智恵子抄、道程などで有名な、高村光太郎(本名、みつたろう)は、1883~1956年に活躍された
詩人・彫刻家である。 教科書にもあったので皆さんも懐かしく覚えておられることと思います。
昭和31年4月2日が命日(満73歳)ということですから、私たちが高校1年の頃だったのですね。
この命日を、連翹忌とも呼ぶという。これは、氏が生前好んだ花がレンギョウであり、
彼の告別式で棺の上にその一枝が置かれていたことに由来するらしい。
丁度、今年もこのレンギョウが見ごろです。
ベランダのレンギョウ
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彫刻家として有名なのに、十和田湖畔の「乙女の像」があります。
その昔訪れたことがありましたが、これは、青森県が氏に作成依頼して、国立公園指定
15周年記念昭和28年にこの地に建立したものだそうです。
乙女の像
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氏が作詞した「歩くうた」は、私も歌った記憶があります。
u-tubeにありましたので、音質が良くありませんが懐かしいので・・・