King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

シーズンを前にして

2013年11月27日 16時10分22秒 | スキー
先シーズン中に二度コブを滑っていてラインが見えるという経験を
しました。

そして、長年モーグラーの滑り方が謎で自分でもああいう滑りを
してみたいとずっと思っていました。

ところが雪もなくなって夏にいろいろな人の滑りをビデオで見ていたら、
ふと気が付くことがあったのです。

今までいろんなコブの滑り方のスクールとかキャンプとかに入りましたが、
その都度レベルアップはしたものの決定的な理解というのはどのキャンプでも
得られなかったように思います。

それでも、八海山スクールのかぐらでのコブキャンプではなにかすごいものを
授けられたものの未消化で完成しましたねとその時言われたものの、
その完成形をいつの間にか忘れているということになってしまいました。

ただ、あの時には本当に今まで滑れなかったかぐらテクニカルのコブも
なんだこんなものだったのかという感じで滑れましたし、その後滑れなくなった
のも体力的なものぐらいに一時的に少し後退したもののように感じていました。

しかし、先シーズンにスクールでコブはああだこうだ言われ、目の前の
モーグルのラインコブを基礎滑りでスキー教師が滑るのを見たりして
そういうヒントというか実物が今まで持っていたモーグラーの魔法のような
滑りというイメージも自分がコブに対して持っていた滑りのイメージもすっかり
疑問が融けてなぜ滑れないのかが愕然と解ったのがこの夏のことです。

一級受験の時にはラインを下まで通しで滑っていたし、今までも滑れない
訳ではありませんでしたが、体力が落ちてくるとラインが下まで通せなく
なったり、先シーズン教師に言われたとおりに滑ろうとするとひどい転倒
などしたのですっかりコブはもう滑れなくなったと思っていたシーズンの
終わり方だったのですが、もう雪もない時期に自分の今までの誤解が
氷解したのは実に興味深い出来事でした。

今は自分の理解が正しいか実際の雪で確かめるだけですが、その前に
時間があればインラインスケートでもそれができるかちょっと予行して
みたいという希望もあります。

とりあえずタイヤと下周りの塗装とか冬の支度をしないといけないのと
夜祭の営業とか地域役員の業務とか何やかやはもはや例年のこと
もっと豆の注文で忙しいのならありがたいのですが。
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その名称に意味がありますか

2013年11月27日 15時22分57秒 | 日々のこと
核燃料のとりだしが行われたというのは新聞にもテレビにもでました。

なぜそれが大々的に報じられるのか意味が解りません。

そして燃料棒は取り出してキャスクという名の容器に入れられると
いいます。

その画像はところどころモザイク処理されています。

そんなにまでしてでも国民にして知らせたいことなのでしょうか。

キャスクというかっこよく聞こえる容器名もcasketのことならcoffin
の婉曲的表現で、棺という意味です。

何でもかんでもそのまま使うのはどうかという感じがします。

棺にしては違和感があるというなら容器でいいじゃないですか。

特別なニックネームが必要ですか。

原発事故で注水が必要な時に工事用の生コン注入車を指して現場とのテレビ
会議で当時の海江田万里がキリンとしましょうというやり取りを今見ると
何とも間の抜けた大馬鹿野郎だという感じを受けるのと同じで、棺に
燃料棒を収めてさも解決に一歩前進しているような今のニュース映像も
将来俺たちは甘かったと見返すことがないように願いたいものです。
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思考は一次元、行動は四次元

2013年11月27日 10時41分11秒 | 日々のこと
ただ今の焼き豆在庫はモカマタリ、コロンビアサンチュアリオティビカ、ブレンド『JACK』です。

ところで、豆の名前を書いておくと顧客の次の質問はどんな豆ですかと問われます。

普通ならどんな特徴があるかブラジルという中庸の豆との比較で酸味と苦みがどう
違うか、香りが何に似ているとかどんな世界を見せてくれるかという神の雫的インプレッション
をしてしまうのが当店主です。

そして、あげくに言葉ではわかりづらいでしょうから飲んでみろとばかりに試飲という仕儀に
なります。

はて、それは顧客の望むのなのかというのが自分への問です。

というのも最近の豆の買われ方を見ていると店の焼き豆の在庫を見て今日の豆を買って
行く人や前もって何々を焼いてくれという注文をする人と半々ぐらいでありながら、どうも
皆足繁く通うという行動を避けるためにまとめて2Kとか注文する人が増えています。

スーパーには毎日通うという人でも裏道の当店に毎週顔を出すというのはあまりとりたく
ない行動のようです。

私としては珈琲好きならばどんな艱難を排しても至極の味を求めて行くと思いますが、
顧客にとってそれは一つの買い物に過ぎず、特別の買い物というより楽しい場所、
うれしい場所であればいいのです。

これは何を買う場合でもそうであり、そこで店づくりというコンセプトとマーケティングという
手法が現れるわけです。

当初から店主が考える売り方として味が良ければ、新鮮でいい珈琲であれば
ある程度の支持は期待できると思っていました。

しかし、それでもそれは前に挙げた店という売り方を覆すものでなく、やはり
より多い実績と数字を作らないと経営という観念からも店舗維持は厳しい
物になるのです。

さてさて、そこで10秒を境にギリギリの焼き加減を見極め絶妙の味を常に
たたき出し豆姿を見ればそれが歴然の見事な色艶となって目の前にある
物を前にして何をこの上語らなくてはならないというとお客様にはあなたの
珈琲ですよという何らかのささやかの保障になる言葉なのです。

それをなぜここのところモカマタリを焼かなかったかとかケニアレッドマウンテンの今の
季節に合う色香り風味味を滔々と語り続けてしまう店主に顧客層はじゃあやはり
2Kのまとめ買いで応えるという形になって行っているのかもしれません。

当方としては電話一本で配達にも応える機動力と速応力を備えていると思って
いても常に供給してもらえるという関係になりえないコンビニ的な町の機能に
までは行かない何かが今はある感じです。

これは自宅で珈琲を飲むシーンを増やしたり、珈琲は珈琲豆屋さんで買うという
習慣づけを考えないといけないのだと最近は考えます。
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