m's diary

タイル巡り♡タイル制作♡建築巡り♡町歩き

④香川への旅【丸亀の近代建築】

2010-01-15 | 香川への旅2010

宇多津の後はほんとは丸亀だったのに間違えて多度津へ行ってしまった;
多度津の後、少し引き返して丸亀へやってきた。
ここでは旦那、子どもたちにとっては三軒目のうどん屋になる「綿谷」、そしてその後は「うちわミュージアム」で丸亀の特産品のうちわについて学んでくるようにとの指令を出し、私は適当なところで車を降ろしてもらった。





大野写真館、昭和26年建築だそう。





全体的にはシンプルな建物なのに、ショーウィンドウになってるこの部分だけは装飾が豊富。
元々の出入り口?!





重厚な町屋が・・と思ったら





隣接してサーモンピンクの洋館を発見。
昭和11年建築の元医院診療室だそう。





地図を見るために立ち止まったら、目の前の閉まっていた骨董品屋に用事があったおばちゃんに、私も客だと思われたようで声を掛けられた。
建築巡りをしてる、と言うと「それならこれを見なくちゃ~」
と連れて来られた隣にあった建物、「秋寅の館」。
大正末期に秋山寅吉氏によって農機具・鍛冶を扱う鉄の商売の為建てられたもの。
太平洋戦争中は空襲の恐れにより解体保存されたが、戦後、この場所に再築されたのだそう。
以来平成3年まで鉄を取り扱う「秋山寅吉商店本社」として営業されてきた。
現在は「まちの駅」として観光案内所兼レンタルスペースなどとして活用されている。

二階部分の外壁を覆う黒光りするタイルがすごい威圧感のある建物。





商店当時のカウンターがそのまま残る店内。

家族と今別行動で散策中で・・と言うと、おばちゃんはそれなら急ぐわね~と言いながら、せっかくなのでお茶をいただきましょう。と
出していただいたお茶を飲みながらしばしお話を。
うどん屋を経営してるというおばちゃん、ここへ来る前、おか泉で食べてなかったら立ち寄らせてもらったんだけど・・





そしてこの館の中に残る防空壕も見せていただいた。
表側は鉄の重い扉になっていて、それを開けると階段が。
中に入ってもよい、とのことだったので初めて防空壕の中へ入るという体験ができた。
天井は意外と高くてちょうど立ってられる程度、中には備蓄品を置く棚が周りを囲んでいて四畳半?くらいのスペースがあった。





この後、銀行を改装した施設、スペース114へ行く、というとおばちゃんは道案内をしてくれ、「あんまり付きまとうと悪いんで」と言われてお別れした。
ここは昭和2年に建てられた百十四銀行丸亀支店だった建物で現在は「スペース114」という飲食・喫茶コーナーや多目的施設として活用されている。





旧銀行らしい吹き抜けの大空間。
分厚い扉の金庫も健在。
奥には飲食・喫茶のコーナーが。





そして一旦商店街を抜けて駅の北側へやって来た。
ここでショックなことが・・
見るのを楽しみにしてた建物の一つ「津坂洋品店」が見つからず、たばこやのおばちゃんに聞いてみたら、「そこのシートがかかってる建物。取り壊されるところよ。」と・・
ガーン・・
シートの隙間からはさすがに見ることができなかった;





津坂洋品店から少し行くとタイルの装飾とアーチ状の窓にはカラフルな色ガラスが入れられたお宅。
昭和13年の建築だそう。





ステンドグラスと思いきや窓にはV字模様の桟が入ってアーチの下の部分は引き戸になっていて開閉できるようになってるみたい。





しばらく線路沿いを歩き、線路沿いから少し道を入ったところにあった堀家時計店。
昭和初期に建てられたもので登録有形文化財となっている。
元医院だそう。





まだもう少し時間がありそうなので商店街へ戻った。
大正12年建築の重元果物店店舗は先ほど見た秋寅の館に似て、二階の外壁は
黒漆喰塗と黒色タイル貼りで仕上げられている。
これは香川県では丸亀と多度津独特の仕上げなのだそう。
登録有形文化財。
かわいいリンゴ模様のシャッターが二階の重厚さと対照的で面白い・・





昭和初期の建てられた和菓子店、寶月堂工場。
元砂糖卸問屋だったそう。
ああ!この建物もなんともいえず風情があるなあ。





隣接していたのはやはり二階は黒漆喰塗と黒タイルで仕上げられたもの。
二重のうだつが存在感たっぷり・・

これにて丸亀の建築巡りを終了し、うちわミュージアムでうちわについて学んでた家族と合流、この後善通寺へ向かった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする