パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

言葉の力(パワーアップ編)

2011年03月18日 | Weblog
3月18日(金)晴れ

地震の日の夜も更けてから。
やっと電話やら携帯やらメールやら繋がり始めると、修学旅行中の娘や九州の母を始めとして、
親戚や友人から続々と安否確認の連絡が入る。
ありがたい。
揺れる余震の中で、一人でビビっていたので(ちなみにこの日、たまたま社用車で成田に行ってた夫は渋滞に巻き込まれ、翌朝5時に帰ってきた)
とても心強かった。
それからしばらく経った昨日、九州の友人からメールが届く。
関東での品薄、品不足を心配してくれ、何か困ってるものがないか聞いてくれる。
宅配便の状況までも調べてくれている。
ちょうど、心がささくれてた時だったので、思わず泣ける。
滅多に鳴らない家電が鳴る。
「憶えてますか?○○です。」
びっくりーーーーっ!
九州で働いていた時の、系列会社の女性からだ。
もう、年賀状だけの付き合いになっており、携帯番号が変わったことの連絡すらしていない方だった。
今回の地震を心配し、前の携帯番号をずっと鳴らし続けてくれてたようだ。
あまりに繋がらないので(そりゃそうだ)家の電話を調べて、わざわざ電話してくれた。
なつかしさのあまり、思わず悲鳴のような歓声をあげてしまった。
彼女は、阪神大震災で被災し、ご両親と一緒に九州の親戚を頼って移り住んでこられたと聞いている。
そんな彼女だからこそ、こんなご無沙汰してるワタクシのことまで心配してくれたのだろう。
心がほっこりする。
次に帰省したときは、必ず会おうねと約束する。

娘は、修学旅行先の沖縄で地震のニュースを聞き激しく動揺。
ずっとテレビに釘付けだったという。
遠くはなれているということもあるのか、先生もお友達も、それほど興味なさそうで、
ひたすらニュースを見ては、東北の事、東京の家族のことを心配する娘は
少しウザがられていたようだ。
実家の母は母で、それこそウザいほど熱い。
さらに母と叔母ちゃんの会話も熱い。
突っ走りそうで、まあまあ少し落ち着きなさいと肩を叩きたくなる。
この血が、ワタクシに流れ、娘に流れていると思い、少し嬉しい気持ちにもなる。

今日の一枚は、アメリカに緊急避難する張さんが持ち込んでくれたもの。
左端で光ってる物体は、押すと点く照明。
自宅の鍵まで渡して、「お米もまだたくさんあります。
その他、必要なもの、なんでも使って下さい。」
もう、二度と会えないような気持ちになってくる。
張さん「もしもの時は、アメリカに来て下さい。」
ワタクシ「え?」
張さん「パスポートあるでしょ?」
ワタクシ「作ってない・・・」
張さん「作った方がいいですっっ!私たちは、アメリカに行きますが、状況によっては
その後、中国へ行くかもしれません。」
それだけこの状況が長引くと推測しているのだろうか。
今から成田に前泊するため向かうとのことで、ロビン君とおにいちゃんも
張さんの隣で、神妙な顔をしている。
泣きそうな顔で張さんが「じゃあね」と言い、ロビン君は元気に「バイバイ!」と言う。
少し心がざわっとしたのが高校生のおにいちゃんの「バイバイ」
もともとおとなしい男の子で、プラスそういうお年頃のこともあってか
いつも無愛想だったのに、昨日は、ものすごく優しいお顔でお別れを言う。
ニコニコしてるということではなく、少し卑屈になって言えば、同情したような顔。
(スミマセン、やっぱ少し心が病んでるわ、ワタクシ)
塾から帰った娘に、そんなこんなを話すと
「でも、優しいよね。おうちの鍵まで渡すって、すごくない?」
そうだよね。
ここ数日、彼女からのメールで心をかき乱され、とどめに日本脱出を聞かされ、心が揺れた。
そんなワタクシなのに、彼女は信頼してくれて家の鍵まで渡して、好きに使えと言う。
もしもの時はアメリカに来て!とまで言ってくれる。
知り合って、まだ3年くらいなのに、ワタクシのことを「親友」と言ってくれる。
ちょっとそういうのが苦手なワタクシは、照れてしまうのだが・・・
暴れだした福島原発という怪獣を、たくさんのウルトラマンやジャックバウアーたちヒーローが退治してくれ、
余震も治まり、
また平和な日本が戻ってきたら、
また彼女に会いたい。
その時は、彼女に対するワタクシの気持ちは、今と少し違っているような気がする。
コメント
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