今月に入りすっきりと晴れた日は少なく、雨ばかりで毎日寒くなっていくような
この頃です。
気が付けば今月は秋らしい雰囲気の日もなくもう下旬にはいろうかという日になって
おり、なんだか気分が落ち着かず漠然とした不安の中にあるのでした。
珈琲の相場はいったん上がりだしてまた元に戻り、品ぞろえは今まで通り中米の
品質のいいものが品薄で高いという状況は変わりなく、そして中東の豆もいつなくなるか
という政情不安と地球温暖化で産地はどこも不安定という状況の上にさらにコロナで
どこも人手不足で安定供給されるという保証もなく実に不安定な入荷状況です。
それでも価格が極端に動かないのは、かなり商社としては在庫を抱えていて慌てないと
いうくらいの倉庫状況のところにコロナで業務用の需要が落ち込みその在庫がそろそろ
気になりだしているという感じのようです。
ちらほら珍しい豆も見つかりますが、こういう時期は下手に動かず、味の実績があるものが
よくいまままで通りしっかりとハンドピックして味づくりに注力していくというのが
今考えていることですが、例年だとブラジルの新豆というのが入って来てそれを蕎麦の新そばの
ごとく売るというのがありましたが今年はあまりそのような動きもなく、普通に航空便できて
いた高級種も船便で運んで二酸化炭素削減に寄与したという宣伝があるくらいです。
これなどは毎年さわぐボジョレーヌーボーも同様なことを言っていたのでコロナの痛手を
逆手にとってということなのでしょう。
こう曇って鬱々とした日が続くと青空とかまだ見ぬ景色とかが恋しくなります。
昨日は渋峠などは積雪があったといいます。これなどは毎年聞くだけでうきうきと
した気分にさせてくれたものです。来月はスキー場がオープンするというニュースも
ありましたが、なぜか今年は全然沸き立つ気分も起きず、昨シーズンのいつ行っても
春スキーのようなコンデションでちっとも気持ちよくなかったゲレンデを思い出す
だけです。
そんなこともあり、今朝の焙煎でもちゃっちゃっとリズムカルに音を立てる釜に
青白くきれいに研がれたような豆姿を見ると丁寧な選別といつもの仕事ができて
いることやこのころの生臭い香りから徐々に香ばしい香りに変化する予兆を見て
青々としたきれいな豆肌に期待がこもります。
直ぐに豆は褐色実を増し香りも生臭さから豆の香りになり、いやな時期を抜けたと
思わせます。
でも青いあの色が嫌な時期なのか。このきれいに薄皮も研がれきれいに青々と
した豆肌が見られないと焼き上がりのセンターが通ったきれいな揃った豆にも
ならないし、この時期をいい加減に焼けば生焼けになるし、じっくりとこの青色を
みつめ次の段階に渡す手順と観察が狙った酸味と焦げ味の手前の強火で直火でしか
出せない絶妙な風味に仕上げる段階に進めないのです。
最近はどこも短時間で小さい釜で焼くところが多く、焦げ味どころか焦げ臭がしたり
外が焼けて中は生なんてことが多いものです。短時間のジェット焙煎では中まで火が通り
大きく膨らんでいかにもうまそうですが、実は味はスカスカなんてこともあります。
炭火焙煎とか薪焙煎とかの売り言葉の豆もどうしてその熱源が必要か理解して焼いている
人はいなくてただその言葉の魅力で引きつけてというものなので味もおしてしるべしというもの
です。それでも市場から炭火焙煎の豆というのがなくならないので人が何に魅力を感じ、必要とし
ているかというのが時に解らなくなります。これなどはかき氷のシロップが実は全部同じ味だったと
いう長い間秘密にされてきた事実に関連しているのかもしれません。
それでも豆をチェックするたび見せるその時その時の顔と香りと最後に焼きあがる
姿と香りを思えば日々細かいことを繰り返しやっていくことの大切さを感じないわけ
にはいきません。
豆屋の問屋のように豆を扱う人でさえ、何ら変わらない普通のサントスなどと蔑み
特売品にしたりする豆が当店では一番量が出ている豆だったりします。
これなどは珈琲専門店の喫茶店でもブラジルサントスNO2という珈琲がないのに
世界で一番売れている豆でもあります。業務用のホテルレストランブレンドなどという
汎用品などに使われていると思われていますが、実はインスタントや缶コーヒーなどは
ロプスタ種が使われることが多く、その国の品質で最高峰のNO2を付けた豆は実は使われ
ないのです。
多くの国ではこれらは色々な国の豆と混ぜられて使われていて日本だけ国ごとの飲み分けをして
いるのです。
こういう知られていない珈琲の事情は多く、珈琲通の幻想も多くあります。
その幻想も具体性と現実味ということでは人々はそもそも何を望んでいるのかと
いう問題にも突き当たります。
まあそういう深淵に突き進む前に普通のブラジルの味とはこうだという確かめをしてみるのが
いいのではと時あるたびに言ってきました。
コロナで立ち寄り時間を短くするようにとか商売のやり方にもとやかく言われ対策をするように
いわれているわけですが、珈琲談義はなくさないようにしたいものです。