蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

千手観音  (bon)

2012-04-20 | 日々雑感、散策、旅行
東期会ハイキングの続き・・

 先日、東期会ハイキングで大山に行った帰り、ケーブルで途中下車して参拝した大山寺。
国宝の不動明王が丁度御開帳・・ということで、登山靴を脱いで、ご本尊を拝ませてもらいました。 
1265年の作だそうで、春日局がどうのこうのと書かれていました。

大山寺 鉄造不動明王と二童子像
(ネットから)



 やや、若手の不動明王の脇に11面観世音菩薩があり、そのことから千手観音の話に移り、
「本当は、手が何本あるか?」みたいなことになりました。 

 寺を守っている、おかみさん風の人は「・・それは千本あるんじゃ・・?」なんて
いい加減なことを言っていましたので、それは否定し、私は、かって調べたことがありましたので、
何か言おうとしましたが、忘れてしまっていて何も言うことができませんでした。 

 それで、またまた、ネットのウイキペディアを中心にして調べなおしてみましたのでご参考になれば幸いです。

「胸前で合掌する2本の手を除いた40本の手が、それぞれ25の世界を救うものであり、
「25×40=1,000」であると説明されている。
 ここで言う「25の世界」とは、仏教で言う「三界二十五有(う)」のことで、
天上界から地獄まで25の世界があるという考えである(欲界に十四有、色界に七有、
無色界に四有があるとされる)。俗に言う「有頂天」とは二十五の有の頂点にある天上界のことを指す。」

(ネットから)

「千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している」という。


 では、十一面観世音菩薩の十一面にはどのような意味があるかと・・調べてみましたが、
「衆生の十一品類の無明煩悩を断ち、仏果を開かしめる功徳を表すとされる」などと、
分かりにくいことを述べていたり、理屈を付けたものなどもありましたが、
もともと11面を持つ神がいたことからきているらしく、「あまり詮索せずに、
ありがたく拝むこと・・」で割り切った方がよさそうですね。 

なぁ~んだ・・。


大山寺(おおやまでら)は、相模国の国御岳たる丹沢山系の中心道場として各地に知られ、
別当八大坊をはじめとする御師三百坊の霊山として栄えたそうです。

楽しい一日でした・・・。














コメント
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