旧齋藤家別邸を出た後はすぐそばの北方文化博物館新潟分館へやって来た。
こちらの邸宅は油田採掘で知られる清水常作氏が明治28年、別邸として建設したものを
伊藤家の七代目文吉が新潟の別邸として取得。
歌人、會津八一が晩年に暮らしていたことでも知られている。
玄関を入ると二間続きの座敷があり、
奥の座敷は庭に面している。
床の間の書院の格子は細やかで、菱紋なのか?大胆なデザインの欄間。
二間の座敷の間の欄間は松の模様。
ふすまは和紙でなく布製の織物になっていて、引手もいろいろなデザインが見られた。
こちらの引手も変わったデザインだなあ。
脚付きの壺に動物が乗る引手も
2階にも二間続きの広間があり、
同じく襖は織物に。
2階の欄間も松の木と草花の取り合わせ。
2階の床の間
書院の欄間は水の流れに千鳥の透かし彫り
2階の窓から庭園を見下ろす。
トイレの壁はモザイクタイル貼りになっていた。
そして廊下でつながっている洋館の方へ。
菱形の窓がつく書斎の扉
洋館は晩年の會津八一が過ごした場所で、現在展示室となってる書斎兼応接間には当時の机や椅子が残されている。
書斎に隣接している階段下の2畳ほどの小部屋は養女の蘭子さんが過ごしていた部屋で
八一の仕事の手助けや来客の接待などのために待機していたのだそう。
2階への階段
階段にぶら下がる照明が花を模した可憐なデザインのものだった。
そして庭園へ。
枯池式枯山水という様式で造られたもので、水を用いず、池泉庭園に近い枯池を造ったもの。
池全体に敷き詰めてある石は「阿賀の黒石」といわれるもの。
その他の石もほぼ新潟産の銘石だそう。
佐渡の赤石や穴が開いてごつごつした魚沼の八海石など
回遊式なので、庭の中へ入り、1周回ってみた。
座敷から見るのとでは又一風違って見える庭。
和館に渡り廊下でつながる洋館。
庭にはお茶室もある。
こちらは清行庵。
清行庵へ行くための躙り口は庭に面した縁側を土間に変えて造られたもの。