤニヤしながらわれわれのやりとりを聞いていた。

時刻は6時を回った。そろそろ失礼しましょう。また「シャンソンの夕べ」が開かれるときは声をかけて下さい。

奥様の妹さんが八王子の方に住んでいて、奥様もたまに行かれるそうで、あそこのお店はいいわよねと帰りがけにローカルな話題で盛り上がっていた。安藤さんは夏葉社の社長さんである島田潤一郎さんが自身のことを書いた『古くて新しい仕事』(新潮社)を購入した。

「昔日の客」から大森駅まで歩いた。ところがちょっと前に蒲田と大森の間で人身事故があり、京浜東北線が止まっていた。すぐには運転再開とはなりそうもないので、京浜急行の大森海岸まで歩いた。大森海岸からは反対方向の電車に乗るので、ここでお別れです。今日はずいぶんたくさん歩きましたね。次回は北風ではなく、春風か薫風に吹かれながらカフェ巡りをいたしましょう。

7時半、帰宅。

夕食はオムライス。

食後に安藤さんからいただいたお菓子を食べる。

もう1つ食べる。

2時、就寝。