蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ある技術屋の温故知新  (bon)

2011-02-11 | 日々雑感、散策、旅行
いきなりなんだ・・! 
と思われるかもしれませんが、本箱の中に、少し表紙が変色した岩波新書が目にとまったからです。1960年1月に駸々堂にて求む・・のサインがあり、ふと懐かしい当時が思い出されページの中へ誘われてしまいました。駸々堂といえば、当時、長堀通りの心斎橋北詰めにありました。

 1959年9月初版(関英夫著、エレクトロニクスの話~ラジオから電子計算機まで~定価¥100)と記されているから、今から52年前のことである。



書き出しを引用すると「世はまさにエレクトロニクス時代だといわれる。まったく、ここ数年のエレクトロニクスの発達には目を見張るものがある。真空管に代わってトランジスターが現れ、ラジオに代わってテレビジョンが急速に普及する。また、レーダ産業に続いて電子計算機産業が世界を風靡する。 家庭には・・・(略)。これが物質文明の極致というものだろうか? いや、そうではない。これは、明日に迫っているエレクトロニクス文化の前夜祭にすぎないのだ。」で始まっている。

本書の中で、50年後の世界(つまり今日)について、要約するとざっと次のように述べられている。

 「ラジオ屋でもガーガーとスピーカーを鳴らすことはない。トランジスターラジオは腕時計くらいの寸法。ポケットから時々手帳のようなものを出して見ているのはテレビ放送、平べったい半導体上に写るテレビ。自宅には壁掛けの大型色彩テレビがある。電話機のそばまで行かないと話ができないなどということはない。道を歩いている途中でも自分に電話が来ている信号が聞こえ最寄りの電話から連絡できる(ポケベルのこと)・・。国際電話も2分以内で相手が出る。外国語も交換局の中で日本語に翻訳してくれる。家々の屋根には海苔干場のように無数に並べられた太陽電池・・・(略)。このころのカメラは、絞りも露出もピントも全部自動だから、狙ってシャッターを切るだけの手間だ。おまけに、電子写真になっているから、撮影してもすぐ像が見られる。病院に行っても・・・」と。
 あれから50年が過ぎた今、ポケベルの実用化等については、はるかにその先を行ってしまったけれど・・・著者である関博士の先見は実に見事としか言いようがない。コンピュータの発達、ネットワークの進展により、この文明の速度はあまりに早く、人類が電気を自由に操れるようになってから、わずか200年余りで今日のような時代に変身してしまった。

 いったい、エレクトロニクスの起源はいつ頃であるか? やはりその源は、静電気でありすでに古代ギリシャ時代に琥珀を摩擦すると軽い物質を引き付けるという謎めいた現象として経験的に知られていた。1600年にようやく、電気・磁気の問題が整理され今日の電気磁気学の先駆的役割を果たしたといっても、まだこれらを自由に使うことはできなかった。1600年といえば関ヶ原の戦いで家康が勝利を収めた年である。

関ヶ原の合戦(ネットより)


その後、むしろ光学・力学・真空などの技術が盛んに論じられ、おなじみのガリレイやニュートンら活躍する時代となる。18世紀に入って、フランクリンの雷実験や1775年には、静電気がいよいよ動電気へと移行する重要な発明の中心人物としてイタリア人ボルタ(電圧の単位をボルトという)らが活躍した。アメリカの独立宣言が行われた頃(1776年)である。
(ネットより)

18世紀~19世紀は、各地で産業革命が盛んに起こり鉄道の普及とともに電信が急速に発達した。
 その100年後の1876年(明治9年)には、アレキサンダー・グラハム・ベルによって電話機が発明された。(これもネットから借用)
2~3年後には、日本でも電話機が開発されたが当時、西南戦争もありこれまで進めてきた電信による情報伝達を優先することとして電話はその後10数年間凍結された。
 20世紀は、技術分野の大いなる発展を遂げることとなるが中でも、1951年のウイリアム・ショックレーによるトランジスターの発明によりそれまでより、より早く広く深い文明の進展を見ることとなった。ショックレーのトランジスターの開発・製造拠点は、カリフォルニアにシリコンバレーの出発点を築いた。
 トランジスターの発明を原動力としてコンピュータを軸に、その後わずかの期間にエレクトロニクス技術は広い分野で大きく開花することとなる。古くから人類の夢であった様々なことが多くの人々の発明・考案により、また戦争や国家施策、産業効率化等を契機として文明の進展とともに次々と実現されてきたのである。社会の進展につれて、より一層の企業活動の効率化、個人生活の向上に向けて、さらに複合化・高度化されるに至るが、この傾向は今後も留まるところを知らない様相を呈している。これらは、単に技術・機能面ばかりでなく、もはやインターネット、モバイル端末、さらにその発展形は人々の生活様式を変え、コミュニティーさらには文化まで創成しつつあるといえる。


この当時の歌
アカシアの雨がやむとき  西田佐知子


もう1曲 グレゴリーペックらのナバロンの要塞
The guns of Navarone(1961) - Theme Song


園まり 夢は夜開く

コメント (2)
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