蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

八重の桜、襄の梅  (bon)

2013-09-06 | 日々雑感、散策、旅行

 先日届いた“会報”に、このタイトルの講演記事が掲載されていました。
講演者はこの春、同志社大学神学部をリタイアされた 本井康博氏という方です。
この講演は、今年4月にあったといいますから、ちょうどNHK大河ドラマ“八重の桜”が始まっていてタイムリーなお話だったのですね。

 それで、今年の大河ドラマが、なぜ“八重の桜”か?という切り出しで始まっているのです。
つまり、なぜ、NHKは無名の八重を大河ドラマの主人公に据えたのか? と。
 

 NHKには、全国40を超える自治体から、大河ドラマの主人公に取り上げてほしいとの陳情合戦が繰り広げられているそうで、
それというのも、取り上げられれば数百億円の経済効果があるというのです。
例えば、三重県は「藤堂高虎」、長岡京市は「明智光秀と細川ガラシャ」 福島県は、初代会津藩主の「保科正之」・・という具合に。
福島県には、ほかに超有名な八重と同世代の「野口英世」がいる。

 そんな中で、NHKが大河ドラマの選定も大詰めに近づいた頃、2011年3月11日、東日本大震災と福島原発事故が起こった。
“単なる娯楽番組を制作している場合ではない。” “一番痛みつけられた福島、ひいては東北全体に勇気と元気を送る
番組にしなければいけない” NHKはおそらくそう方針転換をしたのではないかと、講演者は推定している。

 しかし、復興のシンボルを選ぶメッセンジャーとして福島県人を抜擢したいならば、会津の人々が一番売り込んでいた
「保科正之」を選べばよかったし、世界的に知られる「野口英世」もいたはずなのに、落選して無名の「八重」になった。

 NHKのこの決定を、講演者はこう推論している。
「なでしこジャパン」の活躍が、3.11後の日本にどれほど勇気と励ましを与えたかを鑑み、女性パワーに着目し、
主人公を女性にしたのではないかと。

 しかし・・と氏は、なおも続けます。
“大河ドラマの主人公を女性としても、八重だけではなく、時代を明治に限定しても少なくとも5人いる。” といっています。
つまり、幕末のジャンヌダルクと呼ばれている「中野竹子」や会津国家老の家柄の娘で、岩倉使節団に随行して日本最初の
アメリカ留学生、後に大山巌と結婚した「山川捨松」は、ダンスも得意で“鹿鳴館の花”ともよばれた女性。
3人目は、幼児教育・女子教育の先駆者として知られる「海老名リン」がいて、その他、“小公女”の名訳で知られる「若松賤子」、
日本のナイチンゲールと言われた「瓜生岩子」ら計5人いる。

 

 大河ドラマの主人公を争ったと仮定して、なぜ「八重」が選ばれたのでしょうか? 
氏の推測は、「不堯不屈」「信念」「先見性」という言葉がぴったりの八重の性格を挙げています。
さらに、数年前にNHKが歴史番組で新島八重を取り上げた際、大変な好評を博したことにも起因していると思われる・・
と結んでいます。

 後に再婚することとなる「新島襄」について、むしろ講演者にとっては同志社大学創設の基となった人ですから、
より詳細なお話となっています。

 襄が宣教師として帰国して、キリスト教系大学を設立することを目指し、先ずは、横浜か築地が浮かんだかもしれませんが、
アメリカン・ボードの日本における拠点は、大阪、神戸だったという。 大阪府知事は難色を示し、神戸かと思われましたが、
結局は当時京都府の顧問をしていた八重の兄である「山本覚馬」が協力を約束して、自ら購入していた旧薩摩藩邸跡地を
学校用地として新島に譲渡し、新島と連名で「私塾開業願」を文部省に提出したとあります。
このくだりは、先週のドラマで展開されていましたね。

 1875年「同志社英学校」が設立されましたが、当時大学は、東京に一つあるだけの事でしたから、新島は私立大学創立を夢見て、
募金活動に奔走している途中で倒れ、1890年46歳の若さで帰らぬ人となりました。
亡くなったわずか4日後には、この活動に刺激を受けた「福澤諭吉」の慶應義塾大学部が東京三田で発足したのですね。


 ドラマの「八重の桜」は、“桜は被災地にもきっと来ます。桜は必ず咲きます。”というエールの意味で復興のシンボルとして
タイトルに“桜”を入れたのであって、そこに主人公の名前を重ねたらたまたま“八重桜”となったという落ちです。

 一方、新島は、“梅”が大好きで、“同志社の花=梅” と言われており、学生会館を“寒梅館”といい、学内茶室を“寒梅軒”と
いうのだそうです。 悪い条件を克服して開く“梅”の姿に新島は大変共感を抱いたといいます。

 講演者は、“NHKは、桜ではなく、敢えて風雪を侵して、笑って咲く梅は、まさしく復興を目指す東北への応援歌シンボルとして
八重を描こうとしている”のではないかと結んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

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